手綱
アタシは、敵陣の穴から突出した解放軍の進路へと突き進む。
風が唸って全身にぶち当たり、下からは馬の振動が突き上げて来る。
それでもアタシは、その速度だけは緩めない。
とにかく必死になって馬を駆る。
目線を走らせると、解放軍の進路上には派手な旗を掲げた一団が見えた。
あれは、ノイマール王旗。
あそこに王が居るのは明白だ。
崩れた敵陣から逃げ出す兵と同じように、一団は西へ西へと後退している。
アタシは、その中間の辺りに馬を走らせた。
「追え!逃がすな!」
そう叫ぶ声が聞こえる。
これは、エリクか?
そう言えば、解放軍の指揮にはエリクを立てていたな…
こんな突出を危ぶまないやつじゃない。
アレクを止めなかったってことは、エリクはアレクの気持ちを知ってるんだな。
そう思うと、なんだか腹立たしい気持ちになったけど、今はそれどころじゃない。
アタシはようやく解放軍の正面辺りに辿り着いた。
距離は、一町もない。
アタシは槍を頭上に真横に掲げて、声の限りに叫ぶ。
「停止、停止しろ!全軍、停止だ!」
「進め、止まるな!」
まるでアタシの声をかき消そうとするかのような声が聞こえる。
間違いない、アレクの声だ。
解放軍の兵達は、アタシ目掛けて尚も前進してくる。
このまま槍で突き殺されるかもしれない――とは、思わなかった。
いや、思う余裕がなかった。
何が何でも、ここは止めなきゃならないんだ…!
「総指揮官としての命令だっ!追撃を中止せよ!」
アタシは、腹の底から空気を絞り出してそう叫ぶ。
その声が聞こえたのかどうか、兵達の勢いが鈍った。
「停止、停止せよ!」
「止まるな、進め!」
「王を討つまで足を止めるな!」
「停止だ!進軍停止!」
兵達の中から、そんな声があがっているのが聞こえる。
混乱しているみたいだけど…良かった。
それなら、アタシの言葉が届いてるって証拠だ。
「命令に従えっ!停止だ!貴君らの主家の行く末に差し障る前に!」
ちょっとズルい言い方かも知れないけど…それでも、こっちは必死だ。
でも、その分だけ効果はあったらしい。
解放軍の歩兵隊は、その進軍をほとんど止めて、アタシからほんの二、三十歩ほどの距離で完全に停止した。
アタシは、内心、ホッと胸を撫でおろす。
でも、次の瞬間にはそんな想いは吹き飛んだ。
部隊の中央から、馬に乗ったアレクが先頭に出て来たからだ。
アタシを見るアレクの表情は、呆然としていた。
何が何だか、分からない、って顔だ。
「ティア…?どういうことなんだ…?」
アレクが、そう震えた声で聞いてくる。
アタシは、そんなアレクに笑みを見せて応えた。
「ここから先へは、行かせられない」
その言葉に、アレクの顔が強張る。
それでもまだ、アタシが言っていることが信じられないらしい。
「ティアニーダ様!どうか追撃をお許し頂きたく…」
不意にそう声が聞こえてきて、アレクの背後から馬に乗ったエリクが姿を見せた。
その瞬間、アタシの中で何かの火がついてしまう。
「黙っていろエリク!アタシとアレクの話の邪魔をするなっ!」
自分でも驚くような怒号だった。
エリクも驚いたのか、それとも怯えたのか…肩を竦ませて黙り込む。
「…ティア、どうしてそんなことを言うんだ…?ヒルダナ領で、私が追撃を許さなかったことを怒っているのか…?」
アレクの言葉に、アタシは首を横に振った。
「違う、アレク。あんたに王を殺させないためだ」
その言葉に、アレクの目つきが変わった。
さっきの呆然とした表情から一転して、アタシを睨み付けるような、そんな顔つきになる。
「私の邪魔をするのか?」
「まぁ、端的に言えば、そうだな」
「なぜそんなことを…?私がどれだけあいつを憎んでいるか…ティアは知っているはずだっ!」
「そうだな、知ってる」
語気を荒げるアレクに、それでもアタシは、できるだけ落ち着いた声で伝える。
「恨みで王を殺したら…あんたにはなんにもなくなっちゃうような気がしてな」
「…何を、言ってる…?」
アレクは、手綱を握る両の手にギュッと力を込めて、絞り出すようにそう口にした。
「……王をその手で殺して復讐を遂げたあんたに何が残るのかな、って考えたらさ…あんたには、バラバラに砕けた自律と誇りのがらくたと、牙を失った獣っていう…抜け殻しか残らないんじゃないかって思った」
「………それが、なんだというんだ…」
アレクはそう唸った。
歯を固く噛み締め、アタシを強烈な視線で射抜いてくる。
その目には、明らかな怒りが灯っているのが分かった。
「…それがなんだと言うんだっ!私は、あの男が殺せればそれでいい!あとのことなど、知ったことか!あの男を殺して…仇を…リーリニアの仇を討つんだっ!!!」
「気持ちは分かるよ、痛いほど…分かる。でも、意見の不一致だ。アタシはあんたにそんな風になってほしくない…あんたに………幸せでいて欲しい」
「それなら、邪魔をするなっ!」
アレクは、ついにはそう怒鳴り声を上げだした。
もう、怒りも憎しみも隠してなんかいない。
その感情は、明らかにアタシに向いていた。
そのことが、やっぱり嬉しくてたまらない。
アタシ、壊れちゃったんだろうか…?
