第五章 敵国の空、帝国の影
次の出撃は、四日後だった。
初陣の時と違って、警報が鳴る前から基地全体に張り詰めた気配があった。
整備兵の足取りは速く、弾薬搬送車の数も多い。
滑走路の端には対空障壁塔が追加で展開され、通信塔の周囲には見たことのない高出力魔法陣まで組まれていた。
規模が違う、とエレナにも分かった。
出撃前の待機区画で、第一中隊はいつもより静かだった。
ミリアも軽口を叩かない。
フィオナは外套の留め具を何度も触り直し、ノエルは壁にもたれたまま目を閉じている。
クラリスとグレイスは作戦板の前で低い声で何か確認し合い、セリナは補助具の留め位置をひとつずつ指で確かめていた。
カティアはいつも通りに見せようとしているのか、やや大きめの動作で肩を回している。
ルナはその横で静かに呼吸を整え、イリナは配布された簡易地図に何本も補助線を書き込んでいた。
ヴェラだけは変わらず、最初から空のどこかを見ているみたいに無言だった。
エレナは自分の手元を見下ろす。
戦闘服の留め具は問題ない。
補助具も固定済み。
出力抑制帯も正常。第四章のあと、番号ではなく名前を心の中でなぞる癖が少しついた。
こういう時、それは妙に役に立つ。
ミリア。ノエル。セリナ。クラリス。フィオナ。カティア。ルナ。イリナ。ヴェラ。グレイス。リゼット。
名前を思い出すたび、少しだけ息がしやすくなる。
「第三方面軍が押されてる」
不意に、イリナが地図から目を上げずに言った。
「ルーゼン連邦側の航空戦力が集中してる。今日は迎撃だけじゃなくて、防衛線そのものの立て直しが目的になるかも」
「え、それっていつもよりやばい感じ?」
フィオナが小さく訊く。
「いつもより、はるかに」
イリナは淡々と言った。
「だから今さら心拍数を上げても無駄。上がってるだろうけど」
「なんで分かるの……」
「顔に出てる」
ミリアが思わず吹き出しかけて、でも途中でそれを飲み込む。
そこへ、待機区画の扉が開いた。
リゼットだった。
その瞬間、空気が揃う。
誰かが号令をかけたわけではないのに、皆が自然に前を向く。
エレナはいつも不思議に思う。
この人は怒鳴らないのに、どうしてこんなに空気を変えられるのだろう。
「作戦変更あり」
リゼットは簡潔に言った。
「帝都北西ではなく、第七防壁線上空へ出る。ルーゼン側の突破部隊が民間避難経路へ接近中」
民間。
その単語に、エレナの胸が小さくざわつく。
初陣の時も地上には人がいた。
でもあの時は、遠かった。
今回は最初から、守るべきものとして“民間”が明示された。
「敵航空隊は二層編隊。上層が護衛、下層が対地支援。第一中隊は下層を削る」
リゼットは壁の簡易投影図へ視線を向けた。
「フィオナ、前に出すぎない。
カティア、今日は砲撃を散らさないで一点集中。
ルナは後方障壁の維持を優先。
イリナは索敵を一段深く取って。
ヴェラ、上層の狙撃手を落とせるなら先に」
「了解」
返事は短く重なる。
「エレナ」
「はい」
「今日は初陣とは違う」
リゼットの視線がまっすぐ向く。
「敵がいるだけじゃない。
下に守る人間がいる。だから、見失わないで」
その意味は分かった。
撃ち落とすことだけに集中すれば、地上を巻き込む。
前だけ見ていればいい戦いではない。
「……はい」
「怖いなら、それでいい」
リゼットは一拍置いた。
「でも、目は逸らさないで」
その言葉を最後に、全員が発着区画へ動き出した。
空は重かった。
灰色の雲が低く垂れ込み、滑走路の先にはすでに対空砲火の光が見えている。
遠くの地平線近くでは黒煙が何本も上がり、魔導飛行機が離陸と帰投を繰り返していた。
風は冷たいのに、空気の底には焦げた金属みたいな匂いが混じっている。
エレナは足元の魔法陣へ立った。
補助陣が青白く起動し、マナが肌から流れ込む。
何度経験しても、この感覚だけは気味が悪い。
体が軽くなるのに、その軽さが自由ではない。
「第一中隊、飛翔準備」
リゼットの声。
