第15話 裏切りを知っている僕は、勇者パーティーを抜ける
ズブッ。
鈍い音がした。何が起きたのかを理解するより先に、胸の奥へ異物が突き刺さった感触があった。
「…………」
息が止まった。肺へ空気を送り込もうとする。けれど、吸えない。喉は動いているのに、胸の奥へ空気が入ってこない。
視線を落とす。
白い服。そこへ、赤い染みが広がっていた。じわじわと広がっていく。白い布が赤に染まっていく様子がはっきりと見えた。
胸から何かが突き出ている。
腕。
人間の腕じゃない。黒ずんだ皮膚。異様に長い指。その先に生えた鋭い爪。腕は胸を貫通し、その先端が身体の前へ突き出している。
そして、その腕から魔力が流れ込んでくる。オロバスではない。他の魔族だ。
「…………っ」
冷たい。身体の内側へ氷を押し込まれたような冷たさだった。けれど、それだけじゃない。冷気が血管を這っている。
魔力が身体の中を侵食している。
背後には誰もいない。それなのに、確かに腕だけがそこにある。背後から伸びてきた腕が、僕の胸を突き抜けている。心臓を破壊されている。
あと数秒で死ぬ。長くても十秒。それ以上は持たない。
「…………」
身体の末端から感覚が消えている。視界の端が黒く滲んでいた。世界が狭くなる。耳鳴りがする。キィィィィン……。周囲の音が遠ざかっていく。
全部が薄くなっていく。死ぬということは、こういうことなのか。世界との繋がりが一つずつ切れていく。
怖さはない。むしろ冷静だった。
僕には【改稿】がある。問題は、死ぬ前に使えるかどうか。
僕は魔力を集中させる。
身体の中を巡っていた魔力を、一点へ集める。いつも使っている本を呼び出す。
空中に本が現れる。ページが開く。死ぬ前に、リライトを……。
「ノア、何ボーっとしてんだ?」
「…………」
声が聞こえた。視界に飛び込んできたのは、見慣れた顔だった。僕に声をかけたのは、勇者ルーカス。
その向かいには、リリー、シャーロット、オリバ。そして、クロエの姿もある。
テーブルには白い皿が並んでいた。皿の上には出来立ての料理が盛りつけられ、立ち上る湯気が視界の前でゆらゆらと揺れている。焼いた肉の香ばしい匂い。温かなスープの匂い。銀色のナイフとフォークが、食器同士の触れ合う小さな音を立てている。
ここはダンジョンに潜る前。勇者パーティーで食事をしていたときのシーンだ。
「成功した」
僕はゆっくり息を吐いた。間に合った。死ぬ直前、僕はルーカスのページをリライトした。僕が【改稿】を使ったのは、ほんの些細な出来事だった。
ダンジョンへ潜る前。勇者パーティーで食事をしていたとき。豚肉の料理と牛肉の料理、どちらを選ぶかルーカスは悩み、牛肉を選んでいたのを覚えていた。
だから、その記録を書き換えた。ルーカスが牛肉ではなく、豚肉を選ぶように。
それだけ。たったそれだけの改変だった。
「おい、ウエイター。この豚肉のやつ頼む」
「かしこまりました」
ルーカスが何気なく注文する。僕はその光景を黙って見つめていた。
胸元へ手を当てる。傷はない。もちろん左腕は何事もなかったかのように、肩から伸びている。指を一本ずつ動かす。手を握る。どこにも異常はない。
ちなみにこのときの僕は知らなかった。
自分がこのあと、深淵の監獄に置き去りにされることを。
こいつら全員が、それを最初から示し合わせていることを。
僕を残してダンジョンから脱出後、クロエが勇者ルーカスと結婚することを。
何も知らない。
目の前にいるこいつらは、全員僕を裏切る。そして僕は一度、すべてを失う。その先で【改稿】という力に目覚める。
この時点の僕には、何も分からなかった。
「…………」
今となっては正直、こいつらのことなんてどうでもいい。こんな雑魚ども、いつどうとでもできる。僕が本気になれば、こいつらの人生なんて簡単に壊せる。一行書き換えるだけで、死に至らしめることだってできる。
だからか、怒りさえ薄らいでいた。
僕にとって重要なのは、別のことだった。
あの腕。僕の心臓を貫いた魔族。
あれはオロバスではない。間違いない。オロバスの魔力なら、僕は知っている。一度、真正面からぶつかり合った。何度も魔力を感じた。あの腕から感じたものは、オロバスのものとは明らかに違っていた。
僕が油断した瞬間を、正確に狙ってきた。
