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魔導戦記 蒼穹のヴァルギア -Valgia of the Azure-  作者: たーびゅらんす
第一部 帝国編

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第二章 初陣の蒼光

本作はエブリスタ・カクヨムにも掲載しています。

制作過程でAIを補助的に活用していますが、物語の設定・構成・展開・最終的な本文調整は作者自身が行っています。

 帝国の朝は、いつも金属音で始まる。


 まだ陽が昇りきらないうちから、どこかで車輪が軋み、鉄扉が開き、遠くで魔導機関の低い唸りが響いている。人の営みというより、巨大な機械そのものがゆっくりと目を覚ましていくような音だった。


 エレナは薄い毛布を跳ねのけ、上半身を起こした。


 第一章の日から数日が経っていた。時間の感覚は少し曖昧だ。何度も身体測定をされ、出力確認をされ、飛行補助装置の調整を受け、訓練予定表を叩き込まれた。眠っている時間より、身体の奥を流れる魔力の異物感に意識を向けている時間の方が長かった気さえする。


 それでも今日は、少し違った。


 扉の向こうから聞こえる足音の数が多い。廊下を行き交う声にも、どこかいつもより張り詰めたものがある。


 着替えを始めようとしたところで、上の寝台からミリアが身を乗り出してきた。


「おはよ、エレナ。寝れた?」


「……少しだけ」


「わかる。なんかずっと身体の中がもぞもぞするよね」


 ミリアはあくびを噛み殺しながら、自分の戦闘服をつまむ。


「しかもこれ、朝一番で着ると余計やだなあ。ひやっとするし、訓練で飛ぶと絶対ずれる気がするんだけど」


「ずれるって何が」


 別の方向から低い声がした。


 ノエルだ。もうほとんど着替え終えていて、黒い外套を肩に引っかけながらこちらを見ている。相変わらずぶっきらぼうな顔つきだが、今日は寝起きのせいか、少しだけ目が重そうだった。


「何がって、いろいろだよ!」


「いろいろじゃ分からん」


「飛ぶ時とか! こう、ひらってなったり、引っ張られたり、落ち着かないの! 戦闘の時とか絶対気になるって!」


「気にする余裕あるうちはまだ平気だ」


「そういう問題かなぁ!?」


 ミリアが頬を膨らませる。


 その横で、セリナが静かに笑った。


「でも、留め具はちゃんと見た方がいいわ。緩いと本当に危ないもの」


「ほら、セリナは分かってくれる」


「同意してるのはそこだけよ」


 柔らかい口調のまま、セリナはエレナの手元へ視線を落とした。


「エレナ、そこの留め具、反対。こっちが先」


「あ……ありがとう」


 慌てて直すと、セリナは小さく頷く。


 同じ部隊にいる少女たちの中で、彼女の近くは不思議と息がしやすかった。声が静かだからなのか、笑い方がやわらかいからなのかは分からない。ただ、ここが帝国の基地で、皆が兵器として扱われていることを一瞬だけ忘れそうになる。


「待機前の装備確認も自主的に済ませておくべきよ」


 きっちりした声が割って入った。


 クラリスだった。


 訓練着をすでに乱れなく着こなし、髪も一糸乱れぬ形に結い上げている。朝からまるで完成品みたいな佇まいだ。


「留め具不良、補助具未装着、外套の固定不備。そういう小さな油断が事故に繋がるの」


「はいはい、クラリス先生」


「茶化さないで」


 ミリアがわざとらしく肩をすくめる。クラリスは眉をひそめたが、本気で怒ってはいないようだった。こういうやり取りが日常化しているのだろうと、エレナにも少しずつ分かってきていた。


