第一部 公現祭篇 その十八
死にたいという願望がある。
そういうとき、この人生は耐えがたく、
別の人生は手が届かないようにみえる。
イヤでたまらない古い独房から、
いずれイヤになるに決まっている新しい独房へ、
なんとか移してほしいと懇願する。
フランツ・カフカ
18 姫と魔女「鳥」
晴れてはいるが、風が強く、雲が速く流れる。
アーキア超大陸南南西のアントピウス聖皇国。その首都の聖都アスクレピオス。
「あ?地震の影響で転移魔法陣が故障だと?」
その中心。すなわちオファニエル聖皇のいる城レミエル。
「はい。召喚者の皆様には今しばらくお待ちいただくか、申し訳ございませんが、馬車などを利用していただくことに相成るかと」
その、謁見の間。
「はっ!なんでウン百キロも離れた所まで馬で走らなくちゃならねぇんだよ!馬鹿らしい!」
「ありえねぇ。「転移魔法陣が直るまで待つ」で決定~」
「直さなくていい!直らなくていい!俺はずっとここにいたい!もう魔物なんて見たくない!思い出しただけでも無くなった腕の傷口が痛むんだ!俺はずっとここにいる!ここがいい!」
「ふぅ、ふぅ……馬車に乗るの、大変だから、私も、直るまで待ちたいかな、ふう、ふう」
アルコール依存症、女性依存症、ギャンブル依存症、食物依存症。
異世界に来て要らないオプションをつけてしまった召喚者四名竹越沙友磨、宮良翔平、奥宮櫂成、浅野田結芽がハファザ司教に対して言いたいことを言う。
「ならウチら二人で先に行きます」
「「「「!?」」」」
禁断症状と不安と恐怖と焦りで汗を額に浮かべる四人の召喚者は、自分たちと一緒に並ぶ召喚者の一人をギョッとした表情で見る。
それは茨の刺青を左半身に刻んだ召喚者。
片頬だけでニヤつき、手斧一本を古傷だらけの指でクルクルと回している。ハファザ司教に説明させているマリク・ブロイニング枢機卿は、部屋に招集した最初からその召喚者を注意深く見ている。あるいは、
「……」
その召喚者の隣。
杖の先に留まるイヌワシの体の羽毛を優しく撫でている、右目に眼帯をつけた召喚者を。
(覚悟が人を変える、か。まさかここまで強くなるとは。何とかしてレミエル城にこの二人だけを残せぬものか)
死地に派遣するには惜しいほど能力を研ぎ澄ませた召喚者二人の価値に今更気づいたマリク枢機卿は二人だけを手元に残す策をあれこれ考える。しかし、残りたがるのは役に立ちそうもない召喚者四名で、お目当ての二人は既に、腹をくくっている。
戦闘訓練を可能な限りさぼり、手を抜いている四人のレベルはアルビジョワ迷宮探索に向かう前ほどに低下し、レベルは16止まり。一方で
禁断の茨呪を刻んだ召喚者、永津朱莉。レベル28。
上位の使い魔を操る召喚者、赤荻晴音。レベル28。
氷結の魔女黛明日香という例外を除けば、永津真天と同時期に召喚された人間の中で既に、一番レベルが高い。
「諸事情がございまして、派遣される召喚者様は一緒に出立していただくことになっております」
「んじゃあ今すぐ出発するんで馬の準備をお願いします」
(詳しく聞けば、ハイヤル監獄に閉じ込めた荒くれ者まで使ってレベル上げをしていたとか……術か魔道具を用いねばもはや御せぬか。あの有り様だともう、こちらの入り込む余地がない)
茨の刺青と眼帯の召喚者の観察を終えたマリク枢機卿はため息をつき、諦める。
「ふざけんな!誰が馬旅なんてするか!」
「ウマほどの価値もねぇんだからゴチャゴチャ抜かすなよ」
「んだと!ぶっ殺すぞアカリ!」
「かかって来いよ、脳みそスカスカのヘボアル中。ウチが勝ったらてめぇをウマのかわりにして背骨がへし折れるまで荷駄を運ばせてやる」
手斧の回転を止め、斧の首を絞める様に握り直す朱莉が目を剥く。召喚者四人の血の気が引く。
「おい永津、マジで勘弁してほしい。イラクビルにいるのは血に飢えた魔物だけじゃねぇ。盗賊だって腐るほどいる。目的地まで移動する途中で殺されるリスクを負うのは御免だ」
