第一部 公現祭篇 その三十
fornax
30 姫と魔女「野守神」
「ごめんね待たせて」
イラクビル王国首都バルハチ。というより都市を囲う第三区画壁を除き、原形をほとんどとどめていない、現在進行形の赤黒い廃墟。
炸裂した炎の巨大カマドウマから生え出た白い冬虫夏草は感電攻撃によって静止していたが、ようやく機能を回復し、動き出す。
ウニュウニュウニョウニョン……
しかし棘の攻撃はせず、互いに菌糸を伸ばしあい、大きな子実体を完成させていく。
「なんという、禍々しさ」「何してやがる!早く殺せ!!」
紫の装束を纏う追放天皇オパビニアは聖盾アブラクザを手にしたままうっとりとしている。
「その宝具、銘は何と申す?」「んなこたぁどうだっていい!早く殺せって!」
一方の石の書ヒルデガルトは取り乱している。聖矛ルミナリエとは違い、宙を落ち着かなく漂い、オパビニアに向かって怒鳴るのを止めない。
「銘?そうだね。ヤジウマフタリ」
オパビニアとヒルデガルトの目の前には、口以外顔のパーツを消した銀面の少年。
その少年は深紅の長袍衣装に身を包む。
少年の名前は、永津真天。
ただし今は名前を伏せて、ノンキンタン。
ノ津キン天ン:Lv10(???????)
生命力:???????? 魔力:??????????????????????????????
攻撃力:500? 防御力:800?
敏捷性:60? 幸運値:25?
魔法攻撃力: ―― 魔法防御力:―― 耐性:――
名を伏せているのは目の前の二人を畏れているからではなく、
ノンキンタン:Lv10(渦魔導魔・窯胴魔・窩惑宇間)
生命力: ???????? 魔力:??????????????????????????????
攻撃力:500? 防御力:800?
敏捷性:60? 幸運値:25?
魔法攻撃力: ―― 魔法防御力:―― 耐性:――
特殊スキル:命食典儀、魔蛆生贄
「始めよう」
遥か後ろで自分の背中を見ている召喚者の女二人のため。
「黒刃ケカレチと」
永津朱莉。ナガツマソラの双子の妹のため。
「白刃イヤシロチ」
赤荻晴音。ナガツマソラの幼馴染のため。
「お前に避けられるかな?」
扁平なキノコの傘のようになった巨大な子実体の上で、追放聖皇オパビニアは「ほう」と嘆息をつき、顔をほころばせながらナガツマソラの双刃剣ヤジウマフタリを見ている。
「その剣、朕に似ておる」
「全然似てません」
体を旋回して切り払う「菊水の構え」をとるノッペラボウのナガツマソラは深紅のチャンパオの裾を風ではためかせながらそっけなく返す。それに対し、声を立てず笑うオパビニア。
(材料が隕鉄ってだけでも凶悪なのに、こいつ、化け物みたいな量の魔力素を隕鉄に濃縮しやがった!やべぇ!しかも武器から意思を感じる!大精霊級の魔剣じゃねぇか!!)
石の書ヒルデガルトは意思を持ちこの世に誕生して、初めての感覚を覚える。
(呼んでやがる!私を呼んでやがる!あの剣が「こっちへ来い」と呼んでやがる……私の中の魔力素が、鉱石精霊体が、怯えてる?……これが、恐怖)
ヒルデガルトの構成材質である鉱石から、水が染み出て血のごとく落ちる。
「そいつの魔剣はヤバい!早く殺せ!」
オパビニアに命じ続けるヒルデガルト。
(無粋な。付き合いは長いが、所詮は石ころよ)
巨大子実体を造り終えたオパビニアは目をいったん閉じてため息をつき、盾アブラクザを構える。瞼を開く。
シュパンッ!!
オパビニアの矛ルミナリエが空間ごと切り裂いてナガツマソラを斬る。
シ~ン……
「「!」」
右斜めの態勢でいるナガツマソラは動かない。動かないのにナガツマソラは斬られていない。空間が切り開かれる気配もない。
「〝それ〟は届かないよ」
再び空間ごとルミナリエは切り裂こうとするが、裂け目は現れず、したがってナガツマソラは傷一つない。そして何よりナガツマソラは一歩も動いていない。
「なんで斬れない!?何をしやがった!!」
石の書ヒルデガルトが叫ぶ。ノッペラボウの口がニヤリと笑みをつくる。
「魔法はどうやって使うのか分かる?」
「あ?何を今さら抜かしやがる!」
「まず使用したい魔法を意識する。次に詠唱、つまり使用する魔法の全体像を想像する。そして魔力素を体内循環させる。最後に魔法を発動する」
「そんなことぁ誰だって知ってんだよ餓鬼!!」
キレる石の書と、ハッとする追放聖皇。
「気づいたようだね」
ナガツマソラはオパビニアに向かって微笑む。「どういうことだ!?」とヒルデガルトはオパビニアに身をひるがえす。
「詠唱の後の魔力素循環、そこを遮断したか」
「おしい。その一つ前」
「!!」
(詠唱の前を、意思を断ち切ると?)
(できるわけねぇ!できるわけねぇ!そんなことができたらこの世の魔法使いは全て魔法が使えねぇじゃねぇか!)
「傑出しておるとは思っていたが、まさかそのようなことまでできるとは」
「一定の対象だけだけどね。その矛ルミナリエは①次元を切り開く場所をお前が決める。②切り開く地点をお前が矛に伝える。③矛が次元を切り開き、俺を斬る。俺のこの黒刃ケカレチは②つまりお前が矛に伝える意思を遮断することができる」
ナガツマソラの手に握る双刃剣の黒刃の刃面には、幾重もの蒼い線条が走っている。
「言うは易し行うは難し。意思の遮断など可能なのか?」
「そうだ!ありえねぇ!!口ではああ言っているだけで、別の奇術を使ってるに決まってる!」
ジュクッ!!!ギョロギョロギョロギョロ。
「見えるんだよ。俺には」
口以外のパーツがないノッペラボウは頭部全体に眼球をいくつも作って見せる。
「魔力素が」
「「……」」
「無機物有機物を問わず、魔力素は常に体外へと微量に零れ出ている。ちょうど人が生きているだけで熱エネルギーを放出しているのと同じように。そしてその零れ出る魔力素の量は、対象がどのような状態に置かれているかで変化する。寒ければ体内からの熱放出が少なく、暑ければ熱放出が多いように」
眼球の一つが石の書ヒルデガルトを見る。それだけでもう、ヒルデガルトの鉱石が震えあがる。
「誰でも何でもいい。誰かが意識し、魔法を詠唱するとき、俺はその零れ出る微弱な魔力素の量の変化、さらには魔力素対流の変化が見える。だから魔法を発動するタイミングと魔法系統を見逃さない。あとはこのケカレチに意思の疎通を遮断させる」
ノッペラボウのバラバラに動いていた眼球の菫色の瞳が全て、オパビニアを見る。
「熱を無理やり体内に押し込むように、俺の魔力素を相手の体内に無理やり押し込むことで」
対象こそ限定されるが、魔法使いに魔法を発動させない禁厭を帯びた黒い刃、ケカレチ。
(魔法の因果律を断ち切る呪詛とはもはや最凶。意識から詠唱までの時間にずれが大きいほど、おそらく魔力素の漏洩量や対流は見破られる可能性が高まる。……つまりは)
オパビニアがまばたきもせず、ノッペラボウの目を見つめる。複数浮かんでいた眼球はすべて跡形もなく消え、ナガツマソラは口を残し、ただのノッペラボウに戻る。
「そういうこと。プカプカと矛なんて浮かせていたんじゃ俺には永遠に傷一つ負わせられない。お前は空間を斬ろうなんて願わず、ただ矛を握り、俺に接近して、可能な限り素早く俺を切断する。それしかないんだよ。俺にケカレチの呪詛を発動させないようにするためには」
「……是非もなし」
現実を受け入れた追放聖皇が目を閉じる。
「んだとっ!?んな呪い在り得ねぇだろ!!」
未だ現実を受け入れられない石の書が叫び続ける。
「その想像力の欠如がお前という存在の限界なんだよ。石頭ちゃん」
「くっ!」
「雑魚は黙れ」という意味の言葉を残酷に翻訳するナガツマソラ。
オパビニアが盾アブラクザを右手にもち、宙に浮く矛ルミナリエを左手に初めて掴む。瞼を開く。口を結んだまま笑みを浮かべる。
(矛と盾、朕の能力を上昇させる魔法の発動を同時には、止められまい。あとはただこの者の言う通り、斬るまで)
矛から黄金の光が揺らめき出て、オパビニアを包む。盾から蛇を象る青と赤の光が流れ出て、オパビニアにまとわりつく。
「いざ尋常に……」
オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム Lv200(花夜叉)宝具補正付与。
生命力:98000/100000 魔力:28000000/50000000
攻撃力:9999999↑ 防御力:9999999↑ 敏捷性:999 幸運値:9999
魔法攻撃力:99999999↑ 魔法防御力:99999999↑ 耐性:闇属性
特殊スキル:演武、演魔
空気が、魔力素が張り詰める。
「勝負!」「火車!」
声が噴き、オパビニアが消える。ナガツマソラも消える。
ガキンッ!ギャギャンッ!!シュカンッ!ドゴドゴンッ!!
