第一部 公現祭篇 その十六
生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。
本当はどこに向かうはずだったのか、
振り返ってみることさえ許されない。
フランツ・カフカ
16 姫と魔女「尾鬼人と烏人」
アーキア大陸最北端。ティオティ王国のさらに北東部。
ピルニツ諸島に近く、さらには魔王領を東に臨む城塞都市エリゴ。
「えっと、もしかして奴隷の購入をご検討されている方でしょうか?」
「もぐもぐもぐもぐ……ほひ。ほふへふ」
無骨で分厚く、広大な城壁に囲まれていることだけが取り柄といえるエリゴの、奴隷市場にて。
「ではご案内いたします。まずはあちらで説明会を開いておりますのでどうぞ」
化粧で若作りをしている案内嬢が席を立つ。
「もぐもぐもぐもぐ……ほひゃほうほ」
右手にイワシのコロッケサンド、左腕に紙袋を抱えた召喚者は口に物の入ったまま礼を言い、案内嬢のあとをついていく。
「お聞きになられているかもしれませんが、当店はエリゴ随一と言われる奴隷商店でございまして……」
召喚者はクマ耳のついたクマ毛皮のキャップ帽をかぶり、衣服の尻部分にはクマの短い尻尾をつけている。その外見だけで案内嬢はすでにこの召喚者を蔑み始めている。
(クマグッズをつけて目にクマつくってるとか、ダジャレかよこのガキ)
「こちらです。どうぞ」
「はひはほうほはひはふ」
(何言ってんのか分かんねぇっつうの。っていうかうわ~。紙袋の中までイワシのコロッケサンドじゃん。イワシくせぇ。どんだけ食うっつうか、どんだけ腹空かしてんだよコイツ)
案内嬢は召喚者をセミナー会場の椅子まで連れて行ったあと、自分だけさっさと引き返していく。同僚に話すネタが見つかったと喜びながら。
「よろしいですか皆さま!奴隷を選ぶ際にはその性格にも十分に気を配ってください!」
席についてコロッケサンドを食べるのは黛明日香。
永津真天と同じタイミングで召喚された召喚者三十五名のうち、アントピウス聖皇国からティオティ王国に派遣された九人パーティーのうちの一人。
そしてピルニツ諸島での事件と功績と政略がからみ、今は唯一ティオティ王国での単独行動を許可されている者。
「皆様が目を付けたその奴隷、意志薄弱ではありませんでしょうか?逆に無鉄砲すぎではありませんか?」
披露宴にいる貴族のような格好で、口にちょび髭をはやしたセミナー講師が杖を振り回して講演をぶっている。
「眠い……あれ、いつの間にかコロッケサンドなくなってる……なんだ、落としちゃったのか」
「お嬢さん。君はまさか、奴隷を買いに来たのかね?」
変な恰好をした売人が自分の隣に座り、おまけにその挙動がコロッケサンドを食ったりそのまま寝落ちしたりと一々不審なので、仕方なく貴族の若人が声をかける。
「え?うん」
「ここの奴隷は質もいいがどれも値が張る。失礼だがあなたは見たところいい所のご息女とは思えんが、裕福な家庭でなければこのような所へは来るまい。まあせいぜい親のためにちゃんとした商品を選ぶことだ」
「あんがとオッサン。お礼にこれあげる」
「オッサ……私はまだ二十三歳なのだが。それとおとした食い物を自由人によこすな。奴隷ならともかく。まったく」
「そっか。そいつはすんません。ハムッ」
「おい!そんなものを自由人が口をつけゲホッ!エホッ!ゲホッ!ゲホッ!」
「気にしない気にしない。食べものがもったいない」
黛明日香。
すなわち氷結の魔女。
その魔女が今、奴隷を探している。というよりも有能な部下を探している。
(一人では、勝てない)
拾い上げたコロッケサンドを食べながら、魔女は何度も結論を反芻する。
ピルニツ諸島は魔物のせいで一度、亜人族も人間族もいない無人島になった。しかしそれによって魔物があの島を占拠することを魔女は許さなかった。魔女は島を自分の活動拠点にするべく昼も夜もなく行動している。
活動拠点。
またの名を氷結工房。
またの名を氷結要塞。
またの名を氷結監獄。
「極端な腰抜けも極端に勇敢な者も、実のところ奴隷の仕事には向いておりません」
魔女はピルニツ諸島に活動拠点を築く傍ら、情報収集にも励んでいる。
アーキア大陸最北東のエリゴ及びエリゴ周辺の都市や町、村に出没しては、情報屋や行商、冒険者などから情報を仕入れる。
「なるほど度胸がある奴隷は勇ましく、連れていれば盗難の被害は減るかもしれません。しかし度胸の在りすぎる奴隷は主人にとって管理しにくい者でございます」
「「「「おお~」」」」
その情報によりまず、シータル大森林の北東にあるオルファス王国の内乱の顛末を魔女は知った。
アーキア大陸中央よりやや北。その国土の中心に巨大な淡水湖タルティーラをもつオルファス王国。この国は少し前まで分裂の危機にあった。
前王が何者かによって毒殺されたのち、跡を継ぐことになった息子のマキャベリ・ルクレツィアは王位継承後、アントピウス聖皇国の息がかかったペーザロ・ジョヴァンニ大司教から自分の元へ挨拶に来るよう命令を受けたが、彼はこれを拒み続ける。
理由は父王を葬った者がアントピウスの人間だと情報筋から受け取っていたためであった。実際はすべて魔王側の仕向けた魔物の仕業であったが、この現王マキャベリとペーザロ大司教の一連のやり取りは「マキャベリに謀反の疑いあり」と大司教に思わせる結果となり、魔王側の読み通り、マキャベリ討伐のため、大貴族ホアン・アレキサンドロ率いる討伐軍が組織された。
とはいえホアン将軍の討伐軍が迫ると、現王マキャベリはアントピウス聖皇国を直接敵に回すことを渋り、なかなか戦おうとはしなかった。
この王マキャベリには弟がいる。
弟の名はチェーザレといった。
二人の兄弟愛は尋常ではなく、互いが互いのために命を懸けるのを厭わぬという間柄であった。それに加え、二人の能力も相補的にできていて、兄マキャベリは武人としては王国で並び立つ者がいないほどの能力者であったが政治的な決断力に乏しく優柔不断であり、軍隊を動かす才には長けていなかった。その点、弟は兄のような武才はなかったが知略に長け、軍師としての才に恵まれていた。要するにこの二人がそろえば向かうところ敵はいなかった。
兄であり現王のマキャベリは討伐軍となかなか戦おうとしない。
しかし弟のチェーザレがホアン・アレキサンドロ率いる討伐軍の猛攻を受けると、これを見捨てておけず、とうとう現王マキャベリは立ち上がった。
聖皇歴3325年、王国北東部の要塞都市チックフルタ―で決起した現王マキャベリ軍は西にあるバコネ山タキーノの合戦で敵であるホアンの軍を破り、そのままペーザロ大司教のいる王国中央やや西の首都モンドマに進軍を決める。
翌3326年初頭にはモンドマに近い食料集積都市キョトルーニャにマキャベリは入った。ペーザロ大司教は「これはかなわぬ。しかも盆地のキョトルーニャは守りにくい。よってここは捨てる」とあっさりイエフ山へ逃れる。
このあと、敵将ホアンと現王マキャベリが交易都市ウージで衝突する。このときオルファス王国北西からホアンと連携する大貴族テヴェレ・スフォルツァが駆けつけると、さすがのマキャベリも敗れて東へ逃亡した。
