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周辺図

挿絵(By みてみん)

南部広域地図

挿絵(By みてみん)




その日の夜、私達は父様の陣地に戻っていた。

主要な面々が天幕に揃い、その昼間の出来事についての確認と、事後処理について話している最中だ。


天幕にるのは、私とティア、ミーアにベアトリスにエリク、そして父様とバーナット殿。

他に、バイルエイン家の士官達と、父様が率いていた部隊の士官達。


そして、物資用の木箱を並べただけの同じテーブルに着いているのが、ワットン子爵家、ビルナー子爵家、ミコスト男爵家とハルラド男爵家だ。

他にも、彼らの臣下らしい者がそれぞれ数人帯同している。


私は、目の前の光景が未だに信じられなかった。


「それにしても皆さま、国軍を包囲する手管は見事でございました」


そう言ったのは、ティアだ。

彼女は、ソトス子爵領から私達に追いついた日と同じような、いや、それ以上の熱気を放ちながら、柔らかな笑みで四家の人間にそう声を掛ける。


「我らは、ハルラド男爵様に従っただけのこと、そのようなお言葉はハルラド様へ給われたく」


そう言ったのは、父様とあまり歳が変わらないくらいの男、ワットン子爵だ。

ティアに褒められたことに居心地が悪いらしく、妙にしおらしい印象だ。

それに神妙な面持ちで、ビルナー子爵が同意する。


「その通りです。あの状況でもハルラド男爵様は賢明でいらした。先代は、本当に良い世継ぎを得られたと思います」


二人の言葉を聞いて、歳は私やティア等と変わらなさそうな男、ハルラド男爵も気まずそうな笑みを浮かべた。


「私など、バイルエイン様に比べれば木っ端のようなものでございます。現に、私の優柔不断で判断が遅くなり、心配をお掛けしたではありませんか」


「何をおっしゃいます、慎重さは大事でございますよ。現に、判断を下したのはまさに好機と呼べる瞬間だったと思いますし」


そんなハルラド男爵に、同じく私達と同年代と見える若い貴族、ミコスト男爵が言葉を添えた。

線の細い、頼りなさそうな顔つきをしている。


「ミコスト男爵のおっしゃる通りだと思います。アタシも、父上からその辺りは言い含められております。判断は慎重に、決断は果敢に、考えは自由に、と」


そんな四人の会話に、ティアがさらに言葉を挟む。

ティアの表情には余裕がある。

笑みもある。

彼女には、この四家を疑うつもりなど僅かにもないのだと思った。


他の三家に言葉を掛けられたハルラド男爵は、なおも気まずそうな表情で笑う。


「金言にございますね…私も、しかと胸に刻みます」


そう答えるハルラド男爵を見て、父様もバーナット殿も、どこか優しい笑みを浮かべていた。


私には、やはり信じられなかった。

しかし、現にそれは起きたのだ。

四家は、ティアの誘いを受けてオルターニア側に寝返った。

そして、軍道を塞ぐ国軍を囲んだ。

逃げ場を失った国軍は間もなく降伏した。

それを私が知ったのは、四家を引き連れて私達の本陣にティアがやってきてからだった。


国軍の兵士は現在、武装解除の上で後方のゴルダ領都に移動させているらしい。

その辺りは、父様の部隊が受け持っているようだ。


「しかし…本当によろしいのですか?」


笑いが収まったところで、ハルラド男爵がティアに話を向ける。

寝返りの条件のことだろう…現金なものだ。


「もちろん。ハルラド男爵様も、ミコスト男爵様も、ご領地に恵まれずにご苦労されてきたとうかがっております。バイルエイン家を通して、ご両家のオルターニアへの転領を奏上致します。必ずやお認めくださるでしょう」


もし、ティアの言葉が本当なら…彼女はこのノイマール侵攻の総指揮官に当たるのだ。

彼女の言葉を、オルターニア国王陛下は無視できない。

今のティアは、いわば陛下の名代に当たるからだ。


「我らについてもご寛恕いただけるとのこと、ありがたく思っております」


今度は、ワットン子爵が礼を取り、それにビルナー子爵が続く。

ティアは礼を返さずに


「そのような、どうかおやめください」


と言って二人に頭をあげさせる。

そして、いたわし気な表情で彼らに言った。


「子爵様方のことは、ソトス子爵様よりうかがっております。こちらにご助力賜れることは幸いとは思いますが、辛い思いを強いたとも思っております。どうか、礼など無用に」


あとになって思い出したことだが、ワットン子爵の正妻は、ソトス子爵様の妹君なのだ。


ティアは、男爵家にはオルターニア国内への転領、子爵家には王政派として活動したことへの寛恕と領地の安堵を与えることを条件にしたようだ。

理屈で考えれば、この家々がそれに乗ると考えるのは不自然ではない。

そういう家々なのだ。


「我らはこの後、ソトス子爵領へと向かうということも、本当に構いませんので?」

「ええ、こちらからお願いしたことですし、必要だと考えています。先にもお伝えした通り、先日サラテニアによる侵攻がございました。背後を守るためにも、ソトス子爵様と力を合わせて頂きたいのです。それに、お二方であれば、ソトス子爵様もご安心されるでしょう」


