第2話 底辺スキルが覚醒
『スキル【記録】が覚醒しました』
その文字を見た瞬間、僕は息を止めた。
覚醒。
強力なスキルを持つ冒険者が、さらに上の力を手に入れる。そんな話を酒場や冒険者ギルドで耳にしたことがあった。でも、本当に選ばれた人だけがたどり着くという。
まさか自分の身に起きるなんて思っていなかった。
僕のスキルは【記録】。
魔物の姿や習性、弱点を本に記録するだけ。みんなから底辺スキルだと言われてきた。僕自身も、そう思っていた。
「僕の底辺スキルが……?」
本のページに、次々と文字が浮かんでいく。
【固有能力が解放されました】
【記録した情報の改稿が可能となります】
「改稿……?」
僕は本に記された文章を読む。と言っても、そのままの意味だ。要するに、魔物の特性を僕の好きなように捻じ曲げることができるという。
僕は本を開いたまま、必死にページをめくった。
どこだ、邪龍……。
邪龍について記録されたページは、すぐに見つかった。
そこには、邪龍の姿や体の大きさ、攻撃方法、習性などが記されている。僕が図書館の本で見た情報を記したのだ。これまでなら、僕はこの情報を仲間へ伝えるだけだった。
でも、今は違う。
この文章を書き換えられる。
「……本当に、書き換えられるのか? だとしたら、とんでもないチートスキルだぞ」
自分で言いながら、手が震えた。
そのときだった。邪龍の巨大な翼が大きく広がり、地面に強烈な風が吹きつける。
「うわっ!」
僕の体が浮いた。足が地面から離れ、そのまま後ろへ吹き飛ばされる。
「くっ……!」
背中から地面に落ちて、僕は必死に本を抱え込んだ。
急げ。邪龍は今にも、口から光線を吐こうとしている。もちろん、僕に向かってである。
僕はページにペンを走らせる。
【邪龍の攻撃は、ノア・エヴァンスにダメージを与えない】
文字が光った。
「これで……!」
次の瞬間。
ズドォォォンッ!
黒い光線が放たれた。
「――ッ!?」
目の前がすべて真っ黒になる。僕の体は黒い光に包まれていた。
その直後。
ドォォォンッ!
背後の壁と地面が丸ごと抉れていた。
僕はと言えば……。
痛くない。血も出ていない。体に傷もない。何ともない。
「……本物だ」
僕は本を見つめた。そこには、僕がさっき書き加えた文章が残っている。
「改稿……。本当にできるんだ」
僕は思わず息をのんだ。そして文字を書き足していく。
【ノア・エヴァンスの従順なペット】
「……これで、どうだ?」
文字が光った。次の瞬間。
「グルル……」
邪龍が低く鳴いた。巨大な体が動く。
僕は思わず身構えた。また襲ってくるのか。
そう思った。ところが……。
ドスン。
邪龍はその場に寝転がった。そして、巨大な腹を僕へ向ける。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。目の前の邪龍が尻尾をゆっくり振っている。さらに腹をこちらへ向けたまま、じっと僕を見ている。
「もしかして……」
この世界の龍には、ある習性がある。主人と認めた相手にだけ腹を見せる。それは信頼の証だ。
邪龍の腹だけは、黒いうろこに覆われていなかった。硬い皮膚だと思っていた。でも違う。
そこには、やわらかい毛が生えていた。
僕は邪龍へ近づいた。恐る恐る、その腹へ手を伸ばした。
「触ってもいいのか?」
邪龍は答えない。ただ、腹を見せたまま僕を見ている。
僕はそっと手を置いた。
ふわっ。
指先が毛の中へ沈んだ。硬いうろこに覆われた体からは想像できないほど柔らかい。指を動かすたびに、ふわふわした毛が指の間をすり抜けていく。
「なんだこれ……」
思わず声が漏れた。気持ちいい。あまりにも気持ちいい。僕は指先で毛の流れを確かめるように、ゆっくりと撫でた。
「モフモフだぁ」
今度は手のひら全体で撫でる。なんだか、撫でているだけなのに安心する。
ふわふわ。もふもふ。
指先だけでは分からなかった柔らかさと体温が、手のひらいっぱいに伝わってくる。
【新発見:邪龍の腹部には、柔らかな毛が生えている】
撫でているのは、冒険者なら見ただけで逃げ出すような邪龍だ。なのに、その腹にはこんなにモフモフの毛が生えている。
「グルルル……」
邪龍が気持ちよさそうな声を出した。
「気持ちいいか?」
「グルル……」
「そうか」
僕は笑ってしまった。思わず頬までなすりつけてしまう。そして昔のことを思い出した。
転生する前。僕は実家で犬を飼っていたことがある。超大型犬のグレート・ピレニーズ。成犬になったときの体重は60キロくらい。とにかく大きかった。初めて見た人にはよく驚かれた。
でも性格はおおらかだった。人を噛んだことなんて一度もない。僕が子供のころからずっと一緒だった。学校から帰ると、尻尾を振って迎えてくれた。嫌なことがあった日も、隣に座っているだけで安心できた。
「……懐かしいな」
前の人生では18歳で死んだ。そして転生した僕、ノアも18歳。
「僕は18歳で死ぬ運命なのかな」
そんなことを考えてしまう。でも、今回は生きている。運が良かった。
「これから仲良くしよう」
ふと思った。
「そうだ。名前がないと、呼ぶとき不便だな」
僕は邪龍を見つめた。
「君はタッツン。どう?」
「グルァ!」
邪龍は大きな声で鳴いた。その声が、広い最深部に響き渡った。僕には、それが喜んでいるように聞こえた。
●勇者・ルーカス視点(帝都の高級宿屋)
窓から帝都の夜景が見えていた。部屋には大きなベッドが置かれている。その上には、俺と女が裸で2人。
俺こと、勇者ルーカスは隣にいる女を見つめる。
クロエ。
俺のパーティーのヒーラーであり、ノアの婚約者だった女。今は、俺の腕の中にいる。
「今頃、魔物に食われて死んでんな」
深淵の監獄。あそこは、一度入り込めば簡単には戻れない。しかもノアは戦えない。地図も持っていない。『帰還の紐』は、あいつのバッグから奪った。帰ってこれる可能性はゼロ。
俺はクロエの頬に手を伸ばした。
「クロエ、君は本当に美しい。愛してる」
「ルーカス、私も愛してるわ」
クロエは笑顔を見せた。
「お前ほどの女が、ノアと婚約してたのがおかしいんだよ」
「だってしょうがないでしょ。政略結婚だったもの」
クロエは小さく笑う。
「でも、ノアはもう貴族じゃなくて平民。おかげで、本当に好きな人と一緒になれる」
「お前はもう俺のものだ、クロエ」
「ええ。私はもう、あなたの女よ」
俺はクロエの左手を触った。薬指には、ノアとの婚約指輪があった。
「こんな安っぽい指輪なんかで、私が喜ぶと本気で思ったのかしら」
俺はその指輪を外した。そのまま向こうへ放り投げる。
カラン。
小さな金属音が部屋に響いた。
俺たちは互いを見つめる。そして、唇と体を重ねあわせた。