「黙って支度しやがれ粗チン野郎。出発したらすぐウマにてめぇのケツを掘らせてやる。そうすりゃ盗賊にカマ掘られても平気だろ」
「んだと!?調子こいてんじゃねぇぞ入れ墨ブス!!マジで殺すぞ!!」
「上等だ。てめぇも腐れアル中もまとめてかかって来いよ。汚ねぇナニをぶった切って去勢してやる。それともてめぇを振ったハルネの使い魔のエサにでもなるか?」
その使い魔の主人はいつの間にか殻付きのマカダミアナッツをシカ革の鞄から取り出している。その一つを使い魔が嘴に加えていとも簡単に砕いて中身を食べる。そして使い魔の主人もまた、握力百四十キロまで練り上げた手を使い、殻をバキバキと粉砕して中の果実を食べている。
「ナニをぶった切るんじゃなくて、タマを握り潰してぇとさ」
晴音を代弁する朱莉の言葉で男三人の股間が竦みあがる。
(この娘ら二人を変える動機となった永津真天とは、一体何であったのか)
四人の召喚者と茨が言い争っているのを見ながら、茨と眼帯の力の根源となった召喚者をマリク枢機卿は思う。
(アルビジョワ迷宮で仲間のために犠牲となった、希少な収納魔法を扱えた少年。十中八九迷宮で死亡したと思われるが、しかし彼の者の死をその目で確認した者は皆無。加えて少年の死後、迷宮の眠るシータル大森林及びその周辺で起きている不可解な事件の数々。情報分析に携わるソペリエルの館長ジブリールの報告も歯切れが悪い。……いやアイツのことだ、何かを既に掴んでおるのではないか)
「そのくらいで終いにせよ」
顔をしかめたマリク枢機卿が召喚者同士の喧しい言い争いを終わらせる。
「転移魔法陣の修復にどのくらいの時間がかかるのかは読めぬが、バルティア帝国の最近の活発な動きを思うと、イラクビル王国の国境を守る者たちを捨ておくこともできぬ。騎兵隊一千とともに至急イラクビルの首都バルハチに向かい、そこの下知に従え」
「嫌だ!死にたくない!まだ死にたくない!イラクビルなんて行きたくない!」
「ふぅ、ふぅ……お願いです。せめて、転移魔法陣の修復のめどが立つまで……」
「心せよ。我が言葉はオファニエル聖皇様の言葉と同じ。自らの命が惜しいばかりに聖皇様の命に背くようであれば致しかたない。先にイラクビルの戦場に向かった大羽殿や古舘殿と同じく〝強く〟してから向かわせることにするが、いかがされるか?」
薬漬けの戦闘人形にされることを恐れた四人の召喚者はそれ以上何も言うことができず、仕方なく身支度を終わらせた。
「召喚者様、どうぞ馬車にお乗りください。こちらなら安全です」
「酒くせぇチキン野郎と同じ空気を吸っていたくねぇから嫌だ。鞍と馬を二人分貸してくれ」
「私の使い魔は目が利くので皆さまのお役に立てます。どうか外で」
朱莉と晴音だけは馬車には乗らず、馬上の人となる。
一行は出発し、聖都アスクレピオスから東南東に八百キロ離れたイラクビル王国の首都バルハチを目指す。
「どれくらいかかるんだ?」
「魔物、妖賊に匪賊。そうした類が出なければ二週間ほどで到着すると思いますが、そう上手くはいかないでしょう。まず間違いなく」
召喚者六名とともにイラクビルの首都バルハチに向かうのは、聖燕騎士団1000名。その団長のアポロ・ショーフレアは表情を曇らせながら朱莉の問いに答える。
「ずいぶん慎重なんだな。魔物はともかくや妖賊や匪賊なんて選りすぐりの精鋭のアンタらならわけねぇだろうに」
「ふふ」
アポロ団長は寂しそうに笑いながら遠くを見る。
「魔物……あるいはもっとヤバい連中に何か心当たりでもあるのかよ?」
「いいえ何も。ただ憶病になっただけです。つい最近。特に。深刻に」
「……確かアンタら聖燕騎士団は、イラクビル北部のスノードロップにいたんだろ?」
「ええ。六週間前まで、ロンシャーン大山脈南麓近くのスノードロップにいました。そして一か月前にアントピウスの聖都アスクレピオスに戻ってきました。……なりふり構わずほうほうの体で」