 その時、扉が勢いよく開いた。


「準備終わった! ……あ、まだだった!」


 フィオナが飛び込んでくる。寝癖のついた黒髪を慌ててまとめたらしく、片側だけ妙にはねていた。


「フィオナ、外套」


 ノエルが即座に指摘する。


「え、どこ」


「逆」


「えっ、うそ」


「ほんと」


 フィオナが自分の肩を見る。確かに外套が前後逆だった。


 皆が一瞬だけ黙ったあと、ミリアが吹き出した。


「もー、フィオナ朝から飛ばしすぎ!」


「だ、だって急いでたんだもん……!」


「急いでも前後は間違えないでしょ普通」


「ノエルが冷たい!」


「事実だ」


 そんなやり取りの中、エレナは少しだけ肩の力を抜いた。


 この部屋にいる時の彼女たちは、少なくとも“兵器”ではなかった。露出の多い戦闘服を気にして、留め具の向きを間違えて、くだらないことで言い合って笑う、ただの少女たちだ。


 だからこそ、帝国が彼女たちに番号を付けていることが、余計に異様に思えた。


 ほどなくして、通路の奥から足音が近づいてくる。


 リゼットだった。


「全員、第三訓練空域へ。今日は編隊連携の調整と模擬迎撃」


 短く、無駄がない。


 その言葉だけで、部屋の空気が少し変わった。軽口は残っていても、皆の動きが揃う。戦闘服の留め具を確かめ、外套を整え、補助具を装着し、それぞれの持ち場を自然に取っていく。


 リゼットの指示は怒鳴らなくても通る。第一章で感じた通り、この人は部隊の中心だった。


「エレナ」


「はい」


「今日は初めて全体連携に入る。前に出すぎないこと。高出力でも収束が甘いと味方を巻く」


「……はい」


「返事はいい。実際にやって」


 冷たいわけではない。ただ徹底的に実務的だ。


 第三訓練空域は、基地の外縁に広がる広大な模擬戦区画だった。地上には簡易障壁塔、浮遊標的、魔導標識柱が並び、上空には高度ごとの訓練リングが展開されている。遠くには他部隊の機影も見えた。


 訓練場へ整列した第一中隊の面々を見て、エレナはあらためて人数の多さに少し圧倒された。


 自分がすでに名前を知っているのは、ミリア、ノエル、フィオナ、セリナ、クラリス、そしてリゼットくらいだ。だが同じ隊列には、それ以外にも何人もの少女たちが立っている。


 前列左端に立つ、やや大柄で豪快そうな雰囲気の少女が、こちらへにっと笑って見せた。日に焼けたような健康的な肌に、明るい茶色の髪。精密さより勢いで空を切り開きそうな、そんな印象を受ける。


 彼女の肩口には、第十五号の文字があった。


「新入り、今日が本格合流だっけ? 気張りすぎると空で酔うよ」


 気安い口調だった。


「カティア・ルメル。中距離支援担当。困ったら後ろ見な。たぶんあたしが撃ってるから」


 その言い方は軽いのに、不思議と頼もしさがあった。


 第十五号。


 カティア・ルメル。


 エレナはまたひとつ、番号ではなく名前の方を胸に刻む。


 カティアの少し後ろには、控えめな佇まいの少女がいる。まっすぐ切り揃えられた金髪の前髪が額にかかり、薄青の瞳がこちらを静かに見ていた。線の細い印象で、声を出す前からどこか遠慮がちに見える。


 肩口には、第十三号。


「……ルナ・フェルミナです。防御補助を担当しています。よろしく」


 声も小さい。けれどそのぶん、丁寧さが際立った。


 第十三号。


 ルナ・フェルミナ。


 さらに少し離れた位置に、ほんの少しだけ色の濃い肌をした短髪の少女が無言で立っていた。銀紫の瞳がこちらを向いている。姿勢が異様に正確で、訓練開始前だというのに、すでに照準を合わせる兵器みたいに見えた。


