願い
「ティアっ」
不意に、そう声が聞こえて顔をあげると、ミーアが周囲に何騎かを引き連れて、こっちに駆けて来る姿が見えた。
アタシは、そんなミーアの顔を見て、なんだかホッとしてしまう。
ミーアの方も安心した笑顔を見せながら馬を降り、アタシとアレクのところに走って来てくれた。
「ミーア」
アタシがそう名を呼ぶと、彼女は珍しく周りも気にせずにアタシに縋りついてくる。
「……頑張ったね」
そう言ってくれたんで、なんだかちょっと、グッと来てしまう。
ただ、今はまだなにもかもが途中だ。
感傷に浸ってるような場合じゃない。
「ありがとう、ミーア。それより、状況は?」
アタシが聞くと、ミーアもすぐに気を取り直したようで、体を離すと表情を引き締める。
「アレクから指揮権の移譲を受けて、ノーフォート子爵様が全体の指揮を執った。敵の部隊は投降したか、逃げたか、かな」
「そっか、予定通りだな」
「正直、ちょっと危なかったけどね」
「そうだな、まさかアレクが用兵で手玉に取られるとは思わなかった」
アタシとミーアはそう言葉を交わして、クスクスと笑い合う。
そんなアタシ達のところに、今度はノーフォート子爵様…いや、おじさまとベアトリスも、数十人の兵を連れてやってきた。
「ティアニーダ様」
「あぁ、おじ…子爵様」
おじさまは馬を降りるなり、アタシの傍に膝をついた。
「愚娘より指揮権を引き継ぎ、残敵の撃破、並びに周囲の安全確保を完了しました。現在は円形陣を敷き守りを固めつつ、死傷者の確認と救護を進めております」
「感謝いたします、子爵様。我らの勝手、どうかお許し願いたい」
「なに、どうということはありません」
アタシの言葉に、おじさまはまるでどう応じるかを決めていたみたいにそう言って、笑みを浮かべられた。
これが、あの晩、アタシがおじさまにしたお願いだ。
アレクは王の存在を見れば、きっとどこかで自分が前に出るだろうって、そう思っていた。
そのとき軍が混乱しないように、事前に指揮権の譲渡順を確認しておいたんだ。
そしてそのときが来ても、アレクを止めないで欲しい…アレクの気持ちを受け止めてやって、黙って指揮権を受け取って欲しいって、そう頼んでいた。
おじさまは、確かにアタシの頼みを受け入れてくれたようだった。
「しかし、王の部隊は撤退してしまいました」
「構いません、ジーマに後を追うように指示してあります」
「……なるほど、そうでしたか…」
アタシの言葉に、おじさまは少し複雑な表情を浮かべられた。
…まぁ、それも仕方ない。
でも、やるより他に、この戦争を収める手立てはないだろう。
「ティア」
不意に、そう声が聞こえた。
冷たく、鋭いその声色に、アタシは反射的にビクリと背筋が震えるのを感じる。
恐る恐る声のした方に目を向けると、そこにはベアトリスの姿があった。
目が座っている。
一切感情を感じない無機質な顔つきに、アタシは戦慄を覚えた。
「…どういうことなのか、説明してくれるわよね?」
え…?
あれ…?
ベアトリス、薄々察してるような、そんな雰囲気だった気がするんだが…?
「…あ……あとで、詳しく話す。今は、まだやんなきゃいけないことがある」
アタシは、何とかそう喉の奥から絞り出す。
それを聞いて、ベアトリスは一瞬黙り込んだ。
しかし、少しして呆れたように大きく息を吐きだした。
その様子に、アタシも内心で特大の溜息を吐く。
「…分かったわ。とりあえず、“それ”、引き取るわよ」
そう言ったベアトリスは、アタシの下で相変わらず泣き続けているアレクを指さして言った。
“それ”、なんて言い方ないだろう、と一瞬思ったけど、アタシはその言葉を飲み込む。
これはマズい。
ベアトリスは、アレクにも怒ってる。
ホントにおかしい…ベアトリスはアタシのこともアレクのことも分かってたんじゃないのか……?