アントピウス聖皇国軍の騎士団長クラスには傲慢や見栄っ張りな者が多い。そういう連中を何人も見てきている朱莉と晴音は一切飾ろうとしないアポロ団長の様子が気になった。
「魔王軍にやられたのですか?」
「魔王軍?……いいえ」
アポロ団長のひきつった笑みを朱莉と晴音は見る。
「?」
「我々の北部戦線は崩壊したのではなく、消滅しました」
そう言った馬上のアポロ団長が目を閉じる。
「どう違うんだ?崩壊と消滅って」
「魔王軍の攻撃に耐えられなくなり戦線が維持できなかったとすれば、それは崩壊と言ってもなんら差支えはありません。ですが実際に魔王軍の攻撃で戦線が維持できなくなったわけではありません」
「どういうことですか?」
アポロ団長は話すべきかどうか迷った末、眼を開く。二人に話し始める。
「順を追って話せる自信がありませんのでお許しください。順を追うと震えが蘇るので」
「「……」」
「その日の明け方、魔王軍が一斉に、それこそ雪崩をうったようにして戦線を放棄して逃げ出した。自軍の糧秣も煮炊き道具も武器も何もかも壊して燃やして。それを受けて……そのおかげで、我々も何もかも壊して燃やして無我夢中で逃げることができた。それだけです」
「……何があった?」
「ある日突然、ではなく、それは少しずつ、そして毎日、起きました」
晴音と朱莉は、自分の周りの騎兵たちの表情が暗くなっていることに気づく。
「ことは三か月前にさかのぼります。……ふう………イラクビル王国北部戦線のスノードロップのさらに北、ロンシャーン大山脈の夜空に光のカーテンのようなものが目撃されました」
「極光か」
「アスクレピオスに戻ってソペリエル図書館のジブリール様にお話したところ、そのように言われました。召喚者様が元いた世界でもオーロラと呼ぶそうですね。私は生まれて初めてオーロラというものを見ました。それはそれは綺麗で神秘的な光の揺らぎでございました」
二人の召喚者の頭の中に世界地図が浮かぶ。
アーキア大陸の中心にそびえる大山脈地帯ロンシャーン。
山脈の東に魔王領バルティア帝国は広がり、山脈の南南東にはイラクビル王国が、山脈の南西にはアントピウス聖皇国がある。そして山脈の北にはあの、シータル大森林がある。
「そのオーロラが二日ほど夜空に観測されてからです。我々の野営地に〝それ〟が現れるようになったのは」
頭の中の地図を消して、二人がアポロ団長の話に戻ってくる。
「それ?なんだよ〝それ〟って」
「鳥です。真夜中の野営地を鳥が一匹、飛んでいるんです。フクロウならまだしも、それは、それこそ赤荻様が使役なさっているあのイヌワシのように悠々と飛んでいるんです」
アポロ団長が空を見上げるので朱莉と晴音も空を見る。雲の流れる大空を晴音の使い魔のイヌワシが、元のサイズに体の大きさを戻し、悠々と飛んでいる。羽を広げると三メートルもある使い魔は百キロ先まで空からの監視を続けつつ、餌となる動物を探している。
「イヌワシはふつう、夜は飛びません」
「ええ。多くの鳥がそうです。ですので誰もが不思議に思って夜空を見上げておりました。場所が場所なので、あるいは伝承に聞く竜人族が竜に変化した姿かもしれないとも思ったのですが、それにしては少々小さく、飛ぶ速度もそれほど速くない。しかもそれは青白い光をぼんやりと体からあげておりました。なんというか、非常に幻想的でした。……降りてくるまでは」
「降りてきたのですか?」
高度を高く保っていた使い魔のイヌワシが急降下する。その先には必死に逃げる茶色い野ウサギ。けれど野ウサギは逃げきれず、その心臓にイヌワシの親指の爪を深々と突き刺され、即死する。
「ええ。野営地の上を飛んでいたその鳥はやがて高度を下げて、ある時から野営用のテントの上に留まるようになりました。テントの近くで目撃した者によれば、それはやはり竜ではなく鳥によく似ていたそうです」
