第13話 どうして、こんなに胸が騒ぐの?
●クロエ視点
私はノアに置いていかれたあと、少し遅れてノアを追いかけた。さっきまであれほど冷たく突き放されていたけど、こんなダンジョンに一人でいるのは嫌だった。それと、もう一度だけノアの姿を見たかった。そんな気持ちに背中を押されるように、私は足を動かしていた。
そして、しばらく進んだ先でノアを見つけた。
誰かと話している。
最初は人間だと思った。でも、すぐに違うと気づいた。頭に生えた角。そして、遠くからでも分かるほど濃密な魔力。
魔族。
私はとっさに陰へ隠れた。おとぎ話や歴史書の中でしか知らなかった存在が、本当に実在していた。魔族は、人間を襲う怪物だと教えられてきた。昔の戦争では多くの人間を殺し、国を滅ぼし、世界を恐怖に陥れた存在。そんなのが今、私の目の前にいる。
でも私の目は、魔族ではなくノアに向いていた。
ノアは全然怖がっていない。しかも戦いが始まってからは、ノアが色んな魔法を使っている。
炎。氷。風。次々と魔法を操りながら、ノアは魔族を押している。
私が知っているノアとは、まるで別人だった。
ノアは、戦うことなんてできなかった。私が隣にいても、自分から何かをすることなんてほとんどなかった。
なのに今のノアは違う。
魔族を前にしても怯えない。迷わない。自分より遥かに強そうな相手へ、まるで当たり前のように向かっていく。
私には何がどうなっているのか分からなかった。
私を助けに来てくれた(結果的に助けてくれなかったけど)ときだってそうだった。ゴブリンたちを一瞬で消し去った。
あのときからおかしかった。でも、今こうして戦っている姿を見ていると、そんな言葉では足りない。
一体、ノアに何があったの?
「…………」
どくん。心臓が大きく鳴った。私は胸元へ手を当てる。こんな気持ちになったのは初めてだった。
ノアが、とても男らしく見える。
強い。敵を前にしても、自分の意思を曲げない。その姿を見ていると、胸の奥がじわじわと熱くなっていく。
何よりカッコいい。
今までだって、ノアの顔が嫌いだったわけじゃない。むしろ昔から整った顔立ちをしていたと思う。
なのに今は、まるで違って見える。
鋭い目。引き締まった表情。魔法を放つときの仕草。敵を見据える姿。全部が気になった。
視線を逸らそうとしても、逸らせない。
どうして?
私は自分でも分からなかった。さっき私がノアにすがりついたときも、そうだった。冷たい目。私を突き放すような態度。あのとき、身体がびくっと震えた。
怖かった。本当に怖かった。もう私のことなんてどうでもいいと言われたような気がして、胸が苦しくなった。
なのに同時に、身体の奥が熱くなった。
あの目を思い出すだけで、今も胸が騒ぐ。
私は唇を噛んだ。こんなの、知らない。こんな感覚、今まで知らなかった。ルーカスと一緒にいたときには、一度もこんなことになったことはない。
ルーカスは強かった。頼りになった。みんなから英雄として認められていた。
それなのに、今の私の目にはノアしか映っていない。でも私がどれだけすがっても、簡単には振り向いてくれない。そんな男の方が……。
私は、そこまで考えて思考を止めた。今は、そんなことを考えている場合じゃない。目の前には魔族がいる。ノアが戦っている。
ただ、胸の鼓動だけがうるさかった。
どくん。
どくん。
どくん。
ノアと魔族が場所を移動し始めた。
私は慌てて後を追った。ノアを見失いたくなかった。足が勝手に動いていた。
そして私が辿り着いた場所にいたのは。
「…………え?」
倒れている邪龍。切り離された首。私は息を呑んだ。何が起きたのか理解できない。あれほど巨大な邪龍が、死んでいる。
その近くでは、ノアと魔族が向かい合っていた。
次の瞬間、ノアが動いた。速すぎて、何が起きたのか分からなかった。気づいたときには、魔族が吹き飛んでいた。壁へ叩きつけられる。
