第4話 上層と、錆喰いという名
ハチドリ便は、歯車スラムの黒い霧を垂直に突き抜けた。
「うわぁぁぁ! 空だ! 本物の空だぁぁ!」
一番はしゃいでいたのはピッパだった。気嚢の縁に身を乗り出して手を伸ばす。風圧で髪がぐちゃぐちゃになってもお構いなしだ。
「ピッパ! 落ちるぞ!」
襟首を掴んで引き戻す。その隣で、クヴィリンは完全に死んでいた。顔は真っ青。
「……非効率……この乗り物は……重力に対して……非効率すぎる……吐く……」
「クヴィリン、吐くなら外にな。下に街があるからな」
操縦桿を握ったジュリアンが、笑いながら言った。でも目は笑っていなかった。ずっと計器を見ている。高度計の針が狂ったように震えていた。
「エダ、見てみろよ」
マルゴが肩を叩いた。雲を抜けた。
そこは別世界だった。
青い空。私が生まれて初めて見る、本物の青だ。下層では、空は常に煤で茶色く濁っている。でもここは違う。どこまでも澄んでいて、眩しい。息を吸うと、少し肺が痛い。空気が薄い。
白い建物が真鍮の骨組みに支えられて、空に浮かんでいる。蒸気は白く、匂いもない。
綺麗すぎて、気持ち悪かった。
「ここが……上層」
零が小さく呟いた。桃の缶詰を抱えたまま、空を見上げている。無表情なはずなのに、横顔はどこか悲しそうだった。
「……空が、薄い。蒸気が足りない。第七が、泣いてる」
港に着陸した途端、視線を感じた。
下層の作業服を着た私たちは、完全に異物だった。上層の人間はみんな白いコートに、顔に薄いフィルター付きのマスク。私たちを見て、鼻をつまむ。聞こえるように言う。
「なんだ、錆喰いか。祭りの前に掃除か?」
頭の中で何かが切れる音がした。父のレンチを握りしめて、一歩前に出ようとした腕を、マルゴが掴んだ。
「やめとけ、コギちゃん。ここで暴れたら、父さんに会えなくなるよ」
その時だ。
「おや? ルブラン主任じゃないですか」
白いコートの男たちが立ちはだかった。工務局の腕章をしている。
「主任がなぜ、こんな錆喰いたちと? まさか、また非標準に手を出したんですか?」
マルゴの顔から、いつものだらしない笑みが消えた。ゆっくりと蒸留酒のフラスコの蓋を閉めた。
「……久しぶりだね、ボーヤたち。相変わらず嫌なマスクしてるね。主任って呼ぶな。私はもう辞めたんだよ。こっちは私の新しい助手たちだ。文句ある?」
空気が張り詰める。ジュリアンがわざとらしく咳払いをして間に入った。
「はいはい、そこまで。彼女たちは私のチャーター客だ。工務局の特別許可ももらってる。ほら」
彼が一枚の許可証を見せた。偽造か、本物か分からない。男たちは舌打ちして道を開けた。
「……今回は見逃してやる。でも、創立祭の間は大人しくしてろよ、錆喰い」
男たちが去った後、私はマルゴを見た。
「マルゴ、やっぱり凄い人だったんだね」
「凄くないよ。逃げただけ。面倒なことからね」
そう言ってまたフラスコに口をつけた。でも、その手は少し震えていた。
父の旧工房は、上層の端、誰も使わない区画にあった。扉には〈封鎖 立入禁止 帝国工務局〉という大きな札。鍵は錆びついていた。
「開かないね。どうする、エダ?」
ピッパが爆弾を取り出そうとするのを止めた。
「大丈夫。私に任せて」
私は共鳴レンチを鍵穴に当てた。耳を澄ます。鍵も、悲鳴を上げていた。長い間、誰にも開けてもらえず閉じ込められていた孤独。
「ごめんね。もう開けるから」
カチリ、という小さな嬉しそうな音がして、鍵が開いた。
中は埃だらけだった。でも、私の工房とそっくりだった。工具の並べ方も、設計図の置き方も。父の匂いがした。
机の上に、一冊のノートが置いてあった。父の字で、こう書かれていた。
『第七は神ではない。ポンプだ。エリジウムを浮かべるための、最初のポンプ。帝国は、それを止めて、新しいエンジンに置き換えようとしている。止まれば、下層は落ちる。エダ、第七を直すな。動かせ』
直すな。動かせ。どういう意味だ。
その時、零が机の下から何かを引きずり出してきた。真鍮でできた古い箱だった。蓋には、私の嫌いなあだ名が父の字で彫られていた。
『コギちゃんへ』
中には、真新しい、ピカピカの小さな歯車が一つだけ入っていた。まだ誰の手にも渡っていない、標準ではない、私のためだけに作られた歯車。
外では、創立祭の始まりを告げる鐘が鳴り始めた。
祭りまで、あと68時間。第七釜炉の圧力計は、また少し下がっていた。
ここはエダだ。ここまで読んでくれてありがとう。
上層、ムカつくだろ? 私もムカついた。だから余計に、あの歯車を届けなきゃって思った。
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ピッパがまた爆弾を作ってる。止めてくる。
……錆喰いって、案外気に入ったかもな。
――エダ・ファルク