そんなことを思いつつ、アタシは馬を降りた。
それから大きく息を吐いて、アレクに言う。
「抜けよ、アレク」
その言葉に、アレクの表情が強張った。
「アタシとやろう」
そうとだけ伝えて、アタシは剣を鞘から引き抜いた。
でも、アレクはアタシを見つめるだけだ。
馬を降りようとも、駆けさせようともしない。
剣を抜く気配もなければ、兵達に指示を出すでもない。
ただ、アタシをジッと睨み付けている。
目頭に、僅かに涙をにじませながら。
「……なんでそんなことをする必要がある…」
「必要だからだ」
「…そんな必要はないっ!ティアが道を譲ってくれればっ…」
「そのつもりはない」
「…私は、ティアに剣を向けたくなんてないっ…」
アレクはそう言って、ギュッと唇を噛み締めた。
そんな様子に、ちょっと複雑な気分になる。
どうも、アレクの中には思った以上にアタシがいるらしい。
嬉しいような、困るような、だ。
アタシは、はぁ、と息を吐く。
悲しい想いをさせたくはないけど、仕方ない。
それにだって、責任を持てばいい。
「……また、アタシを拒むのか?ヒルダナ男爵領のときみたいに?」
アタシの言葉に、アレクはピクリと肩を震わせた。
「……あんたはやれるはずだ…これまでだって自分のためにアタシを使ってきただろう?あんたはアタシに『王都へ行きたい』と言った。だからアタシは敵を寝返らせた。さっきもそうだ。あんたは敵陣を崩すために、アタシを前線に向かわせた。全部、あんたが王を殺したいって想いでそうさせてきた…そうだろう?」
アレクの体が震え出したのが分かった。
「だから、これも一緒だ、アレク。王を殺しに行くのなら、アタシの命なんて安いもんだ。違うか?」
アレクは、反論はしなかった。
ただ、全身にこもる力だけが強くなっているのが分かる。
「それとも何か?リーリニア、ってやつのことは、その程度だったのか?」
次の瞬間、アレクの表情がギュッと歪んだ。
怒り…憎しみ…そういうのがごちゃ混ぜになったような、ひどい顔だった。
「ふざけるな…」
唸り声のように、アレクが漏らした。
「私がどれだけのことをされたか…リーリニアがどんな想いで最期を迎えたのか…何も知らないやつが語るなっ!!!」
怒声。
ビリビリと肌が震えるようだった。
一騎打ちのときの比じゃない。
ヒルダナ男爵のところで、アタシの配下の死体が掲げられてるって聞いたときとも比べようがない。
全身が竦み上がってしまいそうになるほどの、強烈な怒りだ。
アレクは馬から飛び降りた。
肩を怒らせながら、静かに剣を抜き、一歩、また一歩とこっちへ近づいてくる。
脂汗が噴き出て、指先が震えるのが分かった。
生唾を飲み込んで、アタシは剣を握り直す。
「退いてくれ…」
ゆらり、とアレクが剣を構えた。
アタシも、剣の柄に両手を添えて、大地をギュッと踏みしめる。
「退け…」
静かで、低い声が、アレクの口から漏れ出る。
背筋に走る悪寒を堪えつつ、アタシは応じた。
「できない」
アタシの応えに、アレクの目がギラリと輝いた。
「退けぇぇっ!!!」
次の瞬間、アレクが地を蹴り、恐ろしいほどの速度でアタシに踏み込んできた。
咄嗟に剣を寝かせて一歩退く。
ガツン、と鈍い衝撃が走ってアレクの剣を受け止めた。
その切っ先が目の前に突き付けられていることに気付いて、ほんの僅かに恐怖が走る。
反射的に剣ごとアレクを押し退けつつ、アタシはその場から二歩ほど後ろに跳ねて下がった。
数歩程先で、アレクがアタシに向かって剣を構えていた。
背を僅かに丸め、ふぅ、ふぅ、と息を吐き、歯を剥き出しにしている。
その眼光は、まるで獣のそれだった。
* * *
分からない。
私にはもう、何一つ分からない。
色も、寒さも、敵の狙いも、言葉の意図さえ分からない。
なぜ指揮していた部隊が崩れたのか。
どうして敵が退路を確保できているのか。
なんでティアが私を止めようとするのか、分からない。
分からない、分からない、分からない…
なぜ王は私に殺されようとしないんだ?