あのとき、僕は完全に警戒を解いていた。
あの場所にいるハイデーモンは、オロバスだけだと思い込んでいた。周囲に敵はいない。そう判断したから身体強化を解除した。
そこを狙われた。
「僕のミスだ」
もし、あのとき身体強化を維持していたら。
もし、シールドを張ったままだったら。
もし、もう一人いる可能性を考えていたら。
結果は違ったはず。
ただ、魔法に関するすべてインストールした僕でも、あの攻撃が何だったのかは分からない。
だとすると。あれは魔法ではないのかもしれない。魔法以外の方法で、遠隔から攻撃してきた可能性もある。
「厄介だな」
姿を見せない。気配さえ感じさせない。僕は対策を考える。
まず、常時身体強化。身体そのものの硬度を上げる。その上で、身体の表面に常にシールドを張る。攻撃を受けた瞬間に反応するのでは遅い。だったら最初から守っておけばいい。
魔力の消費は増える。身体への負担もある。それでも構わない。死ぬよりはいい。
「…………」
僕は何気ない動作で、無詠唱のまま魔力を巡らせた。魔力が血液のように身体の中を巡っていく。筋肉が引き締まる。骨が硬くなる。
皮膚の表面には、薄い魔力の膜が広がっていく。外から見れば、何も変わっていない。けれど。僕の身体は強化されている。もう二度と油断して殺されるつもりはなかった。
僕は、本を開いた。
まずはオロバスの確認。ページをめくる。そこに記されていたのは、予想していた通りの一文だった。
【オロバス:死亡】
当然だ。僕が殺した。首を斬り落とし、その頭部まで細切れにした。あれで生きている方がおかしい。
けれど。僕はさらにページをめくる。あの腕についての記述はない。その魔族についての情報が何かあればと思ったけれど。
【記録】は、僕が認識した情報や、この世界に存在する情報を拾い上げることができる。けれど、僕が認識できない存在については記録できない。
「ハイデーモンか……」
厄介な存在だ。オロバスも時間遡行を嫌がっていた。あいつは僕の【改稿】による時間遡行を『御神の御業』と言っていた。
御神。その言葉が引っかかる。ただの比喩なのか。それとも本当に神がいるのか。異世界に転生している時点で神がいてもおかしくはない。
少なくとも、オロバスは僕の時間遡行を知っていた。そして、僕を「異物」と呼んで殺そうとした。なら、僕を殺した魔族も同じ目的で動いている可能性が高い。
また僕を殺しに来る。そう考えておいた方がいい。
次は、あんなふうに不意打ちを受けるつもりはない。僕は本を閉じた。まずは魔族。ハイデーモンについて詳しく知る必要がある。
そういえば、実家の書庫に魔族に関する本があったはずだ。昔、父の書庫で見かけた。分厚くて、古びた本だった。当時の僕には内容が難しくて、ほとんど読まなかったけれど。
何か手掛かりがあるかもしれない。
僕は席を立った。
「?」
突然立ち上がった僕を見て、隣に座っていたクロエが驚いた顔をする。ルーカスたちも、何事かとこちらを見る。
僕は答えず、全員を見渡した。
ルーカス。リリー。シャルロット。オリバ。そして、クロエ。かつては仲間だと思っていた人間たち。かつては、こいつらと一緒にいることが当たり前だと思っていた。
けれど今は違う。
「僕は勇者パーティーを抜ける」
「は?」
ルーカスが間の抜けた声を出した。
「急に何言ってんだ?」
僕は気にせず続けた。
「僕を深淵の監獄に置き去りにするなんて、面倒なことをする必要はない」
「…………!」
空気が止まった。ルーカスの顔から、表情が消える。リリーが目を見開く。シャルロットの手が止まる。オリバは何か言おうと口を開きそのまま閉じた。
そして、クロエ。彼女だけはあまり表情を変えなかった。
「クロエ、ルーカスとお幸せに」
「…………」
クロエの瞳が大きく見開かれた。その顔を見ても、何も感じなかった。
こいつら全員に、特に何の感情も抱かない。何というか。今となっては、こいつらが僕にとってアリに等しい存在なのだ。いつでも踏みつぶせる。あまりにも小さい。あまりにも弱い。わざわざ足を止めて、憎しみをぶつけるほどの価値すら感じない。
僕は自分の料金分だけをテーブルに置いて、レストランを出た。
「待って……」
クロエの声が聞こえた。
「待ってください! ノア様!」
「……!?」




