この感情の名前
朝の光が、静かに差し込んでいた。
小さな宿の一室。
ベッドの上で、ルークはまだ眠っている。
呼吸は穏やかで、顔色も悪くない。
それを確認して、ルナは小さく息を吐いた。
「……」
椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。
昨夜のことが、何度も頭をよぎる。
倒れた姿。
返事のない声。
そして——
自分の中から溢れた感情。
「……失いたくない、か」
ぽつりと呟く。
その言葉が、やけに重く響いた。
今まで、そんなふうに思ったことはなかった。
誰かに対して。
ここまで強く。
「……ありえない」
小さく首を振る。
そんなはずはない。
自分は、ひとりでいいはずだった。
誰かと関わる必要なんて、ないはずだった。
——なのに。
視線が、自然とルークに向く。
眠っているだけなのに、そこにいるだけで。
少しだけ、安心する。
「……なんなのよ、本当に」
理解できない。
でも、否定もできない。
しばらく黙って見ていると、
ルークがわずかに身じろぎした。
「……ん」
ゆっくりと目が開く。
「……ルナ?」
「起きたのね」
いつもの調子で言う。
声が、少しだけ掠れていた。
「体は」
「うん、大丈夫」
軽く体を起こす。
「助かったよ」
「……別に」
視線を逸らす。
それ以上は何も言わない。
言えない。
沈黙が落ちる。
いつもなら気にならないはずなのに、
今日は妙に落ち着かない。
「……あのさ」
ルークが口を開く。
「昨日のことだけど」
「言わないで」
即座に遮る。
それ以上、聞きたくなかった。
聞いてしまえば、きっと。
誤魔化せなくなる。
「……そっか」
ルークはそれ以上踏み込まない。
それが、少しだけありがたかった。
ルナは立ち上がる。
「外に行ってくるわ」
「うん」
短いやりとり。
それだけで、十分だった。
外に出ると、朝の空気がひんやりと肌を撫でる。
深く息を吸う。
少しだけ、頭が冷える。
「……」
それでも、消えない。
胸の奥に残ったままの感情。
昨夜の言葉。
あのときの、自分の声。
——あなたがいないと、困る。
思い出しただけで、胸がざわつく。
「……困る、じゃないな」
小さく呟く。
それだけじゃ足りない。
もっと、はっきりしたものだ。
目を閉じる。
浮かぶのは、ルークの姿。
笑った顔。
真っ直ぐな目。
無茶をするところ。
全部が、やけに鮮明に浮かぶ。
「……っ」
胸が、強く鳴る。
「あら、おはよう。よく眠れたかしら?」
宿のオーナーが声をかけてきた。
「ええ、おかげさまで。助かったわ。」
短く感謝を伝える
「それはよかった。…ってあなた、顔が赤いじゃないの!熱でもあるんじゃないの?!体にいいもの作ってこようか?」
オーナーに言われて窓ガラスに映った自分を見ると夕日に照らされたみたいに顔が赤くなっていた。
「っ…少し動いたから暑くなっただけよ。問題ないわ。」
咄嗟に嘘をついてしまう。
「そうなのね。ほどほどにしてしっかり休むのよ。」
そう言ってオーナーは宿の中に戻っていった。
「はぁ…」
ため息が自然に出てしまう。もう、誤魔化せない。
逃げられない。
これは——
「……好き、なのか」
その言葉が、ゆっくりと形になる。
口にした瞬間、すべてが繋がった気がした。
あのざわつきも。
落ち着かない理由も。
昨日の感情も。
全部。
「……はは」
小さく、乾いた笑いが漏れる。
理解したくなかった。
でも、理解してしまった。
「……面倒だわ」
ぽつりと呟く。
でも。
その声は、どこか少しだけ柔らかかった。
空を見上げる。
いつもと変わらないはずの景色が、
少しだけ違って見える。
その理由を、もう知ってしまったから。
「……どうするのよ、これ」
答えは、出ない。
でも。
ひとつだけ、分かっていることがある。
もう、前みたいには戻れない。
ルークのことを、
ただの“相棒”として見ることは、できない。
「……最悪」
そう言いながら、
ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。