全員が浮き上がる。訓練ではない。
実戦だ。もう分かっている。
分かっているのに、胃の奥が縮む。
視界の先に敵影が見えた瞬間、空は再び戦場へ変わった。
「接敵まで三十!」
イリナの声が飛ぶ。
「下層八、上層六。さらに後方に予備機影あり!」
「予備は無視。下層を切る!」
リゼットが即座に判断する。
第一中隊が扇状に開いた。
クラリスとグレイスが前衛左、ノエルとカティアが右。
セリナとルナが中衛障壁を担い、ヴェラは一歩引いた位置で照準を取る。
フィオナはその後ろへ食らいつき、ミリアが撹乱のようにやや高めを取る。
イリナは少し離れて全体を見渡し、リゼットが中央を押さえる。
エレナはそのすぐ後ろだった。
敵機が近づくにつれ、機体の輪郭が見えてくる。帝国機と似ているようで、細部が違う。
ルーゼン連邦の紋章。銀と濃紺の塗装。
操縦席の形。そこに人がいることが、嫌でも分かる距離。
「撃つ!」
ノエルの砲撃が最初だった。
高密度の光弾が敵下層へ突き刺さり、一機の進路を強引にずらす。
その隙間へカティアの砲火が叩き込まれ、二機目が火を噴いた。
だがすぐに、上層からの狙撃が飛ぶ。
「上!」
フィオナが叫ぶより早く、ヴェラの細い光が一閃した。
上層後方の敵機が、糸を切られたみたいに傾いて落ちる。
「すご……」
思わず漏らしたエレナの耳へ、次の瞬間セリナの声が飛んだ。
「エレナ、前!」
障壁を張る。直後に敵弾がぶつかり、腕が痺れた。
衝撃は初陣の時よりずっと重い。
相手も本気なのだと、身体が直接思い知らされる。
「エレナ、右へ一機!」
イリナ。
視線を切る。
敵機が低く旋回しながら地上へ向かっていた。狙いは下だ。防壁線の向こうに、小さく車列のようなものが見える。
避難車両かもしれない。
撃たなければ。
エレナは手を前へ突き出す。
胸の奥から魔力が一気にせり上がる。
初陣の時より制御はましになった。
けれど今度は、撃てば地上へ抜けるかもしれない距離だ。
「絞って!」
クラリスの声が飛ぶ。
深く息を吸う。収束。軌道。
目標の中心だけを貫く。
余計なところへ逸らさない。
放った光弾は敵機の片翼を正確に撃ち抜いた。
機体は大きく傾き、そのまま地上へ突っ込む――と思った瞬間、下からルナの防御障壁が展開される。
落下軌道がずれ、敵機は防壁線の外縁へ叩きつけられた。
「ルナ!」
フィオナが思わず声を上げる。
ルナは返事をしなかった。
ただ、次の障壁展開へ入っている。
顔色は悪いのに、手は止まらない。
「下ばかり見るな!」
リゼットの声が鋭く刺さる。
「上層来る!」
見上げた瞬間、敵護衛機二機が急降下していた。セリナの防御が間に合うより早く、一発がフィオナの障壁を削る。
「きゃっ――」
「フィオナ、下がれ!」
クラリスが怒鳴る。
グレイスがその前へ滑り込み、無駄のない射撃で護衛機の進路を切った。
帝国側の少女なのに、その瞬間だけ味方の壁みたいに見えた。
空で撃ち合っているのは、帝国とルーゼンだ。
けれどエレナの目にはもう、それだけには見えなかった。
下には民間がいる。
上には敵の兵士がいる。
隣には名前のある少女たちが飛んでいる。
帝国の都合で兵器にされた少女たちが、帝国のためにではなく、今この瞬間に死ぬかもしれない誰かを守るために戦っている。
なのに、その帝国は。
その時、不意に下方の地上へ視線が吸われた。
第七防壁線の後ろ。
白い幕天幕が並び、その間を避難民らしい人影が走っている。兵士だけではない。
小さな子供の姿まで見えた。
遠くて顔までは分からない。
けれど、人だ。帝国兵でもルーゼン兵でもない、ただ逃げているだけの人たち。
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
「エレナ!」
リゼットの声で我に返る。
敵機が目前まで迫っていた。
咄嗟に障壁を張り、衝撃を受け流す。
遅れてノエルの砲撃が敵機の胴を吹き飛ばした。
「ぼさっとすんな!」