い、いや…待て。
今はそれは後回しだ…
混乱する頭を振って、アタシは気を取り直す。
「ミーア、準備は?」
「うん、できてる。すぐにでも発てるよ」
「よし、行こう」
アタシはミーアとそう確認をして、組み敷いていたアレクに視線を向けた。
「アレク、アレク」
そう呼びかけると、アレクはしゃくりあげながらも、アタシを見上げた。
アレクの上から降り、体を支えて起こしながら、
「アレク、アタシちょっと役目を果たしてくる。あんたは子爵様と一緒に居て、少し休め」
と声を掛けてやる。
アレクの目が、少し不安げに揺らいだ。
そのことに、少し胸が痛くなる。
ずっと一緒に居てやるなんて言いながらすぐに離れていくなんて、我ながらちょっとひどいと思う。
ただ、行かないことにはどうしようもない。
なにか…安心してもらえる方法は…
そう思ったとき、アタシはふとヒルダナ男爵のところで突撃する前のサリアのことを思いだした。
そうか、お守りでも渡しておくか。
そう思って、アタシは自分の髪留めを外して、アレクの手に握らせる。
「悪いな、アレク。すぐに戻るから、これをお守りだと思って、待っててくれ」
そう言って、アタシはアレクを立ち上がらせる。
少しふらついてはいるものの、倒れ込んだりするようなことはなさそうだ。
そんなアレクの外套に着いた土ぼこりをポンポン叩いているところに、輜重隊の荷馬車が二台やってくる。
乗っているのは輜重隊の連中ではなく、すべてミーアの配下の“夜鷹”達だ。
さすが、抜かりない。
「ベアトリス、アレクを頼めるか?」
「……えぇ、わかった」
相変わらず、ちょっと………いや、だいぶ怒ってはいるようだけど、アタシの頼みを、ベアトリスは引き受けてくれる。
アタシの代わりにアレクを支えてもらい、アタシはミーアと一緒に馬へと足を向けた。
「ティア」
不意に、アレクがそう呼ぶ声が聞こえて、振り返る。
するとアレクは、アタシが預けた髪留めを差し出して、
「これ、着けて欲しい」
と訴えて来た。
……なんで?
アレクの髪はボサボサにはなっちゃってるけど、いつもの髪留めで留まってるし…
ここで付け替える意味なんてないと思うんだけど…?
……でもまぁ、アレクが望むんなら、手早く済ませてやろう。
アタシは踵を返してアレクから髪留めを受け取ると、彼女の背後に回った。
元々つけていた髪留めを外し、ボサボサになった髪に手櫛を通す。
それからアタシの髪留めを使って、改めてきれいにまとめて留めてやった。
「ほら、できたぞ」
アタシがそう言って顔を覗くと、アレクは満足したのか、満面の笑みを浮かべて
「ありがとう」
と目礼をしてくる。
なんだよ、そんな畏まることでもないだろうに…
内心そうは思いつつも、アタシはその肩をポンポンと叩いてやる。
「すぐに戻る。ちょっとだけだから、待っててくれな」
「……どこにいくつもりなんだ?」
アレクがそう聞いてくる。
一瞬、グッと喉が詰まった。
でも、これは黙ってるわけにはいかないし…たぶん、伝えといた方が良いことだ。
「……指揮官として、王を討ってくる。戦争を終わらせるために」
アタシの言葉に、アレクは胸の辺りにギュッと拳を当て、ほんの僅かに、苦しそうな表情を見せた。
でも、すぐに大きく息を吐くと、柔らかな笑顔を浮かべてアタシに言った。
「……分かった。できるだけ痛めつけて…むごたらしく殺してくれ」
うん、表情と言葉の落差に、正直ゾッとした。
まぁ、そう言いたくもなる気持ちは分かるけどさ…
「……できるだけそうなるよう…善処はしよう」
そんな、ほとんど逃げ腰の応答だったけど、アレクは満足したように頷いてくれた。
それにホッとして、馬の方へ戻ろうとしてから、ふと、もう一度アレクの方に振り返る。
「あぁ、その、アレク」
「うん、なんだ?」
「いいか、まずはベアトリスに事情を説明して、ちゃんと謝るんだぞ」
「……?あ、あぁ、分かった」
アレクは自分を支えるベアトリスの顔を不思議そうに見ながら、それでもコクっと頷いてくれた。