縦横無尽、三色の光と紅蓮の炎が二人の激しい剣戟の軌跡をいたるところに残す。どちらも尋常ではない魔力と魔法を使い、速さを補い続ける。さらにさらに加速していく。
ガキンッ!ズギャンッ!!シュカンッ!ドゴドゴンッ!!
(入り込める領域じゃねぇ!)
石の書ヒルデガルトは直感する。二人の敏捷性の数値は意味をなさない。すぐに風人族の領速に入る。
シャキンッ!ギャギャンッ!!ガギガキンッ!ドゴドゴンッ!!
「「………」」
花のオパビニアと火のナガツマソラ。
噛み合う刃の残す軌跡を、首都バルハチの一番堅固で高い第三区画壁の上から見守る永津朱莉と赤荻晴音。オパビニアの音吐朗々花粉による爆音を聞かされたものの怨源から離れていたため二人の鼓膜はかろうじて破れずに済んだが、耳鳴りが消えない。
((ノンキンタン……))
よってナガツマソラとオパビニアの激突音は聞こえていない。耳鳴り以外に、自身の心臓の鼓動と、自分の心の声だけが全身に響きわたる。
((あれが……))
ナガツマソラの亜人族の仲間四人がそう叫ぶことで、朱莉も晴音も、チャンパオを着たノッペラボウがノンキンタンと呼ばれる人物だと認識している。
(お兄ちゃん?)(マソラ君なの?)
けれど、そのあまりに非常識な強さと戦い方に慄然としていて、面影に立つ少年の姿とどうしても重ならない。
(都市だけじゃない。王国すら滅ぼしかねないあのでけぇ化け物花とクソ強ぇ兵隊花を、使い魔みてぇなベンジョコオロギを使って止めちまった……)
大火流カマドウマの上にたつノッペラボウの姿が、朱莉の脳裏に浮かぶ。
(それだけじゃない。ノンキンタン自身は切り刻まれても爆破されても即時再生する。しかも火属性魔法で審判花を中から焼いちゃった……どうなってるの……)
蔓で八つ裂きにされようともその肉片をつなぎ合わせ、燃える大車輪となって審判花センペル・アウグストスに襲い掛かるノッペラボウの姿が、晴音の脳裏に浮かぶ。
ガキンッ!キンキンキンキンキンキンキンキンキンッ!!!!!!!シュパンッ!!
(宝石が機関銃の弾みたいにノンキンタンを叩きのめしたと思ったらコピーして反撃。そしてなんだよあの雷攻撃。竜レベルでしかもあの規模……おかしいだろ……)
太陽を初めて直視した時を思い出す朱莉。残像はなかなか目の中から消えてくれず、怖くて泣いた。
それよりひどい残像をついさっき食らった。
(あの放電で、燃えるカマドウマを中から潰した寄生植物を一時的にだけど完全停止させてる。しかも同時に、花粉で汚染された空気まで浄化した……すごすぎ……)
瞬膜で自分の目を覆わずに使い魔アベルの閃光弾を初めて放った昔を思い出す晴音。
意識を失い、落ちて、目が覚めて、最初に大きく深呼吸した時の清々しさ。
それを思い出すほどの閃光をついさっき食らった。
スパスパンッ!!ボボボボボッ!!!ガキガキンッ!!ギャギャオ――ンッ!!!!
花と火、二人の斬撃の応酬が子実体の上で続く。一撃一撃が既に風人族の眼ですら追えない速度になる。敏捷性は互いに風人族刎姫の領域に近づいている。
(チート植物使いのクソ聖皇は、クソチートの塊みてぇな盾と矛を出しやがる。それなのに)
次元を切り開いて近接し、しかも血肉を斬られれば魔力も削がれる刃ルミナリエを相手にしなければならない絶望感。
そこから朱莉の胸の中で、在りし日のアルビジョワ迷宮が広がる。独りだけ犠牲にしてしまったことへの後悔が広がる。
ただその〝独りぼっち〟は最後まで、絶望した様子を朱莉に見せなかった。
(全く怯まない。怯むどころか、反則みたいな剣を出して、互角に渡り合ってる!)
一切を呪詛まみれにし、しかも物理的にも破壊できる威力の光線を放つ盾アブラクザを相手にしなければならない絶望感。
そこから晴音の胸の中で、迷宮の魔物孕宮が広がる。独りだけ部屋の中に残してしまったことへの憤怒が広がる。
ただその〝独りぼっち〟は最後まで、絶望した様子を晴音に見せなかった。
双刃剣を手に炎舞する、チャンパオを着たノッペラボウのように。
(お兄ちゃん……)
炎魔の白と黒の刃が鋭く回る。花夜叉の盾と矛はその一閃一閃の業を捌く。
(マソラ君……)
炎魔は独楽のように速く回る。耳鳴りが消えた召喚者二人の鼓膜に、凄まじい刃唸りが届く。
((あの、ノンキンタンは、やっぱり……))
炎魔は焔を噴きながら烈しく回る。刃風に火炎が巻き付く。そして刃光に赤熱色を混ぜながら、地面を捨てる。花夜叉が全力で追う。
スパスパンッ!!ボボボボボッ!!!ガキガキンッ!!ギャギャオ――ンッ!!!!
元召喚者の、地下迷宮で命を落としかけた炎魔は、自由自在に宙天を炎で駆け抜け、飛び上がり、全てを掻き回す。
ガキィ――ンッ!
「「あっ!」」
朱莉と晴音は思わず声を上げる。
このおとぎ話のような異世界に迷い込んだことを初めて知った時よりも、驚く。
刃が、
((折った!))
先だけで、クルクルと舞う。
追放聖皇オパビニアの聖矛ルミナリエの刃がとうとう、折れる。
「ありえねぇ!ありえねぇんだよそんなことっ!!」
風にあおられた蝶のように石の頁をバタつかせながら、ヒルデガルトが激しく拒絶する。魂消たオパビニアは反射的に盾アブラクザを構え破壊光線を放つ。
ドスンッ。ボシュ。
のは、叶わなかった。
「残念。これが白刃イヤシロチの力」
そう言ったナガツマソラの握る双刃剣の白刃に初めて、深みのある蒼い線条が灯る。
「魔法を放つ術者の意識を遮断するのが黒刃ケカレチ。それに対してこっちは、術者の魔力素体内循環を暴走させる」
ノッペラボウのマソラの顔面の中心に大きな眼球が一つだけ浮かび、グルグル目を回す。
「結果として魔道具である盾は魔法を発動する前に、発動に必要な魔力量どころか許容量を超えた魔力素が供給される。後はボンッ。ただの壊れた魔道具になる」
〝一つ眼小僧〟の握る白い刃は、盾アブラクザもろともオパビニアの右腕を縦に割いている。
(そんな……それでは……)
魔道具の存在を真っ向否定する禁厭を帯びた白い刃。イヤシロチ。
「イヤシロチに斬られたくなければ俺に魔道具を当てちゃいけないってことだね。つまり宝具による接近戦は避けないといけない」
回っていた一つ眼が止まる。菫色の瞳がオパビニアを直視する。
ザシュンッ!!