両子爵家は、この後、ソトス子爵領へと向かうことが決まっているらしい。

後方を守れ、とティアは言うが、その実、ソトス子爵様のところで少し休め、ということのようだ。

ティアは、四家に対してこれでもかと言うくらいに気を遣い、丁寧に対応している。

それが、私の胸の内をひどくかき乱していた。


ティアのしていることは、正しい。

無用な戦闘を避け、敵を味方に付けたのだ。

一兵すら損なうことなく敵の陣地を攻め落だけではなく、戦力を強化すらできた。

どう考えても、否の打ちどころのない采配だろう。


しかし、私はそのことを受け止めきれずにいた。

受け止めようとすると、心が軋むような感覚を覚えて、全身が強張る。

理解しようとすればするほど、頭の中で思考がなりたたなくなった。


それに加えて、ティアだ。

私は確かに彼女に言った。

陣地を突破して王都に向かいたい、と。

彼女はそれを聞いて、任せろと答えてくれた。

驚いたけど、嬉しいと思った。

頼もしいと思った。

そして実際に結果を出した。

私には考えも付かなければ、理解すらできない方法で、だ。


分からない、と、そう思った。

ティアが私を想ってくれていることに疑いはない。

私のために、策を練り、“夜鷹”を介して四家と繋ぎを付け、寝返りの条件を整えたことに、異を唱えるつもりは毛頭ない。

だけど、私にはティアという人が分からなくなった。

彼女は…どうしてしまったんだ?