なぜ王は生きているんだ?
どうしてリーリニアが死ななきゃいけなかったんだ?
分からない。
本当に、何も分からない。
ただ私の中にあるのは、王を殺したいという想いだけ。
その感覚に、私のすべてが飲み込まれてしまっている。
「さあ、こいよ」
ティアが、私に何かを言っている。
それに、私の喉が言い返す。
「あんたがだいじだからだ」
私の言葉に、ティアが応えた。
なにを言ってる?
分からない。
分からないけど、ティアがそこにいる。
私の、私を、邪魔してる。
邪魔だ、ティア、邪魔だ…
そこを退け、私はあいつを殺すんだ…
リーリニアのために…リーリニアが死んだから…っ!!!
ティア目掛けて剣が走った。
私の剣を受け止めた彼女は、重なった剣を滑らせながら一歩踏み込んで来た。
体が動いて、私の肘が彼女の顔面に繰り出される。
身を逸らすようにしてそれを躱したティアは、私の下腹部を蹴りつけて来た。
体に衝撃があって、体勢が崩れかかる。
その場でたたらを踏んだ私に、ティアが剣を振ってくる。
自分の剣がそこに重なる。
軌道を逸らしつつ手首が返って、切っ先が彼女の首筋に翻る。
ティアはそれを、手甲を付けた腕で払うように受け流した。
分からない、なんで邪魔する?
なんで私を行かせてくれないんだ…?
剣を向けるのはイヤなのに…
なんでこんなことをさせるんだ…?
邪魔だ…
退いてくれ…
私を行かせてくれ…
あいつを殺すんだ…
殺さないと、私は…リーリニアはっ…!!!
頭の中が、真っ赤に染まった。
剣が走る。
剣が重なって火花が散る。
ティアの剣の刃が迫り、体が反応して身が捩れる。
伸びた腕が握っていた剣がティアの腕を撫で、鎖帷子が裂けて赤い飛沫が舞う。
瞬間的に、体が固まった。
違う、こんなことをしたいんじゃない…
私は王を殺したいだけ…
ティアを傷付けたいんじゃない…
それなのに…
ティアがズイと私の懐に一歩踏み込んできた。
その瞬間、背筋が強烈に跳ねて、脚が地面を蹴る。
追い縋ってくるティアに、私の剣がまた走る。
その剣を弾いたティアの胴に、私の足が蹴り込まれた。
ティアはその場で勢いを殺され、私の体はさらに後ろへと押しやられる。
そんな私に、ティアはなおも剣を振ってきた。
それなのに、どうしてやめてくれないんだ…
どうして…どうして、邪魔をする!!!
そんな感情と共に、体が動く。
両手で握った剣が、ティアの首元へと横薙ぎに走った。
それを受け止めたティアの手首が、クルリと裏返るのを、私は見た。
次の瞬間、下から強烈な力で両腕が弾き上げられ、私の両手から剣がすり抜けて行ったのが分かった。
再び、体が強烈に震える。
そしてその感覚に反応した体が、勢いよくティアの胴回りに突っ込んで行った。
* * *
アレクの剣は、アタシが知っているのと違った。
技術や技は、確かにアレクのものに違いない。
だけど、あまりにも攻めに意識が向きすぎていた。
一直線に剣を振ってきて、それを受け止めたらさらに一手押し込もうとしてくる。
その手が通じなければ、さらにもう一手を狙って来る、そんな凶暴さがあった。
だけど、不思議と怖くはなかった。
ただ、剣を受けるたびに、技を返すたびに、胸の奥にジワリと暖かさと切なさが湧いてくる。
一撃一撃にアレクの想いがこもっていて、それを受けるごとにアタシは、アレクのことがもっとずっと分かってくるような、そんな気さえした。
だからだと思う。
アタシの動きに反応したアレクが、剣を横に薙いでくるのも分かった。
剣を寝かせてそれを受け流し、上ずったアレクの腕を下から思い切りかちあげた。
体をのけぞらせたアレクの手から剣が離れていくのが見えて、思った。
あぁ、来るっ…!