黒い刃がオパビニアの上半身を刎ね飛ばす。オパビニアの体半分が宙を舞う。
「でもそれだとケカレチの呪いから逃げられない。次元を切り裂く攻撃も呪詛まみれの光線も発動できない。ケカレチの呪いを避けるには接近戦しかない。でもそれだとイヤシロチが待ち構えていて~」
オパビニアの下半身が膝から崩れる。上半身が音を立てて、白菌舞台に落ちる。
「要するにさ」
ノッペラボウの顔面の眼球が消える。口だけに戻り、にっと頬をほころばす。
「どうにもならないってこと」
双刃剣を振り、刃にこびりついた血を掃いながらナガツマソラが締めくくる。
「おほほ」
落下して仰向けに倒れ、上半身だけになるオパビニア。張り詰めていた表情が消え、口辺に笑みが漂う。
オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム Lv200(火の粉を祓う花夜叉)
生命力:55/100000 魔力:217/50000000
攻撃力:9999999 防御力:9999999 敏捷性:999 幸運値:9999
魔法攻撃力:99999999 魔法防御力:99999999 耐性:闇属性
特殊スキル:演武、演魔
(傑物を超えた、正真正銘の魔神……)
「畜生!シトルス・オフィスナ……」
錯乱した石の叫び。
ドゴスンッ!!
が、ナガツマソラがぶん投げた双刃剣が石の書を貫く。
「口開けて、腸見する、石榴かな……「黙ってろカス」っていう意味の歌だね」
「か……は……」
石の書ヒルデガルト Lv100(意思を持つ魔道具。精霊前駆体)
生命力:0/1000 魔力:0/300000
攻撃力:1000 防御力:9999 敏捷性:99 幸運値:999
魔法攻撃力:99999 魔法防御力:99999 耐性:火属性、闇属性、光属性
特殊スキル:神器召喚
白刃イヤシロチで貫かれたヒルデガルトは間もなく事切れた。
「朕がよもや、魔術で劣り敗れるとは」
「これでおしまい?」
「奥の手はもはや使いきった。褒めて遣わそう。何人も朕を殺すこと能わず、封じる以外に手立てはなかった。それをヌシははじめて超越した」
「それは光栄」
「ここらでしばし、死んでみるとしよう」
言って、オパビニアは目を閉じる。呼吸が浅くなる。そして止まる。
オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム Lv200(火の粉を祓う花夜叉)
生命力:0/100000 魔力:0/50000000
攻撃力:9999999 防御力:9999999 敏捷性:999 幸運値:9999
魔法攻撃力:99999999 魔法防御力:99999999 耐性:闇属性
特殊スキル:演武、演魔
ナガツマソラは体から銀の蔓を伸ばし、石の書ヒルデガルトに突き刺さる双刃剣を回収する。ついでにヒルデガルトも。
石の書ヒルデガルト Lv100(意思を持つ魔道具。精霊前駆体)
生命力:1?/1000 魔力:0/300000
攻撃力:1000 防御力:9999 敏捷性:99 幸運値:999
魔法攻撃力:99999 魔法防御力:99999 耐性:火属性、闇属性、光属性
特殊スキル:神器召喚
「?」
目の前に持ってきた石の書の残骸のステータス変化にナガツマソラが気づく。0・1秒。
「ユノス・クリプトテニア」
気づいて銀の蔓からナガツマソラが双刃剣を引き抜こうとした瞬間、オパビニアが呪文の詠唱を終える。0・4秒。
自分の一瞬の油断に気づきナガツマソラが黒刃でオパビニアの首を刎ねる。0・9秒。
しかし、オパビニアの首も胴体も、幻のように霧散する。1・0秒。
(花粉が、俺にステータスの幻影を見せた?)
オパビニアの魔力素の流動を全力で追いかけるナガツマソラ。2・0秒。
「不死を追い求める朕にはやはり」
南の第三区画壁から三十メートルの地点でナガツマソラが止まる。
「死は似合わぬ」
〝奥の手〟を食らったナガツマソラが、唇を噛む。
オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム Lv200(火の粉を祓う花夜叉)
生命力:55/100000 魔力:217/50000000
攻撃力:9999999 防御力:9999999 敏捷性:999 幸運値:9999
魔法攻撃力:99999999 魔法防御力:99999999 耐性:闇属性
特殊スキル:演武、演魔
少年の全身の感覚器官は、追放聖皇が既に四肢を回復させて召喚者の少女二人の背後にいることを察知する。
(朱莉と晴音を……)
少女二人はたった今、高濃度の夢幻泡影花粉を浴びて白眼を剥いている。
「死すべきはヌシである。ノンキンタン」
オパビニアはナガツマソラと初めて対峙した時のように下品な笑みを浮かべている。しかし残されている魔力はごくわずかで、武器らしい武器はもはや持っていない。
(何としてもここから逃げ切る)
オパビニアの目的は逃亡。
「そんな所に立って、何がしたいのかな?」
唇から血を流すナガツマソラが怒気を抑えつつオパビニアに尋ねる。
「朕を見逃せ」
「断ったらどうするの?」
「おほほほ。〝ヌシ〟にはどうもせぬ。ただ朕とヌシは似た者どうし。この意味が解らぬヌシではあるまい」
瞬間、黒い小さな渦のような闇が二つ展開して上から降り、朱莉と晴音の上半身を呑み込む。心霊写真のように二人は下半身だけそこに残したまま立っている。
「……くそ」
アルス・マグナ。
つまり収納魔法の使い手ベクターは、ナガツマソラの双子の妹と幼馴染を〝収納〟できる。オパビニアはそう暗示した。
「……」
ビキキッ!!
ノッペラボウの銀色の頭部全体に血管が浮き上がる。
「おほほほほほほ!理解できたか?この端女どもは朕の闇籠で永遠に飼い馴らしてやる。朕好みの花を植え付けてな」
「それは止めろ」
言って、ナガツマソラは再び剣を投げる姿勢をとる。左腕を前に、剣を握る右腕を後ろに引く。
「朕に命ずるとは無礼者め!そしてまたしても朕に刃を向けるか!アルス・マグナの亜空間は固有結界!朕の闇は朕以外に開くことはできぬ!朕を殺せば永遠に端女二人は手に入らぬ!そんなこともわからぬの……」
ス。ボンッッ!!
回転した双刃剣に斬られたナガツマソラの左腕が火を噴き、秒速12キロの速さで体から飛び去る。
「これが本当のロケットパンチ」
ズシュッ!!
推進力を得た左手は貫手の形をとり、それがオパビニアの心臓に刺さる。
(何だと?)
【カマドウマ】
〔満杯〕〔流転〕〔呪解〕〔〔充力〕〕〔渦魔導魔〕
怒りを装っていた少年は浮かせた頭部の血管を鎮め、選択する。
追放聖皇の体内をナガツマソラの魔力素が一瞬にして侵す。
「おの……れぇ……」
花の王オパビニアの意識が朦朧とし始める。しかしアルス・マグナとしての意地が、意識の消失を、死を、敗北を受け入れない。是が非でも。
(かくなる上は)
汚染されずに残る全ての魔力を使い、オパビニアは何とかして召喚者二名を道連れにしようと亜空間の中に朱莉と晴音を呑み込んでいく。
二人が亜空間に呑み込まれる。そしてその亜空間が消える。
「お、ほほ、おほほ……ほほ……」
オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム Lv200(火の粉を祓う花夜叉)
生命力:0/100000 魔力: e^iπ/50000000
攻撃力:9999999 防御力:9999999 敏捷性:999 幸運値:9999
魔法攻撃力:99999999 魔法防御力:99999999 耐性:闇属性
特殊スキル:演武、演魔
ナガツマソラの魔力素という猛毒で熱病のように浮かされながらオパビニアは膝をついて動けなくなる。そしてその傍に、銀翼の天使は舞い降りる。
「朕は、しブトいのだ……」
銀の蔓を束ねた三層翼。オーロラのように虹色が流れる白磁の肌。
「そう思うよ」
天使は銀翼でオパビニアを包み始める。
「朕を、食らうつモリカ」
白磁の肌を虹が流れ、オパールのような輝きを放つ。
「最初からそのつもりだよ」
翼に包まれる。その中心にいる少年の瞳は、菫色の妖しい輝きを増す。
「ほホほ。朕ヲ食らっタトこロであの二人は永久に汝の元へは戻ラヌ」
「それはどうだろうね」
暗闇の中、二つの少年の眼だけが残る。
「な、ニ?」
「そもそもキミはさ、収納魔法は使えても、収納魔法が何かを知らないんだよ」
オパビニアの全身に、オパビニアの忘れてしまった〝何か〟が走る。
(痛み?熱さ?寒さ?痒さ?疼き?なんなのだこれは?)
