本能
日が傾いてきて、空が微かに茜差す。
途端に、空気が冷たく肌に昼間以上に刺さるような気がしてくる。
それはアタシだけじゃなく、一緒になって天幕を張っている輜重隊の兵達も同じらしい。
みんなしきりに身を震えさせたり、手をこすり合わせたりしていた。
ここのところは特に鼻っ柱が寒さのせいで痛痒い。
しもやけってやつだろうか…あんまり経験がないから、良く分からなかった。
アレクの父上、ノーフォート子爵様…おじさま、と話をした翌日の夕方。
アタシ達はついに山間部を抜け、なだらかな地域に辿り着いた。
王都までは、もう十里もない。
今は山の裾野に隠れているが、明日の朝行軍を始めればすぐに防壁が見えるはずだ。
ここからは、いっそう気を付けなきゃならない。
王都の守備がどうなっているかの情報はまだ入ってないけど、こちらの動きが気取られていたら、近づく前に奇襲を受けるかもしれないしな。
「ティア」
不意に、アタシを呼ぶ声が聞こえた。
目を向けると、そこには身を縮こまらせながら近づいてくるベアトリスの姿があった。
「あぁ、ベアトリス」
「言われてた通り、向こうの山に斥候部隊を送ったわ」
「助かった。あそこを押さえておけば、少なくとも王都からこっちに近づいてくる部隊がいればすぐにみえるだろ」
「そうね。アレクが気が付いてくれて良かった」
ベアトリスはそう言って、柔らかく笑う。
そんな彼女を見て、アタシは少しだけ複雑な気分になった。
彼女はミーアに比べたらアレクと距離が近い。
いや、ミーアが遠いってわけじゃなく、ベアトリスの方がより近い、ってだけの差だけど…
ミーアと違って行軍中に二人きりになることもなかったから、まだこれっぽっちも事情を話せていないんだ。
ただの隠し事ならいいんだけど今回はアレクのことだし、どうも除け者にしてるような状況だから、なんとなく後ろめたさがあった。
「ホントだな。ここで止まった方が良い、っていうのも正解だったし」
アレクは、野営地を決める際、この場所が山の陰になり王都から視認できない位置だと教えてくれた。
すぐ近くに、王都を監視できる小さな山があることも含めて、だ。
今のアレクには、無駄がない。
恐ろしいと感じるほどに…
「……ベアトリス、アレクの調子、どうだ?」
「どうって…?ティアもさっき話してたでしょ?」
「……あぁ、いや…そうなんだけどさ、ほら、例の話があったろう?」
「例の…?……あぁ、そうか、なるほどね」
アタシの言葉にそう首肯したベアトリスは、視線を宙に投げる。
ややあってアタシに目を戻した彼女は
「確かに、ちょっと盛ってるかなぁ」
と呟くように言った。
盛ってる…血気に、ってことだろう。
やっぱり、ベアトリスから見てもそうなんだな。
「そっか…分かった、ありがとな。アタシはどうしてもミーアと一緒に細かいやんなきゃいけないから、一緒に居てもらって助かってる」
「別にティアにお礼を言われるようなことじゃないわ。アレクだって大事な友ですもの」
アタシの言葉に、ベアトリスはそう言ってくれた。
そう言ってもらえるのは、なぜだかすごく嬉しい気持ちになる。
「…そうだよな」
「えぇ、そうよ」
そう言って笑顔を見せた彼女は、次の瞬間、ブルっと体を震わせた。
「うぅっ、寒っ…じゃあ、私は天幕張りに行くわね。何かあったら声掛けて」
「うん、ありがとな」
そう言って踵を返したベアトリスは、数歩歩いてから気が付いたように足を止め、こっちを振り返ってくる。
「ティア、もしもの時は、頑張んなさいね」
優しい顔で、彼女はそう言ってくれた。
ベアトリスには、アタシの思惑は何一つ話していないはずだ。
でも……何か、勘付いているんだろう。
それでいて何も言わず、何も聞かず、こうして励ましの声を掛けてくれている。
そのことがありがたくって、ジワっと目頭が熱くなった。
「……あぁ、うん。ありがとう」
アタシがそう言うと、ベアトリスは満足そうに頷いて再び歩き出す。
「もしもがあっても、伯爵様には黙っておくから」
背中越しに、そう言葉を残しながら。
………?