それから、忘れちゃいけないやつがもう一人…
「エリク」
アタシは、一騎打ちをずっとそばで見ていたエリクに声を掛ける。
エリクはアタシの声掛けに、戸惑った様子で
「はっ」
と声をあげて応じた。
「……主の行き過ぎた行動を諫めるのが、家臣の務めだ。諫めもせず、ましてその行動を後押しするのは…ノイマール王におもねる奸臣とさして変わらないと思うぞ」
アタシの言葉に、エリクは愕然とした表情を浮かべ、その場に膝を折りながら
「はっ…」
と消え入るような声を漏らした。
ちょっと酷な言い方だったかもしれないけど…本心ではある。
アレクのことをずっと見て来た男だ…思うところがあったんだろうってのは否定しない。
でも、今回の判断は、褒められたものじゃないと思った。
そんなエリクから視線を切って、アタシは改めて馬に跨る。
「よし、行くぞ。続け!」
そう号令を発して、馬の腹を蹴った。
それにミーアと警護の十数騎が続き、さらにその後方から荷馬車が二台ついてくる。
問題ないことを確かめると、アタシはエリクへの声掛けを聞いていたミーアに視線を向けた。
「ミーア姉様も、いざってときは頼むな」
そう言うと、ミーアはクスクスっと笑い声をあげて応える。
「私は昔に痛い目みたからね、いざというときは縛り付けてでも止めるくらいの覚悟はもってるよ」
そんな言葉にアタシは安心とおかしさで笑ってしまう。
まったく、本当に頼りになるよな。
* * *
一刻程して、アタシ達の視界には、騎馬隊の一団の姿が見えてきていた。
王都近郊の戦場からは、二里か三里くらいの距離だろう。
すぐ近くには山が迫っていて、王都のある平らな土地の本当に端っこの辺りのようだ。
途中の道々にはジーマが残してくれた兵達が居て、そいつらを吸収しながらここへとたどり着いた。
ジーマ達本隊は、目立つ旗を掲げる一団を囲むようにして待機している。
あの旗が、ノイマール王の部隊だろう。
遠目から見ても、その数は五十には満たない。
三百からなるジーマ達の騎馬隊に対しては、抵抗すらできなかったのだろう。
「ティアニーダ様、ジーマ隊長はあちらです」
ここまで案内してくれた兵が、そう言って前方を指さす。
そこには確かに、馬に跨り周囲を警戒しているジーマの姿があった。
「ジーマ」
遠目からそう声を掛けると、ジーマもアタシに気付いたらしい。
馬首をこっちに向けて、兵達から離れるようにしてこっちにやってきた。
「ティアニーダ様、よくぞご無事で」
「うん、まぁ、なんとかな。それよりも、よくやってくれた」
アタシは、馬を並べてきたジーマにそう声を掛けると、彼はホッとしたような表情を浮かべて
「はい、危うく山に逃げられるところでしたが、辛うじて捕捉できました」
と報告してくれる。
確かに、山の中に逃げられていたら、馬での追跡は難しかっただろう。
そうなる前に追いつけたのは、幸いだった。
…どこまで逃げるつもりだったのかは…聞けば分かること、か。
「さすが、頼りになる」
「はっ」
ジーマは礼を言わなかった。
でも、褒められて当然、なんて態度でもない。
そんな言葉はいらない、っていう感じのそっけなさだ。
でも、それがアタシにとっては心地良い。
「ジーマ、どこまで付き合う?」
アタシが聞くと、ジーマは真剣な表情で
「ここまで来て仲間外れにされるのは、心外に思います」
と言ってから、ニヤリと笑った。
そんな様子に、アタシも思わず笑ってしまった。
嬉しかった。
「分かった。じゃあ、付き合え…死ぬまでな」
「はい、もちろん」
アタシの言葉に、ジーマはそう言って頭をさげた。
アタシはそれに答礼しつつ、馬を前へと進ませた。
アタシ達は、隊を率いるケトヴィン達の一団に合流する。
ケトヴィンは挨拶もそこそこに、
「ティアニーダ様、突撃の準備はできております」
と報告してきた。
アタシはそれに頷いて返し
「これからアタシが投降を促しに行く。アタシが殺されるようなことがあれば、そのときはお前が指揮を執って敵を封殺せよ」
と応じる。