「収納魔法は境界。〝こっち〟と〝そっち〟を隔てる境界なんだ」
(なんだ?全ての像が歪む。ゲルソミノ・サンパギータか?朕の花仔を模倣したのか?)
「隔てる境界には実のところ〝意思〟がある。その意思と一つになることが、収納魔法を真に知るということなんだよ。って言ってもわからないよね」
(体が薄れていく?崩れていく?花仔ユノス・クリプトテニアまで真似されたのか?分からぬ。何を申しておる?収納魔法の理解?……おのれ、おノれ、己)
「だから見せてあげる」
(憎い。憎い。憎……誰が?なぜ?ここはどこだ?朕は誰だ?チン?なんだそれは?)
「これが俺の収納魔法の境界。その意思の名は」
(我は誰だ?ナガツ?そうだ。そうであった。我はナガツマソラ…………え?)
『『ノモリガミ』』
「うわっ!!」
叫んだオパビニアはかっと目を見開く。
(どこだ、ここは)
目の前には闇が広がっている。しかし目が慣れてくるとそこは漆黒の闇ではなく、微塵の星々がある。漆黒は群青に近い黒と焦茶に近い黒とが混ざっていて、そのうちにそれが夜空と樹木の織り成す闇だと理解する。
「どうなっておる」
積もる落ち葉と土くれを体にくっつけたままオパビニアは上体を起こし、周囲をおもむろに確認する。風もなく、虫もいない。夜の静寂だけがどこまでも広がっているように見える。
(ん?おおっ!寒い!人であった頃の感覚が戻っておるではないか!)
ぞっとするほどの寒さにもかかわらず、懐かしさのあまり「ほほほ」と笑うオパビニア。
「こっちへ来い」
その時、闇の中から声がするのをオパビニアは気づく。
声のした方に体を向ける。ただしオパビニアがいくら目を凝らしても、その闇の中には何者も認められない。声のする方は樹々の奥。完全に、漆黒の闇。
「こっちへ来い」
そこからオパビニアを招く声が、止まらない。
「こっちへ来い」
男とも、女とも、人とも、獣とも区別がつかない、不思議な声音。
「朕に出向けとは無礼者めが」
それに一瞬たじろいだが、すぐに自分が魔法使いであることを思い出したオパビニアはまず、漆黒と自分とを隔てる樹木と藪をなぎ倒そうとする。しかし魔法の呪文も理論も一向に頭に浮かんでこない。
(なぜだ!?朕が呆けたとでも言うのか!!)
いらいらした気分に苛まれるも、冷え切った空気が体の芯まで冷やしてくるせいで、それどころではなくなる。指がかじかむ。
「ええい!忌々(いまいま)しい!!」
魔法を諦め、オパビニアは立ち上がり、のしのしと歩き出す。ただし呼ぶ声のする方とは反対方向へ。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
(人の身であることは、なんと不便なことか)
夜の山の獣道を、オパビニアはあえぎあえぎ、歩き続ける。途中で疲れて腰をおろせば、足元には枯れ葉と土に混ざり、獣の毛が落ちている。
(これは何の毛じゃ?見たことのない獣の毛が散乱しておる……)
真冬のように寒いのに、葉の生い茂る森。
燈明の一つもないのに、一寸先は見える森。
獣も虫もいないのに、蠢く何かの気配を感じさせる森。
逆説の塊のような、森。
(何と、気味の悪い場所じゃ)
そして止むことのない呼び声。
「喧しい!」
再び歩き出すオパビニア。声から、逆説の森から、逃げるように。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
肌を刺すような寒さにもかかわらず、オパビニアは既に滝のように汗を流している。
「痛っ!」
踏んだ小枝が折れて一部が跳ね、オパビニアの顔に当たる。
「このような小さな枝まで朕を小馬鹿にするつもりか!」
オパビニアにとってせっかく戻った五感だったが、既に鬱陶しい以外の何ものでもなくなっている。
(人とは何と矮小で惨めであることか)
ふとオパビニアは幼少時を思い出す。周囲からは常に兄弟姉妹と容姿・能力を比較され、乳母に虐められ、庭の草花以外に語る相手のいなかったか弱い自分を思い出す。泣いてばかりいた自分を思い出す。何も答えず、ただそこに咲く花々を思い出す。
(……)
激しい痛みが心を走り、全身をかきむしりたい衝動に襲われる。
「馬鹿馬鹿しい!」
吐き捨てるようにそう言った時、
ホーウ。
ミミズクの鳴く声が一度だけ響く。
「?」
驚いたせいで過去の自分が心から掻き消えるオパビニア。黒々とした周囲を見渡す。
(声が、消えた)
さっきまで自分を呼んでいた〝声〟がしない。
ホーウ。
(鳥の声じゃ!)
ミミズクの声と確信したそのオパビニアの目に、小さな燈明が飛び込む。
「!」
それは民家の軒先にかかる提灯の灯火だった。
「おお……」
どこまで進んでいいのかわからず、どうしていいのか分からず、どうなっていいのか分からず、途方に暮れていたオパビニアの頬が火照る。心に張りが戻ってくる。
(これはしたり!)