次の瞬間にアレクが視界から消えた。
そう認識したときには、アタシの体がとてつもない衝撃とともに宙を舞った。
それも束の間、アタシは地面に背中から勢いよく叩き付けられる。
肋骨が軋んで、息が詰まる。
体が空気を求める僅かな間に、アレクがアタシの上に馬乗りになっていた。
アタシの上で、アレクが右腕を大きく振り上げる。
いや、それはさすがにっ――!
アタシは咄嗟に、顔の前で両腕を交差させる。
そこにアレクの拳が降ってきて、それを辛うじて受け止めた。
手甲同士がぶつかって、ガシャンと音を立てる。
一発目を防いだと思ったのに、二度、三度とアレクは激しくアタシの腕に拳を叩きつけてきた。
「邪魔するなっ…!私の邪魔をするなぁっ!!」
アレクはそう叫びながら、さらに振り下ろされてきた拳を、アタシは両手でギュッと捕まえる。
素早く手首を握り、関節を極めるようにアレクの腕を巻き込みながら自分の体を左に捻る。
しかしアレクもそれを察知したかのように反応し、身を捩ってアタシの上から地面に転がった。
アレクの手を離して身を起こした瞬間、アレクがまた飛び掛かってくる。
本当にまったく…仕方のないやつだ。
アタシはアレクの突進に合わせて、両脚を浮かせた。
同時に、アレクの首元に両腕を絡み付ける。
フワッと体が浮いた瞬間、アタシは上がった両足もアレクの腰に絡みつかせて、一気に身を捻った。
アタシとアレクは、体勢を崩しながら横倒しに地面に叩きつけられる。
「ぐっ…!」
「くふっ…!」
衝撃で漏れる声が重なった。
しかし、次の瞬間には腕の中にいたアレクが暴れ始める。
アタシは慌てて両脚に力を込め、その動きを封じた。
そのまま身を起こし、アレクの上に馬乗りになる。
アレクの拳が、アタシの胸甲を叩く。
手甲が当たって、ガツンと音がする。
続けざまに胴当てを叩かれ、またガツンと音が鳴った。
「退けっ…退けよっ……!」
呻くようにそう言いながら、アレクはガツンガツンと、さらにアタシの体を殴りつけてきた。
そんなアレクの拳を、アタシは諾々と受け続ける。
痛そうな一撃を貰わないように気を付けつつ、乱れた息を整える。
そうしながら、組み敷いているアレクに目を向けた。
アレクは、ぜいぜいと肩で息をし、顔中汗まみれで土も付いてる。
髪はボサボサだし、表情なんかはひどいもんだ。
「…アレク」
「退けっ…退けっ…邪魔するな…私のっ…私がっ…」
「……アレク、手ぇ、痛くするぞ」
「……うるさいっ…うるさいっ…退けっ…退けぇっ!」
聞こえているんだか、いないんだか。
アタシはそんなことを思いつつ、手甲の留め帯を外していく。
「退けっ…退けよっ…リーリニアがっ…」
アレクが呻く。
「あいつのせいで、守れなかった…」
ガツン、と胴当てが音を立てる。
「…あいつのせいで…リーリニアはいなくなった…」
また、ガツンと、胸甲が殴られる。
「……あいつが、全部悪いんだ…」
アレクの声が、嗚咽に変わった。
―――あぁ、そうか…
アタシは、分かった。
アレクがどうしてここまで王を憎んだのか。
アレクは…許せなかったんだ。
リーリニアを守れなかった自分を。
自分を置いて死んだリーリニアを。
でも、それを受け止められなかった。
だから、すべてを王に向けた…
王には、憎むだけのことをされたと思う。
恨むだけの理由もあると思う。
でも、その想いは異常な執拗さだった気がする。
その理由がようやく分かった。
「気持ちは分かるよ、アレク。でも、王は殺しちゃダメだ」
アタシは、できるだけ優しい声色で、アレクにそう伝える。
「イヤだ…殺すんだ…あいつをっ…私がっ…」
そう応じるアレクは、もう目の焦点が合っていないようにも見えた。
わけが分からない、ってそんな様子だ。
アタシは、そんなアレクの頬を、手甲を外した手で触れる。
その瞬間、アレクの視線がアタシを捉えたのが分かった。
「アレク、王は殺させない」
アタシの言葉に、アレクの表情が歪んだ。
瞳を揺らがせながらも、食い入るようにアタシを見つめてきた。