そんな、意味があるようでないようなことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

止めたくても止まらない。

それどころか、四家の話しぶりを聞くたびに、ティアの顔を見るたびに、それはぐんぐんと加速していく。


胸が、喉が…呼吸が詰まるような、そんな感じがした。


気付けば私は、イスから立ち上がっていた。


「すまない、ティア。少し外させてくれ…疲れが出たようだ」


私はそうとだけ言い残し、ティアの返答も聞かずに天幕を出た。

その途端、痛いほどに冷たい空気が肌に触れた。


私は、彷徨うように天幕から離れた。

陣地内を歩き回ったその先で、まるで夏の虫のように、ぼうっと光る篝火に吸い寄せられる。

周囲には、人気がない。

陣地の中だが、外れも外れ。

巡回の警備以外には、寄り付かないような場所だった。


私は、膝を抱えてその場に座り込む。

もう、ティアのことも、四家のことも…自分自身の心すら、分からなくなっているような気がした。

そんな私には、凍てつくような空気と静寂と、そしてパチパチと燃える篝火がなぜだか心地良く思えた。


羽織っていた外套の合わせ目を重ねて、夜空を見上げる。

煌々と月が輝き、星が瞬いていた。

二日前、ティアとホットワインを飲んだ光景が思い出されて、私は頭を振る。

その瞬間、手の甲に冷たいものが当たる感覚がして、少しハッとした。

雨が降るような天気ではない。

頬に触れて、それが涙だということが分かった。

もう、自分が泣いていることにすら気付けないのか。


私が外套を引っ張って涙を拭き、そのまま両ひざの間に頭を沈めた。

もう、何も考えられなかった。

何も、考えたくなかった。


そんなとき、背後から近づいてくる足音が聞こえた。

なにが、なのかは分からなかったけど、とにかくまずい、とだけは思った。

しかし、その足音の主は私に声を掛けてきた。


「あら、こんなところでどうされました、お嬢様?」


振り返るまでもなく、その声色でベアトリスだということが分かる。

視線を向けるとベアトリスは、言葉とは裏腹に寒そうに身を縮こまらせ両腕で体を擦っていた。

でも、ティアのときとは違った。

私は、そんな様子がおかしいとも、まして嬉しいとも感じなかった。


しかしそんな私をよそに、ベアトリスは


「暖かそうね」


と言いながら、私のすぐ隣に腰を下ろした。

隣というか、私を押しのける勢いで、ずいっと体を寄せてくる。

外套越しに感じる人の感触に、ようやく私の心が動いた。


ポロポロと涙がこぼれ始めて止まらなくなる。

そんな私の頭を、ベアトリスはただ黙って優しく撫でつけ始めた。

嗚咽が漏れそうになって、唇を噛み締める。

そんな私の口元に、ベアトリスが私の外套の胸元を押し当ててきた。


「ほら、噛むんならこっちになさい、痛くしちゃうわよ」


私は彼女に言われるがまま、外套を咥えてギュッと噛み締める。

気付けば私はベアトリスにしがみつき、ただただ溢れてくる何かに身を任せて、ひたすらに震えていた。


どれくらい経っただろう。

時間の感覚も定かではなかった。

しかし、それでも、涙を流したせいなのか、全身のこわばりも多少は緩み、どちらかと言えば弛緩し始めているようにも感じられ始めた。


噛み締めていた外套を口から離し、ベアトリスの体に回した腕も解く。

そうして、ようやく、私は彼女の表情を見た。


ベアトリスは、困った顔はしていなかった。

優しい顔をしているわけでもなかった。

でも、私を気遣ってくれているのは感じられた。

ホッとしたという感覚はなかったが、それでもありがたいとは思えた。


「そんなになるまで我慢してたのね」


ベアトリスは、静かに言った。

私の頭を撫でる手は止まっていない。


「ティアのことでしょう?」


彼女は、そう私に聞いてくる。

その問いに、私は肯定も否定もできなかった。

自分がどうして泣いていたのか、分からなかったからだ。


「ティアは昔から、こうと決めると突っ走るからね…ほら、前にも話したでしょ?陛下に立てついて大騒ぎになった件」


彼女の声色は、穏やかだった。

私は思わず、それに頷いて返す。


「あのときも、私達はティアを止められなかった…今回もあれと似た感じがするわ…もっとも、あのとき泣いてのはミーアだったけれど」

「ミーアが?」


声が出たことに驚いた。

いや、声に出たことに驚いたのかもしれない。

しかし、ベアトリスはそんな私に構わずに語り掛けてくる。


「そう…ティアの気持ちを読み切れなかった、自分の責任だ、ティアが処刑されたらどうしよう、って。それはもう、すごかったんだから」

「ミーアらしいな」


私が言うとベアトリスはクスクスっと笑った。


「本当よね。ミーアはティアが大好きなのよ。かわいい妹で、それでいて主で、あの子はそれを当然と思ってる。それを疑いもしないの」


そう言ったベアトリスは、そこで言葉を区切って、それからまた静かに続けた。


「だから、危ないなって思ったわ」

「危ない?」

「盲信って言うのかな…?もしかしたら、厚い忠義、なんて言うのかもしれないけど…ミーアはティアの一部になって動く。ティアが信じたものを信じて、ティアがやろうと思ったことをやる。それがあの子の幸せなの」


盲信、か。

なんとなく、その感覚は分かる気がした。

なぜだかは、分からなかったけれど。


「だから、私言ってやったの。もっとちゃんとティアのことを怒った方が良い、って。優秀な部下って言うのは、主の間違いを指摘するものでしょう?」


今度の言葉は、確かに分かった。

ミーアがティアにおもねる奸臣だとは思わない。

しかし良い家臣というのは、ティアが間違ったときには止めなければいけない。

それは、ティアのためにならないからだ。

父様が、そうあろうとしたように…


「そうだな…そうあるべきだ」


私が答えると、ベアトリスはコクンと頷いた。


「でしょう?ときには怒ることだって必要なのよ。それが誰かのためになることだってあるんだから」


ベアトリスはそう言いながら、私の肩をポンポンと叩いてくれた。

しかし、それからその表情を明らかに不満げに歪める。


「それに、今のティアには怒りたくなる気持ちも分かるわ。なんだか、ソトス子爵領の辺りから振り回されてばかりだもの」

「そうだな…だが、悪気があってやっているわけではないだろう?」

「そうだけど、限度ってあるじゃない?アレクはそういう気持ちに折り合いをつけるのがうまいけど、たまにはちゃんと発散しないと良くないわよ」


ベアトリスはそう言いながら、私の頬を撫でてくれる。

涙をぬぐってくれたのかもしれない。

彼女の手の温もりが、頬に残った。


「私もティアに怒るべきだって言いたいのか?」

「そうそう」


ベアトリスは屈託のない笑みで、そう応じてくれた。

それなのに、私の心が再び軋みだす。


私は、ティアに怒りは感じていなかったと思う。

戸惑いはあった。

理解できないという想いもあった。

でも、それは怒りとは違う感覚だ。

そう、怒りっていうのは…


「……そうだな…誰でも、怒ることはあるか」

「そうよ、それって別に悪いことじゃないでしょう?」

「うん……だが、私はまだ、どこかでそれを恐れているような気がするんだ」

「恐れてる…?怒ることを?」

「あぁ、そうだ…そういう強い感情に、私自身が食い尽くされてしまうんじゃないかと感じる」


私の言葉に、ベアトリスはまたクスクスっと笑った。


「そりゃぁ、日ごろから溜めてればねぇ…ドッと溢れもするでしょ。でも、それだって悪いことじゃないんじゃない?それをぶつけることも、ときには必要よ」


そう言った彼女は私の手に触れ、指の間に無理矢理に自分の指を押し込んでくる。

そのときになって、私は自分が固く拳を握りこんでいたことに気が付いた。


「我を忘れるようなことになってもか?」


私の言葉に、ベアトリスは頷いた。

そして、私の手をギュッと力強く握りこむ。


「そう思うわ…必要なときには、ね」

「…そうか」


私はようやく理解した。

私を捕えていたものの正体が。

常に感情のままで居て良いわけがない、自らを律し、模範的でなければ、いずれ自らの身を亡ぼすことにもなりかねないーーー

そんな妄信だったのだ。

もしそれを捨て去ることができるのなら。

そうすることが許されるのなら…

私の中で、ひしゃげていた何かが軋む。


不意に、パチン、と焚火が音を立てて、火の粉が夜空に舞い上がった。




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