「似ていたって、鳥じゃねぇのかよ?」
「顔の輪郭が何やら、ぼやけているらしいのです。酸でもかぶったかのように溶けているとも、蜃気楼のように揺らめいていて判然としないとも、兵士たちは申しておりました。それに何より、鳥であれば布を爪で裂いてしまうこともあるでしょうし、重さゆえテントが壊れたりもするでしょうけれど、それはまるでタンポポの綿毛のように重さがなく、テントは歪みも軋みもしないのです」
晴音と朱莉は野ウサギの血肉をついばむ使い魔を見ながら〝顔のない鳥〟の顔と姿を想像する。しかしそれはどうしても定まらない。
「それで?」
「鳥はやがてテントから飛び去っていきます。それで翌朝、その鳥が留まったテントの中にいた者は全員……死んでいるのです」
「は?」「え?」
「最初は単なる偶然かと思いました。しかし次の日も、その次の日も、それは続きました。夜空を舞う鳥、その鳥が降り立ったテントの中で一晩を過ごした者は翌朝死ぬ。……軍全体が恐慌状態に陥るのに、そう時間はかかりませんでした」
「そんな危険な鳥、なんで殺さねぇんだ?」
「もちろん殺そうとしました。何度も矢を弓に番え、鳥めがけて放ちました。……ところがですね、当たらないんです」
「当たらない?」
「手ごたえが全くないんです。石も矢も、そのまま鳥をすり抜けていく。鳥を斬ろうとしても、その鳥に近づくと金縛りのように体が動かなくなるんです。金縛りが解けるのは鳥が飛び去ったあと。ただし鳥の命を狙った者は全員死にました。金縛りが解けるというのは死ぬという意味です」
「……」
「目を血走らせて夜空を見るようになった我々は、鳥が舞い降りてくる兆候を見つけると、テントから身一つで逃げ出しました。ですが……ふふっ……テントに降りられたらもうダメなんです。そのテントの持ち主たちは次の日には必ず死んでしまうんです。外に干していた洗濯物や武器に触れられた者も死んでいきます。こうなるともう願うことしかできません。自分のテントの上にだけは降りてくるな。自分のものにだけは触れるなと」
馬の足音以外、誰も音を立てない時間が続く。
「魔王軍の仕業じゃねぇのか……」
「そう考えるのは至極当然です。ところが、です。魔王軍の方でも同じことが起きていました。ある夜を境に魔王軍の方でも夜中に騒ぎが起き始めて、最初は挑発もしくは夜襲の準備かと思い皆で警戒したのですが、よく見れば魔王軍の野営地の空を、飛んでいるんです。あの光る鳥が」
「「……」」
「三週間もするとですね、みな理解し始めるんです。空を飛んでいるのが何なのか」
野ウサギを食い終わり、別の獲物を探しに舞い始めたイヌワシをアポロ団長は目で追う。
「それは〝死〟です。人だろうと魔物だろうと、誰にも彼にも平等に降り注ぐ〝死〟。それが飛んでいるのだと」
「「……」」
「鳥が現れる前まで、私は魔物と戦うのが正直怖くて仕方がありませんでした。ですが、鳥が現れてからは、魔物と戦っている時間が一番安心できました。鳥のことを考えなくて済みますし、テントの中で装備品全てを抱えたままイモムシのように身を縮めて硬直している部下の冷たい亡骸を思い出さずに済みますから」
二人の召喚者の周りで、震えながら手を合わせ、神に祈りを捧げる者が出てくる。
「それに、殺し合いならある程度納得して死ねます。自分が強いから今日は魔物を殺せた。自分が弱いから明日は魔物に殺されるかもしれない。つまり理解できるんです、血と泥にまみれた殺し合いの世界は」
「「……」」
「でも、あの鳥は理解できない。……おそらく魔物たちも同じ思いだったのだと思います。理解の範疇を超えた恐怖。その怖さが何と言いますか、自分の器みたいなものからあふれ出して……そしてある朝、魔物たちは〝そこ〟から逃げ出したのだと思います。そのおかげで我々人間族や亜人族も同じように逃げ出せた。日の出とともにすべてを壊して燃やして全力で」
