第25話 星の海の工具箱と、君の名前
私のレンチが、勝手に光ったのは、夜中のことだった。
飛行祭から帰ってきて、一週間。エリジウムは、もうすっかり星の海の港になっていた。毎日、違う街のクジラがやってきて、違う言葉の修理屋たちが、工房にやってくる。私は毎日忙しくて、父の工具箱を置いてきたことなんて、すっかり忘れていた。
でも、夜中に、新品のレンチだけが、机の上でチカチカ光るんだ。誰かを呼んでいるみたいに。
「…エダ。来てる。次の子が、来てる」
零が、窓の外を見て言った。胸の錆色の歯車が、誰かの歌に合わせて回っている。私の知らない歌だ。
工房の扉を開けると、外に小さな子が立っていた。年は、私より二つくらい下だ。十歳くらいだろうか。ボロボロの作業着を着て、大きすぎる工具箱を抱えている。私が星の海の真ん中に置いてきた、あの工具箱だ。
「…あの…あなたが、エダ・ファルク…ですか?」
声が、小さい。でも、目は、私と同じ目をしていた。何かを直したい、という目だ。
「私がエダだけど…君は?」
「私は…名前、ないです。ハルモニアの外れの街の、誰もいない区画で、一人で…直してました。そしたら、この箱が、流れてきて…中に、紙が…」
子は、工具箱を開ける。中には、私が入れた、父の錆びた共鳴レンチと、新品のレンチ。そして、私が書いた覚えのない、二枚目の紙切れが入っていた。
――次の錆喰いへ。君の名前は、君が決めろ。――
次の錆喰いへ、か。私が書いたのかな? 未来の私が?
子は、私のレンチを手に取る。父のレンチだ。錆びて、傷だらけの。
「…これ、温かい…」
子が呟いた瞬間、レンチがブゥンと震えた。子も、共鳴したんだ。錆喰いだ。
私は笑った。なんだ、いるじゃないか。次の錆喰い。
「名前、ないなら、付けてやるよ。私が、修理屋の親分としてな」
私は、工房の中から、一番小さい作業着を引っ張り出してきて、子に渡した。
「君は、今日から〈リペア〉だ。修理って意味だ。どうだ、かっこいいだろ?」
「リペア…」
子は…いや、リペアは、作業着を抱きしめて、小さく笑った。初めて笑った顔だ。
「はい! 私は、リペアです! 錆喰いの、リペアです!」
零が、リペアの手を取って、言った。
「…よろしく、リペア。私は、零。錆色の歯車の、零」
ピッパが、工房の奥から顔を出して叫ぶ。
「新入りー!? 新入りが来たのー!? じゃあ、歓迎の花火、上げなきゃー!」
「やめろ、危ない!」
クヴィリンとジュリアンの声が重なる。いつもの工房だ。何も変わってない。でも、一人増えた。
父さんが、工房の二階から降りてきて、リペアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ようこそ、リペア。錆喰いは、腹が減るんだ。飯、食ってけ」
リペアは、目に涙を溜めて頷いた。
私は、新品のレンチを、リペアに渡した。
「はい、これ、あげる。未来の私からのプレゼントだ。お前の最初の工具だ」
リペアは、新品のレンチを受け取って、大事そうに抱え込む。父の古いレンチは、私がまた預かる番だ。
外では、母なるクジラが、ゆっくりと泳いでいる。光の航路の向こうから、また新しい歌が聞こえる。次の迷子の歌だ。
私は、工房の扉を大きく開けた。星の海の風が、工房の中に入ってくる。油と、潮と、新しい工具の匂いが混ざった風だ。
「行くぞ、リペア! 次の修理の時間だ!」
「はい、師匠!」
リペアが、元気に答える。師匠って呼ばれるの、悪い気はしない。
星の海の航海日誌、12日目。今日から、私たちの工房は、二人になった。錆喰いの物語は、次の錆喰いへ、繋がった。
あとがき ― エダ・ファルクから
ここまで読んでくれてありがとう。ここはエダだ。
ねえ、新しい子、来たよ。名前はリペア。私の弟子だ。かわいいでしょ?
もし君も、リペアの初めての修理を見届けたいと思ってくれたら、ブックマークと★5つを押してくれ。君の応援が、リペアの初めての工具になるんだ。
次回、リペアの初仕事。錆喰いの二代目、頑張るよ。
感想、待ってる。君が弟子に教えたいことって、何? 私は、やっぱり〈諦めるな〉だな。
……錆喰い、二人で行くぞ。
――エダ・ファルク




