まさか朝からそんなことをしているとは
「失礼するぞ、ラザフォード公爵令嬢!」
唐突な元気な声に、レオニスと私はギリギリで動きを止めた。
ポーションを飲ませた時の比ではない。
もう本当に、レオニスの唇から体温を感じるぐらいの距離だった。
ゆっくり上体を起こしたレオニスは「父上! ここは公爵令嬢の寝室です! ノックと声掛けを同時にして開けるというのは、家族間でも違反だと思います!」といつになく強い声で抗議する。
「おおおおお、申し訳なかった。まさかお前が朝からそんなことをしているとは思わなかった」
「もう、あなたってば本当に間の悪いこと! こんな風に邪魔をしては、できる跡継ぎもできなくなりますわよ!」
部屋の入口の扉で、中の様子を伺うレオニスの父親であるスターフォード伯爵。彼はレオニスと同じ、キャラメルブロンドの髪に、グレーの瞳の持ち主だ。そして鼻の下の髭が、綺麗に揃えられている。
スターフォード伯爵の隣に立つ、スターフォード伯爵夫人。ブロンドの髪に、レオニスと同じ碧い瞳。目尻が下がっており、優しい顔立ちをしている。
この二人を見ると、レオニスのご両親なのだと実感できた。
「父上、母上、二人して何なのですか!?」
キレ気味になったレオニスは、これまでとは違い、なんだか慌てて可愛らしい。
さっきまでの緊迫した雰囲気はなくなっていた。かつキスもギリギリで回避できて、私の頬は自然と緩んでいる。
「いや、その、ラザフォード公爵令嬢は、足首を痛めていると聞いた。そこで朝食をこの部屋でどうかと思ってな。それにこの通り、父さんも母さんも寝間着にガウンだ。怪我人に着替えをさせるのも申し訳ない。無礼講で、寝間着で朝食なんてどうだろうか――そう思い、訪ねたわけだ」
これにはレオニスが目を丸くしているが、私だってビックリだった。
朝食を寝室で、しかも寝間着のままでいいだなんて!
なんてフリーダムなのだろう。
でも結局。
お言葉に甘え、そのままネグリジェに厚手のガウンを羽織り、私の寝室で朝食をとることになった。テーブルには焼き立てのパンや湯気を立てるスープ、アツアツの卵料理などが並んでいる。こうしてスタートした未来の義父と義母とレオニスとの朝食では、ずっと笑いっぱなしだった。
スターフォード伯爵はおっちょこちょいで、スターフォード伯爵夫人はおっとりのんびり。その二人に、レオニスが絶妙なタイミングでツッコミをいれる。三人は驚くぐらい仲が良く、その会話を聞いていると、気持ちがほっこりしてしまう。
しかも朝食が終わった頃には、足首の痛みはすっかりおさまっている。普通に歩くこともできていた。おかげでドレスへの着替えも、スムーズにできたのだ。
お気に入りのモーブ色のドレスを着ようと思ったが。ドレスを選ぶ時、自然とレオニスの碧い瞳を思い出している。ゆえにスカイブルーのドレスに着替えることにした。
髪は、右サイドの耳の上で、リボン型の髪飾りで留める。いつものツンとした美女ではなく、少しだけ、可愛らしい雰囲気になった。
足首の怪我は、ポーションによりすっかり落ち着いたとレオニスに伝えた結果。昼食はダイニングルームで、四人でとることになった。着替えを終えた私の部屋には、レオニスが迎えに来てくれた。
レオニスは私の足の怪我の様子を確認し、完治を確認すると、「よかったな、ジェニー」と心からの笑顔になった。
これにはハートを鷲掴みにされてしまう。当然だが、彼に対し、素直な気持ちになれた。
「あ、あのレオニス様」
「なんだろうか、ジェニー」
「その、ごめんなさい」
ペコリと頭を下げると「あやまるのは自分だよ」とレオニスが言い出すので、ビックリしてしまう。思わず顔をあげると、レオニスは再び片膝を床につき、跪いていた。そして私の手を取り、しみじみと話しだす。
「ジェニーが、殿下の婚約者だった過去。それはどうにもならない。その過去を詮索するような発言をした自分が間違っていた。しかも最初にヒドイ言葉をかけたのは、自分なのに。ジェニーにあやまらせてしまった。自分の方が年上で、しかも騎士団長という立場なのに。不甲斐ないな」
そこで言葉を切ると、レオニスは、一度深く呼吸をする。
「ジェニー。すまなかった。優しい君を傷つける発言をした。申し訳ない。ただ、自分にとって口づけは、やはり神聖なもの。誓いの言葉をきちんと交わした相手としたいと思っている。……もうポーションを飲む必要もないだろう。だから練習もなしだ」
キッパリ言い切ったレオニスに、私も慌てて気持ちを伝える。
「私もレオニス様と同じ考えです! だってファーストキスですから。練習などではなく、神聖な場で、思い出に残るようなキスが……いいです」
言っているうちに恥ずかしくなり、最後は声が小さくなってしまう。
だがレオニスは頬をほころばせ、秀麗な笑顔になると「それは自分も同感だ」と言い、さらにこんなドキッとする言葉を口にする。
「自分の口づけは、ジェニーに捧げる」
同時に「チュッ」という音を立て、私の手の甲にキスをしていた。
騎士の誓約は、絶対と聞く。
レオニスがファーストキスを捧げてくれると誓ってくれたことに、心臓がドキドキとしてしまう。
何より、今、手の甲で一瞬感じたレオニスの唇。
温かく柔らかく潤いがあり、思わずウットリとしてしまった。
この唇とキスをできるなら……。
もうお飾りでもいいかもしれない……なんて思うのは、現金過ぎるのかな。
「ではジェニー、ダイニングルームへ行こうか」
「あ、はいっ」
そう答え立ち上がると、ふわりとレオニスに抱き上げられている。
それは昨晩の舞踏会の時のような、肩から担ぐものではない。
きちんと正しいお姫様抱っこをしてくれた。
ポーションで怪我を治したが、本当は足を休めておくはずだった。だから足に負担をかけないため、抱きあげてくれたわけだけど……。
お飾り妻になる予定なのに。
こんな風に優しくされると、なんだか勘違いしてしまいそうだった。