その言葉に、ケトヴィンは一瞬表情を硬くしたが、それ以上は何も言わず、何も聞かずに頭をさげた。
それを確かめてから、アタシはミーアとジーマ、そして護衛の“夜鷹”と荷馬車に
「ついてこい」
と声を掛けて、ケトヴィン達の一団から抜け出し、まっすぐに王旗の下へと馬を進めていく。
王の一団は、アタシの接近を見るなり隊伍を組んで警戒する様子を見せ始めた。
この期に及んで怯まず、逃げず、崩れず、か。
よほどに忠義の篤い連中らしい。
愚かで独善的な王の配下にしては、良くできている…いや、できすぎだと思う。
ふと、ソトス子爵のことが頭に浮かんできた。
やっぱり、そういうことなのかも知れない。
そんなことを思いつつ、アタシは王の一団から一町ほどのところで馬を止めた。
一つ大きく息を吐いて、それからまた大きく吸って、呼びかける。
「ノイマール王とお見受けする。アタシは、オルターニア王家が伯爵、バイルエイン家のティアニーダと申す。これ以上の戦いは、無残な死にざまをさらすだけ。降伏を勧告いたす!」
その言葉に、王の一団は槍を構えて臨戦態勢を見せる。
周囲に居た“夜鷹”達とジーマがゆっくりと展開し、アタシを守れる位置へと移動を始めた。
しかし、それからほんの少しして、王の一団の雰囲気が変わった。
前に出ていた兵…いや、騎士や士官と思しき連中が、戸惑った様子で後ろを振り返り、何かを話し合っている様子が見え始める。
そしてほどなく、辺りに男の声が響いた。
「降伏を受け入れる」
その言葉に反応したのは、アタシでも、周りを囲むうちの騎馬隊の連中でもない。
王を守る一団だった。
彼らは一様に肩を落とし、槍や剣を支えていた腕がだらりと力なく垂れ下がった。
ミーアがアタシをチラッと見やる。
ジーマも、アタシの判断を見守っている様子がうかがえた。
アタシは二人に頷いて返し、声をあげる。
「ノイマール国王陛下に拝謁願いたい!」
アタシのその言葉に対する反応は、劇的と言って良かった。
言葉が届くなり、王の一団は剣を納め、槍を立てて半分に分かれる。
その中央に、一人の男の姿が現れた。
鎧はそれほど派手じゃない。
羽織っている外套…いや、礼装は、高貴な位を示す紫。
あれが、ノイマール国王、フィトディアール・ノイマール陛下か。
「下馬する。二人ここに残って、万が一の際は脱出の援護を。残りはアタシの周囲を頼む」
全員にそう指示を飛ばして、アタシは馬を降りた。
ミーアが配下を素早く割り当て、馬を降りてアタシの周囲を固める。
ジーマに関しては、もうアタシの近衛のようにベタ付きだ。
アタシはそのまま、陛下の許へと足を向ける。
緊張は高まる一方で、それほど怖さは感じなかった。
ほどなくして、アタシ達はノイマール兵と騎士のただなかに足を踏み入れる。
その中央に立つ陛下の十歩ほど手前で立ち止まり、アタシは手を胸に当て膝を折った。
「拝謁の機を賜れましたこと、光栄に存じます」
そう言って見上げた陛下は、力のない笑みを浮かべて頷いて返された。
年頃は、アタシよりも十程は上だろうか。
顔立ちは、痩せ気味。
それほど覇気は感じないが、その代わりに知性の深そうな雰囲気が見て取れる。
軍略や謀略に長けた御仁という噂だったが、どちらかと言えば一の兄上よりも次の兄上に似た雰囲気があった。
「儀礼は無用だ、騎士ティアニーダ。もはや私は敗軍の首魁。沙汰を待つだけの咎人だ」
その声色は、落ち着いていた。
目に浮かぶのは、あきらめではない。
たぶん…安堵、だ。
「はっ、ご厚情、感謝いたします…ご覚悟のほど、確と承知致しました」
アタシはそう答えて、周囲を見渡す。
兵や騎士たちは、皆一様にうつむいていた。
その顔には無念さ、悲しみ、そういう色が浮かんでいる。
アタシは、痛む胸を堪えながら声を張った。
「これよりは、貴軍を捕虜とする。武装解除し、我が兵に投降せよ」
そこまで、言って、声が詰まった。
でも、言わねばならない。
「ただ、陛下の死に同道したいという者があれば、投降は無用。武装解除の上、陛下と共に最期を遂げることを認める」