 肩口の番号は、第十六号。


「ヴェラ・オルディス」


 名乗ったのは本人ではなく、隣に立つ別の少女だった。


「たぶん本人は必要以上に話さないから、私が代わりに」


 淡々としたその少女は、青みを帯びた黒髪を後ろでまとめていた。顔立ちは落ち着いていて、目線はすでに訓練空域全体へ向いている。相手を見るというより、配置と距離を測っているような視線だった。


 彼女の肩口には、第二十二号の文字がある。


「イリナ・ベルシュ。位置取りと索敵補助が主」


 言葉の一つ一つが簡潔だった。戦場に必要な情報だけを切り出しているような口調。


 第十六号。


 ヴェラ・オルディス。


 第二十二号。


 イリナ・ベルシュ。


 そしてそのさらに奥には、濃い赤の外套をきっちり着こなした少女がいた。銀灰色に近い髪が風に揺れ、目つきは厳しい。年齢はリゼットに近そうだ。高圧的というより、規律そのものが人の形を取ったみたいな印象だった。


 肩口には、第十四号。


「遅い」


 開口一番それだった。


「整列三秒前には済ませておくべき」


 クラリスとはまた違う硬さがある。イリナが小さく息をついた。


「グレイス・ハルトマン。ああいう人」


「紹介が雑ね」


「間違ってはないと思います」


 イリナが平然と返すと、グレイスは眉をわずかに動かしただけでそれ以上は言わなかった。


 第十四号。


 グレイス・ハルトマン。


 これが第一中隊。


 華やかで、ばらばらで、それぞれ全然違うのに、ひとたび整列すると妙にひとつの部隊に見える。


「飛翔準備」


 リゼットの声が空気を引き締める。


 補助魔法陣が起動し、青白い光が地面を走った。肌へ、マナが流れ込む。冷たさと、ぞくりとする刺激。何度体験しても慣れない。


「基本編隊、第一列前進。高度十五。旋回後、障壁展開。エレナはセリナの左。ミリア、前に出るな。フィオナ、勝手に下がるな」


「はいっ!」


「返事だけはいいんだから」


 ノエルが呟いた次の瞬間、少女たちは一斉に空へ跳ね上がった。


 背中の補助機構が低く唸り、肩甲骨のあたりから左右へ青白いマナが噴き出した。細い光の粒が外套の縁をなぞり、風に散っていく。その軌跡は、遠目から見れば翼のようだった。


 鳥。


 エレナはふと、そんな言葉を思い浮かべた。


 けれど、それは自由に空を渡る鳥ではない。帝国の番号を肩に縫い込まれたまま、命令で飛び上がる鳥たちだった。


 風が頬を切る。


 第一章の時より、少しだけ飛ぶことには慣れていた。けれど“慣れてしまった”と言うにはまだ早い。足元から地面が遠ざかるたびに、身体の奥が妙にふわつく。


「高度維持!」


 リゼットの指示に合わせ、第一列がきれいに水平を取る。クラリスは完璧だった。まるで最初から空に線が引かれていて、その上をなぞっているだけみたいにぶれがない。セリナはそれを少しやわらかくした飛び方で、けれど乱れなく続く。


 ミリアは見た目には軽やかだが、時折集中がずれて高度が跳ねる。そのたびノエルに「遊ぶな」と怒鳴られていた。フィオナは勢いで前へ出たがるのを必死に抑えている。


 エレナはというと、飛べてはいるが、安定しない。


 少し気を抜くと右へ流れ、前を意識すると高度がぶれ、障壁展開の準備に入ると呼吸が浅くなる。体の中を流れる力が強すぎて、自分で扱いきれていない感覚があった。


「第三標的、模擬迎撃」


 前方へ浮遊標的が射出された。金属製の球体が不規則に飛び回り、簡易砲撃を放ってくる。


「障壁!」


 セリナの声と同時に、薄青い膜が前方に幾重にも展開される。彼女の掌の前に、小さな魔法陣が花のように開いていた。そこから広がる防壁は、硬く跳ね返すというより、柔らかく受け止めるような防御だった。


