第7話 僕は報復を決意した
「……ん」
目を覚ますと、部屋は暗かった。ぼんやりとした視界の中で天井を見つめ、それからゆっくりと上半身を起こす。窓の外へ目を向けると、真っ暗な夜空に月が浮かんでいた。どうやら深夜らしい。
「……もう、こんな時間か」
さっきまで、あれほど苦しかったのに……。
クロエに拒絶されたこと。ルーカスに殴られたこと。みんなに笑われたこと。大切にしていた指輪を捨てたこと。そして何より僕が信じていたものが、全部嘘だったということ。
思い出せば、また胸が締め付けられると思った。
けれど不思議だ。胸の痛みは引いていた。そして胸の奥にあるものは、悲しみじゃない。代わりに別の感情が湧き上がっていた。
静かな怒りだった。
燃え上がるような感情じゃない。頭の中を真っ赤に染めるような怒りでもない。もっと冷たい。凍った水のように静かで、それなのに決して消えない怒り。
自分でも驚くほど、僕は冷静だった。
ベッドの上で拳を握る。
「……許さない」
勇者ルーカス。
武闘家リリー。
魔法使いシャルロット。
盾役オリバ。
そして、クロエ。
僕が今まで仲間だと思っていた人たち。一緒に旅をして、魔物と戦って、笑って、苦しい時には助け合ってきた。少なくとも、僕はそう思っていた。なのに、あいつらは僕を捨てた。
「ただでは済まさない」
あいつらが僕にしたことは、ただの裏切りじゃない。
「……殺人だ」
僕をダンジョンの最深部に置き去りにした。
帰還の紐まで奪われていた。あのまま【改稿】に目覚めていなかったら、僕は間違いなく死んでいた。
邪龍の攻撃を受けて、何もできないまま殺されていた。僕が生きて帰ってこられたのは、僕自身が強かったからじゃない。ただ、運が良かっただけだ。
でも、もしあいつらを裁判にかけたとして、本当に罪を認めさせられるのか?
ルーカスは勇者だ。帝都でも有名な存在で、勇者パーティーには大きな影響力がある。そして、あいつらは全員が貴族だ。対して僕は元貴族ではあるものの、今はただの庶民。戦う力すら持たない記録係。
「僕の言葉を誰が信じる?」
裁判官が僕の味方をしてくれるとは限らない。むしろ逆だ。貴族であるルーカスたちと、庶民である僕。どちらの言葉が信用されるかなんて、考えるまでもない。
悔しい。本当に悔しい。でも、それがこの世界の現実だった。特に帝都では、貴族の権限は大きい。貴族から庶民へ落ちた僕が何を言ったところで、記録係の戯言として片付けられてしまう可能性が高い。
「自分でやるしかない。この手で……」
僕は呟いた。
「ブック」
目の前に1冊の本が現れた。僕のスキル【記録】によって生み出された本。手に取ると、ずしりとした重みが伝わってくる。
僕は表紙を開いた。ページをめくる。そこには、これまで僕が記録してきた魔物たちの情報がびっしりと書かれていた。
スライム。ゴブリン。オーク。
その他にも、僕がこれまで出会った数え切れないほどの魔物たち。僕が何年もかけて記録してきた情報が、そこには残されている。
そして邪龍についての記載もあった。
「……」
これが、僕の生きてきた証だった。
剣の才能もない。魔法の才能もない。勇者のような力もない。だけど、僕はずっと記録してきた。誰にも必要とされないと思いながら、それでも自分にできることを続けてきた。
「今の僕に残っているのは、これだけ」
ページをめくっていると手が止まった。
「……え?」
そこにあったのは、見覚えのないページだった。魔物のページではない。そこに記されていた名前を見て、僕は息を止めた。
【クロエ・フォン・ブランシュ】
「……クロエ?」
僕は何度も瞬きをした。間違いない。クロエの名前が、そこに書かれている。
年齢。出身。スキル。そして、僕の知っているこれまでの出来事。一緒に冒険した記録まで、細かく記録されている。
僕はページをめくった。次のページにはルーカス。その次にはリリー。シャルロット。オリバ。
ふと、ある考えが頭をよぎった。
「まさか……」
僕は唾を飲み込んだ。
魔物には【改稿】が使えた。邪龍の性質すら書き換えることができた。
だったら……。
「人物にも、リライトができるのか?」
心臓が大きく跳ねた。そんなことができるなんて、今まで考えたこともなかった。
けれど、可能性はある。僕はペンを取り出した。
「……試してみるか」
僕はクロエのページを開き、記録されている情報を見つめる。
そして、ゆっくりとペン先を紙へ当てた。
【パーティーで深淵の監獄に潜った際、ダンジョンの最深部でクロエは迷子になる】
一文字ずつ間違えないように。最後の文字を書き終える。
「……」
何も起こらない。本は沈黙したままだった。僕はしばらく待った。けれど、ページに変化はない。
「……やっぱり、無理なのか?」
思わず肩を落とす。魔物には使えても、人間には使えない。それなら仕方がない。そう思った瞬間、本が光った。
「――え?」
ページ全体が、まばゆい光に包まれる。文字が淡く輝き、ページが風もないのに勝手にめくれていく。僕は本を落としそうになった。光はどんどん強くなる。
「人物にも……、僕のリライトは通用する!」
僕の視界が白く染まった。
目を開ける。目の前に広がっていたのは、見覚えのある景色だった。
深淵の監獄。そのダンジョンの最深部にいた。
「……戻ってる?」
これは、僕が置き去りにされる前のシーンだ。僕は今、あいつらに捨てられる前の時間に戻っている。これはいわば、タイムマシンを手に入れたようなもの。やっぱり僕のスキルは、とんでもないチートスキルだったんだ。
ちょっと待て。
過去に戻ったということは、タッツンとの出会いもなかったことになったのか。
僕は本を見た。邪龍のページを開く。そこには、しっかりと記録されていた。
【ノア・エヴァンスの従順なペット】
良かった。胸の奥から、安堵が込み上げてきた。タッツンは僕のペットだ。あの出会いまで消えてしまったわけじゃない。
「タッツンにも会いたいな……」
あの大きな体。ふわふわの毛。僕が撫でると嬉しそうに鳴いてくれた邪龍。今すぐ会いたい。そんな気持ちが込み上げてくる。
「おい、クロエがいねぇぞ」
ルーカスが不機嫌そうに言う。パーティーメンバーたちも今になって気づいたように声を上げる。そしてみんなで周囲を見回す。
そのとき僕の手に持っていた本が、かすかに光りだした。まるで僕に何かを訴えかけているようだった。僕はみんなに背を向けてそのページを開いた。
クロエのページだ。クロエがどこで迷っているのか。その場所がマップで記されている。
「……ここにいるのか」
僕は本を閉じる。
ルーカスたちはクロエを探している。
僕は誰にも気づかれないよう、ゆっくりとその場から離れた。裏切り者のいる場所へ向かうために。
「待っていろ、クロエ」