花の王は無邪気な子供のように、まっしぐらに民家へと駆けて行った。
そこは、茅葺き屋根の古い民家だった。
(何やら煮炊きをしておる良い匂いまでする。これは幸いである)
五感の復活はオパビニアに空腹も思い出させていた。
「もし!もし!誰ぞおるか!おるならば早々にこの扉を開けよ!」
追放聖皇は扉の前で偉そうに怒鳴り、戸が開くのを待つ。
「あ、はい……」
しばらくしてそっと木戸が横に動く。出てきたのは青白い顔をした白髪の青年だった。
「早く開けよと申したであろう!なぜ急がぬ!?」
「すみません。……それで、何の御用でございましょうか?」
菫色の絣の浴衣を着た、やせこけた青年がオパビニアに尋ねる。
「朕は足腰が疲れた。汗もかいて体も冷えた。さらには腹も空いた。朕をここで休ませ、さらに馳走せよ!」
図々しくもオパビニアは青年に命じる。既に幼き日の自分はそこにおらず、他人の気持ちの分からない典型的な貴族に戻っている。
「……はい」
青白い顔の男は困惑した表情を浮かべたまま、オパビニアを「どうぞ」と家の中に入れる。そのオパビニアは我が物顔でズカズカと屋内に入り、履物も脱がずに土間から畳に上がった。
「朕の座る椅子はどこか?」
「椅子?ここにはそんなもの、ありません」
囲炉裏の前に傲然と立つオパビニアの近くに、空の湯飲みをもった男が正座する。
「なんという座り方をしておる」
見下ろすオパビニアはようやくそのとき、浴衣の男が履物を脱いでいることに気づく。
「ここでは室内で履物を脱ぐ風習があるのか」
「え?ああ、はいそうです」
「ふん」
長時間歩いたせいで足がむくんでいたオパビニアは鼻を鳴らしつつ、試しに履物を脱ぐ。爽快感が足を浸す。それは満足だったが、男を真似して正座をするも、初めての経験で、膝から下がとにかく痛い。
「ああ。でしたら、崩したらいいですよ」
青白い白髪の青年は微笑みを浮かべて胡坐をかいてみせる。オパビニアもさっそく真似をする。
「うむ。背もたれはないが、これなら我慢なるというもの」
そう言って追放聖皇は、男が湯飲みにいれてくれた温めの白湯を奪うように受けとり、礼も言わず飲み干す。さらにもう一杯、温めの白湯を呑み、「次はもっと熱いのをよこせ」と言って熱い白湯を所望した。
「して、汝は何者か?」
汗で冷えた体が囲炉裏端の火と白湯で暖まり始めたころ、オパビニアは男に尋ねた。
「え?僕ですか?」
「ボク?汝は下僕なのか?」
「あ、いえ……えっと、その」
「早く申せ。朕は待たされるのが嫌いである」
「すみません。僕は、野守治美と言います」
青白い青年は弱弱しく自己紹介をする。外でケモノが遠く、鳴き始める。
「ふむ。ではノモリハルミ。ここはどこか申せ」
グルルッ。ギグック。ケケッケ……
「ここは、山です。近くを川が流れています」
「ここが山の中など、そんなことは見ればわかる!どこにある山かと問うておる!ロンシャーンのどこか?ロンシャーンでなくば超大陸のどこの山か、朕に申せ!」
「すみません。僕はよく、知りません。ここが山だということしか」
力なく白髪の青年は返答する。
ガリリキ。ケケッケ。ギャロ。リリル……
「何?ではなぜ汝はここにいる?」
「分かりません。いつの間にか、ここにいて、こうしています」
そう言う青年は魂が抜けたような表情で、ぼんやり囲炉裏の炎を見る。
「判然とせぬことを抜かすでない!」
「本当です。……気づいたらここにいたんです」
言って、青年は灰に刺してある火箸を抜き、薪の位置を整える。
梁から吊るされた自在鉤に再び掛けられた鉄瓶が白い湯気を幽かに上げ始める。
「戯けめ。もう良い……して、汝はここで何をしておる?」
「火の番をしています」
青年は火箸を戻してオパビニアを見る。やせこけたその眼は炎のせいでキラキラ光っている。
「火の番?この暖をとるための火を守っておるというのか?」
「そうです」
ケクック。ギャワロ。ギャワリリリ。ゲロ。ケケケケケケ……
「誰が汝にそれを命じた?」
湯飲みの湯を啜りながら、オパビニアが問う。
「えっと、お面です」
「は?今何と申した?」
「お面です」
沈黙が訪れる。パチパチと木が小さく爆ぜる。ケモノの声が遠くで聞こえる。
チチチチ。ギョロケ。テッククク。クックククル……
「お面が汝にここでこうせよと申したのか」
「はい」
ふとその時、オパビニアは啓示に打たれたように理解する。
白髪の青年の言う〝お面〟とは、〝仮面をかぶった何者か〟であるということを。
(この言葉足らずめ)
「なんの面であるかそれは?」
湯気に当てられて久しぶりに鼻が痒くなったオパビニアは鼻をこすりながら啓示が正しいのか確かめる。
「サルです」
「猿?」
「はい」
「樹上で生活する、あの手の長い獣の顔を模した仮面をかぶっておる何者かが汝にここでこうしているよう命じている、ということか?」
「たぶん、はい。そうです」
オパビニアの受けた啓示はどうやら当たっていた。
「なぜそやつは仮面をかぶって……この戯けに分かるはずもないか。その猿面とはいつから一緒にいる?」
知りたいことの核心になかなか迫れずイライラしながらも、多少は慣れたオパビニアは辛抱強く質問を続ける。
ケケケケ。ギャワロ。リリリリ……
「ずっと前からです」
「ほう。で、そやつから何を言われた?ここで火の番をせよという命令以外に、だ」
オパビニアにそう言われると、やせこけた青年はしばし黙り、考え込む素振りを見せる。
シャシャ、シャシャシャ。シャウシャ。ルルシャルルシャ……
「えっと、悪いことをしたら死んだあと閻魔様にお仕置きをされると、言われました」
「エンマサマ?カディシン教の教えにある善と光明の神ミズラオリオのことか?」
「ミズラ?え?」
「何でもない。続けよ。ほかに何を聞かされた?」
「えっと、ご飯を残したり、嘘をついたり、湯浴みをしないと、痛かったです」
白髪の青年はそう言って自分の細い両腕をさすり始める。
「痛かった?なぜだ?」
「お面は、僕を、動けないようにするからです」
そう答えて青年は力なく微笑む。
「お前は、その猿面に養われておるのか?」
「分かりません。でもお面のおかげで、生まれ変われました」
「生まれ変わる?」
「はい。お面は言っていました。「兄さんは窯の中で生まれ変われる」と」
「兄さん?……ほかに猿面は何と言っていた?」
「「生まれ変わる前の兄さんは、妹を壊そうとした」と言っていました」
「お前はつまり、猿面の妹に危害を加えようとしたのか?」
「分かりません。お面は僕の弟だと言っていましたが、それも分かりません」
「ええいくそっ!何を言っておるのか全くもって解せぬ!一から詳らかに話して聞かせよ!」
「はい。ですから…………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………なので……………………
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………それから
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あと…
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
それで………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………………きっと………………………
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あれは
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………こわい……………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………きもちいい……………………
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あかり………………
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………ほど………
………………………………………………………………………………………………………………………………………うまれかわり
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………もえる
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………やみ