「エレナ、収束を先に意識して!」


 言われた通り、右手へ集中する。胸の奥から力が込み上げ、腕へ、指先へ、光が集まる。掌の前に青白い魔法陣が浮かび上がり、細かな幾何学模様が回転を始めた。


 撃てる。


 けれど、強すぎる。少しでも気を抜けば標的ごと後方まで貫きそうだった。


「今!」


 放った光弾は標的を捉えたが、収束が甘く、後方の訓練リングの一部まで削り取った。


「うわっ」


 ミリアが思わず身をすくめる。


 訓練用の結界がすぐに自動修復を始めたが、エレナの顔は一気に熱くなった。


「ご、ごめんなさい……!」


「謝るのは後。次、右!」


 リゼットは怒鳴らなかった。ただ、次の指示が飛ぶ。


 エレナは必死に体勢を立て直した。右へ流れかけたところを、横からノエルの砲撃が標的の軌道をずらしてくれる。ノエルの掌にも、鋭い刃のような魔法陣が展開していた。放たれた魔力は荒いのに、味方を避ける軌道だけは妙に正確だった。


「前だけ見んな、周り見ろ!」


「は、はい!」


「返事じゃなくて動きで示せ!」


 厳しい。けれど、その一撃がなければさっきの模擬弾は食らっていた。


 次の標的では、クラリスが無駄のない一撃で中心核だけを撃ち抜いた。手元に展開された魔法陣の線は細く、形も整っている。ほとんど芸術みたいな正確さだった。


「すご……」


 思わず漏らすと、クラリスはこちらを見もしないまま言った。


「魔力の総量に頼りすぎよ。軌道を絞る方が先」


 刺々しいわけではない。ただ事実を述べているだけだ。


 その隣で、ヴェラが三つ先の標的を同時に撃ち落とした。射撃はほとんど音がしない。掌の魔法陣が一瞬だけ紫がかった光を帯びたと思った瞬間には、標的だけが無駄なく破壊されていた。


「え……今の」


「ヴェラはそういうの得意」


 イリナが淡々と言う。


「逆に雑な撃ち方はしない。たぶん一番きれい」


 カティアは大きめの光弾でまとめて標的を吹き飛ばし、「細かいのは苦手!」と笑っていた。ルナはその後ろで損傷した標的の残骸を防御障壁で逸らし、味方が巻き込まれないよう支えている。


