第12話 空の向こう側で、再会
青い空の向こう側は、夜だった。
ハチドリ便と、雲の上の街が、青い壁を突き抜けた瞬間、世界が変わった。眩しかった青が消えて、目の前に、無数の星が広がった。私が生まれて初めて見る、本物の夜空だ。
「…綺麗」
零が、小さく呟いた。胸の錆色の歯車が、星の光を反射して、きらきら光っている。
「うわぁぁぁ! 星だ! 星がこんなに! 持って帰って爆弾にしたい!」
ピッパが叫ぶのを、クヴィリンが羽交い絞めにして止める。
「やめろ! 星は持って帰れない! それに、ここは空の向こうじゃない。大気圏の境目だ。計算では、ここから先は…」
クヴィリンの言葉が、途中で止まった。
見えたからだ。
星空の真ん中に、巨大な影が浮かんでいた。クジラだ。第七釜炉だった、あの子だ。でも、前よりずっと大きく見える。体中に、黒い杭のようなものが何本も突き刺さっていて、動きを止められていた。帝国の捕鯨用の錨だ。
クジラは、私たちに気づいて、小さく鳴いた。苦しそうな声だった。
『…来てくれた…』
「クジラ!」
私は、ハチドリの縁から身を乗り出した。零が、私の手を強く握る。
「…痛い。杭が、痛い。抜いて、エダ」
父さんが、双眼鏡で杭を見て、呟いた。
「帝国工務局の新型だな。標準機関の杭。抜くには、共鳴で緩めないと無理だ。エダ、お前にしかできない」
私は、ジュリアンに叫んだ。
「ジュリアン! あのクジラの背中に、ハチドリを近づけて!」
「無茶言うな! あんな大きな生き物の近くは、気流がめちゃくちゃだ! 墜落するぞ!」
「大丈夫! クジラは、私たちを落とさない!」
私がそう言うと、零が頷いて、真鍮の糸をクジラに向かって伸ばした。糸が、クジラの体に触れた瞬間、荒れていた気流が、嘘みたいに静かになった。
ハチドリが、クジラの背中に、そっと降り立つ。クジラの皮膚は、温かかった。鉄の板じゃない。生き物の肌だ。
私は、父のレンチを持って、一番近い杭の前に立った。杭は、私の背丈の三倍はある。黒くて、冷たい。
共鳴レンチを当てた。
ブゥン。
……命令。刺さり続けろ。抜けるな。命令。命令。命令。
また、命令だ。
『もういいよ。抜けていいんだよ。君も、自由になっていいんだ』
私は、振動でそう伝えた。レンチを、ゆっくり回す。
ギリリ、という音を立てて、杭が一本、抜けた。クジラが、気持ちよさそうに体を震わせる。
「よし! もう一本行くぞ、エダ!」
マルゴが、もう一本の杭に取り付く。住人たちも、ハチドリから降りてきて、みんなで杭を押す。錆喰いたちの総力戦だ。
二本目、三本目が抜けた時だった。
星空の向こうから、もっと大きな影が現れた。帝国の旗艦だ。〈エリジウム・プライム〉。上層の中央にあった塔そのものが、空を飛んでいた。
旗艦の甲板に、白いコートを着た男が立っていた。工務局の局長だ。
『ガルス・ファルク。ルブラン主任。そして、錆喰いの娘。そこまでだ。第七は帝国の所有物だ。返してもらうぞ』
父さんが、前に出た。
「局長。あんたは、まだ分からないのか。これは所有物じゃない。生き物だ」
『世界は、標準でなければならない。非標準は、排除する』
局長が手を上げた。旗艦の砲門が、一斉に私達に向く。
その時、零が、私の前に立った。胸の錆色の歯車が、今までで一番速く回っている。
「…させない。エダの街は、私を守る」
零の背中から伸びた糸が、今度はクジラの心臓に直接繋がった。そして、クジラの体が、大きく光り始める。
最後の杭が、クジラ自身の力で、弾け飛んだ。
自由になったクジラは、大きく息を吸い込んで、そして、星空に向かって吠えた。その声は、悲鳴じゃない。喜びの歌だった。
歌が、雲の上の街を包み込む。街の明かりが、一つ一つ、星のように輝き始める。
創立祭まで、あと60時間。雲の寿命は、あと46時間。私たちは、空の向こう側で、やっとクジラと再会した。だが、帝国の旗艦が、私達とクジラの間に立ちはだかっていた。
あとがき ― エダ・ファルクから
ここまで読んでくれてありがとう。ここはエダだ。
星空、見たことある? 私、初めて見た。綺麗だった。君にも見せてあげたいな。
ねえ、クジラ、やっと自由になれたんだ。でも、まだ終わりじゃない。帝国の旗艦が、目の前にいる。
もし君も、この先を一緒に見てくれるなら、ブックマークと★5つを押してくれ。君の応援が、クジラの歌になるんだ。
次回、錆喰いと神様と、帝国。最後の修理が始まる。
感想、待ってる。クジラの歌、どんな歌だったと思う? 私は、子守唄みたいだったと思うんだ。
……錆喰い、星を見る。
――エダ・ファルク