……親父殿には内緒……?
………どういう意味だ?
そんなことを思っていたら、ピュウっと一陣、冷たい風が吹き抜けた。
ゾクゾクっと背筋が震えて、体が強張る。
うぅ…本当に冷えてきてるよな…早く天幕張らないと。
そんなことを思いなおして、アタシは一緒に天幕を張ってくれていた兵達の作業に加わり直す。
仕官用の天幕は大きいから毎回手伝ってもらってるけど、毎回ちょっと申し訳なく思ってるんだ。
「みんな、毎度すまないな」
アタシがそう声を掛けると、兵達は笑顔を向けてくれた。
「とんでもありません!」
「止まってると寒いんで、作業があると助かります!」
「あはは、そんなに震えながら言われても説得力ないぞ?」
アタシがそう言ってやったら、兵は慌ててパタパタと手を振り始める。
「いえ、これは、荷馬車で体が冷えちまってるせいでっ」
「ティアニーダ様、そうなんですよ。荷馬車ん中は、ホント寒くて」
なるほどな、確かに歩いたり馬に乗ったりしてる分には体を動かすけど、荷馬車を操らなきゃいけない輜重隊はそういうわけには行かない。
荷台に乗ってるか、さもなきゃ御者台で吹き曝しの目に合ってるんだ。
こう寒いと、さすがに辛いだろう。
「それもそうだな…あとでアタシ用のワインを分けてやるよ。それ飲んで温まってくれ」
「えっ…よろしいんですか!?」
「いや、おい、バカっ!そこは遠慮しろって」
「えぇっ…でも、せっかくああ仰ってくれてるし…」
天幕を張りながら、二人はそんな言い合いを始める。
そんな様子に、ホッと胸が軽くなった。
戦争に、アレクに、と、あれもこれも大変なアタシには、こういうのが沁みる気がした。
* * *
天幕を張り終えたアタシは、ワインを一瓶
「内緒だぞ」
と言って輜重隊の兵に手渡したあと、アタシは天幕に入ってまずは携帯用の暖炉に火を入れた。
寝台用の箱に、毛布と敷物、テーブル用の箱と、折り畳みのイスなんかをサッと配置し終える。
それほど時間が掛かったわけじゃないけど、その間にも天幕の中はホッとできる程度には温かくなってきた。
アタシは箱を並べて作った寝台に、腰を下ろす。
次の瞬間に、意識せずにため息が出た。
ふと、手を見ると、指先が微かに震えている。
寒さ…じゃあ、ないな。
オルターニアの王都から屋敷に戻って次の兄上に親父殿の指示を聞いたときには、信じられなかった。
そのあと、ティットラー領都で直接親父殿から部隊の指揮を委任されたときは、不安だった。
それから…親父殿、父上と話をして、根拠はあんまりなかったけど、やれそうな気がした。
ソトス子爵のところで“初めて”指揮を執ったときは、勝っても実感が湧かなかった。
ゴルダ領で四家を寝返らせようと思ったとき、アタシは迷わなかったし、できると感じた。
そして、実際に成功した。
正直に言って、実感がある。
アタシは、変わった。
…ただ、今の自分が何者になったのかは分からない。
親父殿は、アタシを帥だと言った。
でも、親父殿が言った人を惹き付ける力っていうのも、何にも縛られない発想って言うのも、結局未だに確かな実感はなく、あるのはなんとなくの心当たりだけだ。
そんな、自分自身については何一つ確信を得てないアタシは今、それでも敵地のど真ん中。
王都のすぐそばに居る。
そのことが…なんだか、信じられなかった。
アタシは、震える指をギュッと握り込む。
それから、パッと開いて軽く振った。
寒いわけじゃない。
ただ、冷えてはいる。
怯えてるわけじゃない。
でも、不安ではある。
逸っているわけじゃない。
ただ、やらなきゃならないとは思ってる。
あれも、これも、それも。
まったく、アレクのことはさておき、それ以外は荷が重いよ。
そんなことを考えていたら、不意に天幕の外に気配がした。
そう言えば、そろそろミーアに王都内の情報が届いても良い頃だ。
その報告か?