ただしこのとき、現王マキャベリは敵であるペーザロ大司教と対立するデラピーニャ・デラーラ大司教に根回しをしている。ペーザロ大司教が汚職にまみれ私腹を肥やしているという報告書をデラピーニャ大司教は急ぎまとめ、アントピウス聖皇国に送っている。これが功を奏し、聖皇国からペーザロ大司教への送金が激減する。
王国中心部の巨大湖タルティーラを迂回しつつ東部に落ちのびた現王マキャベリは、湖畔都市ダザベストを拠点とする大貴族ペドロ・ガンディアに迎えられる。この間に王国各地から現王マキャベリのもとに多数の味方が終結する。すなわちブルゴニュルグ領のアルフォンソ卿、サツマリソン領のカルカッタ卿。彼らに共通するのは王国東部キャシャレ地方の勢力であるということ。マキャベリの弟チェーザレがかねてよりキャシャレ地方の諸勢力とパイプを築いてきたことがここにきて威力を発揮したことになる。
ただし、キャシャレ地方には敵のペーザロ大司教に与するロマーニャ一族がいた。当主ピエトロ・ロマーニャの弟であるタンジェロは、同郷の貴族らと湖畔都市ダザベストに侵攻する。
かくして、現王マキャベリの軍勢とロマーニャ一族の軍勢はタルティーラ湖畔で決戦を迎える。聖皇歴3331年、つまり現在である。ロマーニャ一族率いる軍勢は二十数万にのぼり、数の上ではロマーニャ氏の方が優勢であった。
ところがこのとき、オルファスに生きる人々の誰も経験したことのない空前絶後の砂嵐がにわかに巻き起こる。
風下に陣取っていたロマーニャ軍はこのため、非常な苦戦を強いられることになる。加えて、ロマーニャ軍に与していた私設水軍カンタレラ党が途中で現王マキャベリ軍に寝返り、数の上で勝利は確実と思われたロマーニャ軍は敗北した。
この勝利で現王マキャベリは自信を取り戻し、勢力も復活する。十万の大兵力でふたたび首都モンドマへ向かって侵攻する。
現王マキャベリの敵であるペーザロ大司教の側近の大司教ジェリオ・ナヴァルはペーザロに「マキャベリは強すぎて勝てる見込みはありませぬ。ゆえに和平を結ぶべきです」と強く進言するも、結局それは聞き入れられなかった。
仕方なくホアン将軍とジェリオ大司教は王マキャベリの迎撃に向かい、タルティーラ巨大湖に流れ込む大河川トミナにおいて、マキャベリとチェーザレの最強兄弟を迎え撃つ。
後の戦史に残る「トミナ川の戦い」が始まる。
ホアン将軍はダーワ岬、ジェリオ大司教はゲアレ山に陣取る。しかしホアンが王弟チェーザレの別動隊をおさえるため移動した隙に、現王マキャベリの軍勢がカンタレラ水軍の助けもあり渡河に成功し上陸を果たす。このため孤立したジェリオ大司教は奮闘したものの、ついに敗北を悟って自決する。残されたホアン将軍は王弟チェーザレの軍と再びの激戦を繰り広げたものの、ついに戦死した。
首都モンドマへ入った王マキャベリと王弟チェーザレは敵の親玉であるペーザロ大司教を軟禁し、大司教の勢力のうち僧侶以外の人間を、一部の幹部クラスを除き、ことごとく奴隷商品として国外追放処分とした。残された僧侶たちは全ての財産を没収され、結果として本来の僧侶として望ましい〝清貧な〟生活を強制的に送らされている。アントピウス聖皇国はこの顛末について現在注意深く様子を窺っている……。
「奴隷に家事をさせるおつもりでしたら内気で大人しい者を選ぶことです」
(戦の局面を変えた、空前絶後の砂嵐……)
黛は、オルフェス王室の存亡よりも、それを決定づけた原因に興味があった。
(その少し前に起きたという、風の塔ペニエルの崩落事件)
「要するに家内奴隷とはネズミであるべきなのです。おとなしく、気が弱く、それでいてこまめに走り回る」
「「「「ははははは」」」」
風の塔ペニエルはいくら巨大建造物とはいえ、距離的に、黛のいるティオティ王国からも、アントピウス聖皇国も目視はできない。ゆえに雲を突き抜けるほど高く聳えるそれが地上から跡形もなく消えたという情報を伝え聞いても心理的に動揺することはなかったが、伝える人々の慌てぶりが尋常でないことは黛にとってかなり印象に残った。
(風の大精霊を安置できるほどの盤石の塔が偶然崩落するなんてことはありえない。しかも塔周辺には、魔物すら関わることを嫌う駱駝人族までいる)
ティオティ王国にはアントピウス聖皇国ほどの図書館も情報源もありはしないが、それでも黛は粘り強く情報を集め、風の塔ペニエルが何のために誰が造ったのかを知った。そしてそれがこの世界において普遍的に存在し続けるはずのものの一部であることを理解した。
(そのすべてを壊せる奴がいるとすれば……)
塔崩壊当時の状況として黛が唯一自分で集めることのできた情報、それはペニエルの塔があった方位から感知できた桁違いの魔力反応。その規模はアルビジョワ迷宮で永津真天が死亡した時期にシータル大森林方面から感知した魔力反応かそれ以上に匹敵する。
(永津真天。アイツ以外にいない)
「ただしお気を付けください。楽な仕事に回されたくて大人しいふりをする奴隷もまた多いもの。だまされないようお気をつけあそばせ」
(しかもただ壊しただけじゃない)
魔女は日ごろの疲れから目をギュッと閉じ目頭を指で押さえる。活動拠点を構築するだけでなく情報収集のために忙しかった彼女は夜な夜な行っている魔物の尋問と拷問を思い出す。
アイスボックス。
海水による浸食によって自然に作られたピルニツ諸島の地下洞窟のいくつかは魔女にそう名付けられ、冷凍庫兼地下取調室となっている。そこでは何匹もの魔物が生きたまま捉えられ、死ぬことを許されないまま半氷漬けにされている。
(隕鉄の星獣バハムート……レベル99ってヤバいっしょ)
風の塔ペニエルの崩壊は魔王側にとっても驚天動地の事態であったため、当然調査のために多くの魔物が事故現場へと派遣された。そのうち何匹かを、クモの巣のクモのように待ち構えていた黛が捕まえ、ピルニツのアイスボックスまで拉致した。彼らは氷点下の薄暗闇で魔女の氷の銃剣でケバブのように肉を切り落とされながら風の大精霊フルングニルとそれを守護する星獣バハムートの存在を彼女に教えた。
「楽な仕事と言えば、たとえば給仕係などがそうでしょう。これは食事以外の時間に休めるうえ、主人一家の豪勢な食事の残り物にありつけることもあるので誰もが狙ってございます。そういうネズミモドキをお買い上げになられないようしっかり目を凝らさなければなりません。それこそネコのように」
「「「「ははははは」」」」
(レベル99の星獣を打ち破る力を持ち、しかもおそらくは風の大精霊フルングニルすら掌中に収めた収納魔法使用者。ここまで来ると独りでどうにかできる相手じゃない。とはいえ、誰を引き入れ、力を与えたらいいものか……)
重い瞼を開いた魔女は紙袋から別のコロッケサンドを取り出して食べ始める。
(とりあえずは、手が足りない)
魔女はこのような理由から、有能な部下を欲していた。
「う~ん、ピンと来ないね」
奴隷市場でセミナーの後、黛は檻に閉じ込められた奴隷を見て回ったが、どの奴隷も黛の目にはかなわなかった。強い亜人族や人間族ほど黛の魔力と雰囲気に気圧されて目を合わせることができなかった。