アタシの言葉に、陛下が頷かれた。
「皆、今日まで、私のわがままに付き合ってくれたこと、感謝に絶えない。これより先は、己がため、家族がために生きて欲しい。この通りだ」
そう声をあげられた陛下は、手を胸に当て、腰を折って配下達に深々と頭をさげた。
辺りからは、嗚咽が聞こえ始める。
そんな陛下に、兵や騎士たちは、一人、また一人と答礼し、武器をその場に置いて、うちの騎馬隊の方へと歩き出す。
数十人いた王の配下は、九人を残して皆その場を去って行った。
残った九人は、王と同じか、アタシくらいの年ごろのやつばかり。
その顔には、表情がない。
すべてを覚悟して…受け入れる腹積もりのようだ。
「その方らも、もう良い。去れ」
陛下が、落ち着いた様子でそう仰った。
しかし、残った九人のうちの一人が声を上げる。
「いえ、陛下。最期までお傍に」
騎士らしい身なりをした女だ。
銀色の髪に、淡い瞳、そして整った顔立ちの女…
その容姿に、アタシは、息を飲んだ。
…おい、待てよ、こいつ………まさか…
思い返せば、アレクの話では見つかったのは遺書だけで、死体が出たとは言ってなかった。
状況から見て、谷川に身を投げたと考えるのが当然だったんだろうけど…
もしそれが、そう見せかけるために仕組まれたことだったとしたら…
…いや、ダメだ。
アタシは、瞬間的に胸に沸き上がった感情を無理矢理に押さえつける。
まずは…成すべきことを優先させろ…
内心でそう自分に言い聞かせ、陛下に頭をさげる。
「陛下…アタシも、主家を持つ貴族家の一員。最期までお傍に侍りたいというこの者達の想い、どうかお聞き届けくださいませんでしょうか?」
アタシの言葉に、陛下はギュッと口元を噛み締め、そしてそれからガクリと肩を落とされた。
「愚かだな…皆、揃いも揃って、愚か者だ…」
そうこぼされた陛下の頬には、一筋の涙がこぼれていた。
そのお姿は、野心から領地を広げようとする悪王には見えなかった。
ついさっきまでの怒りが急激に冷えて、胸が詰まるような切なさが湧き上がる。
……やはり、そうなんだな。
この方の人となりは…ソトス子爵の言っていた通りなんだろう。
アタシは、そんな様子に内心得心する。
だとしたら…やっぱり、準備してきて正解だった。
アタシはそんなことを思って振り返る。
傍にいたミーアがアタシを見ていた。
そして、アタシが何かを言うよりも前に、アタシに頷いてくる。
アタシが頷いて返すと、ミーアはすぐに配下に声を掛けた。
ミーアの指示を受けて、“夜鷹”の一人が後方に残した馬と荷馬車の方へと駆けていく。
それを確かめてから、アタシは陛下に申し上げた。
「陛下、これより、茶の用意を致します。陛下に供するには慎ましすぎる程度のもてなしとなりますが、どうか最後のひとときを、ごゆるりと過ごされますよう」
* * *
指示を受けた“夜鷹”達の動きは、まさに迅速と言って他ならなかった。
荷馬車に積んであった陣幕を広げ、周囲を囲う。
その中央には長い鉄の支柱が突き立てられ、その一番上に、ノイマール王家の旗が掲げられた。
携帯用の暖炉に火が入り、水の入った鉄瓶が載せられる。
輜重隊の物資から持って来た焼き菓子も、備品の皿に盛り付けられていた。
この辺りは、さすがミーアの配下だ。
普段は身辺係をしてくれているだけのことがあった。
そんなことを思いながら、アタシは陛下と向かい合う。
陛下は、やはり落ち着いた雰囲気でたたずんでおられる。
「陛下。お話をうかがう前に、いくつかお願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
アタシがそう声を掛けると、陛下はコクンと頷かれた。
「遠慮は無用にされよ」
アタシは、そのお言葉に頭を下げる。
「では…まず、一つ。たった一度だけ、ご配下に無礼を働きますこと、お許しいただきたく」
そうアタシが言うと陛下はようやく、ちょっと驚いたような表情を浮かべた。
でも、遠慮は無用だと言ったよな?
