ストーリー037 プロローグ テンプレート
プロローグ
第二十一號手記 テンプレート
悲しい夢を見た。
少し大きめの机を挟んで、自分は彼女と向き合って座っている。艶のある黒髪のサイドをアゲハ蝶の髪留めで項の辺りに留めている。生き生きしていた頃の彼女が振り向くと、まるで蝶が鱗粉を撒くようにその髪留めが細やかな光のフレーバーをその場に残した。自分はそれを見るのが大好きだった。
もうかれこれこんな年齢になったので臆面もなく言えるが、彼女こそが自分の初恋の相手だった。
憧れの彼女は、今や少しやつれた作り笑顔でこちらを見た。
「ごめんね、山田君。結局私、君の力になってあげられなかった。」
小さな声でそう言うと、項垂れたように下を向いた。頬を伝う一筋の涙。言葉の最後の方は白い机の表面にそのまま落ちて、淡雪のように消える。謝罪の言葉なのに、自分にはそれが二人の別れの言葉のように響いた。体の平衡感覚が失われて、背骨を抜かれたように体の芯がたゆんだ。
「生徒指導室」
そう書かれた物々しいテプラが、入口のドアの硝子の真ん中に貼ってある。裏返しに読めるその文字を、ただ視点と平衡感覚を安定させる支点として見た。別段自分が悪いことをしたためにここにいる訳でもない。謂れのない被害を被った末に、様々な嫌悪と喪失感の中でこの学校を去ろうとしているのだ。そうだ、それは高校2年の夏のことだ。
憧れの彼女、担任の清川若葉は、自分が転校する羽目になったことに謝っているのだろうか?それとも、自分の心の闇を救えなかったことに謝っているのだろうか?心が最底辺まで落ちてしまった自分には、もうそのどちらでも良かった。
学校内で孤立して、もはや彼女を置いて、他に話し相手すらいなかったのに。心の牢獄に捕らわれた自分は、そんな彼女に感謝の気持ちを伝えるどころか、ただ八つ当たりの対象にしてしまったのかも知れない。
「お世話になりました。」
覚えたてのテンプレートだけを吐き捨て、生徒指導室のドアを乱暴に開け閉めして、自分は足早にその場を去る。
彼女の落とす涙の音が、心に染み入るように音を奏でる。
ぽたっ。ぽたっ。
そう、痛々しくその音が心の臓にも響いてゆく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・・・・
はっと気付くと、布団の上で泣いていたのは自分自身だったようだ。
ただ寝ていただけなのに、とんでもなく脈拍が早い。鼓動を頸動脈に感じている。
ドクッドクッ。
首筋に手を当ててみる。そうして、徐々に脈拍も五感も落ち着きを取り戻してゆく。こんどは水滴が落ちる音が、外の雨樋から雨水が滴り落ちる音だと分かった。
悲しい夢のあと、宿舎の自分の部屋、布団の上から天井を見上げている。
時刻は早朝。明けの早い5月の雨の日。
灰色の景色の中、泣きながら目を覚ましたという事実をようやく認識した。
ここは新見駐屯地の官舎。かつて民家だったところを借り上げて、士官がシェアする宿舎として使用している。上の二階の部屋には隣の隊の高梨大尉や直属の部下である橘少尉。隣の部屋には同じく部下である茶屋中尉も住んでいる。若い男性士官達の集う独身寮かシェア・ハウスのような建物に成り代わっている。異世界転移し、小此木真凜伍長と共に駐屯地に帰還して以降、大和一郎氏が使用していたこの部屋をずっと寝床にしてきた。
あっという間にひと月半が経過して、天井の木目も目に馴染んできている。
最初は堅苦しく、決意の言葉を語り、大和一郎を継承した義務として帝国軍の皆と共に歩む道を選んだ。それが、様々な共同生活や上石見・般若間の戦いを経て、自分の中でもはや当たり前のことになりつつある。ここに住み始めた頃は、いつも真凜さんが迎えに来て、彼女の助言するままに(指示するままに)日々の業務をこなしていたが、そのような補助輪も外れて、自分で生活できるようになってきた。
真凜さん以外の人達に対しては、正体を偽っていることもあり、最初はなかなか打ち解けられなかった。それが今では、誰かの部屋に集まって一緒に飲んだり、騒いだり、まるで学生時代に戻ったようなアットホーム感になってきた。おかしなことに、周囲の人達も、だんだん自分の事を大和一郎ではなく、山田驍として接しているように感じる。先日も訓練の視察の途中に(自分が誰か選任された隊員に基礎を教わりつつ、訓練を邪魔している途中に)、橘少尉が口を滑らした。
「タケル隊長・・・じゃなかった大和隊長、弓道の方は割と基礎がしっかり身について来ているようですね。もうすぐ実戦で使用することも出来そうですね。本当に楽しみだ。」
どちらが隊長か分からない発言だし、タケル隊長って。そんな敬称、存在していいのだろうか?裏ではみんなそう呼んでいるのかな?機密事項が駄々洩れのような感じなんですけど?本当にツッコミどころ満載である。
様々な優しさ、心遣い、日々皆との間に構築されてゆく絆。実に満たされた生活のなかに自分はいる。それでも人間の心は弱い。こんな雨の日は、とくに心が病むようになっているのだろうか。まるで古傷が痛むように、過去のトラウマが自分の中で完全治癒を求めて疼いている。
『こなた』の世界の普通の一日が憂鬱と共に始まろうとしている。
自分が元いた『かなた』の世界の記憶そのままのような夢。先ほどまでの夢の中では自分の意識そのものが『かなた』に戻っていたかのようだ。こんな夢を見るのは、真凜さんに介抱されて目覚めた、ダム湖の脇の「秘密基地」以来の事だった。能力を幅広く使用すればするほど『かなた』の記憶が戻ってくる可能性がある。そう言っていたのは、叔父さんこと小此木中佐だったか。
だからこれは、昨日また、夜遅くまで能力開発を頑張ったせいかもしれない。
今ある現実のピースをつなげてゆき、少しずつ気分を解きほぐしてゆく。
起き上がると、ちゃぶ台の上の湯飲みに手を伸ばす。昨晩飲んでいたほうじ茶の残りが半分ほど残っていた。それを一気に飲み干すと、自分は一息ついた。外は相変わらず、細かい雨が降り続いている。梅雨の時期とは異なる、湿気を伴わない短い雨だ。
恵みの雨がもたらす潤いが、少しは自分の傷を癒してくれるだろうか。
心もか弱き、帝国軍の最弱王。
隊の皆が称賛してくれる、上石見・般若間での勝利。そこに確かに刻んだ自分の功績。やっと手に入れた、たった一つの戦績が、何とか自分の背中を押ししてくれて、職場に向かうことが出来るのだった。




