第20話 渦の向こうと、母なるクジラ
光の渦は、近くで見ると、渦じゃなかった。
星が、集まって、ぐるぐる回っているんじゃない。たくさんのクジラが、集まって、ゆっくりと円を描くように泳いでいるんだ。その中心に、とてつもなく大きな影があった。私たちのクジラが、豆粒みたいに見えるほど大きな、母なるクジラだ。
「…お母さん…」
チビが、小さく鳴いた。怯えているみたいに、私の後ろに隠れる。胸の新しい錆色の歯車が、不安そうに、速く回っている。
リナの街〈ハルモニア〉のクジラも、足を止めた。何十匹ものクジラの街が、渦の手前で止まって、中心の母なるクジラを見上げている。誰も、近づこうとしない。
「どうしたの、リナ?」
私が聞くと、リナは、少しだけ怖い顔をして言った。
「母なるクジラは、眠っているんだ。ずっと、ずっと前から。帝国が来る前から。誰も、起こしちゃいけないって、言い伝えがあるんだ。起こすと、星の海が、全部消えるって」
星の海が、消える。
でも、チビは、お母さんに会いたいって言っている。私たちのレンチも、渦の中心から、何か呼ぶ声が聞こえる気がする。悲鳴じゃない。助けて、でもない。ただ、大きな、大きな寝息だ。
零が、目を閉じて、母なるクジラの声を聞こうとする。でも、すぐに首を振った。
「…聞こえない。深すぎる。遠すぎる。届かない」
届かない。星の海でも、修理屋の仕事は同じだ。届かないところに、橋をかけるのが仕事だ。
私は、父のレンチを握りしめた。父さんの声の機械は、もう何も言わない。電池が切れたのか、それとも、ここから先は私が決めろってことなのか。
私は、ハチドリの縁に立った。ハルモニアの修理屋たちも、他の街の星拾いたちも、みんな私を見ている。どうするか、決めるのは、私だ。
「…起こしに行こう」
私がそう言うと、みんなが息を呑む声が聞こえた。
「エダちゃん! 何言ってるの!? 消えちゃうかもしれないんだよ!?」
ピッパが叫ぶ。クヴィリンも、計算機を叩きながら叫ぶ。
「成功率は、0.1%だ! 0.1%だぞ! 行く方が馬鹿だ! 馬鹿の中の馬鹿だ!」
「そうだよ、馬鹿だよ」
私が笑うと、クヴィリンはぽかんとした顔をした。
「でも、修理屋って、馬鹿なんだ。壊れてるって分かってても、直したいと思うのが、馬鹿なんだ。父さんが、そう言ってた」
私は、零の手を取った。零は頷いて、私の手を強く握り返す。
「…一緒に。エダと、一緒なら、怖くない」
チビも、私たちの後ろから、小さく鳴いた。
『…私も、行く。お母さんに、会いたい』
三匹のクジラが、私達を乗せて、渦の中心に向かって泳ぎ始める。他のクジラたちは、渦の手前で待っている。私達だけが、母なるクジラの眠る場所へ向かう。
近づくにつれて、母なるクジラの大きさが分かる。星よりも大きい。街よりも大きい。世界そのものだ。皮膚には、たくさんの街の跡がある。誰かが住んでいた跡、誰かが捨てていった跡が、傷みたいに残っている。
母なるクジラの心臓の前で、私たちは止まった。心臓は、動いていなかった。止まっている。だから、眠っているんだ。
私は、共鳴レンチを、心臓に当てた。今までで一番大きな修理だ。世界一つを、直す修理だ。
ブゥン。
何も聞こえない。深すぎて、声が聞こえない。
その時、零が、私のレンチの上に、自分の手を置いた。そして、リナも、自分のレンチを重ねた。ピッパも、クヴィリンも、マルゴも、ジュリアンも、みんなが手を重ねる。チビも、小さな頭で、私たちの手を押す。
みんなの振動が、一つになる。錆喰いと、星拾いの、全部の振動が。
『…起きて。もう、寝ていなくていいんだよ。みんな、待ってるよ。帰っておいでよ』
私たちは、そう伝えた。命令じゃない。お願いだ。
一秒、二秒、三秒。
何も起きない。やっぱり、無理だったのかもしれない。星の海が消える前に、私たちが消えるのかもしれない。
そう思った時、母なるクジラの心臓が、小さく、トクン、と鳴った。
星の海の航海日誌、7日目。私たちは、世界のお母さんを、起こした。
あとがき ― エダ・ファルクから
ここまで読んでくれてありがとう。ここはエダだ。
ねえ、聞こえた? 母なるクジラの心臓の音。トクンって。私、泣きそうになった。
もし君も、この続きを一緒に聞きたいと思ってくれたら、ブックマークと★5つを押してくれ。君の応援が、母なるクジラの目覚まし時計になるんだ。
次回、母なるクジラの目覚め。星の海は、どうなるのかな。
感想、待ってる。君は、朝、目覚まし時計何回止める? 私は、三回だ。
……錆喰い、世界を起こすぞ。
――エダ・ファルク