イワシのコロッケサンドを入れた紙袋が空になったところで、黛は諦めて都市エリゴの中央広場ワッサーブレに向かう。そこには黛行きつけの食堂がある。
「いらっしゃい」
「おばちゃん、いつものお願いします」
「あいよ!いつも通りの量だね?」
「うん!」
「店の中は今いっぱいだから、寒いけど外の席でもいいかい?」
「全然かまわないよ!」
注文を受けたウェイターが外のテラス席に食事を運ぶ。サケのマスタードディップサンドにサンマエッグ、そしてマジョラムティー。四人掛けのテーブルに四セット。けれどそれを黛は一人で食べ始める。要塞の建設と弾丸の製造で魔力を著しく枯渇している魔女は食事によって魔力の回復を急いでいた。
「おい、なんだあれ?兵士?」
「連れてきたのは捕虜みたいだね」
「見たところ、奴隷商人がいないぞい。いつもと様子が違うようじゃが」
黛がこれからどうしようか思案しながらランチを進めていると、ワッサーブレ中央広場に、ティオティ王国兵士と物々しい奴隷馬車が次々に入ってくる。王国兵士は百三名の二個小隊規模で、奴隷馬車は全部で三台。中の囚人は合わせて三十名になる。
それら馬車が中央広場に到着するや否や、先頭車両に乗っていた囚人十一名だけが檻から降ろされる。同時に木製のさらし台が十一個、どこからともなく用意される。娯楽の少ない生活を送る市民たちがゾロゾロと広場に集まってくる。さらし台の登場で何が起きるのかを感じ取り、誰もが期待に胸を膨らませている。ただし一人だけ、クッチャクッチャと音を立てながらサンマエッグを食べ続ける魔女がいる。
「みなよく聞け!ここに集められし罪人の罪状をこれより読み上げる!」
囚人を輸送してきた兵士の隊長ブリオッシュ・カマウが罪状を読み上げる。
内容はつまり、このたびのティオティ王国の内乱で敗れた側の王国兵士がいかに残虐非道で極悪人であるかというものであり、その非道な兵士たちの指揮官がこの十一人であるということであった。読み上げる兵士と枷をつけられた兵士の差は勝つ側についたか負けた側についたかしか違いがない。だがそれがこの世の全てだった。よって、広場に集まる市民のほとんどが、跪いている賊軍兵士の罪状に興味がない。興味があるのは彼ら罪人扱いされている家族がこれからどうなるかであり、彼ら罪人自身がこれからどうなるかであった。
「クッチャ、クッチャ、クッチャ……」
それに水を差すように、魔女は音を立てて行儀悪く食べ続ける。それと同時に魔女は、違うことを考え始めていた。
「おい嬢ちゃんさっきから……あれ、いねぇぞ?どこ行きやがった?」
テラスのある食堂の屋根に黛は既に移動している。手にしたマジョラムティーをズズズとすすりながら十一人の様子を見始める。
「この者はトンポロン・アルメリフ!歩兵中隊の小隊長をしていたもので、担当方面は……」
十一人の紹介がすべて終わる。
市民はモソモソと動き始める。それを知っている紹介者のブリオッシュ隊長は笑みがこぼれるのをこらえながら部下に、囚人をさらし台に固定するよう指示する。
「この重罪人に対する処分は死刑!!三日後の午前九時より刑を執行する」
死刑執行人らしき黒い被り物をした大男が巨大な斧、ではなく鋸を空高く掲げて刃を煌めかせる。それだけで市民のボルテージは上がり、黛がマグカップを放り捨てても誰も気づかないほどの大盛り上がりとなる。
魔女は目を皿にして十一人をつぶさに見る。悔しそうに唇をかみしめる男。何かを強く思い出して肩を震わせる女。死を宣告した男に鼻水を流しながら泣きさけぶ男。死刑ショーを待ち望む市民に向けて眼光鋭く唾を吐く女。
「まいったわね。まだ三日もあるらしいわ」
そして、カラスのような頭と黒い羽根を持つ長身の亜人族。
「ふん」
「でもようやく、あんたとの腐れ縁もここまでってことね」
「そのようだ。おかげでせいせいする」
烏人族の話しかける相手は、鋼のように強靭な筋肉に無数の古傷を追った、角のある亜人族。
「最後だから言っておくけど、あたしアンタが相手なら夜を共にしてもいいと思ってたわ」
「俺にそっちの気はない」
「あらせっかくいいものもってんだから使わなくちゃ損よ。それに慣れれば平気よ」
「貴様は股からではなく頭から鋸で引き裂いてもらえると良いな」
(あの二人……)
魔女はさらし台の十一人の中で隣り合う亜人族二人の男に注目する。
(一人のカマオは烏人族で、その隣のゴリマッチョは鬼人族……ん?でも鬼人族に甲殻の尻尾なんて生えてたっけ?)
そんなことを考えているうちに、兵士たちがさらし台の囚人たちから急ぎ離れていく。ボルテージの上がった市民たちが鼻息荒く、肩で息をし始める。
「では三日後に刑を執行する!くれぐれも近づかぬように」
血走った目がブリオッシュ隊長に向く。兵隊長は恐怖を表情の下に隠しながらニヤリと顔をゆがめる。
「ただし、このエリゴに古くから伝わる歓迎は認める!」
言って、兵隊長は兵士とともに城塞都市エリゴを去っていった。
「うおおおおおおお――っ!!!」
男も女も老いも若きも、手にした石を握りしめて叫び始める。
城塞都市エリゴ。
ティオティ王国で唯一、東方面において魔王領バルディア帝国と接している城塞都市。
アントピウスの聖皇による加護といえば、およそ八百年前に建造された大防衛線モンテスパン線のみ。稀少な亜人族である吸血鬼族と稀少鉱物の採掘できる鉱山が多い隣国で魔王領にほぼ囲まれるアーサーベル王国を守るついでに北へ延長された全長九百キロの防衛線が、城塞都市エリゴの命綱。土の大精霊ダヌの力を使役して築かれた防衛線以外は、全て自分たちで何とかしなければならないのが城塞都市エリゴ。
魔物によってもたらされる死が日常茶飯事の彼らは戦力補充のために奴隷兵士を重用した。彼らは真っ先に戦場に投入され、場合によっては背後から味方の矢を受けて倒れる盾にすらされた。それだけではなく、死んだあとも利用される。城塞都市エリゴを囲む城郭は外に外に増殖と拡大を続けている。その城郭の成分はアーキアの大地を成す硬い岩石と、奴隷兵士及び魔物の死骸だった。
エリゴは石と奴隷に守られる――。
罪人も当然〝奴隷〟に準ずる。奴隷と石は一蓮托生。一緒にいるのが定め。
従って、
ゴッ!!
さらし台の囚人一人の鼻に投石が直撃する。軟骨が折れて鼻血が噴きだす。
それを合図に狂気の集団は一斉に投石を開始した。
「……」
魔女は、心を殺して見ている。
「エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!」
目を血走らせ、取りつかれたようにして石を投げ続ける集団をじっと見ている。
「ぐっ」
「ううっ!」
石をぶつけられて血まみれになる罪人十一人を魔女は見ている。そのうち一人が動かなくなる。よく見れば頭蓋が砕けて薄オレンジ色の脳がこぼれだしている。もう死んでいた。
「みんなひどいことをする。自分がやられたら嫌だろうに」
ため息をついた魔女は中央広場を見渡し、井戸を見つける。
「久しぶりにイラつく~。どうしよ~。こうなったら詠唱省略なしで威力を強化しちゃおうかな~。ス~、ハ~……バカチンども。その足りない頭、冷やしてやる。……水脈呪烈」
ドバアアアンッ!!!!