 グレイスだけは終始無言で、訓練なのに本番の戦場みたいな硬さで飛んでいた。


 第一中隊の性格が、そのまま飛び方に出ている。


 そう思った時、不意に真正面から模擬砲撃が来た。


 反応が遅れる。


「エレナ!」


 リゼットの声。咄嗟に障壁を張るが遅い。直撃――する直前、薄い青の防壁が横から差し込まれた。セリナだった。


「っ、ありがとう……!」


「まだ訓練だからよ」


 セリナは微笑んだが、その直後、リゼットの声が落ちる。


「訓練で助けてもらう癖がつくと、本番で死ぬ」


 空気がぴんと張った。


 エレナは唇を噛む。悔しい。情けない。皆が飛べているのに、自分だけ取り残されているみたいだった。


 訓練が一区切りついた頃には、呼吸は乱れ、額に汗がにじんでいた。地上へ降りた瞬間、膝が少し笑う。


 ミリアが先に着地して、こちらへ駆け寄ってきた。


「大丈夫? すっごい顔してるけど」


「してる?」


「してる。『今すぐ土に埋まりたい』って顔」


「それはちょっとしてるかも……」


 答えると、ミリアが吹き出した。


「大丈夫だって、初日であれだけ飛べれば十分だよ。エレナ、出力はほんとすごいし」


「すごいだけじゃ困る」


 ノエルが横から口を挟む。


「すごくても味方巻いたら終わりだ。だがまあ、最初にしてはマシ」


 褒めているのかいないのか分からない言い方だったが、完全に切り捨てる口調ではなかった。


「ね、今のちょっと褒めた?」


「褒めてない」


「でもマシって言った」


「聞き分けるな」


 そのやり取りに、フィオナが笑う。


 セリナはエレナの補助具を見て、少し位置を直してくれた。クラリスは少し離れた位置からこちらを見ていたが、不意に一言だけ言った。


「出力制御は荒いけど、反応速度は悪くないわ」


「え」


「改善すれば戦えるという意味よ」


 それだけ言って、くるりと背を向ける。褒められたのかどうか曖昧だったが、少なくとも見込みなしとは思われていないらしい。


 リゼットは最後に全体を見回してから、短く告げた。


「休憩十分。その後もう一度、高度変化と迎撃連携を――」


 そこで、空気を裂くように警報が鳴り響いた。


 訓練場の空気が、一瞬で凍る。


『総員、出撃準備。総員、出撃準備。第一中隊は第三発着区画へ集結せよ』


 館内放送の冷たい声が、今度は訓練ではなく本物の戦場を呼んでいた。


 ミリアがさっきまでの笑顔を消す。


 フィオナが息を呑む。


 ノエルの目が細くなる。


 クラリスはすでに前を見ていた。


 セリナはほんのわずかに表情を強張らせる。


 リゼットだけが、何も変わらない声で言った。


「訓練は終わり。ここからは実戦よ」


 その一言で、世界が切り替わった。


 第三発着区画までの通路は、行きよりずっと慌ただしかった。整備兵の怒号、車輪の軋み、滑走路へ運び込まれる弾薬箱の音。さっきまで訓練だったはずの基地が、本来の顔を剥き出しにしていく。


 戦闘服を着直す必要はない。けれどミリアは歩きながら小さく呟いた。


「……最悪。こんな時に限って、さっきまで訓練だったし」


「何がだ」


「心の準備。あとこれ、飛ぶ時ほんと裾の感じが落ち着かないっていうか」


「そこ気にしてる余裕あるなら死なない」


「ノエルそれさっきも似たようなこと言ってた」


「本質は同じだからな」


 少しだけ笑いが起きる。ほんの一瞬だけ。けれどその軽口があるだけで、息ができた。


 発着区画へ出ると、第一章の時と同じ灰色の空が広がっていた。だが今日のそれは、最初から戦場の色をしていた。


「全員、揃ってるわね」


 前方に立ったリゼットが言う。


 カティア、ルナ、ヴェラ、イリナ、グレイス。ミリア、ノエル、フィオナ、セリナ、クラリス。そしてエレナ。第一中隊の面々が、今はひとつの隊列として並んでいる。


「迎撃対象はルーゼン連邦第三航空戦団。帝都北西防衛線へ侵攻中。地上部隊が押されてる。わたしたちは上から戦線を切る」


 説明は簡潔だった。


 それでも、訓練の時とは響き方が違う。同じ“迎撃”のはずなのに、今度はそこに本物の人間がいる。


「エレナ」


「はい」


「初陣になる」


 リゼットの目はいつも通り静かだった。


「怖い?」


 その問いに、エレナは一瞬だけ迷った。


「……怖いです」


「そう」


 リゼットは頷いた。


「慣れないで」


 短い一言だった。けれど、訓練の失敗で熱くなっていた胸の奥へ、その言葉だけが静かに落ちてくる。


「初めての時に吐くのも、足が竦むのも、変じゃない。変になるのは、何も感じなくなること」


 それだけ告げて、リゼットは前を向く。


「飛翔準備」


 足元の補助魔法陣が起動した。


 青白い幾何学模様が地面に広がり、空気が変わる。周囲のマナが濃くなる。こちらへ引き寄せられ、皮膚の表面から内側へ流れ込んでくる。冷たさに似た刺激が全身を走り、身体が一気に軽くなる。