「なんで…どうしてだ、ティア…?」
アタシはアレクの頬に着いた汗と涙と土を拭いながら答える。
「あんたを、守るためだ」
「私なんか、どうだっていい…あいつを殺さなきゃ、私はなんのためにここに来たのか…!」
アレクの言葉に、アタシは頷いて返した。
「そうだよな、無念だと思う。悔しいと思う…アタシには想像することしかできないけど、胸が潰れそうなくらいに辛いことだっていうのは分かるよ」
「だったら…」
そう言葉を返そうとしてきたアレクに、アタシは微笑む。
アレクはアタシの反応に戸惑ったのか、それとも驚いたのか、言葉を飲み込んだ。
「無念さも、悔しさも…怒りも、憎しみも、全部アタシに向けてくれていい」
それはきっと、リーリニアにもできなかったことだ。
おじさまにもできなかった。
アレク自身にもできなかった。
でも、アタシならしてやれる…してやりたい、ってそう思った。
「アタシは恨まれたっていい、憎まれたっていい…それであんたが幸せなら、アタシはあんたの全部を受け入れる」
アレクは、黙ってアタシを見ていた。
「辛いのも苦しいのも、憎いのも悔しいのも…嬉しいのも、楽しいのも、全部、全部アタシが傍に居て、一緒に受け止めてやる」
「……そんな……何を言って……」
アレクの瞳が、さっきとは違う色に揺らぐ。
そんなアレクにアタシは続けた。
「……大丈夫だ。アタシは、ここにいる」
震えそうになる喉を、唇を堪えて、言葉を継ぐ。
「ずっとそばに居る」
私が、ティアのその言葉を聞いて感じたのは、痛みだった。
拳が痛む。
背中が、腕が、体のあちこちが悲鳴をあげていた。
胸は焼けるように熱いし、鎖帷子の下は汗だくで気持ちが悪い。
私に馬乗りになって、ジッと私の顔を見るティアの向こうには、真っ青な空が見えた。
頬には、ティアの手の暖かな温もりが感じられる。
それがなんだったのかは分からない…分からないけど、全身を得体の知れない強烈な衝撃に叩かれたようだった。
胸の内から込み上がってくる温かさが、強張っていた全身の緊張を解きほぐしていく。
心臓が脈打つたびに全身に血液が行き渡り、あらゆる感覚が鮮明になっていくのが分かった。
「…私は、あいつを殺すんだ…」
そう、私の中に残った何かが言葉になって漏れ出る。
「させないよ」
ティアの、私の知っているティアの、優しくて暖かな声が聞こえた。
「じゃあっ…私はっ…私はどうしたらいいんだっ!?あいつを殺したい…リーリニアの仇を討ちたいんだっ…行かせてくれ、ティア…頼むからっ!」
「行かせるわけにはいかないんだ、アレク…でも、その代わりに、アレクと…アレクのその気持ちとずっと付き合うって約束する。一月でも、一年でも十年でも…アレクの中から無念とか恨みが消えるまで、ずっと、ずっとだ」
もう、言葉が出なかった。
何かを言い募ろうと思うけど、その意思が保てない。
何を言って良いのか思いつかない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
私の全身を弛緩させているこの感覚は……途方のない、安心感だ。
「ダメ、かな?」
ティアが、穏やかな声色でそう聞いてくる。
彼女は、笑っていた。
優しくて、明るい、私の知っているティアだ。
私が頼れる…大切な人。
「イヤだ…私は、私は…」
もう、何を言ってもダメなんだ。
私の想いは、全部ティアに飲み込まれてしまう。
受け止められてしまう。
そして、私はそのことを、何よりも心地良く感じてしまっている。
もう、もう…私は、ティアの想いに、抵抗することができなかった。
私は、頬に当てられたティアの手に、自分の手を添える。
「私は…私は……あぁ、リーリニア……ごめん…ごめんね…」
不意に、胸の奥で何かが弾けて、そんな言葉になって込み上がった。
感情で胸と頭がいっぱいになって、涙になって溢れてくる。
そのまましばらく、私はティアに組み敷かれた状態で泣き続けた。
戦場のことも、王のことも、何もかもを忘れて、ただただ、頬に触れる温もりだけを感じながら。