「……ごめん!」
「謝るのは生きて帰ってからだ!」
その怒声が、逆にありがたかった。
戦場では考えすぎると死ぬ。
見なければいけない。けれど、見すぎてもいけない。
どこまで見て、どこで手を動かすのか。
その境目がまだ分からない。
敵下層が崩れ始めたところで、上空から別の機影が現れた。
「予備機、来る!」
イリナが告げる。
「数四、ルーゼン主力じゃない。別編隊!」
「面倒ね……!」
カティアが舌打ちに近い笑いを漏らす。
その瞬間、ヴェラが珍しくわずかに声色を変えた。
「一機、違う」
「何が?」
ノエルが訊く。
「飛び方」
ヴェラの視線は上空の一点を射抜いていた。
「普通じゃない」
予備機の中に、一機だけ異様な機体が混じっていた。
従来の飛行機型とは違う。
円盤に近い環状の機体。
中央に小さくコクピットらしき膨らみがあり、その周囲を薄い光の輪が取り巻いている。
前後の区別が曖昧で、進行方向に対して機体が正対していない。
横滑りしたかと思えば急停止し、次の瞬間には垂直に跳ね上がる。
「何あれ……」
フィオナが息を呑む。
イリナが即座に識別へ入る。
「連邦試験機……機体コード照合中……」
グレイスの表情が初めてわずかに変わった。
「まさか」
「知ってるの?」
クラリスが低く問う。
「連邦の対ヴァルギア試験機。戦場伝承レベルの話だけれど……」
グレイスは視線を逸らさず言った。
「《墜ちない亡霊》」
その名が空気をかすかに揺らした。
「何それ」
ミリアが思わず言う。
「何度撃墜されても、生きて戻ってくる試験機乗りよ」
クラリスが短く補足する。
「厄介ね」
その時、短距離戦術帯域へノイズ混じりの声が割り込んだ。
『おっと、見つかったか』
男の声だった。若い。思っていたより軽い。
『やっぱり普通の飛び方じゃ誤魔化せないね』
次の瞬間、その環翼機があり得ない軌道で滑り込んできた。
機体が横を向いたまま加速する。
急減速。反転。普通の飛行機なら構造ごと壊れそうな挙動なのに、そいつだけは平気で空間を切り裂いてくる。
「散れ!」
リゼットの指示で第一中隊が開く。
だが遅い。
環翼機の一撃は火力そのものより軌道が読めないことが厄介だった。狙いは正確ではない。
けれど“避けにくい位置”へ撃ってくる。
「うわ、気っ持ち悪い飛び方!」
ミリアが叫ぶ。
『ひどいな。試験段階の繊細な機体なんだけど』
同じ声が返した。
『アルト、右!』
今度は別の連邦側通信がかすかに聞こえた。
アルト。
それがこいつの名前らしかった。
『了解了解。でも今ちょっと楽しくなってきたとこで――』
言い終わる前に、ヴェラの狙撃が環翼機の横を掠めた。
ほんの紙一重で避ける。
『うわ、今の危な』
声に初めて少し本気の色が混じる。
「よく喋るわね」
カティアが吐き捨てる。
「喋る余裕があるだけまだまし」
ノエルが返し、砲撃を重ねた。
だが環翼機はそれすら滑るようにかわし、第一中隊の隊列を一瞬乱す。
エレナも狙いを取ろうとしたが、照準が定まらない。
機体の向きと進路が一致しないせいで、次の動きが読めない。
まるで空そのものを裏返して飛んでいるみたいだった。
「エレナ、無理に追わない!」
セリナの声。
「まず隊列!」
その瞬間、環翼機が急停止し、まるでこちらを観察するみたいに少しだけ距離を取った。
『なるほどね』
アルトの声が、今度は少し低くなる。
『そっちは化け物っていうより、ちゃんと隊なんだ』
その一言に、エレナは妙な引っかかりを覚えた。
敵なのに、その見方はどこか“帝国の公式”とは違っていた。
次の瞬間だった。
遠方の雲が、内側から裂けたみたいに白く光った。
エレナはそれを見た瞬間、背筋が凍った。
初陣の終盤で見た、あの異様な光。
「伏せて!」
誰の声だったか分からない。
たぶんリゼットか、イリナか、あるいは両方。
白冠宮側からの長距離魔導砲が、空そのものを焼きながらこちらの戦域を薙いだ。