アポロ団長が目を閉じ、深呼吸する。
「これは噂ですけれど、スノードロップの戦場跡に残してきてしまった死骸の装備品はなくなってもすぐに元に戻されるそうです。近くに住む村人や盗賊が一度は死骸から剥がすのでしょうけれど、きっと〝何か〟があって怖くなって戻すんでしょうね。我々が去ってから、盗賊や住民の死骸がスノードロップにたくさん転がっているとも聞きました。もちろん動物や魔物の死骸も含めて。誰も彼も無傷で、身を縮めて硬直しているそうです。〝何が〟あったのでしょうね」
「「……」」
「アントピウス王国に戻った後、ずっと考えていました。……私が一番恐れていたのは結局何だったのか?」
団長は俯き、ゆっくりと言葉を探す。
「一番怖いのは死ぬことでも、謎の鳥が死をもたらすことでもありません。鳥のいる夜そのものが怖かったんです。あの鳥と過ごした夜の恐怖は…………そう、例えるなら、独りぼっちの、夜の森」
「夜の」
「森」
「死ぬか生きるかではなく、ただ圧倒的な闇がそこにある怖さ。何をされるか分からない闇に包まれている怖さ。あまりの深さに打ちのめされて、祈りの言葉すら浮かんでこない闇の怖さ……それによく似ている気が、しました」
「お兄ちゃ……」「マソラく……」
茨と眼帯の声がかすれる。二人の総身に鳥肌が立つ。そして、
「……へへ」「……うふ」
こみ上げてくるものが抑えきれず、頬が緩む。
「すみません。無礼を承知で言わせてもらいますが、何が可笑しくて笑っているのでしょうか?憶病な私がお二人を前にして作り話をしているとでもお思いですか?」
「そんなこと思ってねぇよ。ただ、その怖さっていうのが、よく分かる気がしてさ。へへ」
「ええ。分かります。嬉しいくらいに」
「よく分かるとか、嬉しいとか……正直お二人の気が知れません。言っておきますが、あなた方にいくら頼まれてもスノードロップにお連れしたりはしません」
「別に頼みゃしねぇよ。それより、あんがとな」
「何がでしょうか?」
「貴重な話を聞かせていただいたことに感謝します。おかげでイライラが吹き飛びました」
「それは……よかったです」
「〝そっち〟は誰だって怖ぇ」
「今なんと?」
「なんでもねぇよ。それより先を急ごうぜ。久しぶりにワクワクしてきた」
茨と眼帯はアポロ団長の隣を離れ、先頭へと馬で駆けていく。団長を含め騎士団一行は未知の魔物にでも出会ったような不気味さを朱莉と晴音に覚えたが、馬車の中の頼りない四人の召喚者を思い出し、ため息をついて二人の速度に合わせることにした。
そのころ、アントピウス聖皇国内。
聖都アスクレピオスのレミエル城。
「来たか。中に入れよ」
マリク・ブロイニング枢機卿の執務室に、青ざめた表情の報告官二名が入室する。席に戻った書記官が白紙を広げ、仔細漏らさず書き取る用意をする。
「オファニエル聖皇の御耳に入れる前に、確認しよう」
マリク枢機卿が報告官二名にそう切り出す。書記官が羽ペンを白紙に走らせ始める。
「はい。それでは最初から」
「結論から簡潔にまずは述べよ」
「分かりました。所長ヨツマ・イズライールに成りすましていた魔物の死因ですが、頸部切開による自殺です」
「自殺?なぜ追い詰められてもいない魔物が自殺する必要がある?」
「それなのですが、よくわからないのです。現場にいた召喚者九名の前で突如発狂し、喉を自らの爪で切り裂いて絶命したとのこと」
「まさかそのようなことが……いや待て。その場にいた召喚者らにとって何か事故が発生し、それを隠すために口裏を合わせているとは考えられぬか?例えばヨツマに成りすましていた魔物は実は死んでおらず、九人に寄生もしくはなりすましている可能性はありえぬか?あるいは九人を騙して逃げた可能性は?」