しかし、聞こえてきたのはミーアではない別の声だった。
「ティア、いるか?」
アレクの声だ。
体に力がこもった。
「あぁ、いるぞ。入ってくれ」
アタシは寝台から立ち上がりながらそう伝える。
用意してもらっていた水を鍋に入れ、そのまま暖炉の上に置いた。
そんなことをしているうちに、アレクは天幕の中に入ってくる。
「どうした、アレク?」
アタシはそう声を掛けてみたが、返事がなかった。
不審に思って目を向けた瞬間、息を飲んだ。
アレクが至近距離にいた。
それこそ、つま先が触れ合うような距離に。
「ど、どうした…?」
心臓が高鳴るのと同時に、全身が強張った。
頭の中で、ガンガンと戦鐘が鳴り響く。
どこかで考えてはいた。
王を殺しに行くだろうアレクにとって、アタシは邪魔だろうって。
だから、おじさまとあんな約束までしたんだ。
だけど…まさか、直接押し込めようってのか…!?
アタシの目を、アレクはジッと見つめていた。
アタシも身動きが取れないまま、アレクを見つめるしかない。
不意に、アレクの手がふっと顔の前に掲げられて、アタシはほんの一瞬、ビクっと体を震わせてしまう。
しかしアレクは、その指先でアタシの鼻先にそっと触れるだけだった。
アレクの指先は、熱いくらい火照っているように感じる。
「すまない、驚かせたか?」
「あ、ああ、いや…こんな近くにいるとは思わなくて…」
「そうか」
そう言いながら、アレクはアタシの鼻先を撫でつけ
「霜腫れになっているな」
と呟くように言う。
霜腫れ…?
「しもやけとは違うのか?」
「いや、そうとも言う。温めないと、悪くなるぞ」
アレクはそう言うなり、懐からハンカチを取り出した。
「湯が沸いたら、これを浸して当てておいた方が良い」
「あぁ…ありがと」
そう応じたアタシに、アレクはハンカチを押し付けてくる。
ただ、相変わらず鼻を撫でているし、距離を離すでもない。
いや…まぁ、ここのところ、やたらと体を触ってくることは何度もあった。
何かの報告や確認のついでに、腕や背中にトンっと手の平を置いてくるんだ。
だけど、こんなに直接的に、大胆に触られたことはない。
「あの…アレク」
身を引こうとすると、鼻を撫でていない方の手でアレクがアタシの体を捕まえる。
「湯が沸くまで手で温めるから、ジッとしていろ」
「いや、えと…お湯は、お茶を淹れようかと思って火に掛けたんだけど…」
「こちらを温める方が優先だ」
「…わ、分かった…それで、何か用だったのか?」
「いや、特に用はない」
そう言ったアレクはアタシの体を捕まえていた方の手を離して、ジッと視線を落とす。
「…ティアは、温かいんだな」
「…はっ?」
「……温かいんだ…あぁ、そうか、だからか…」
そう言ったアレクの動きを、アタシは捉えられなかった。
顔の前から手が逸れたと思った次の瞬間には、アレクの手が外套の中に潜り込んでギュッと抱きしめられる。
それはアタシを害そうとしているのでもなければ、縛り付けて拘束しようとしているでもない。
ただただ、人肌を求める…小さな子どもみたいだった。
あぁ、そうか…やっぱり、そうだよな…ちょっと構え過ぎてた。
アタシはホッと息を吐いて、アレクの頭を撫でてやる。
「ありがとな、アレク」
「何がだ?」
「アタシが緊張していると思ったんだろう?」
「……そうだな、強張って見えた」
「だろうな…明日はたぶん、大舞台だからな」
「あぁ、明日…明日か」
アレクはそう言って、アタシの体を解放した。
ゆらりと、アレクの瞳が揺れたような気がする。
そう、明日だ、アレク。
そんなことを思いながら、アタシはもう一度、アレクの頭を撫でてやる。
「ミーアに“夜鷹”からの情報が届いたら、すぐに軍議に入る。頼りにしてるぞ」
アタシの言葉に、アレクはその瞳を揺らしながら静かに答えた。
「あぁ、任せておけ」