光は“飛んでくる”というより、“そこに現れる”に近かった。
回避が間に合う距離じゃない。エレナは咄嗟に障壁を張ったが、直撃ではなくても衝撃波だけで身体が持っていかれる。
「っ――!」
視界が白く飛ぶ。
自分のすぐ横を、巨大な白の奔流が通り過ぎた。熱ではない。
冷たい破壊だった。空が削り取られる。
息ができない。体勢が崩れる。
気づけば下へ落ちかけていた。
「エレナ!」
ルナの防御障壁が下から支え、セリナの薄青い膜がさらに横から押し返す。
遅れてノエルの手がエレナの腕を掴み、無理やり高度を戻した。
「しっかりしろ!」
声が遠い。
目の端で、環翼機が同じ砲撃の余波に巻き込まれるのが見えた。
光の輪の一部が焼け、機体が激しくスピンする。
『はあ!?』
アルトの声が、今度こそ本気で怒鳴った。
『なんだこのめちゃくちゃな砲撃は……! 試験機落とすならせめて俺じゃない方にしてくれ!』
その声に、ミリアが一瞬ぽかんとする。
けれど笑う余裕なんて誰にもなかった。
帝国の砲撃は、敵も味方も関係なく空を切り裂いていた。
守るための光じゃない。
あれはただ、命中範囲ごと焼き払う力だ。
環翼機はどうにか姿勢を立て直したが、外周の光輪は半分近く失われていた。
飛び方から余裕が消えている。
『連邦各機、離脱する!』
アルトの声が短く響く。
『こんなの付き合ってられるか!』
最後に、その異形機は一度だけこちらを振り返るような軌道を描いた。
ほんの一瞬、コクピット越しに中の顔が見えた気がした。若い。
自分たちと大きく変わらない年齢の男だ。
驚きと苛立ちを剥き出しにした顔。
その機体は損傷したまま、他の予備機を引き連れて戦域を離脱していった。
空に残ったのは、砲撃の残滓みたいな白い光と、焦げた匂いだけだった。
エレナは息を乱したまま、その場に留まる。
危うく死ぬところだった。
敵にではない。
帝国の砲撃で。
「エレナ、聞こえる?」
セリナの声で、ようやく意識が戻る。
「……うん」
「高度維持できる?」
「できる、たぶん」
「たぶんでいい、落ちなければ!」
そのやり取りの間にも、リゼットは隊列を立て直していた。
「全員、戦線維持!」
短い号令が飛ぶ。
「敵主力は崩れてる。このまま押し返す!」
皆が動く。
エレナも、歯を食いしばって前を向いた。
戦場は終わっていない。怖い。今すぐ降りたい。
けれど、下にはまだ人がいる。隣には仲間がいる。だから飛ぶしかない。
それでも、胸の奥に新しい恐怖が刻まれていた。
帝国は、自分たちすら守らない。
白冠宮の光は、少なくとも味方を守るためのものではなかった。
戦闘が終息したのは、それからしばらくしてからだった。
ルーゼン側は損耗を嫌って撤退。
帝国の防壁線は辛うじて維持され、避難車列も生き残ったらしい。
空に残るのは焦げた匂いと黒煙だけ。
帰投の命令が下った時、エレナは初陣の時とは別の疲労を覚えていた。
降り立った滑走路の先で、搬送班が慌ただしく動いている。
基地の向こうでは救護車両が何台も走っていた。
勝った、とはとても思えない光景だった。
「エレナ」
振り返ると、セリナがいた。
「さっき、少し顔色が変わった」
「……見えてた?」
「少しだけ」
セリナはやわらかく言った。
「下を見たでしょう」
エレナは小さく頷く。
「子どもがいた」
「ええ」
「敵も、若かった」
「ええ」
セリナはそこで否定しない。慰めもしない。ただ、同じものを見た人の顔をしていた。
「そういうの、見えちゃうよね」
その一言に、エレナは少しだけ救われる。
セリナだけじゃない。
ルナも、さっきから地上の方ばかり見ていた。
ノエルは荒っぽく見えて、避難線へ火線が行かないよう射角を細かく調整していた。
クラリスもグレイスも、命令に忠実なだけじゃなく、防壁線の守りを最優先に動いていた。
誰も“ただ敵を殺すためだけ”には戦っていない。
帝国はそう見せたがるのかもしれない。
けれど、少なくとも自分の目の前の少女たちは違った。