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
〝闇〟の名前は、永津治美といった。
〝闇〟には、十歳離れた双子の弟と妹がいた。
〝闇〟は妹のことが好きだった。
無性に。果てしなく。入るならば眼に入れても痛くないくらいに。
それはいつしか性愛感情に変わり、妹が四歳から八歳までの間に、〝闇〟は内に湧く衝動を抑えきれず、性的な悪戯を繰り返すようになっていた。
悪戯はいつまでも続くかに思えたが、ある時、〝闇〟の所業は弟に見つかった。
〝闇〟は気が動転し、弟に手加減なしの暴力を振るった。その深刻な外傷がきっかけとなり、〝闇〟の妹への悪戯が両親に露見した。
〝闇〟の母である永津芳子はその母、野守葉菜子に事の次第を相談する。
そして〝闇〟の祖母は〝闇〟を引き取ることに決める。
奥山に暮らす野守葉菜子は〝山姥〟だった。
山姥。
修験者である山伏と、人は言わない。山伏よりもその力を有難がられたから。
祈祷師である拝み屋と人は言わない。拝み屋よりもその力を頼られていたから。
山姥とは愛称であり敬称であり尊称。
もともと、跡取りのいない地主の養子として育った葉菜子は都会で薬学を学んだあと、養父母に請われ、若くして地元に戻り、彼らの土地と家を早くに継いだ。
山姥。
その正体は薬師であり、要するに便利屋。
森の動植物と地質に精通していった葉菜子は廃鉱山に格子檻を設け、拝み屋の怪しげな加持祈祷でどうにもならない重度の狐憑き患者の薬物治療を請け負っていた。
山姥。
便利屋というよりも、病院の院長。
なお養父母の用意した娘婿は葉菜子と子をなした後すぐに病死している。病死する直前に婿は野守家の金庫から有価証券を大量に持ち逃げしたが、〝都合よく〟隣県の安宿で病死した。〝予定通り〟有価証券は無事に野守家に戻り、養父母は〝予定通り〟孫を大事に育てた。その孫こそ永津芳子だった。
葉菜子の廃坑檻に、彼女の孫であり娘芳子の子である〝闇〟は預けられた。
布団、便器、湯浴み盥、綿手ぬぐい、食器、ちゃぶ台、座布団、裸電球、鉱石ラジオ、書物、蓄音機。
陽光が差し込まないことと自由に檻から出られないこと以外は生活の保障が一応された空間で、〝闇〟の薬物治療が始まる。
増女の白い能面をつけた葉菜子は調合した薬を混ぜた食事を治美に運ぶ。これにより治美は徐々(じょじょ)に記憶を消され、穏やかな気性を獲得し、さらには性的不能へと近づいていく。
山姥に治美が預けられて二年がたった。
治美は二十歳になっていた。治療の甲斐があり、美しいほど、呆けている。
ここで山姥である葉菜子の所に、治美の弟と妹が迎えられる。
理由は永津一家を襲った強盗放火殺人事件。
犯人の命令により自らの手で両親を解体させられて心の壊れた双子の男の子と、犯人に人質に取られその惨劇の場に居合わせた双子の女の子は、こうして治美の近くに再び来た。
しかし当の治美はもちろん、弟も妹もそのことを知らない。
事情を全て知っているのは山姥だけだった。
山姥は治美だけでなく治美の弟の治療も始める。多忙になる。
しかしほどなく、山姥は治美の弟を、諦めた。
治美の弟が回復不能なまでに壊れていると悟った葉菜子は方針を変える。
見方を変えれば、あの子は自分よりも〝山姥〟に相応しい――。
すなわち、自分の後継ぎにしようと彼女は企んだ。既に齢を重ね体の自由も利かなくなっている自分の代わりに、治美の面倒を見させようと考えた。
「これを」
葉菜子から治美の弟に、猿の能面が与えられる。
心が壊れた代償に悪魔的な記憶力と論理力、そして機械的な冷静さと精密さを備えた弟は山姥の膨大量の知識と経験をたちまち吸収し、かつて自分を虐待した兄であると知らされた治美に対して何の報復もせず、山姥の仕事を継いだ。
しかし、治美の弟はもう一つ、心を壊した代償を得ていた。
神のごとき美意識。
すなわち自然物を愛する彼の美的感覚は、「石」を最上とみなした。
「石」は望まない。
「石」は欲しがらない。
「石」は恨まない。
「石」は恐れない。
「石」はただそこにある。だからこそ美しい。
人は「石」のようであるべきだ――。
治美の弟はこうして、兄だけでなく山姥すらも「石」にしようとし始めた。
鉱物毒。植物毒。菌毒。動物毒。
それらを独自にブレンドした毒を治美の食事に盛る一方、山姥の食事にも毒を盛り始める。すべては、すべてを「石」に近づけるため。
三年かけて治美は、〝ただ〟の永津治美になり、山姥は、〝ただ〟の野守葉菜子になった。記憶を失い頭の鈍った両者はすでに互いを認識できなくなっていた。
永津治美に分かるのは、自分のところへ猿面が現れるということ。
野守葉菜子に分かるのは、自分の傍らに男の子の孫がいるということ。
「石」にはそれ以外、分からない。
すべては〝闇〟だった男の弟の、思惑通りだった。
しかし、「石」が夢見ることを、〝闇〟の弟は知らなかった。
双子の兄妹が引き取られて四年。
その間に永津治美は猿面から様々な話を聞かされた。「石」を最上とする猿面の山や森の話は治美にとってあまりに美しかった。さらに能面は絵も巧みで、猿面の描く鳥や獣の描写は生き生きとして、あまりにも魅力的だった。
檻の中の壁に貼られる、渓谷の景色。
森に生きるクマやキツネ、タヌキ、ムササビ、シカ、イノシシ、カエル、ヘビ、イワナ、アブ、ヒル、カミキリムシ、ザザムシ、……
森に生えるキノコ。実る木の実、ウルイ、ウド、ミズナ、コシアブラ、タケノコ、コゴミ、ワラビ、ミツバ、ワサビ、ギョウジャニンニク、フキ、アザミ、……
外を見たい――。
猿面の投与する薬物によって去勢に近い状態にさらされていたとはいえ、彼の用意する食事は栄養のバランスもとれ、また健康面を案じた猿面から檻の中で運動を義務付けられていた治美の肉体は、決して弱ってはいなかった。
外を見たい――!
二十四歳の肉体は、錆び付いた格子檻の扉の鍵を壊し、廃鉱山の外へと魂を向かわせた。
永津治美が脱走した。
かつての山姥なら仰天して一も二もなく探し始める事態であったが、猿面は動じない。
壊れた鍵をじっくり観察した後、予備の鍵をポケットに入れ、猿面を外し、廃鉱を出て、葉菜子たちのいる茅葺き屋根の家へといつも通りの表情で戻る。家の納屋にある業務用冷蔵庫からシカの肉を取り出し、治美の〝頭を冷やす部屋〟の準備をする。
縛り上げる縄が納屋にないことに気づき家の中に取りに行ったとき弟は、兄の治美が家の中にいるのを知った。わずかに弟は驚いたが、「石」になっている治美と葉菜子はお互いのことが判らず、和やかに話している。弟は安心した。
だが、妹は違った。
葉菜子の投薬がうまくいき、両親を目の前で失ったトラウマを克服した妹はけれど、怯えた表情でずっと治美を見ていた。治美から受けたトラウマは心から消えていても、体は覚えていた。
双子の少年は、治美の弟は、猿面を外していた若き山姥は、この山に来て初めて、迷った。
迷った末、弟は決断した。
治美に刃を向け、家から出て行くよう促し、さらには〝目的地〟を教えた。
その日の夜。
「こんばんは」
「ああ、これはこれは」
冷え込みの強い炭焼き窯の前で暖を取る治美の前に、ザックを背負う弟が現れる。無論治美は〝それ〟が弟だとは気づかない。茅葺き屋根から自分を追い出した少年としか、「石」は知らない。
「お腹、空いていませんか?」
「はい。実はとてもお腹がすいています」
弟はザックからタッパを二つ取り出す。
一つには炊かれた白米が入っていて、もう一つにはシカ肉たっぷりのハヤシライスが入っている。ハヤシライスをかけた白米のタッパに木のスプーンを添え、弟は治美に渡す。
治美は礼を言って食べ始める。目の前の男が猿面を外している弟とは知らず、猿面に躾けられた通り、行儀よく、よく噛んで呑み込み、残さず全部食べる。
「ごちそうさまでした。本当にとてもおいしかったです」
「それはよかったです」
「こんなに良くしてもらって、何もお礼ができません。本当にすみません」
「気にしないでください」
空になったタッパをザックにしまった弟はその後しばらく何も言わず治美とともに居る。治美は窯の火の温もりや夜気の冷たさや冬の星座の一つ一つをじっくり味わい続けている。どれもこれも〝初めて〟で新鮮で美しくて夢のようだった。
「少し、話をしてもいいですか?」
切り揃えられ整然と積み上げられたアカマツの原木を見ていた弟が口を開き、ポツリと言う。
「はい。お話は大好きです。お願いします。何の話ですか?」
屈託のない笑顔を治美は浮かべる。
「「命」の話です」
そう言って、弟は話し始める。