「「「「「「!?」」」」」」
石を持った者も持っていない者も突然の爆発音に驚き静止する。音のする方に目を向けると井戸から水が吹き上がっている。
「ふぅ……なに、かしらね?」
投石が止んだことを尋ねる血まみれの烏人族。
「さあ……な」
一番投石を食らっているため皮膚が痣だらけになっている隣人が返す。
バシャンッ。
「「!?」」
血まみれで、けれどまだ息のあるさらし台十人の頭部に冷たい水球がぶつかり、弾ける。
コクンッ。コクンッ。
まだ意識のある者だけが、顔を伝う水を必死に口に飲み込む。二日ぶりの水に喉を鳴らす。命を潤す。
「「はあ、はあ、はあ、はあ」」
背から尾の生える尾鬼人族と黒翼の烏人族はわずかな水を飲み、互いに血まみれの顔を見る。
「さすが、正面部隊……六番隊隊長。ひどい顔ね」
「ぺっ!……お前もな。遊撃部隊、一番隊隊長」
二人の男は互いの傷顔を見て、小さく笑った。
ワッサーブレ中央広場を含め、魔女によって引き起こされた都市エリゴの井戸という井戸の噴水はしばらく止まず、そのせいで民家では浸水や下水の逆流などが起こり、投石祭りどころではなくなった。中央広場から民衆が人っ子一人いなくなるころには噴水は止まる。しかし魔女の怒りは容易に鎮まらず、日が暮れるまで井戸の水はこんこんと沸き上がり、溢れ続けた。
そして夜が来る。
罪人の処刑が迫るにもかかわらず、ワッサーブレ中央広場はかつてないほど人気がない。それもそのはずで、市民は水の処理に疲れ果て、眠りに就いている。眠ることができないのはいまだ自宅や店の復旧作業に追われている者ばかりだった。
「それでね、その男は「ティオティ王国の貴族どもは頭にクソが詰まってる」って貴族に向かって叫んで兵隊に捕まったのよ」
「当然だろう。赤子でもわかる」
「で裁判が始まって、判決が下されたわ。罪状は何だと思う?」
「貴族侮辱罪に決まってる」
「はずれ。正解は国家機密漏洩罪」
「なんだと?ふふ。なるほど…………?」
「何かしら、あれ」
投石を食らい、息も絶え絶えなのに膝をつくことすら許されない、さらし台に固定された十人。
そのうち、話す気力がまだ残っている烏人族と、ユーモアに気づいて笑う尾鬼人族の二人は、目の前に突如現れた何者かに目を凝らす。突然漂い始める強い冷気に気づき、他の八人の囚人も頭を上げる。
(クマの被り物?)
その者はローブのようにクマの毛皮を羽織っていた。ゆえにさらし台の十人はその者の顔の下半分しか見えない。クマの頭部の下に覗く白い顔、そして背格好からおそらく人間族の女だという情報しか手に入らない。
「っ!」
十人は唇に強烈な冷たさと痛みを覚える。次の瞬間上唇と下唇は張り付き、声を出そうにも出ない。
(見張りの兵は何してんのよ!?)
焦る烏人族が自分たちの近くにいるはずの兵士を探す。そして倒れている二人の兵を見つけてギョッとする。罪人の逃亡を防ぐために見張りとして立っていた彼らは体表の水分を急激に凍らされ低体温症を引き起こし、一時的に意識を失っていた。
そしてそれを行った人物が十人の前に今、立っている。封印されし言葉「ミナグロ」までローディングした氷結のチート魔女、黛明日香だった。
「?」
顔を隠している黛はクマの毛皮の下から砂時計を取り出す。十人の隊長クラスの元兵士たちはその砂の量からそれが七分の時を計れるものだとすぐさま理解する。
(何を計るつもりだ?)
十人が身構える。その彼らの目の前で、黛は細い水柱を十本作り始める。いずれも黛の足元の濡れた地面からかき集められた水である。
カチチチチチ……
幼児の腕くらいの太さの水柱がゆっくりと凍り付き、白く硬くなっていく。それが浮遊しながら移動し、さらし台の十人の前に整然と並ぶ。
(この場で刺し殺すのだな)
(砂時計は残り時間がないことを言いたかったのか)
十人のうち何人かはそう思い、逆に安堵の表情を浮かべる。彼らにしてみれば三日後に逆さ吊りにされて鋸でゆっくり時間をかけて体を引き裂かれるよりは何倍もマシな死に方に思えた。
フワ。
十人の頭を飛び越えて氷柱が移動する。彼らの前から消えたそれは彼らの背後にまわり、全て横倒しになる。
(後ろから一思いに刺してくれる……!?)
ヒタリ。
横倒しになった氷柱が彼らの背中、肩甲骨より少し上に張り付く。そのあまりの冷たさに十人ともビクリとして思わずのけぞるようにして胸を張る。それを合図に氷柱の一部が溶ける。すぐに凝固する。つまり氷柱と、肩から肘までの後ろ部分の皮膚がくっつく。
(体が固定された!?)
十人とも、背中に張り付いた氷柱のせいで、腕の可動の自由が完全に効かなくなる。
(何をするつもりなの、コイツ)
冷や汗を浮かべ、十人は黛を見る。クマの毛皮で顔を半分隠した黛はゆっくりと形成した氷の椅子とテーブルに腰かけて彼らを見ている。その氷のテーブルには七分計測用砂時計が一つ。そして、
クシャ。
毛皮の下から出された紙袋が一つ。十人が注目するその紙袋から取り出されたのは、ツナマヨガーリックトースト。罪人十人の目が点になる中、黛はそれをゆっくり自分の口元に運んでいく。そして一口かじりつく。
ビシッ!!!!!!!
「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」
さらし台の十人の足元の水が瞬時に凍り付く。魔女の一口に目を奪われていた十人は思わずスリップする。
「ぐっ!?」
スリップした結果、全体重がさらし台に固定されている自分の首にのしかかる。
(息がっ!?これが狙いか!!)
魔女はモグモグと口を動かしながら、テーブルの砂時計をゴトリとひっくり返した。
「うぐっ!」
恐ろしく静まりかえる中央広場。その中で恐ろしく長い七分間が始まる。
「むうっ」
十人とも足で体を支えようと必死にもがく。しかし足元の摩擦抵抗ゼロの氷がそれを許さない。首と同様にさらし台に固定された両手首に体重を分散させたいが、それは背中に張り付いた氷柱が許さない。
(ダメだ!窒息に耐えるしかない!!)
そう気づいた十人のうち半数が、手足での抵抗を諦める。首に全神経を集中させ、地獄の数分を乗り越えようと試みる。
(なんて長い……)
十人は十人それぞれ、違うものを見る。ある者は魔女の咀嚼によって動く口元を見、ある者は魔女が手にするトーストを見、ある者は足元の氷に映る自分の形相を見、ある者は砂時計の砂が落ちるのを見る。
そしてある者は、在りし日の幻を見て、暗く落ちていく。
「ふぅ………」
四分経過時点。
とうとう泡を吹いて気を失う者が現れる。
魔女はその〝脱落者〟の体をこっそり重力魔法で浮かせ、気道を確保する。脱落者に待っているのは、バカ騒ぎの中の鋸曳きの刑。ここで酸欠によって死ぬことは叶わない。
(あと一分!)
戦場を駆け抜け死地を幾度もくぐりぬけてきた強者たちは辛い訓練や思い出したくない惨劇を想像して、この窒息地獄を耐え抜こうとする。
砂が、落ち切る。すなわち七分経過。
シュウッ!!