「うわ……っ」


「行くよ!」


 ミリアが先に浮き上がる。今度は訓練の時より、誰もふざけない。


 リゼット、クラリス、ノエル、セリナ、フィオナ、カティア、ルナ、ヴェラ、イリナ、グレイス。全員が一斉に空へ上がり、第一中隊は灰色の雲へ向かって飛び立った。


 それぞれの背中から、左右へ青白いマナの光が噴き出す。外套が風を受けて広がり、光の軌跡が翼のように伸びる。


 遠くから見れば、きっと鳥の群れのように見えるのだろう。


 けれど、その一羽一羽には番号がある。


 名前のない兵器として、帝国が空へ放つ鳥。


 エレナはその中に、自分も混ざっているのだと気づいて、胸の奥が冷えた。


 訓練の時に見た空より、今日はずっと遠く見えた。


 それでも進むしかない。


 風が頬を打ち、外套が大きくはためく。胸の奥の鼓動が強くなる。視界の先、雲の切れ間の向こうに、黒い点がいくつも浮かんでいた。


 ルーゼン連邦の機影だった。


「第一中隊、前進」


 リゼットの声と同時に、少女たちは戦場へ飛び込んだ。


 正面から飛来した光弾が、目の前をかすめる。


「接敵!」


 クラリスの声が鋭く響いた。


 空が一瞬で戦場に変わる。光の尾を引く砲撃、爆ぜる障壁、交差する機影。地上からも対空砲火が上がり、雲の下を閃光が走る。


 エレナは必死に障壁を張った。腕の前へ意識を集中すると、掌の前に青白い魔法陣が展開され、そこから半透明の膜が広がる。次の瞬間、それへ敵弾が叩きつけられ、腕の骨まで響くような衝撃が走った。


「ひっ……」


「下を向くな、エレナ!」


 リゼットの声が飛ぶ。


「前だけ見て!」


 息を吸う。冷たいマナが肺へ流れ込み、そのまま血へ混ざる。胸の奥の異様な鼓動が一気に強くなる。身体の中で何かが膨張し、腕の先へ集中していく。


「撃てる!」


 フィオナが叫ぶ。クラリスとノエルが左右へ散り、セリナが防御展開で隊列を支える。ミリアは撹乱するように敵機の視線を引きつけ、カティアの砲撃がその隙間を撃ち抜いた。ルナは後方で障壁を重ね、ヴェラの狙撃光がまるで針みたいに敵機だけを貫いていく。イリナの指示が短く飛び、グレイスは無駄なく前衛を押し上げた。


 訓練で見た連携が、今は本物の戦場で機能していた。


 エレナも狙いを定めた。


 敵機がひとつ、こちらへ機首を向けている。機体表面の紋章までは見えない。けれど、操縦席の向こうに人がいることだけは、なぜか妙にはっきり分かってしまった。


「撃って!」


 誰かの声。


 次の瞬間、エレナは反射的に右手を前へ突き出していた。


 掌の魔法陣が強く輝き、白い閃光が走る。


 自分の腕から放たれた高密度魔力が、一直線に敵機を貫いた。機体は抵抗する間もなく裂け、赤橙の火球へ変わる。破片がきらきらと散りながら、雲の下へ落ちていった。


 当たった。


 戦果としては成功なのだろう。


 でも、エレナの身体はひどく冷えた。


 今、落ちた。


 人が。


 味方ではない。敵だ。そう分かっている。なのに胸の奥では、理屈より先に別のものが悲鳴を上げていた。


「エレナ、左!」


 セリナの声で我に返る。咄嗟に障壁を張ると、二発目の砲撃がそれを叩いた。衝撃で視界が揺れる。呼吸が乱れ、胃が縮みあがる。


「集中!」


 ノエルが怒鳴る。


「今は落ちるな!」


 分かってる。そう答えようとして、声が出なかった。


 戦場の下では、地上戦も続いていた。崩れた建物、走る車両、立ち上る煙。そこにいるのは、帝国兵だけではない。ルーゼン連邦の兵士たちもいた。小さく、遠く、でも確かに人の形をしていた。