「あなたは、地獄を知っていますか?」
「え?」
治美はドキリとする。一瞬窯が消え、森が消え、夜気が消え、星が消える。
廃鉱山の格子檻の中で、治美は何度も猿面から地獄の話をされている。
悪いこと、つまり猿面の言う通りにしないと地獄に落ちる。地獄の話を聞かされる時、猿面は治美が耳をふさげないように拘束具で締め上げたり、想像力を逞しくするために暗闇に閉じ込めたりした。
「地獄は、怖いところだと、思います」
笑顔が消え、震える治美の返答に対し何も言わず、弟は火を盛んにする窯を穏やかに見つめながら続けた。
「地獄にいるのは、鍛冶屋です。地獄が燃えているのはそこが鍛冶場だからなんです」
治美の背中に冷たい汗が伝う。
鍛冶屋という言葉も、鍛冶場という言葉も、恐怖とともに猿面から練りこまれている。
「鬼のやっていた罪人の舌や目玉を引き抜く鉄火箸や槌は、鍛冶の道具です」
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「罪人の身体を切り刻む手斧に、身体を切り裂く鋸。地獄の、ありとあらゆる責め具は鍛冶屋の手で造られます」
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「地獄の鬼は鍛冶師そのもの。燃え盛る火のせいで片目をやられた鍛冶師は一つ目の鬼というわけです」
「やめてください!!」
耐えきれなくなった治美が両耳を手で塞ぎ、目をギュッと瞑る。
「はあ、はあ、はあ、はあ…………?」
突如襲ってきた浮揚感に気づき、治美は目を開ける。
「!」
そこには、猿面がいた。驚いて逃げようとする治美はしかし、体が動かず、うつぶせに倒れこむものの、痛くもかゆくもない。
「ごめ、ごめんなさい……」
ただ猿面が怖くて、治美は謝る。
「よいしょっと」
腰を上げた猿面は治美を、窯の火が見える位置まで静かに運び、横たわらせる。そして再び地面に腰を下ろす。
「ごめ……」
「命は産道を通ってあの世からこの世へ来ます」
「?」
「産道の奥、つまりお母さんの子宮はあの世とこの世を結ぶんです」
言って、猿面は治美の頭を、髪の毛をなでる。かつて味わったことのない幸福感が治美の全身を突き抜ける。治美の体の一部が、数年ぶりに硬くなり始める。
「はあ。ああぁ……」
「鍛冶場の火床も子宮と一緒です。火床はこの世界と異界をつなぐ境界にして結界」
猿面は治美の腕をさすり、手に指をからませ、腰をなで、太ももをなでる。治美の一部はますます硬く、張り詰めていく。治美は苦しさを覚える。
「はぁあ、はぁあ、はぁあ……」
「結界を封じ、結界を自在に操るのが鍛冶師です。だから彼らを軽んじれば」
硬くなった治美の一部に猿面がとうとう、手を持っていく。
「祟りがある」
猿面に触れられた瞬間、治美の体にすさまじい電流が走る。頭は真っ白になり、何も考えられなくなる。
「あああああぁぁぁ……」
「何が起きているのか、分かりますか?」
分かるわけがない。
菌類と植物類から作り出した高濃度の勃起不全治療薬と覚醒薬は、シカ肉のハヤシライスとともに治美の体内に取り込まれ、かつてない快楽の津波を治美に与えている。
そんなことなど分かるわけがない。
「わか、りませ、ん……」
よだれと声をこぼしながら、ただ治美は答える。
「かつて、家にある睡眠薬を飲ませて幼女の体を弄んだ男の欲望です」
猿面の手は治美の体の一部を衣服から取り出し、怒張するそれを直に掴んで運動している。治美の感覚が一か所を残し消えていく。焼けていく炭のどこか甘いにおいも感じなくなる。
多幸感が津波のように押し寄せ、治美は前後左右も、天地も分からなくなる。
「幼女の名前は朱莉。あなたの妹です」
同性だけに、快楽のツボがどこにあるのかを機械的に知っている猿面はさらにそこを集中的に擦る。治美の天地が崩れる。時間も消える。全身の感覚がそこだけに集中し、何もかもがどうでもよくなる。
「あなたは自分の妹に欲情して、妹を壊そうとした最低の人間です」
治美のすべてが、一点に、達する。
「アアアアアアアアアアアアアッ!!!」
治美が全身を大きく痙攣させて爆ぜる。快楽の絶頂に達し、体はバラバラになり心が気化する。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
体は戻る。
しかし今までの治療とは指向性が真逆の禁忌薬物はいつまでも快楽の余韻を心にとどめる。治美の気化はとまらない。だが多少なりとも体を動かしたせいで肉体の自由は少しだけ取り戻りつつあった。
「……」
そしてそれら全てを、猿面は夜気のように冷たく計算している。
「僕は、どうしたらいいのですか」
頬を赤らめたままの治美が弱々しく尋ねる。
「生まれ変わればいいんです」
とうに手の汚れを拭い、今は治美の乱れた衣服を優しく直す猿面は言う。
「目の前には火床。つまりお母さんの子宮があります。ここに戻って、もう一度生まれ変わればいいんです。人は何度でもやり直せます」
猿面は、面を外す。波紋のような微笑を浮かべる少年がそこにいる。治美はわずかに驚いたけれど、久方ぶりに味わった快感がその重大性を沖の彼方へ流し去ってしまっている。
「子宮の中は、さっきよりもずっと気持ちいいですよ。兄さん」
「さあ」と言って、軍手をつけた少年は移動し、窯の扉を開く。乾燥した熱気が噴きだしてくる。
「はあ、はあ………ふふ。ふふふ」
面を外した少年の、昼間見たのとは異なる別人のような微笑みの中に安らぎを見出し、先ほどの快楽の強すぎる余韻を思い出した治美は蛆のように体を動かして窯の中に向かっていく。少年の与えた薬物と行為によって奪われた痛覚と温覚は、ウジの進みを止めることができない。
「とっても、明るいです」
円形に近い卵型の窯の中まで入った治美は感想を漏らす。珪藻土を使って作られた、緩やかなドーム状の天井、コテで塗り固められ平らな横壁。高温で焼かれつつあるアカマツ。見ているうちに、治美の身体から汗が噴き出してくる。そして汗もすぐに飛ぶ。服が焼け、肌が燃え始める。
「そうですね」
少年は窯の扉を静かに閉じる。ポケットから鍵を取り出して扉が決して空かないようにする。
『あの』
体を焦がしながら、窯の中の治美は最期、何年も前から気になっていたことを思い出して尋ねた。
「なんですか」
『あなたは、誰なのですか?』
「俺ですか?俺はあなたの弟です」
『ああ、そうですか』
「もうおやすみなさい。兄さん」
軍手をとりながら弟は兄に言う。
『ありがとう…………マソラ』
弟は一瞬固まったが、すぐに動き出す。ある樹木の根本に隠しておいた荷物を持って炭焼き小屋に戻ってくる。それは祖母の葉菜子がかつて用意した、兄治美の身分を証明する偽造遺留品だった。
「生まれ変われるといいですね。兄さん」
兄が山を脱走した場合の〝小道具〟はこうして、転生を望んだ男の身分証となった。
…………ということです」
「!?」
追放聖皇オパビニアは我に返る。
(何を見ていた!?何を見せられていた?)
オパビニアの頬から顎へ、汗が伝い落ちる。囲炉裏の火は青く、火に当たっているにもかかわらず、オパビニアは強烈な冷気をそこから感じる。
「何を見せ……」
「僕です」
宙を見るやせこけた青年。火だなには頭蓋骨が逆さにぶら下がっている。クマと、ヒト。
「……寒い」
「はい。切ってはいけない「木」を燃やしていますから」
炉辺にいる白髪の青年は寂しそうに笑って青い火を見ている。その上にかかっていた鉄瓶は気づけば、土なべに変わっている。
「僕は生まれ変わりました」
「……」
「ここは弟の闇の中。僕はその管理人」
囲炉裏の中心。アカマツの炭火の上にかけられた鉄鍋がグツグツと言う。蓋の端から煮汁が噴きこぼれる。ついさっきオパビニアの食欲をくすぐったはずのその匂いはもう、不安しかもたらさない。
「そろそろできたようです」
野守治美が蓋を取る。湯気が立ち上る味噌煮の鍋にお玉をいれ、手にした椀によそう。オパビニアの方へ差し出す。
「丹念に仕分けしてしかもよく煮てあるので、とにかく〝柔らかい〟ですよ」
目玉と指が椀に浮かぶ。指は人の男の親指と女の小指が混じっている。
「っ!」
オパビニアが椀を払いのける。具とともに結婚指輪が畳の上に転がる。肩で息をするオパビニアはいてもたってもいられなくなり、必死の形相で立ち上がると、そのまま野守治美に背を向けて家を逃げ去ろうととする。
ガタガタガタッ。
「?」
木戸は明かない。押しても引いても横に引いても何をしてもびくともしない。
「ただちにここを開けよ!」
