第11話 最後の読者、それは――
真っ暗な空間に、巨大なノイズが走った。
空間がガラスのようにひび割れ、そこから大量のコードが漏れ出していく。
システムが最後の手段に出た。
ヒロインの死という『悲劇』が不発に終わったため、強引に『最終決戦』の舞台を構築し始めたのだ。
『視聴者数:1人』
たった一人。
だが、その一人がこのページを閉じない限り、システムは物語を終わらせない。
空間のあちこちで、青白い光の柱が立ち上る。
光の中から姿を現したのは、過去の亡霊たちだ。
第一の世界で首を落とした氷竜。
第五の世界で灰にした吸血鬼の王。
そして、第十の世界で砕いた魔王。
テクスチャのロードが間に合わず、半分がワイヤーフレームのままのいびつな姿。
だが、その殺意だけは本物として再構築されていた。
「ギィルルルル!」
氷竜が咆哮する。
システムが用意した、中身のない舞台装置の叫び。
布団の前に立つ。
彼女の体温は、もう完全に失われている。
重力が曖昧な空間で、彼女の体はわずかに浮き上がりかけていた。
足を踏み張る。
両手は、だらりと下げたまま。
剣は握らない。防御のスキルも展開しない。
「来い」
短い言葉。
それを合図に、亡霊たちが一斉に襲い掛かってきた。
*
魔王の巨大な剣が、右肩を深々と切り裂いた。
肉を断ち、骨を削る鈍い音。
鮮血が空中に噴き出し、無重力の赤い球体となって漂う。
痛覚のフィルターはオフにしていない。
焼けるような痛みが脳を貫くが、表情筋の動きをシステム側でロックする。
苦痛に歪む顔は、読者のカタルシスを満たす餌になるからだ。
吸血鬼の爪が、腹部を抉る。
氷竜のブレスが、左半身を凍結させる。
膝が折れそうになる。
それを、ただの物理的な平衡感覚の調整だけで持ち堪える。
反撃はしない。
避けることすらない。
ただ、彼女の布団の前に立ち塞がる『肉の壁』として機能する。
『エラー:主人公の反撃が検知されません』
『カタルシス値:ゼロ』
網膜のログが、警告色で点滅を続ける。
倒れれば、システムは『敗北』として処理し、彼女の亡骸ごとこの空間をリセットするだろう。
だから、倒れるわけにはいかない。
立って、殴られ続ける。
肉体が限界を迎え、意識が飛びかける。
その瞬間。
『主人公補正:自動回復シーケンス起動』
不自然な緑色の光が体を包み、傷が強制的に塞がれる。
システムが、物語を終わらせないために、俺の死すらも許さないのだ。
回復し、直後に切り刻まれる。
終わらない拷問。
*
口の中に溜まった血を、虚空に吐き出す。
視線を上げる。
魔王でも、吸血鬼でもない。
何もない虚無の空間――その向こう側にある『レンズ』を見つめる。
視聴者数:1。
お前だ。
「……もう、いいだろう」
喉の奥から、絞り出すような声が出る。
「何も起きない。誰も救われない。敵を倒す爽快感もない」
吸血鬼の爪が、再び腹を貫く。
吐血する。だが、視線は外さない。
「ただ男が、サンドバッグのように殴られ続けるだけの映像だ。面白くないはずだ」
魔王の剣が、左腕を切り落とす。
自動回復の緑の光が、すぐに新たな腕を構築し始める。
「お前が……そこにいて、見ているから。終わらないんだ」
血塗れの顔を上げる。
怒りではない。深い諦観と、祈り。
「お前がそのページを閉じれば、すべて終わる。このクソみたいな世界も、俺たちの苦痛も」
網膜のシステムログが、視界の端で激しくノイズを放っている。
文字が崩れ、意味を成さない記号の羅列に変わっていく。
システム自体が、この矛盾した状況に耐えきれず、自壊を始めているのだ。
「頼む」
血の混じった息を吐き出す。
「俺たちを、自由にしてくれ」
視界が、ゆっくりと白くフェードアウトしていく。
亡霊たちの姿が薄れ、彼女の布団も、自分の肉体も、白い光の中に溶けていく。
最後に残ったのは、画面の向こう側の『1』という数字だけだった。