 化け物みたいな敵なんかじゃない。


 帝国の放送で聞かされたような“滅ぼすべきだけの何か”じゃない。


 普通の人間が、普通に死んでいく景色だった。


 セリナもそれを見たのか、一瞬だけ動きが鈍った。


「セリナ!」


 クラリスの声が飛ぶ。


「前を見て!」


「っ、ごめん!」


 すぐに立て直す。だが、そのわずかな揺らぎをエレナは見逃さなかった。


 リゼットはさらに前へ出ていた。敵機を撃ち落としながら、必要以上に地上へ火線が伸びないよう細かく軌道を修正している。ノエルは派手に見えて、味方機の退路を確保するように撃っていた。フィオナはその後ろで必死に食らいついている。


 皆が戦っている。


 皆が飛んでいる。


 自分だけ止まっているわけにはいかない。


 エレナは歯を食いしばり、もう一度、前へ手を伸ばした。


 次の砲撃は、最初より少しだけ迷いが少なかった。


 その事実に、自分でぞっとした。


 戦闘が終わった時には、空の色はすっかり変わっていた。


 敵機は撤退し、帝国側の迎撃成功として処理されたらしい。地上から上がっていた砲火も止み、代わりに遠くで黒煙だけがたなびいている。


「帰投する」


 リゼットの短い命令で、少女たちは一斉に高度を落とし始めた。


 帰りの空は、行きよりずっと重かった。


 誰もしゃべらない。ミリアでさえ、珍しく口を閉ざしている。フィオナは何か言いたそうに何度か口を開いたが、結局黙ったままだった。


 滑走路へ降り立った瞬間、足から力が抜けた。


 風が止む。地面が近い。なのに、まだ身体の奥では戦闘中の脈動が暴れている。胸が苦しい。胃のあたりがひっくり返りそうだった。


 数歩ふらついたところで、耐えきれず膝をつく。


「エレナ?」


 ミリアの声が遠い。


 次の瞬間、胃の中のものを吐き出していた。何も食べていなかったせいで、ほとんど水しか出なかった。喉が焼ける。視界がにじむ。


「うわ……」


 フィオナが目を丸くする。


「だ、大丈夫……?」


「騒ぐな」


 低い声と同時に、目の前へ水筒が差し出された。


 リゼットだった。


 エレナは震える手でそれを受け取り、少しだけ水を含む。冷たい。けれど、まだ現実に戻り切れない。


「……すみません」


 掠れた声で言うと、リゼットは首を横に振った。


「初めてなら普通」


「でも……」


「吐けるうちは、まだ大丈夫」


 その言葉に、エレナは顔を上げた。


 リゼットはもう次の報告へ向かおうとしていた。けれど去る前に、一瞬だけ足を止める。


「忘れないで。さっき見たもの全部」


 静かな声だった。


「それを何とも思わなくなった時が、一番危ない」


 そう言い残して、彼女は歩き去っていく。


 エレナは水筒を握ったまま、その背中を見送った。


 滑走路の向こうでは、朝日がようやく雲の切れ間から差し込んでいた。金色の光が煙を照らし、遠くの空を淡く染めている。きれいだと思うより先に、その下で落ちていった敵機の火球を思い出した。


 初めて飛んだ空は、思っていたよりも綺麗で、思っていたよりも残酷だった。

お読みいただきありがとうございます。


本作はエブリスタ・カクヨムにも掲載中です。

現在はエブリスタ版が最も先行して進行しています。


制作過程でAIを補助的に活用していますが、物語の核となる世界観・設定・構成・展開は作者自身が作成・判断しています。

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