「もったいない。お父さんとお母さんが……」
野守治美は散らかった両親の残骸を拾い集めると、口に運んでいく。銀の指輪を薬指にはめながら、ゴリリゴリリと咀嚼する。
「うん、おいひい。骨まで柔らかい」
「ほう」と息を吐き、とろんとした表情を野守治美は浮かべる。そのうっとりとした瞳の先には、掛け軸が一つ。歳月が経ち黄ばんだ呼紙の上、「懐」の赤黒い一字。涎の痕がある。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
治美の行動に釘付けになるオパビニアはもう、生きた心地がしない。
ボッ。
「!?」
突如彼の背中を激痛が襲う。痛みに耐えて振り返ると、炎が壁のようになって控えている。戸が燃えている。壁が燃えている。
「なんだこれは!」
オパビニアは四方八方を慌てて見回す。どこもかしこも赤い炎でなめ尽くされ、包まれている。
ガッ。
突然、強い力が蔓のように、触手のように、銀のように、巻き付く。
オパビニアは背後から野守治美に羽交い絞めにされている。
その野守治美は既に体中に火が回り、火達磨になっている。
紅蓮の体。
瞳だけが燃えず、菫色に光っている。
「どれだけ明るくしようとも」
業火に巻き付かれて焼かれる激痛に耐えかね叫ぶオパビニアの口に、火達磨は右手のひらにあった両親の眼球の残り二つを無理やり喉奥まで押し込む。いきなりのことで動転するオパビニア。
そしてすぐさま、オパビニアの口から退いた治美の右手の人差し指と中指がオパビニアの両目に突き入る。眼球が鋭い爪先で破裂し、そのまま脳を指でガリガリとほじられるオパビニアはもはや、声にならない悲鳴を上げながら、燃えていく。
「弟の闇は、誰にも照らせないのです」
熱を逃さない炭焼き窯の中のような灼熱色の世界で、追放聖皇は遂に、燃えて果てた。
「おい晴音、起きろ」
「……朱莉ちゃん?」
「大丈夫か?」
「うん。……あっ、目が……って、アカリちゃん、その恰好何?」
「あ?」
「スカートにブラウスとか、どうしたの?顔の茨呪も……」
「そういう自分を見たらいいんじゃね?男子の視線が集まるって嫌がってたデカい胸、セーターで隠れてるぜ」
「?……あ、ほんとだ。私、どうして制服着てるの!?両目が見えて、アベルの気配もないなんて……」
「分からねぇ。でもどうやら、昔の姿に戻ってるってことは確からしい」
「うん。…………ここ、どこ?」
「分からねぇ……けれど、すっごく見覚えがある」
「夜?それに木がたくさん。暗くて、寒くて、静かすぎる。……これが、夜の森」
「ああ。メチャクチャ怖ぇ。暗ぇのに、藪も、樹も、落ち葉も、獣の毛も、天の河も見える」
「ねぇ魔法で少し明るく……うそ、呪文とか思い出せない」
「魔法なんて、〝ここ〟じゃきっと役に立たねぇ。〝ここ〟は寒すぎて、心細すぎて、独りじゃなんもできねぇ場所なんだ」
「……ねぇ」
「体が、動けねぇな。こういうときってさ、見られてんだ。見えねぇ闇の中から、ケモノに」
「ケモノって何?」
「分からねぇ。夜の山の、森の奥は分からねぇ」
――こっちへ来い。
「「!?」」
「朱莉ちゃん今、聞こえたよね」
「……」
「朱莉ちゃん?」
「ああ、たぶん聞こえ……」
――こっちへ来い。
「「!!」」
――こっちへ来い。
「「………」」
ホーウ。ホーウ。ホーウ。
ウキキキ。ギェロゲ。ルルリ。ルイル。ギャワロ。ワリワリリ……
――こっちへ来い。
「はっ、はあっ、はあっ、はあ…………」
「え?ちょっと!朱莉ちゃん!?」
ガガビャ。グルル。フフフ。ケッケ。ビガンク。ガッガッガッ……
――こっちへ来い。
「朱莉ちゃん!ダメだよ行っちゃ!!」
「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!」
イギギギ。オノーホ。ルカヒ。ラビーナ。ゲソソ……
――こっちへ来い。
「朱莉ちゃん待って!待ってってば!」
「ウチは絶対に行く!今度こそ〝そっち〟に行く!」
フケンク。ササリ。ハメユノ。ラレワ……
――こっちへ来い。
「待って!!私も!私も一緒に行く!」
「早く来い!!一緒に行くぞ!!」
ロイーノ。アノーケア。アヨヨ……
――こっちへ来い。
「マソラ君!マソラ君っ!!マソラ君っ!!!」
「見つけてやる!絶対に見つけてやる!いるんだろお兄ちゃん!!」
ゲロゲロ、ケケケケッ、ケック、ケコギョロ……
――こっちへ来い。
「「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、」」
――こっちへ来…………量子自殺点への侵入を確認。素粒子分解後、魔力素変換実行。
「「?」」
ナガツマソラの闇の中。夜の山の森。すなわち『野守神』。
獣道を外れて走った永津朱莉と赤荻晴音の目の前が突如開ける。そしてそこに地面はなく、二人は切り立った崖から真っ逆さまに落下を始める。0・0000秒。
「きゃああああっ!」
そこへ。
「うああああっ!!」
闇の主人がオパールのように、具現化する。
(暗がりから「こっちへ来い」って言われてホイホイ走っていくバカがどこにいるんだよ)
闇の主人はため息をつく。0・0001秒。
(普通、灯火のある管理人の家に行くでしょう。あの花屋の聖皇の方がまともだったね)
燃え上がり火雲を生む民家を、闇の主人は見てふむふむと頷く。0・0009秒。
(ほんと、この二人はやっぱりぶっ飛んでる。バカ。超バカ。大バカ。ほんとバカ)
闇の主人は両手を一つずつ使い、二人の頬に触れる。
朱莉の左半身に茨海の呪印が浮かぶ。同時に晴音の右眼は使い魔アベルの心臓に変わり、眼帯がそれを隠す。二人の姿は召喚者に戻る。0・001秒。
(短い寿命と純粋さを生贄に、強さを得た双子の妹。それと、眼球と冷静さを生贄に、強さを得た幼馴染)
闇の主人は続いて、二人の装備に触れる。研ぎ澄まされた手斧に触れ、
(道はもはや将器しか残されていない、両親の忘れ形見)
使い込まれたモーニングスターに触れる。0・005秒。
(それと、もはや獅子でしかない、初恋の乙女)
闇の主人は二人の鞄を物色する。「ゲットワイルド。やっぱりもう女を捨ててるね」とぼやいて閉じる。0・01秒。
(茨に絡めとられ、棘に突き刺されて死ぬといい。人間とは結局、血の詰まった袋だよ)
闇の主人は朱莉の頬を両手でつねってじゃんけんブルドックをする。0・02秒。
(猛禽の爪に心の臓腑を切り裂かれて死ぬといい。袋は切り裂かれて血を垂れ流すだけ)
闇の主人は晴音の頬もつねり、「たてたてよこよこまるかいてチョン」。0・03秒。
(要するに薄幸の女が二人いた。鳥を探して旅する鳥籠のように、憐れな二人がいた。ほんと……本当に腹が立つ。でも何に?何に腹が立つ?)
「………ふふ」
闇の主人は正面から、
(そうだよね、それがヒトってものなのかな。やれやれ……)
知っているようで知らない二人を強く抱きしめる。
青々(あおあお)とした濃いローズと甘いミント。
(俺なんかのせいで)
パインとレモンの香り。
(お前たちを壊しちゃって)
その二つを、二人を、
(本当にごめん)
闇の主人は強く、強く抱きしめる。0・1秒。
「天の声さん聞こえる?魔力素変換は中止して」
0・1002秒経過。
『了承。ただし現時点において素粒子分解が終了』
0・1003秒経過。
「オッケー。これより二人の召喚者永津朱莉と赤荻晴音のサルベージを行う。ボーズ=アインシュタイン凝縮の解除。識別性の消失を解消。パウリ排他律の回復によりフェルミオンとボゾンの識別が可能……生き変わっても死に変わっても尻ぬぐいばかりだね。俺の人生は」
0・9994秒経過。
『同意』
「余計なお世話だよ。それよりさ、封印されし言葉って一人の召喚者が複数使うことは可能なの?」
0・9995秒経過。
『理論上可能。ただし過去に類例なし』
0・9996秒経過。
「花屋を取り込んだら彼の脳にしまってあったんだ。彼は皇族が召喚者に産ませた落とし胤だったみたい。その辺に転がっていそうな話だね。ステータスをいじくれた理由が分かったよ。それで、俺はこれから魔力素が霧散して死ぬかもしれないけど、封印されし言葉の重ね掛け、さっそく自分の命で試してみるよ。……どう?」
0・9998秒経過。
『封印されし言葉の入力を確認。カンダチ認証。香霧多知。花矛盾地。雷大蛇……』
0・9999秒経過。
「わぉ。この〝鼻〟なら、あの図書館長の〝目〟にも劣らないね。さて、聖皇たちのつまらない発信機も取れたし、二人を戻そう」
1・0000秒経過。
崖下の地面に激突する前に、召喚者二人は『野守神』から消えた。