うん、言った。
間違いなく言った。
だから一度だけ、アタシは遠慮なしに行く。
アタシはもう一度陛下に頭を下げると、残った配下の一人目掛けて歩み寄る。
さっき自ら、陛下に同道を願った女だ。
「リーリニア・ゴルダ」
アタシはそうとだけ口にする。
しかし、たったそれだけのことに女は明確に反応した。
ハッとした様子でアタシの顔に視線を向けて来る。
もう、それ以上の証明も確認も要らない。
瞬間的に、腹の奥底に押し込んでおいた煮えたぎるような感覚が弾けた。
アタシが一歩踏み込んだ瞬間、女は驚いた表情を見せたけど、そんなこと関係ない。
アタシは思い切り腕を引いて、硬く握った拳に目一杯の力を込めて女の顔面に叩き込んだ。
整った顔立ちがひしゃげ、淡い灰色の瞳を揺らしながら、女が仰け反る。
長い銀髪が広がり、女の体ごと地面に叩きつけられた。
アタシは陛下に向き直り、膝を折って頭を下げる。
「大変なご無礼を致しました」
アタシの言葉に、陛下は呆気に取られていた表情を整えられ、頷かれる。
「……アレクシア・ノーフォートか」
陛下はそうとだけ、静かに口にした。
謝意が出なくて、ホッとした。
謝られていたら、アタシは陛下までぶん殴らなきゃならないところだった。
「はっ」
アタシの言葉に、陛下はふぅ、と小さな溜息を吐いた。
「……その者も、他の者も、皆、国でも王権でも、王でもない…私という私人を支えたいと傍に侍ってきた。追い返すべきであったと今も思う……だが、できなかった」
そう言った陛下は、ポツリとこぼされる。
「………愚かだな」
その表情は、後悔とも、嬉しさとも取れない複雑なものだった。
王になってしまった陛下は、苦しんだのだろう。
こいつらは、苦しむ王を傍で見て、支えたいと願った…
陛下も、それを拒めなかった…
気持ちは、分からないでもない。
でも、陛下の言う通りだ。
バカだ。
本当に、バカだ…
「……そう思います」
アタシは、陛下のお言葉に、そうとだけ応じた。
このことは、アレクには黙っておいた方が良いだろう。
アレクにしてみたら、リーリニアは王に利用され、自らの死を選んだことになってる。
でもその実、あいつは、家も家族も、アレクも捨て、王に添うことを選んだ。
アレクに知らせたら、もう一度、喪失を経験させるだけだ。
どうせ元々死んでた人間で、今度は本当に死ぬ。
あとは、アタシとミーア、ジーマが黙っていれば…それだけでアレクの心は守れる。
安いもんだろう。
一発殴ったくらいじゃ気が済まないとこだけど、仕方ない。
これで済ませてやることにしよう…本当に、殺してやりたいほどに腹が立つが。
それから何とか気持ちを整え、声色を少しだけ明るくして
「…ですが、もう済みました。どうか無用にしていただきたく」
と頭を下げると、陛下も少し表情を整えて頷かれた。
その様子に、アタシもホッと息を吐く。
……よし、切り替えよう。
気を取り直したアタシは、話を元へと戻す。
「では、もう一つの願いを。お聞かせ頂きたいのです、陛下。どこまでが狙いだったのでしょう?」
そう尋ねると、また陛下の表情が揺らいだ。
驚き、戸惑い…そんな色が見え、そして最後には、ホッとしたような表情に変わられる。
「……どうして、そのように思う?」
「はっ…ソトス子爵様より、いろいろとお話をうかがっておりました故」
アタシの言葉に、陛下は溜息を吐き、頭を抱えた。
「あのバカは…まったく、つくづくのお人好しだな」
「はい…底抜けにお優しく…そして、人情に篤いお方と存じます。そのせいで、少々優柔不断にも見えましたが…」
アタシの言葉に、陛下はクククと笑い声をあげられる。
それから、アタシに聞いて来た。
「子爵は…グレドールは、なんと?」
「陛下のご助命を望まれました」
