第18話 三匹のクジラと、星の海の街
迷子のクジラ…いや、チビの背中には、街があった。
小さいけれど、確かに街だった。錆びた屋根と、壊れた歯車と、誰もいない路地。私たちのエリジウムが雲の上に乗る前みたいに、埃をかぶっている。でも、形は、私たちの街とそっくりだった。
「…街…?」
零が、チビの背中に降り立って、周りを見回す。胸の錆色の歯車が、少しだけ速く回っている。何かを思い出しそうな顔だ。
「クヴィリン! これ、エリジウムと…同じだ!」
「同じじゃない。似ているんだ。設計図が、似ている。いや、元が同じなのか? この街の歯車の規格は…私の屋根裏にある、一番古い本に載っていた、〈原初の街〉の規格と一致する!」
クヴィリンが、興奮して本をめくる。埃まみれの本だ。父さんが残していった、星の海図の続きに挟まっていたページだ。
ピッパが、誰もいない家の扉を開けた。中には、小さな食器と、小さな工具が、そのまま置いてあった。誰かが、急いで逃げ出したみたいに。
「…誰も、いないよ。みんな、どこ行っちゃったの?」
その時、チビが、小さく鳴いた。悲しそうな歌だった。
『…みんな、降りちゃった…怖くて…私だけ、置いていかれた…』
置いていかれた。私たちのクジラが、街を乗せたまま飛んだように、この子も、誰かを乗せていたんだ。でも、その誰かが、怖くなって、星の海のどこかで降りてしまったんだ。
私は、チビの皮膚に手を当てた。温かかった。でも、少しだけ震えている。
「大丈夫だよ。もう一人じゃないよ。私たちがいるよ。私たちの街も、一緒だよ」
そう言って、共鳴レンチを当てた。ブゥン、という音と共に、チビの心臓の声が聞こえる。
……帰りたい。お母さんのところに、帰りたい。
お母さん。チビにも、お母さんがいるんだ。
「お母さんって、どこにいるの?」
私が聞くと、チビは、星の海のずっと向こうを向いて鳴いた。星が一番たくさん集まっている、あの光の渦の方向だ。
その渦の向こうから、また歌が聞こえた。今度は、一匹じゃない。何十匹ものクジラの歌が、重なって聞こえる。私たちの二匹のクジラが、その歌に答えるように、大きく鳴いた。
ジュリアンが、ハチドリの双眼鏡を覗いて、絶叫した。
「おい! 見ろ! あれ! あれ全部、クジラだ! 街を乗せたクジラが、向こうから来るぞ!」
星の海の向こうから、たくさんの影が近づいてくる。大小様々なクジラだ。みんな、背中に街を乗せている。明かりがついている街も、真っ暗な街も、壊れかけの街もある。何十個ものエリジウムが、星の海を泳いでいた。
クジラたちの大移動だ。
父さんの声の機械が、また鳴った。
『エダ、聞こえるか? それが、帝国が隠していた真実だ。エリジウムは、一つじゃない。世界は、一つじゃない。私たちは、みんな、星の海を渡ってきた、旅人なんだ。帝国は、旅をやめて、一つの場所に留まろうとした。標準っていう檻を作ってな。でも、クジラたちは、旅をやめたくなかったんだ』
旅を、やめたくなかった。
そうだ。だから、私たちのクジラは、壁を壊したんだ。だから、チビは、お母さんに会いたいって言ったんだ。
三匹のクジラが、向こうから来る大群に向かって、歌い始める。私と零の錆色のエンジンも、その歌に合わせて光る。
星の海に、錆色の航路が、一本、伸びていく。私達と、向こうの街とを繋ぐ、橋だ。
マルゴが、私の隣に立って、呟いた。
「エダ。私たち、すごいところに来ちゃったみたいだね」
「うん。でも、帰る場所は、あるよ。ここも、帰る場所だ」
私は、父のレンチを握りしめて、向こうから来る街の明かりに向かって、手を振った。向こうの街からも、誰かが手を振り返しているのが見えた気がした。
星の海の航海日誌、3日目。私たちは、迷子じゃなかった。みんなで、旅をしていたんだ。
あとがき ― エダ・ファルクから
ここまで読んでくれてありがとう。ここはエダだ。
ねえ、見えた? 向こうから来る、たくさんの街。みんな、クジラに乗ってたんだ。私達だけじゃなかったんだ。
もし君も、あの向こうの街に手を振りたいと思ってくれたら、ブックマークと★5つを押してくれ。君の応援が、この航路の明かりになるんだ。
次回、星の海の街々との出会い。錆喰いの修理屋、星の海でも大忙しだ。
感想、待ってる。君は、どの街に住んでみたい? 私は、やっぱり歯車スラムがいいな。
……錆喰い、旅は続くよ。
――エダ・ファルク