「魔物の死骸は回収して調べましたが、確かに本物でした。召喚者たちに関しては自白剤も飲ませましたし体内成分のチェックも魔法障害の検査も個別に一人ひとり念入りに行いましたが、問題なく召喚者本人で健康体です。それと彼らの話す内容はこちらの現場検証の結果と整合しており、現場で起きたことをありのままに伝えているとしか、我々には思えませんでした」
「ではその、見たままのことを改めて伝え聞かせよ」
「はい……あの」
「何か問題があるのか?」
「いえ、ただその……とにかく召喚者一名の様子がおかしかったとのことです。その召喚者の名前は雫石瞳」
「続けよ」
「はい。ヨツマ・イズライールに成りすましていた魔物が正体を現し、そのレベルの高さと強さのあまり、居合わせた八名が死を覚悟した時、突如雫石瞳が大きな奇声を発したとのことです」
「奇声とは?」
「それなのですが、詳しくは分かりません。音だったと認識はできたが、それが何を表す音かは覚えておらず、分からないとのこと。これは彼女とともにいた八名全員が言っております」
「それで?」
「雫石が奇声を発した後、魔物は発狂したように笑いだし、自らの首を切り裂いて自害した。これが、召喚者八名が口をそろえて言う顛末です」
「ではその、雫石瞳は今どうしている?」
「事件の起きたジペルテン監獄の独房にいます。奇声を発した後意識を失ったまま、いまだに目を覚ましません。魔法障害の検査や禁忌魔道具の所持確認は体の内外を含め隅々(すみずみ)まで行いましたが問題ありません。ただし意識が戻っていないので自白剤の投与がまだ行えておりません。こちらに至急輸送したうえで実施いたしますか?」
「下手に移そうとして、その途中で目を覚まし逃げられても困る。引き続き独房で監視を続けよ。そして何としても目を覚まさせよ。必要であれば多少の肉体の損傷も認める」
「承知いたしました。なお他の八名に関しては予定通りバインディン軍港へ向かっている最中でございます」
「うむ。多少なりとも使いものになるうちはこちらに連れ帰るな。アルビジョワ迷宮生き残りの悪例がある」
「承知いたしました」
「もう下がってよい」
服の腋下が汗でシミになっている報告官二人が一礼し、部屋を出ていく。書記官が「ふう」と一息つく。マリク枢機卿はパイプを取り出し、タバコの葉を詰める。指の先から魔法で火を出し、葉に火を移す。パイプを咥え、口内に煙を満たして味わい、ゆるゆると吐いていく。
「残り三十五名の召喚者の一人、雫石瞳……やはりお前も永津真天と同じで、何かを隠しているのか」
パイプをふかしながらマリク枢機卿は目を細める。思考の淵に沈もうとする。
ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!
その時突如、執務室の扉が激しく叩かれる。
「なにごとであるか!?」
驚いたマリク枢機卿が声を上げる。書記官が慌てて立ち上がり、扉の方に向かう。そこにはつい今さっきまで枢機卿の前で説明していた報告官二人がいた。
「どうした?」
紙のように白い顔の二人にマリク枢機卿はおそるおそる尋ねる。パイプを持つ手が震える。背筋に冷たい汗が流れるのを枢機卿は感じる。
「雫石瞳が独房から脱走したとの連絡が、ただ今入りました!」
「なんだと!?」
マリク枢機卿の嫌な予感は的中する。しかし……
「看守及び囚人も含めて、獄内全員の死亡が確認されたとのことです」
枢機卿の手からパイプが落ちる。
「よもや、集団自殺などと申すまいな?」
「わ、分かりません。ただその、全員、頭部が著しく損壊していたとの連絡がありました。死体の近くにあった壁には、頭を打ち付けたような血痕がいくつも見られたそうです。報告によればそれはまるで…………自ら何度も頭を壁に打ち付けて、死に至ったようだと」
「……」
「枢機卿?」
「オファニエル聖皇に今すぐお知らせする。共に参るぞ」
報告はマリク枢機卿の予感を、はるかに上回っていた。
Meteor imber
avis
sanguinolentus