そう、それが、子爵様のたっての願い、だ。
「叶えぬのだろう?」
「はい、陛下。心苦しいことではありますが、子爵様の願いを聞き届けるわけには参りません」
アタシの言葉に、陛下は満足そうな笑みを浮かべて頷かれた。
それから、ふぅ、と大きく溜息を吐いて、その場に腰を下ろされる。
ペタンと、地面に尻をつけて、だ。
「陛下」
「無礼を許せよ、ティアニーダ。もう死ぬ身だ…その方の前でくらい、私を…いや、俺を、あいつらの友でいさせてくれ」
陛下は…そう、絞り出すように言った。
その声色には…拭いきれない寂しさがこもっているように、アタシには感じられた。
アタシも、陛下の向かいにペタンと腰を下ろした。
そこに、ミーアと“夜鷹”達がお茶と焼き菓子を持ってきてくれる。
残った九人にも配り始めているようだ。
アタシはそっちからは視線を逸らして、陛下を見やる。
陛下は、お茶を啜って、ほうっと一息、安堵したように吐き出した。
「……子爵様方とは、旧知でいらしたとうかがいました」
アタシの言葉に、陛下は頷かれる。
「あぁ、そうだ。俺の身の上は知っているか?」
「はっ、チラとはうかがっております」
「…俺の母は、侯爵家の娘で、父上とは昔からの知り合いだったらしい。しかし、母はとある伯爵家に嫁いだ。だが、伯爵家ではうまく行かず、それを知った父が母を助けたい一心で、伯爵家から母を召し上げたのだ」
アレクから聞いてたし、“夜鷹”からもそういう噂がある、って報告は受けていた。
「当然、風当たりが強くてな。俺はほとんどを王城の脇にある離宮で過ごした。ただ、そんな俺を不憫に思ったんだろう、父はよく、俺を遠乗りに誘ってくれた。向かった先が、ソトス領だ」
「そこで、子爵様と?」
アタシの問いに、陛下は頷いた。
「子爵領には、王家が資金を出して建てた孤児院があってな。同じように資金を供出していたワットン子爵家、ビルナー子爵家も一緒になることが多かった。父も、子爵領にいるときは、“王の権威”を脱ぐことができていたのだろう…俺達は、家族ぐるみでよく遊んだ。思えば、一番楽しい時期だったな」
陛下はそう言って、寂しそうな笑みを浮かべられた。
「だが、そんな父が急死した…その後は、血で血を洗う醜い争いが続いた。叔父が毒殺され、正妃の子だった三人の兄も死んだ。誰が誰に殺されたのかは、もはや分からん。そして伯母とその夫が最後に残った。こいつらは公爵家でな、自分達の子を王にしようと画策したのだ。そして、王の子である俺を狙った…その結果、母と、幼いころから傍に居てくれた養母、そして弟のように信頼していた養母の子が身代わりのようになって毒殺された…だから俺は、賊を雇って公爵どもを殺させた」
陛下の唇に、力がこもるのが分かった。
アタシは、その様子をただただ、黙って見守った。
「ただ、その公爵家だけではない…父が死んだ瞬間から、貴族家の多くが私欲を満たそうと蠢いていた。父ですら伯爵家の夫人を召し上げるなんて横暴をするくらいだからな…分かるだろう?ノイマールという国は、すでに根が腐っていたのだ…」
そう…陛下は、ノイマールの中央政治に見切りを付けた…いや、ノイマールの王政そのものを憎んだ。
「……だから、国を壊す決断を成された。忠義深い貴族家や優秀な家臣たちをないがしろにすることで離反を促し………オルターニアに、託して」
アタシの言葉に、陛下は少し嬉しそうな顔をして頷かれた。
「さすがだ、聡いな」
「ソトス子爵様より聞かされておりましたし、ゴルダにワットン子爵様や、ハルラド男爵様方が配されていると知って、確かかもしれないと思うようになりました。陛下は四家を戦いから遠ざけるために、膠着するだろう戦線に送った」