そこへ、作戦局の伝令が走り込んできた。
「第一中隊所属、第十二号個体。作戦局へ出頭命令」
その呼び方に、エレナの背中がわずかに冷えた。
リゼットの表情は動かない。
「私だけ?」
「至急」
少しだけ間があった。
それはほんの数秒のことだったけれど、エレナには妙に長く思えた。
リゼットはすぐにいつもの顔へ戻り、短く頷く。
「分かった。先に休ませて」
伝令は敬礼して去っていく。
リゼットは第一中隊を振り返った。
「今日は解散。各自、装備確認後に休息へ。明朝までに各自戦闘記録の簡易報告を提出」
「はい」
返事が重なる。
だが、リゼットはなぜかすぐには動かなかった。何か考えているように見える。
やがて彼女はエレナたちの前まで歩いてきて、短く言った。
「白冠宮のことは、気にしなくていい」
誰も何も言っていないのに。
その言葉に、エレナの心臓がどきりと鳴る。
ミリアもフィオナも、きょとんとしている。
ノエルだけが少しだけ目を細めた。
「少尉……?」
エレナが思わず呼ぶ。
リゼットは一瞬だけ視線を逸らした。
「……今は、まだ」
それだけ言うと、彼女は踵を返して歩き去っていった。
皆、しばらく黙ってその背中を見ていた。
「今の、どういう意味?」
ミリアが小さく言う。
「さあ」
ノエルがぶっきらぼうに返す。
けれどその横顔は、さっきまでより少しだけ険しかった。
その夜、休息室は妙に静かだった。
初陣のあとのような疲労ではない。
もっと曖昧で、説明しづらい重さが部屋に沈んでいる。
フィオナでさえ大人しく、ミリアも今日は長椅子に寝転がるだけであまり喋らない。
カティアは冗談を言いかけてやめ、ルナはぼんやり窓の外を見ていた。
イリナは何か考えるように黙り、ヴェラはいつも以上に言葉が少ない。
クラリスとグレイスは低い声で短く会話を交わしていたが、その内容は聞き取れなかった。
エレナは窓際に立ち、暗い空を見上げる。
敵国の空も、帝国の空も、色は同じ灰色だった。
そこを飛ぶ時だけ敵味方に分かれ、落ちていく時は同じように火に包まれる。
なのに、その上からさらに帝国の長距離砲が空を焼く。
守るための光には見えなかった。
白冠宮。
第一章から心のどこかに引っかかっている、あの白い建物。
帝国の心臓。あるいは墓場。
もしあそこに何かがあるのなら、それはこの戦争の形そのものに関わっているのではないか。
「エレナ」
振り返ると、リゼットではなくノエルだった。
「考えすぎると眠れなくなるぞ」
「……もう眠れないかも」
「だろうな」
ノエルは窓の外を見ずに、壁へ背を預ける。
「でもまあ、考えるのは悪くない」
「え?」
「考えなくなるよりは、だ」
短い言葉だった。ぶっきらぼうで、説明もない。
けれど第二章でリゼットが言ったことと、どこか似ていた。
見て、感じて、考えること。
それを手放した時、たぶん何かが終わるのだ。
「……ノエルも、白冠宮のこと知ってるの?」
ノエルは少しだけ沈黙した。
「知ってることなんか大してない」
「でも、何かあるって思ってる?」
「思ってる」
即答だった。
「帝国の中枢なんて、ろくでもないに決まってる」
それはあまりにも身も蓋もない答えだったが、エレナは少しだけ笑ってしまった。
「何だよ」
「いえ……ノエルらしいなって」
「褒めてねえだろ」
「半分くらいは」
ノエルは鼻を鳴らしただけだった。
窓の外、遠い空に小さな光が瞬いた。
対空砲火か、帰投機の灯火かは分からない。
けれどその向こうに、エレナはまた白い建物の影を思い浮かべる。
敵国の空を飛び、帝国の影の下で戦う。
その歪さに、エレナはもう薄く気づき始めていた。
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執筆の励みになりますので、感想コメントもいつでもお待ちしております。
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