さらし台十人の足元の氷が消える。彼らは地面が戻ってきたことを理解し、急いで体を足で支える。背中に張り付いていた氷柱も消えた彼らは新鮮な空気を目いっぱい吸い込む。
「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!」
唾液や涙や鼻水を拭きこぼしながら、全身で呼吸を開始する。
ガッガ。ガッガ。
そんな彼らをよそに、テーブルと椅子を消した魔女は氷の銃剣をもってさらし台を回る。
ガッガ。ガッガ。
七分の間に脱落した罪人たちのさらし台の材木にペケマークを刻んでいく。
ガッガ。ガッガ。
魔女が自分たちに近づいてマークを彫っているのはどういう意味なのか、意識のある四人が理解した時には既に氷のテーブルも椅子も魔女の姿もない。
「おい貴様!貴様が死んでいいのは三日後の処刑台だ!」
変装した魔女が広場に呼び寄せた兵士たちにより、意識を失っていた脱落者六名は殴打されてたたき起こされる。目覚めて何が起きたのかを理解したあと、彼らは窒息死できなかった自らの不運を悔やんですすり泣いた。
次の夜。
「また、来るのかしら?」
「さあな。だがこちらを試しているような感じだった」
「明後日には死ぬっていうのに、私たち最期まで忙しいわね」
窒息寸前で気を失っていた六名を自殺未遂と考えた兵士たちは処刑まで彼らを何が何でも生かすべく、見張りの数を増員する。その数全部で十五名。さらに今夜は前の晩と違い、民家の窓から広場を見下ろす〝目〟がいくつもある。……とはいえ、
「さ、寒い……」
「手がかじかむぜ」
大気が恐ろしく冷え込んでくる。
罪人の様子が気になる市民も窓を開けっぱなしでいつまでも見ていたいとは思えなくなるほど気温が下がる。さらには霧まで発生し始める。
「これも昨日の魔法使いさんの仕業でしょうね」
「だとすれば肺に空気を溜める準備をせねばな」
昨晩のこともあるさらし台の囚人十人は、ゆっくりと自分たちに近づいてくる霧に警戒する。それに対し見張りの兵士たちは最初気にも留めずトランプや与太話に興じていたが次第にお互いの顔はおろか手元まで見えなくなるほどの濃い霧に慌てだす。
(どこにいる?今度は何をしてくる?)
さらし台の十人の脳裏にクマの毛皮の女が浮かぶ。砂時計が浮かぶ。氷の冷たさが蘇る。窒息する恐怖が蘇る。そして……
「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」
そのすべてが薄らいでいく。
その頃、ワッサーブレ中央広場に近い食堂で魔女はくつろいでいた。
「はいお待ちどうさま!生ウニのオムレツとバゲットだよ!」
「ありがとおばちゃん!このオムレツ超大好き!」
「そりゃ良かったわ!あら何これ、砂時計じゃない。どうしたの?」
「砂時計の砂が落ちるのを見てるとさ、心が癒されるんだよ。だから見てんの」
「あらま、アンタにも何か悩み事があるのかい?」
「あるある。食欲が止まらないんだよね」
「あっはっはっ!そりゃ大変な悩みだ。解決しっこないから心配しても無駄ってもんだよ!」
「おばちゃんのイジワルッ!」
「気にせずお食べ!おかわりもあるからね!」
「ありがと!………さてさて」
(パルヴァティーの面影灰。何人戻ってこられるかな)
木のテーブルの上の七分計測砂時計を魔女はひっくり返す。
「いっただっきまーす!」
パルヴァティーの面影灰。
魔道具の一種で、闇の妖精パルヴァティーに取り憑つかれたまま死んだ人の骨灰を指す。これは吸引摂取した者に対して強い幻覚作用を示す。しかもその幻覚がもたらすのは多幸感。本人が一番会いたい人に会える幸せを、闇の妖精は見せる。そして場合によっては、幻覚を見たまま意識が戻らないこともある。闇市では大金を積まないと買えない逸品だが、金に困っていない魔女はコッペパンを買うついでに入手していた。
(幻覚と理解して、七分以内に戻ってこられたら、合格)
魔女が〝試験〟初日に試したのは打たれ強さ。
そして今日試そうとしているのは疑り深さだった。
「ごちそうさまでした」
「あれだけで足りたのかい?」
「ぜんぜん。でも今晩はダイエットするから我慢」
「夕飯だけダイエットしたってしょうがないだろうに」
「そうかも。えへへ。また明日来ます」
「おやすみ。おや、霧が出てるじゃないか」
「あ、ほんとだ」
「気を付けて帰りなよ」
「うん。おやすみおばちゃん」
黛は食堂を出る。霧宙を舞うその姿は既にクマの毛皮を纏っている。
中央広場に到着した黛は霧を少しずつ消していく。消えゆく霧の中から徐々に広場の全貌が現れ始める。
「父ちゃん、もうどこにも行かないで……」
「プロコピオ……愛してる……ずっと、ずっとだ……」
広場の一角に隠しておいた香炉を回収しつつ、黛は横たわってうわ言を言い続ける兵士の様子を確認する。
(少量だったけど、結構効く)
魔女はパルヴァティーの面影灰を香炉で焚いた。霧は面影灰の煙を隠すための演出だった。結果としてパルヴァティーの面影灰の幻覚作用を受けているのは中央広場にいた人間族および亜人族だけとなる。
(ペケのついていない残りの四人はどうなっているか)
黛はさらし台の十人の所に向かう。さらし台にペケマークのついていない四人の様子を確認する。
「ううっ、うっ、ううっ……寂しかったよ……ママ」
ガッガ。
「おいしいスフレが焼けたわ。さあ一緒に食べましょ。愛しのカルメーネット」
ガッガ。
「ふぅぅ……これで終わりかしら。氷大好き魔法使いさん?」
「……」
「クマの毛皮なんて被らなくたって、むさ苦しいその顔なら人だか獣だか最初から区別なんてつかないから問題ないわよ」
必死に強がる烏人族の前で、黛は氷の銃剣をおろす。
「お前は一体、何者だ?何が目的で、こんなことをしている?」
隣で汗を垂らす尾鬼人族が黛に問う。問われた黛は二人を見てほほ笑みながら魔法を発動する。
「「げほっ!?げほっ!!」」
肺の入口に水分をわずかに凝集させられ咳き込んだ亜人族二人が再び顔を上げた時には、黛の姿はどこにもなかった。
面影灰を焚いた翌日。
「よし気に入った!あのオカマカラスとゴリマッチョ!でも今度この年頃の美魔女に向かって「むさ苦しい」って言ったら絶対に二人ともポワレか丸焼きにする!」
パルヴァティーの面影灰を人体から取り除くため明け方まで都市エリゴの中だけに雨を降らせた黛は夜明けごろから仮眠をとり、昼近くになって情報収集と買い物に出かける。
「あの烏人族はハーバー・ドメーヌと言ってな。中央広場でも聞いたろうけど、遊撃部隊の兵士だよ。遊撃部隊なんて作戦上、脇役にしか見られねぇけど、あの野郎が率いる一番隊は別格だ。突如現れて敵集団の首をあっという間に狩りつくす。通称は死神部隊。なかでもその隊長のハーバーの鎌捌きは群を抜いてやがる。死神の首すら斬り落としちまうだろうとさ。まあ死神がいればの話だがな」
食堂のカウンターで黛にラガービールをおごられた退役兵士の一人が顔を紅くして真面目に語り出す。
「ふむふむ。カマ野郎は鎌使いっと」
