第21話 目覚めと、新しい空
トクン、という音は、二回目には、もっと大きくなった。
三回目には、星の海全体に響いた。
母なるクジラが、目を開けた。
目、という表現は、正しくないかもしれない。だって、あれは星よりも大きかったから。でも、私には、確かに目に見えた。私たちを見て、ゆっくりと瞬きをする、優しい目が。
『…誰…?』
声は、直接頭の中に響いた。私だけじゃない。ハチドリに乗っている全員が、同じ声を聞いていた。ピッパが、耳を塞いでしゃがみ込む。
「うるさいー! 頭の中が、星の音でいっぱいだよー!」
零が、私の手を強く握る。零の胸の錆色の歯車が、今までで一番速く、でも、一番優しく回っている。
「…お母さん、じゃない。もっと、大きい。みんなの、お母さん」
みんなのお母さん。
母なるクジラが、ゆっくりと体を起こす。何百年、いや、何千年も眠っていた体だ。皮膚にこびりついていた、捨てられた街の跡が、ぱらぱらと剥がれ落ちて、星の海に散っていく。その一つ一つが、流れ星みたいに光って、消えていく。
チビが、その流れ星に向かって、嬉しそうに鳴いた。
『お母さん! お母さんだ!』
母なるクジラは、チビを見て、小さく鳴き返した。私には、その歌の意味が分かった。
『おかえり、チビ。よく、帰ってきたね』
母なるクジラが、大きく息を吸い込む。星の海の星が、全部その口の中に吸い込まれるんじゃないかと思うくらい、大きな呼吸だ。そして、吐く。
吐かれた息は、蒸気じゃなかった。光だった。錆色でも、白でも、黒でもない。全部の色が混ざった、見たことのない光だった。
その光が、星の海に広がる。光が触れたところから、新しいものが生まれる。歯車だ。真鍮の歯車じゃない。光でできた歯車だ。光の歯車が、星と星の間を繋いでいく。橋になる。道になる。星の海に、たくさんの道ができる。
ハルモニアの修理屋のリナが、叫んだ。
「海図が…海図が変わる! 星の海図が、書き換わってる! 新しい航路が、どんどんできてる!」
新しい航路。私たちが知らなかった、向こう側への道だ。
母なるクジラが、また私達を見て、言った。
『ありがとう、小さな修理屋たち。私を起こしてくれて、ありがとう。長い間、夢を見ていた。みんなが、一つの場所に留まって、動かなくなる夢だ。怖い夢だった。でも、あなたたちの音で、目が覚めた。錆びた音、でも、温かい音で』
温かい音。錆喰いの音だ。
母なるクジラは、ゆっくりと方向を変える。星の海の渦の中心から、外へ向かって泳ぎ始める。何十匹ものクジラの街たちが、その後ろについていく。私たちのエリジウムの二匹のクジラも、チビも、一緒だ。星の海の大移動が、また始まる。今度は、眠りから覚めて、帰るための移動だ。
私は、ハチドリの縁に立って、母なるクジラの背中を見た。背中には、もう何もない。街の跡も、傷もない。綺麗な、星の皮膚だ。
「エダちゃん、あれ見て!」
ピッパが指さす先には、私たちのエリジウムがあった。エリジウムも、光の航路の上を、他の街と一緒に泳いでいる。パン屋のおばちゃんが、屋根の上から手を振っているのが見える。父さんも、隣で手を振っている。
帰る場所は、あそこだ。でも、行く場所も、向こうにある。星の海の向こうに、まだ私たちを待っている、直さなきゃいけない世界がある。
零が、私の隣に来て、小さく呟いた。
「…エダ。母なるクジラが言ってる。『行きたいところへ、行きなさい』って。『世界は、繋がっているんだから』って」
行きたいところへ。
私は、父のレンチを握りしめた。レンチは、もう熱くない。温かい。私の体温と同じ、温かさだ。
私は、ハチドリの舵を取っているジュリアンに叫んだ。
「ジュリアン! 舵は、私が取る! 次の街へ行くぞ!」
「おいおい、また無茶言うな! どこへ行くんだ!?」
「決まってるでしょ! 助けを待ってる、迷子のところへ!」
星の海の航海日誌、8日目。私たちは、世界のお母さんと一緒に、旅を続ける。錆喰いの修理は、終わらない。だって、世界は、どこまでも繋がっているから。
あとがき ― エダ・ファルクから
ここまで読んでくれてありがとう。ここはエダだ。
母なるクジラ、起きたよ。大きかった。すごく、大きかった。でも、優しかった。
ねえ、君も、どこか行きたいところ、ある? あったら、教えて。私たち、行けるかもしれないよ。だって、世界は繋がってるんだから。
もし君が、この先も私達と一緒に旅をしたいと思ってくれたら、ブックマークと★5つを押してくれ。君の応援が、私たちの新しい航路になるんだ。
次回、新しい航路の先へ。錆喰いの修理屋、星の海を往く。
感想、待ってる。君の行きたい街は、どんな街? 私は、やっぱり、油の匂いがする街がいいな。
……錆喰い、まだまだ直すぞ。
――エダ・ファルク