ノアは邪龍の牙から剣を作った。そんな魔法、聞いたことがない。とにかく、ノアは大きくて鋭い剣を手に持った。
そこから始まった戦いは、圧巻だった。
何度も剣が交差する。
私はノアが負けるとは思わなかった。
頑張って、ノア。今のあなたなら、そんなやつに負けるはずがない。私は物陰から、ぎゅっと手を握った。お願い、勝って。そう心の中で祈っていた。
そのときだった。
「そっちの女のな!」
「えっ!?」
魔族が私を見た。目が合った。背筋が凍った。
何かが迫ってくる。速い。避けられない。
身体が動かない。怖い。殺される。
そう思った瞬間……。
「!?」
ノアが、私の目の前に立っていた。いつの間に。いえ、どうして。
そんな疑問が浮かんだ直後だった。何かが、ノアに当たった。赤いものが視界いっぱいに飛び散った。血だった。
「ノアッ!」
私は叫んだ。
ノアの身体が、ほんのわずかに揺れる。でも、倒れない。
肩口から血が噴き出していた。ノアの左腕が地面にぼとっと落ちた。ノアの左腕が、肩から先まで消えていた。
「ノア!? 腕が……腕が……!」
頭の中が真っ白になった。声が震える。身体から力が抜けそうになった。
私のせいだ。私が狙われたから。私を庇ったからノアの腕が。
「うるさい」
「……っ」
ノアは平然としていた。
「痛覚を遮断したから痛みはない」
「痛覚を……、遮断……?」
私は何度も瞬きをした。そんなことができるの?
いや。今はそんなことどうでもいい。血を止めなきゃ。
「私がヒールで止血するから!」
私はノアへ手を伸ばした。失った腕を元に戻すことはできない。でも、せめて傷口だけでも。
「いいよ。自分でやるから」
ノアは残った右手を傷口へ向けた。
「ヒール」
淡い光が傷口を包み込む。流れていた血が止まっていく。
「…………」
私は言葉を失った。どうして。どうしてノアがヒールを使えるの?
剣も。魔法も。ヒールまで。私の知っているノアが、どんどん遠くなっていく。
「はは……」
唐突にノアが笑った。私はその顔を見つめた。片腕を失っているのに、笑っている。
胸の奥が、また跳ねた。
どくん。
身体が小さく震えた。私は自分の身体を抱くように腕を組んだ。どうして、こんなふうになるの?
ノアは止血を終えると、右手で剣を握り直した。そして魔族を見る。
「これで、ちょうどいいハンデになるかな?」
「……あ?」
魔族の顔から、笑みが消えた。
私は息を呑んだ。
ハンデ。今、ノアは自分の左腕を失ったことを、ハンデと言った。まるで、それだけのことだと言うように。
怖い。今のノアが、怖い。
私の知っている弱々しいノアじゃない。怯えながら本を抱えていたノアじゃない。私の言葉に困ったような顔をしていたノアじゃない。
目の前にいるのは、片腕を失っても戦う男だった。自分の身体の一部を失っても、それを「ハンデ」と笑える男。
私には理解できない。だから怖い。なのにどうしても目を逸らせない。むしろ、もっと見たいと思ってしまう。
それから先は、何が起きたのか分からなかった。
速すぎた。いつの間にかノアは目の前から消えた。剣がぶつかって何度も鋭い音が響く。
そして何度目かで、魔族の首が宙を舞っていた。
「…………」
私は声も出せなかった。
魔族は笑っている。首を斬られたというのに。まだ、生きている。何かを喋っている。私の耳までは届かない。けれど、その言葉が最後まで続くことはなかった。
ノアが剣を振った。
一度。それだけに見えた。でも、魔族の頭部に無数の斬撃が走っていた。細かい斬撃が重なり、頭部が切り刻まれていく。私は、ただそれを見ていた。
どくん。
心臓が鳴る。私は胸元を押さえた。
どうして、こんなに苦しいの。
どうして、こんなに体が熱いの。
どうして私は……。