「え?」
「なんでもないです。隣にいた鬼人族っぽいゴリマッチョの方は、何か知ってることがあれば教えてください」
「「「隣?……わはははははっ!」」」
エールビールを手にしたまわりの現役兵士二人も顔を紅くして一緒に笑う。
「なんかおかしいこと言いました、私?」
「あんた、グウェイ・ロマネを知らんのか?」
唾を飛ばしながら酔っ払いが尋ね返す。
「その口ぶりからすると、超ビッグネームなんスか?」
「この国で兵隊をやってて、アイツを知らねぇ奴はいねぇよ」
「どんな困難な戦場からもアイツだけは生きて帰る。それでついた呼び名は「不死身のグウェイ」。まあ今回ばかりは年貢の納め時だろうがな」
「賊軍についちまえば、こればかりは仕方がねぇだろうよ」
「でもアイツのことだ。きっと鋸で股を裂かれても生きてるかもしれねぇぜ?」
「いや、そもそもアイツのアダマンタイト製の〝息子〟は鋸でもきっと切れねぇよ」
「マジでアダマンタイト入ってんスか?」
「「「なわけねぇだろ」」」
「質問!質問!なんでそんな超有名人がこんな生ウニのパスタ以外自慢できるものがない辺鄙な田舎で処刑されるのさ?」
「簡単なこった。戦争で勝った王のマキャベリがビビってんだよ。マキャベリ王のいる首都で公開処刑をやりゃあ、当然処刑に王が立ち会う。その時に王はグウェイに寝首を掻かれるかもしれねぇ。奴は首から上しか動かせなくても人を殺せる。それが怖ぇからこんなド田舎で殺すのさ」
「マジで?王様どんだけチキンハートやねん」
「まあそれは半分冗談として、実際に首都でグウェイの処刑なんてすりゃあ、賊軍に回った側は相当刺激される」
「あいつぁ賊軍の大将よりも、兵士たちにとって精神的支柱だったはずだ。それを目の前でへし折られたら残された者はどうなるか。んぐっ、んぐっ、んぐっ、プハ~……グェップ!」
「なるへそ。あちこちでまた暴動が起きる、か」
「そうだ。で、そのグウェイの野郎の獲物はバスタードソードとソードブレイカー」
「ソードブレイカー?」
「両手剣を片手で扱う筋力。そしてソードブレイカーで相手の剣を受け止め一瞬でへし折る器用さと反射神経。それでついたあだ名が「三刀流のグウェイ」」。
「ふむふむ。残る一本はやっぱりアダマンタイト製の〝息子〟ッスか?」
「「「なわけねぇだろ」」」
「じゃあひょっとしてもう一本っていうのはあの尻尾とか?」
「そうだ。奴は尾鬼人族。尾鬼人族とよく似た鬼人族との決定的な違いは、背中から生えるアダマンタイト並みに硬質の尻尾の有無よ」
「ふむふむ」
「あの尻尾で首を締め上げられれば、よくて窒息、悪けりゃ首の骨をへし折られて最後はちぎれ飛ぶ」
「ひょえ~」
「突く。切る。叩く。なんでもありの三本目」
「攻撃に使わなくても腕や足の代わりだってできたぜ、たしかありゃあ」
「そうだったな。賭け試合を一度だけ見たことがあった。あいつが賭け試合に出るなんて珍しかったからつい見入っちまったよ」
「あんときは確か、奴の部下の借金が絡んでいたらしいぜ」
「そういうことか。部下思いのアイツらしい。でも尾鬼人族ならどうしてさらし台に括り付けられた時に尻尾使って逃げねぇんだ?」
「おめぇもまだ若ぇな。あのレベルの亜人族は捕らえられた時点で全員魔道具を飲み込まされてんだ」
「魔道具?そりゃ初耳だぜ」
「だったら覚えておけ。巫女グロアの涙蝋石。特殊スキル封じの魔道具だ」
「死神ハーバーもそれで背中の翼が動かせねぇのか……っておい、記者の嬢ちゃんはどこ行った?」
「「あれ?」」
ビールをおごった黛はその後武器屋に寄って必要な買い物を済ませた後、値段の高い宿屋に行き久しぶりにフカフカの寝床を借りて熟睡した。
日が暮れる。
ティオティ王国の要塞都市エリゴより東に170キロ離れた荒野。すなわち魔王領第Ⅱ地区最北端。
「もう一度言うてみよ」
「はっ!軍の食糧庫が何者かによって焼き払われた模様!……?」
ズシュッ!
伝令のため城内の謁見の間に急ぎ参上した魔物の頭部に黒い光が突如突き刺さる。その光は伝令の魔物から離れた玉座に座る魔物の握る錐状の短剣から伸びている。
「イルガ、ヌート、様……」
伝令魔物の体が猛る紫炎となり、そして瞬く間に燃えて消える。玉座の間に詰めている一同は皆、顔を伏せて動かない。下手に騒げば細く鋭い剣身の先が今度、自分の頭部を貫くのを知っているためだった。
「探せ」
控える魔物たちは一斉に顔を上げる。万が一その声の主が自分に向けて命令しているにも関わらず顔を伏せていれば、彼女の握るスティレットでメッタ刺しにされるのを知っているから。
「誰が糧食を燃やしたのか探し出し、臼で曳け」
言って露出部の多い布を纏うその魔物はスティレットを握っていない方の手で黄金の杯を持ち上げ、中に満ちる血液をゴクゴクと喉に流し込む。杯の中身は既に部下が石臼で曳き終えた人間族及び亜人族の体から集めたものだった。
「それと、焼かれた分の糧食は確保せよ」
玉座の間から魔物たちがあわただしく出ていく。
「分際をわきまえぬエサ風情め」
杯を運ぶ係が、血液に満ちた別の杯をおそるおそる玉座の魔物に運ぶ。玉座の魔物は不機嫌そうにそれを手に取り、瞬く間に飲み干す。
「不味い。わらわ自らが曳く。イヌ喰いじゃ。支度せよ」
「はっ!イルガヌート様!」
玉座の魔物は口元を血で濡らしたまま、黄金の杯を放り捨てて立ち上がる。その名はイルガヌート。
魔王領第二地区北部方面軍パトプリゼ城最高司令官。通称〝石臼のイルガヌート〟。彼女の元に配属される魔物たちの最初の仕事は、この呼称の意味を知ることだった。
「ぐぅああああっ!助けてくれぇぇ!!!」
ゴリゴリゴギゴギギギギ……
「お母さん!いやだよお母さん助けて!!」
ゴギゴギョグシュグシャアア……
「神よ……お助けください……痛い!やめてぇ!いやあああああああああ!!」
ロードローラーのような巨大な石臼に生きたまま曳き殺されていく犬人族二十五名。その裸の死体から流れ出る血液はまだ温かく、冷えるようなこの寒冷地でホカホカと湯気を立てている。それを必死にタライで回収していく魔物たち。余計なことを考えて溢すようなことがあれば、自分が臼で曳かれる。
「んぐ、んぐ、んぐ……ふふ。イヌは美味よのぉ」
筋肉質の魔物が四人がかりで曳く石臼を片手で軽々と動かし〝仕事〟を終えたイルガヌートが出来立てホヤホヤの血液で喉を潤す。
石臼のイルガヌート。
魔物の魔力回復において一番効率が良いとされる飲血を独特の方法で行うため人々からは死神以上に恐れられる。
「だがまだ足りぬ。馬人族を連れてまいれ。……強いオスを二匹じゃ」
また、気に入らない者は同族だろうと虫けらのごとく殺す非情さから、魔物からも怖れられている存在。
「いつものごとく、わらわの前で殺し合わせよ。勝った方はしばし、精も味わってやる」
女体の魔物は恍惚の笑みを浮かべながらその口元を赤々と濡らし続けていた。
そのイルガヌートの部下が夜陰に乗じたエリゴ襲撃計画を練っているとはつゆ知らず、要塞都市エリゴの街では城門を閉ざしたまま勝手に厳戒態勢を整えていた。
