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第11話 ハイデーモン・オロバス

「……魔族」


僕がそうつぶやくと、


「せーかいっ!」


目の前の角が生えた男は、クイズに正解した子供を褒めるような調子で笑った。


「凄い、凄い! いやぁ、最近の人間は見る目あるぅ!」


そう言って、僕を指さしてくる。


馴れ馴れしい。


さっきまで感じていた不気味さが、馬鹿らしく思えてくるほどだった。けれど、だからといって警戒を解く理由にはならない。僕は本を片手に持ったまま、目の前の男を観察する。


魔族はかつて何度も人類を脅かし、地獄へ突き落としてきた種族。邪悪で、禍々しい存在とされる。少なくとも、僕が歴史の書物で読んだ魔族はそういうものだった。


でも目の前の魔族は、拍子抜けするほど軽い。


「そう、俺様は、ハイデーモンのオロバスだ。シャキーン!」


オロバスと名乗ったその魔族は胸を張り、両手の人差し指をピンと立て、身体を少し斜めに傾けながらポーズをとった。これでもかというほど得意げな顔をする。


「……」


僕は黙ってオロバスを見る。何かツッコんだ方がいいのだろうか。僕は少しだけ考えた。でも、やめた。


「ちょっと、ちょっと。そこは『魔族というより旅芸人みたいだな』とか言ってくれないと」


オロバスが不満そうに口を尖らせる。


「旅芸人に失礼だと思うけど……」

「キビシー!」


オロバスは自分のおでこをぺちぺちと叩いた。



なんなんだ、こいつ……。僕は思わず心の中で呟いた。


敵なのか。

それとも、ただの変なやつなのか。


それすら判断できない。僕の反応が面白かったのか、オロバスは僕を見ながらニヤニヤと笑っていた。


「ノア・エヴァンス君さぁ……」

「……」


僕の思考が止まった。


今、なんて言った?

ノア・エヴァンス。僕のフルネームだ。どうして知っているのだろう。僕はこの男と会ったことがない。魔族と会うこと自体が初めてだ。


誰か、僕の名前をこのハイデーモンに教えたのか?

なぜ? 何のために?

そもそも、魔族と関係を持っている人間がいるのか。


しかもこいつは、タイミングを見計らったように僕の目の前に現れた。あまりにも不可解なことが多すぎる。偶然で片づけることはできない。


オロバスは終始、僕を見てニヤニヤと笑っている。


僕はこいつを知らないのに、こいつは僕を知っている。その一方通行な感じが、ひどく気味が悪い。僕が警戒を強めたことを察したのか、オロバスの笑みが深くなる。


そして、一歩こちらへ近づいた。


コツ。


足音が響く。オロバスが口を開く。


「君さぁ……、時間遡行してるっしょ」

「……」


時間遡行。

僕がクロエに【改稿(リライト)】を使い、この過去へ来たことをこいつは知っている。僕の指が、本の表紙を強く握り込んだ。


【改稿(リライト)】のことまで知っているのか?

それとも、別の方法で僕が時間を遡ったことを見抜いたのか。


分からない。けれど、一つだけ確かなことがある。


こいつは危険だ。


僕の知らないところで、僕について知っている。さて、どう返すべきだろう。ひとまず、とぼけてみるか。


僕は首を傾げた。


「時間遡行?」


オロバスは僕の顔をじっと見つめている。




やがてその口元が、ゆっくりと吊り上がった。


「とぼけてんじゃねぇよ、バーカ!」

「……」

「バカバカ! このバカ!」


そう言ってオロバスは笑う。確かに笑っている。なのに目が笑っていない。


そしてまた一歩、僕へと近づく。


「よくない」


コツ。また一歩。


「よくない、よくない、よくない、よくないなぁ……」


靴底が床を擦る。コツ、コツ……。その足音が、やけに耳についた。


僕は無意識に後ろへ下がりそうになるのを止めた。逃げる必要はない。今の僕には魔法がある。さっきまで大量の魔物を一方的に蹂躙してきた。負ける気はしない。


ただ、だからこそわかる。目の前の男から放たれている魔力と殺気が、これまで戦ってきた魔物とは明らかに違う。その両方が、異常なほど濃い。


「時間を巻き戻すなんて、御神の御業だ」


オロバスの声が、通路の奥まで低く響いた。


「神、ねえ……」


言われてみれば、そうなのかもしれない。自分でも自分のスキルが信じられない。この異世界においても、時間を遡るなんてあり得ない。僕自身でさえ、今起きていることを完全には理解できていない。


「シャキーン!」


突然、オロバスがまた明るい声を上げた。さっきまでの重苦しい空気を、自分からぶち壊すような声だった。そして胸を張る。


「このハイデーモン・オロバス様が、時間を遡った異物くんを殺しちゃう」


その瞬間。ダンジョンの空気が、一変した。


ゾワッ……。


肌に触れていた空気が、別物になったように感じる。重い。濃い。オロバスの身体から、とてつもない魔力が滲み出ている。


その魔力が空気を震わせ、僕の肌を撫でた。


「……っ」


僕は小さく息を呑んだ。腕を見ると、鳥肌が立っていた。けれど、何だろうこの感覚。不快じゃない。むしろ心地いい。指先が震える。武者震いってやつだろうか。僕は手を握ったり、開いたりする。


「はは……」


僕は一歩、オロバスへ近づいた。でも、もっとだ。もっとはっきり、こいつの魔力を感じたい。そう思って、また一歩だけ歩み寄る。オロバスの魔力がさらに強く身体へ触れた。


「……あはははっ」


口から笑いが漏れた。


ドクンッ。ドクンッ。胸の奥が跳ねた。もう、魔力を感じているだけでは足りない。こいつがどれだけ強いのか知りたい。さっきまで鬱陶しいだけだった男が、今は興味深く思える。こいつは、どれだけ僕を楽しませてくれるのだろう。


「きゃははははは。いいじゃん、いいじゃん!」


そう言って、オロバスが構える。


さて、どの魔法を使おう。試したい魔法はたくさんある。

それとも、相手の出方をうかがおうか。


身体の奥が熱い。ほぼ無意識に、僕は指先に魔力を集めていた。パチッ、と小さな火花が弾けた。


早く、このハイデーモンと戦いたい。


「ごめんね、タッツン。まずはこいつを始末するよ」


僕たちは、お互いに笑いあう。


「せっかくこんなところまで来たんだ。ちょっとくらい楽しませてくれよ!」

「それは、こっちの台詞だよ!」

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