「ああ…その通りだ。だがまさか、貴軍がザルダー街道で迂回し王都に攻め寄せるなどとは思ってもいなかったな。俺の唯一の誤算だったが、寝返りを促してくれたと聞いて安堵した…これは名将と名高い御父上の算段か?」
陛下はアタシにそう尋ねてくる。
そんな仰りようをされるとちょっと言いにくかったが、それでもアタシは正直に答える。
「父の後見は受けておりましたが、概ね、アタシが考えました」
すると、陛下は深々と頷かれた。
「なるほどな…御父上に勝るとも劣らぬ名将だ」
「……お言葉、ありがたく存じます」
アタシは、そう言って頭を下げる。
陛下はそれを満足そうな顔で受けてくれた。
それから、少し黙ったあと、押し殺した声で言う。
「オルターニアに本腰を入れて動いてもらいたかった…サラテニア、モガルアを巻き込んだのもそのためだ…そうでもなければ、貴国はノイマールを滅ぼそうなどとは思うまい」
アタシは、ギュッと拳を握りこんだ。
そのために、多くの人が死んだ。
多くの人が傷ついた。
この男の思い付きのために…
それから、アタシと陛下は少しの間沈黙する。
周囲に張った陣幕が、冷たい風を防いでくれている。
傍に置かれた携帯用の暖炉の火が暖かく燃え、空の高みを流れていく鳥の声が聞こえた。
「……俺からも、一つ願いを良いか?」
不意に、陛下がそう声を掛けてこられた。
「はっ、アタシにできることであれば」
そう応じると陛下は、手にしていたお茶のカップにジッと視線を落とし、それから小さな声で言った。
「妻と子には、累が及ばぬように頼みたい」
ギュッと胸が詰まる。
だけど、それに頷くことはできなかった。
「……アタシの一存では、お答えできません…ただ、最大限の努力をするとは、お約束できます」
アタシの言葉に、陛下は頷かれた。
「頼む」
「はっ」
アタシの言葉を聞いて、陛下がほうっと息を吐く。
それから、皿に残った焼き菓子の最後の一欠片をしげしげと眺めながら、誰となしに仰った。
「父がよく、こういう焼き菓子を離宮に差し入れてくれたものだ」
そして、その最後の一欠片を口に放り込む。
「……もし、王などというものでなければ、こういうものを作って売るような…そんな仕事がしたかった」
それは諦念でも、後悔でも、懺悔でもない。
まして、心残りでも、命乞いでもない。
王権というものに振り回され、人生を壊され…人々と国を壊した、一人の男の、独り言だった。
「……お気持ち、お察しいたします」
アタシは、そうとだけ言葉を掛ける。
陛下はやはり、満足そうに頷かれた。
それから、カップに残っていたお茶を飲みほし、改まった様子で言う。
「では、騎士ティアニーダ・バイルエイン、そろそろ、仕舞うとしよう」
そして、持っていたカップと皿をミーアに手渡すと、その場に座ったまま居ずまいを正された。
「はっ、では失礼仕ります」
アタシも、持っていたカップと皿を預けて、その場に立つ。
留め紐を解いて、剣を引き抜く。
「陛下っ」
「あぁっ…」
残った九人が、微かにそう声をあげるのが聞こえる。
陛下が、彼らの方へ視線を向けた。
「その方らの忠義に感謝を。俺の死を見届けたら―――」
そこまで言って陛下は言葉を飲まれ、少ししてから笑みを浮かべて言った。
「いや……皆、ありがとう」
陛下の表情は悲しそうではあったけど、嬉しさとも満足さともとれる色も浮かんでいた。
そして陛下はアタシを見やった。
「その方のような気高い騎士に討たれること、誇りに思う」
「陛下をお送りできますこと、この上もない誉れと存じます」
陛下の言葉に、アタシはそう返す。
また満足そうに笑みを浮かべた陛下は、静かに目を閉じられた。
「…それでは。陛下」
アタシは、そうとだけご挨拶をし、剣を振り下ろした。
陣幕の中央に立っていた柱からノイマール王旗が降ろされたのは、それからしばらくしてからのことだった。