「こりゃまたものものしいわね」
「魔物が来ることをを警戒しているのわけではあるまい」
「そうね」
ワッサーブレ中央広場では囚人十人のさらし台の近くで処刑台が用意され始める。このエリゴにおいて鋸曳きの処刑は庶民によって最高の娯楽であるため、処刑台は最初からほぼ出来上がっている組み立て式で、一日もあれば完成する。つまり組み立ての人員はさほど必要としない。
それにもかかわらず、中央広場には五十名以上の兵士が集まり、通りや周囲の屋根を警戒している。さらには辻々を複数の兵士で見回りっている。
「またまた来るのかしらね、あの魔法使いさん」
「さあな。いずれにせよ俺もお前も明日には露と消える身。そのことに変わりはない」
「……そうね」
「……」
「……」
「お前は昨日の霧の中、何を見た?」
「恋人よ。可愛い狐人族の部下だったの。……アタシをかばって毒矢を首に食らって死んだわ。ギデオンをキュロス山に逃がす護衛任務の時よ」
「そうか」
「あなたは?」
「俺は……妻と子どもらに逢えた。五人ともちっとも変わらない。妻も変わっていなかった」
「そりゃそうよ。みんなどうせ死んでるんでしょ?」
「ああ。そう気づいて、目が覚めた。……気づいてはいたが、気づかぬふりをしていたかった。ずっと」
「そうね……まったく」
「俺の手は血に染まっている。この臭いは一生拭えない。だから、妻と子らと同じ場所に往けるとは思っていない。それだけが未練だったが、そんな業の俺ですら、もう一度逢えた。……それだけで満足だ」
「アタシは逢うわ。彼もきっと地獄で待ってる。ねえ良かったら三人で楽しまない?」
「遠慮する。前にも言ったが俺にはそっちの気はない」
「あら残念」
「俺は独り、とびきりの地獄を味わうとする」
「あらそ、どうぞお好きに。冥界にでもいってらっしゃい」
鋸で引き裂かれる恐怖。鋸で全てが終わる安堵。鋸の死後に始まる何か。さらし台の十人は様々なことを思いながら、完成に向かう処刑台を見つめていた。
そして日が暮れる。
「餞別だ」
ブリオッシュ兵隊長がそう言って部下に命じ、さらし台の十人に猿轡を噛ませる。いよいよ夜半になって舌を噛み切って自殺するのを防ぐ措置だった。
「うれしいわ。ちょうど口さみしくてしょうがなかったの。良かったらお口でサービスするわよ?短小そうだからすぐに噛み切る自信があるけど」
「ほざいてろ」
烏人族ハーバーも噛まされる。
「鬼神と呼ばれたグウェイもこれまでだな」
猿轡をもった兵士と兵隊長が尾鬼人族の方へ移動する。
「………」
無視されたことが気に入らず、ブリオッシュ兵隊長が顔を尾鬼人族に近づける。
「鬼神様でも死ぬのが怖いか?え?」
「………」
「ふん。恐怖で声も出ないとは臆病な鬼神様だ。さっさとつけろ」
兵隊長が顔を離していき、兵士によって尾鬼人族グウェイに猿轡が噛まされる。だが噛んだ瞬間、
ガキンッ!ブォッ!!
鋼鉄製の猿轡を歯で粉々に破壊したグウェイはその破片を口内に一度含み、それを兵隊長に向かって思いきり吐く。散弾銃並みの速度で破片は近くにいる兵士と兵隊長の顔面に突き刺さる。
「ぬあっ!?」
「案ずるな。自死などせん」
顔を手で覆い転げまわる兵隊長に向かってそう言うとグウェイは目を閉じて笑った。
「こぉのぉ……なめやがってっ!」
ブチ切れたブリオッシュ兵隊長は立ち上がるや否や顔面を血まみれにしたまま腰の乗馬用鞭を振り回す。その鞭はグウェイと隣にいるハーバーの顔面を容赦なく打ち据える。
「はあ、はあ、はあ、はあ……負け犬のクソ亜人どもめ!明日は俺自らが貴様らのために鋸を曳いてやる!!」
皮膚が破れ頭から血を流す亜人族二人に向かって兵隊長が怒鳴る。猿轡をはめる任務をしていた兵士は頭部が吹き飛んで死に、他の兵士四人に遺体を運ばれていく。
「隊長、いくらなんでも隊長がそのようなことを」
「うるさい!こいつらを朝まで見張っとけ!!もしも逃がしたりしたら貴様の睾丸を切りとって口に詰め込んでやる!!覚えとけ!!!」
鞭を捨て、顔に刺さる破片を引き抜きながら兵隊長が中央広場を去ろうとした時だった。
カンカンカンカンカンカンカンッ!
非常事態、つまり魔物の襲撃を知らせる鐘がエリゴに鳴り響く。
「何事だ!?」
「敵襲!敵襲!魔物の群れが東正門に向かっています!」
「なんだと!?全員正門に集合!!」
既に武装している兵士たちはそのまま正門に向かい、処刑台を組み立てていた兵士は工具を武具に切り替え、正門に急ぐ。いずれにしてもたいした手間はかからず、迅速に行われる。これは襲撃を仕掛けた魔物にしてみれば寝耳に水のできごとだった。すなわち奇襲作戦は奇襲でなくなる。
「魔物の群れを複数確認!」
「集結する前に叩き潰す!奴らを殺して城壁の歯クソにしてくれる!!」
「「「「「「おお――っ!!」」」」」」
殺気だった血まみれ兵隊長に先導され、兵士たちは開いた城門から一気に流れ出、後続を待つ魔物たちの元へと打って出る。
こうして魔物たちが構想した奇襲作戦はただの正面衝突と化す。個は強いが数で劣る魔物の軍と、個は弱いが数で勝るエリゴの軍が真っ向から激突する。さらにエリゴの軍があまりに急に攻め出し、かつ勇猛果敢に魔物と戦を始めたためエリゴの民も兵士たちに協力的になり、武器や農具や〝マイストーン〟を持って城壁に集まる。
「魔物ども!ぶっ殺してやる!」
「お父さん!僕も魔物の鋸曳きやらせて!!」
「ターニャ!もっと石をたくさん集めて!これで魔物の頭を上から全部かち割るのよ!」
「今宵は前夜祭じゃあああっ!!!」
「エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!エリゴッ!」
血を沸騰させたエリゴ市民も戦闘に加わり、要塞都市は文字通り血祭りの様相を呈し始めた。
「ん!?ふごふごっ!」
さらし台の一人の声で、グウェイとハーバーは血まみれの顔をゆっくり上げる。その目線の先には、クマの毛皮で正体を隠す黛明日香。けれど彼女を静止する兵士はいない。兵士も市民も、みな〝城外乱闘〟に出払っていて、他には誰も広場にいない。
カチチチチチ……
「!」
グウェイの口の中に氷の玉ができ、それはやがて他の九人と同じような猿轡の形になる。
(やはり、噛み砕けぬほど硬い)
黛に対しブリオッシュ兵隊長と同じ目に遭わせてやろうとグウェイは思案したが、それができないことを理解し、諦める。
ガチッチチチッチッチチ………
十機のさらし台すべてが強烈に凍り付いていく。氷は木材の細胞壁すらことごとく破壊して、その強度を無いも同然にする。
ヒュンッ!ガシャガシャガシャンッ!!!
黛が投げた氷の銃剣がさらし台にぶつかると、さらし台は粉々に崩れる。十人全員が二日ぶりに地面に膝をつく。
ジョボジョボジョボン。
「「!?」」
ただし二人。黛に襲い掛かろうとした烏人族と尾鬼人族だけ、その体はすぐに大きな水膜に包まれる。首から下の自由が利かなくなる。
(何をした!?)
