第5話 直すな、動かせ
机の上に置かれた小さな歯車は、手のひらに乗るくらいの大きさだった。
今まで見たどの標準部品とも違う。
真鍮じゃない。もっと白くて、軽い金属だ。表面には傷一つない。
でも、触った瞬間に分かった。
誰かが何十日もかけて、ヤスリ一本で削り出した歯車だ。
父さんの癖だ。最後の仕上げは、必ず手でやる。
箱の裏に小さな紙が貼ってあった。
『エダへ。この歯車は、第七のために作った。はめるな。繋げ。父
追記:私の耳はもう駄目だ。共鳴を使いすぎて、機械の声が聞こえなくなった。零の声も、第七の声も、お前じゃないと届かない。だからお前に託す。――父』
はめるな。繋げ。
さっきのノートと同じだ。
「貸してみろ」
クヴィリンが手からひったくった。計測器を当てて、すぐに顔をしかめる。
「……バカげてる。この歯車、規格が合わない。第七釜炉のどこにもはまらない。歯の数が一枚だけ多い。これじゃ噛み合わない。動力を伝えるための歯車じゃない。何かを繋ぐための……継ぎ手だ」
「継ぎ手?」
零が横から顔を出した。桃の缶詰はもう空っぽだ。
「空回りは、悪いことじゃない。私、ずっと同じ場所で回っていた。疲れた。空回りして、違う場所に行きたい」
違う場所に。
その言葉で、何かが繋がった。
マルゴが机の下から古い設計図の束を引きずり出して、床に広げた。エリジウム全体の構造図だった。
七つの釜炉が、中央の巨大な空洞を囲むように配置されている。
「見ろ、エダ。これが帝国の新しい計画だ。〈標準機関〉。第七釜炉を潰して、上層だけで飛べる軽いエンジンに載せ替えるんだ。でもな、このエンジンは下層の重さに耐えられない。だから――」
「下層を、切り離す」
声が震えた。
「つまり、私たちの家を、空から落とすってことだ」
ピッパが袖をぎゅっと掴んだ。
「エダちゃん……私たちの家、落ちちゃうの?」
その時、外で重いブーツの音が複数聞こえた。
「工務局だ! 封鎖区画に侵入者がいる! 開けろ!」
ジュリアンが窓から外を見て舌打ちした。
「まずいな。見つかった。ハチドリも上層の警備に囲まれてる。許可証、もう通用しないみたいだ」
「クヴィリン、何とかしろ!」
「無茶を言うな! ここは袋小路だ!」
「あるよ」
マルゴが笑った。怠惰な笑いじゃない。昔、主任だった頃の意地の悪い笑いだった。
「この工房を作ったのは、私とファルクだ。逃げ道くらい作ってあるさ。ピッパ、例のやつ、まだ持ってるか?」
「〈泣き虫蒸気菊〉のこと? もちろん! 十個持ってる!」
「全部使え。派手にやれ」
ピッパの目がキラキラと輝いた。
「了解! みんな目を閉じて! 耳も塞いで! 行くよー!」
私たちは慌てて床に伏せた。零だけは立ったまま、無表情に花火を見ていた。
次の瞬間、世界が白くなった。
ドン! という腹に響く音と同時に、工房の中が真っ白な蒸気と七色の火花で埋め尽くされた。ただの煙じゃない。蒸気が光を反射して、万華鏡みたいに輝いている。綺麗だった。でも、むせ返るほど熱い。
「今だ! 点検口だ!」
マルゴの声で、床の点検口の蓋を父のレンチでこじ開けた。下には真っ暗な保守通路が口を開けていた。下層まで続く、旧式の蒸気管の隙間だ。上層の人間は、こんな汚い場所には絶対に入ってこない。
「ジュリアン、ハチドリは?」
「あの子は賢いから、一人で逃げるさ。後で下層で合流だ」
一人ずつ、その穴に飛び込んだ。最後に飛び込んだ時、扉が蹴破られる音が聞こえた。
通路は狭くて、油の匂いがした。私の好きな匂いだ。
壁には、古い時代の落書きがあった。子供の絵だ。空に浮かぶ島と、大きなクジラのような生き物の絵。
「……これ、第七だ」
零が壁に触れながら言った。
「第七は、最初から釜炉じゃなかった。世界を運ぶクジラだった。帝国が、それを捕まえて、釜炉にした」
直すな、動かせ。
父さんの言っていた意味が、やっと分かった気がした。壊れたポンプとして直すんじゃない。クジラとして、また泳がせるんだ。
通路の先に光が見えた。第七釜炉の観測デッキだ。
そこから見えたものは、想像を超えていた。
巨大な空洞。そこには歯車も蒸気管もなかった。
あるのは、脈打つ真っ赤な肉の塊だった。まるで、心臓だ。
そして、その心臓に無数の管が突き刺さり、蒸気を吸い出していた。その向こうで、白いコートを着た技師たちが笑いながら圧力計を見ている。
第七釜炉は、殺されていた。
私の手の中で、父さんが作った小さな歯車が、零の心臓と同じように、カチ、カチと小さく脈打ち始めた。
創立祭まで、あと67時間。
ここはエダだ。ここまで読んでくれてありがとう。
上層、ムカつくだろ? 私もムカついた。
だから余計に、あの歯車を届けなきゃって思った。
ねえ、気づいたか? 父さんの歯車、ただの部品じゃないんだ。
もし続きが気になったら、《《ブックマークと★5つ》》を頼む。
あれがないと、私たち、本当に空から落ちちまうんだ。
次回、第七釜炉の心臓に触れる。
私のレンチで何ができるか分からないけど……やってみる。
感想待ってる。
特に、ピッパの花火の名前、もっといいのがあったら教えてくれ。あいつ、すぐ調子に乗るから。
……あと、錆喰いって、もう悪口じゃないな。称号だ。
――エダ・ファルク