残りの八人が黛を見ようとした瞬間、彼らの眼にすさまじい寒波が襲い掛かる。反射的に目をつぶる彼らの瞼は即座に凍り付き、眼が開けられない。
パニックになって瞼をこすり、ようやく氷が溶けて瞼が開いた八人の視界に、すでに黛も亜人族二人もいない。
「アイツは一体何だったんだ?」
「そんなことは今どうだっていいわ!」
「そうじゃ。いつまでもここにはおられん!」
「そうね!逃げるなら今しかない」
「こっちだ!兵士たちは正門へ向かった!!」
八人の囚人は急ぎ、城の裏門から脱出した。
「報告!報告!」
「何事じゃ?」
「あっ!おそれながら、その……」
「なんじゃ?ああ、構わぬ。申せ」
「は、はい。申し上げます。実は」
命がけの余興で勝った馬人族の精も根も喰らい尽くしていたイルガヌートは裸のままエリゴ襲撃の件を聞く。
「失敗したじゃと?」
「おそれながら、夜襲は失敗に終わり、ぐあっ!?」
報告をしている魔物の左肩に投げられたスティレットが突き刺さる。
「貴様らは餌一つまともに集めてこられぬのか?」
「申し訳ございません!襲撃前に発生した濃霧で斥候の移動が遅れた模様でございます!」
「その間抜けらをここへ連れて来るのじゃ。曳いてやる」
「おそれながら、その」
「なんじゃ?早よ言え」
「はい!おそれながら……斥候は一人として、戻ってきておりません」
「は?」
「おそれながら、何者かが我々の連絡を妨害したとしか。グアアッ!!」
「ちっ」
報告者の首と、身体を重ねていた馬人族の首を刎ねた後、イルガヌートは召使いが急ぎ用意した服を着て玉座の間に戻る。そこにはすでに彼女の命令を待つ兵士たちが控えている。
「無能ども。この度の失態を挽回する機会を与えようぞ。エリゴに攻め入り、動く者全てを屠って参れ。食ってよい」
イルガヌートが命令を下す。一同は敬礼し、玉座を出ようとしたその時だった。
ガシャンッ!!ドバシャッ!!!
「「「「「「「?」」」」」」」
玉座の間の天窓を突き破って水塊が落下する。それは地面を思い切り叩いた後、弾けて弾け散る。
「「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」」
散った水塊の中から出てきたのは、再び窒息の地獄から解放されたばかりの亜人族二人。
「何者だ!?」
イルガヌートを警護する魔物たちが槍と剣を構えて二人に詰問する。
ドス。ゴロ。ゴロゴロ。
「?」
その時、何かが上からさらに降ってくるのに魔物一同は気づく。
「あっ」
それは斥候を務める魔物の首だった。一同は天窓を見上げる。
ドス。ゴロ。ゴロロ。
宙に浮かぶ人影。そしてそれを取り囲むようにして浮かぶ魔物の生首。血を滴らせたその生首が一つ、また一つと転がり落ちていく。
「……」
魔物たちは息をのむ。彼らの目に映る人影はゆっくりと浮遊し、仲間の生首の転がる中心に降り立つ。
「名は何と申す?」
自分を見下ろしていることにイラついているイルガヌートが人影に尋ねる。その人影はクマの毛皮を深々と被り、顔が見えない。
「……」
舞い降りた人影はけれどイルガヌートを無視し、背を向ける。イルガヌートの怒りが頂点に達し、スティレットが毛皮の頭部めがけて放たれる。
カン。
「は?」
スティレットは毛皮に直撃した後、そのまま乾いた音を立てて地面に落ちる。その意味が理解できない魔物たちを差し置いて、人影は亜人族二人を宙に浮かせる。そして右足と両腕を後ろに引く。拳に魔法が灯る。
ドムンッ!
「「はおっ!!??」」
亜人族二人の腹に毛皮女の正拳突きがめり込む。同時に二人の氷轡が壊れ、口の中から魔道具が飛び出す。
(あれは、巫女グロアの涙蝋石)
特殊スキル封じの魔道具を強制的に吐き出させられた烏人族と尾鬼人族は腹を押さえ苦しそうに身をかがめる。
「ふう、ふう……あんた、何者よ」
着地を許された烏人族が人影に尋ねる。人影は今度、イルガヌートの方に体を戻す。
「我は光と闇を嫌う破壊者、メフィストフェレス・ヨハンファウスト」
一同、呼吸を忘れる。
「よもや貴様が、ピルニツに現れ眠れる巨獣を屠ったという……」
投げた刃が衣服一つ傷つけられない理由を知ったイルガヌートが恐怖の入り混じった声を出す。
人影の正体は黛明日香。レベル81の氷結の魔女にして重力魔法使い(グラヴィシュア)。
レベル60相当に過ぎない石臼好きの魔物の〝針〟など、届くはずもなかった。
「あいつがメフィストフェレス……」
「メフィストフェレスって言ったら確かクアドラブルエレメンターの……」
「レベルにゃんにゃんにゃんの、あのメフィスト……」
氷結の魔女に恐怖のまなざしを向ける一同。歯をガタガタと言わせる魔物たちの息は、徐々に白くなる。大気がさらに冷たくなっていく。
「参ったわね。まさか」
「怪物かもしれぬとは思っていたが、本物だったとは」
腹をさすりながら上体を起こすグウェイとハーバー。
ボッ!
その尾鬼人族の強烈な尾と烏人族の回し蹴りが黛を捉える……
ガシシッ!!
ことはできない。足元の水で二人の筋肉の弛緩を完全読んでいる黛は瞬速で氷の壁を生み出し、二人の攻撃を受け止める。しかも受け止めた氷は二人の体がそこから離れることを許さない。
「汝ら二人に最後の試練を課す」
白い息を吐く黛は表情を隠しながら言う。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンッ!! ズガズガンッ!!!
「「!」」
割れた天窓の外から二本の武器が回転しつつ降ってきて、グウェイとハーバーの傍の床に突き刺さる。大鎌と両手剣。
「この死地から生き延びてみせよ。さすれば……」
グウェイとハーバーの動きを止めている氷が瞬時に溶けて水になる。その水はアメーバのようにして新品の武器二つに移動して、鎌と剣の刃面を素早く濡らす。刃はたちまち錆びて毀れ、切れ味をほぼ失う。
「タダメシを食わせてやる」
魔女はそう言い残して湯煙のように消える。
ドゴオオオオオンッ!!
入れ替わるようにして玉座で轟音があがる。驚いた魔物たちの目に、石臼が映る。ついでに石臼に押し潰されたイルガヌートの死骸も。
「はあ、やれやれ」
ハーバーがため息をつきながら錆びた鎌を引き抜く。魔物たちが再び彼に注目する。
「ふ……」
グウェイも苦笑しながら錆びた大剣を引き抜く。魔物たちが叫びながら二人へ走り出す。
「とんでもない大物だったみたいね」
烏人族の黒翼がビキビキと広がる。尾鬼人族の尻尾が地面を叩く。
「そうらしい。お目に適うといいが」
そして亜人族二人は錆びた武器を構える。
「切り抜けるわよ」
「おう」
都市防衛戦すなわち〝城外乱闘〟の続く要塞都市エリゴより東の地、パトブリゼ城。今ここで空前の〝城内乱闘〟が始まった。
夜が明ける。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
要塞都市エリゴに攻め込んでいた魔物たちは戦況が芳しくないためパトブリゼ城へと撤退を開始する。ただし誰一人、自城にたどり着けない。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
彼らは城にたどり着く前に魔女の霧に呑まれ、霧の中で同士討ちをしてしまい、あるいは方向感覚を失って荒野を彷徨い続けている。
「ほんと、強いわね」
「お前もな」
「先に、出ていいわよ」
「お前が、先に行け」
もっとも、城にたどり着いたところで味方の魔物はもう生き残っていない。
「静かに、なったわね」
「ああ。……生きているのは、俺達だけ、らしい」
肩で息をする尾鬼人族と烏人族の二人が、城の魔物を殲滅してしまっていたから。
「人様の考えることと、似ているわね」
烏人族が言って、折れた鎌を捨てて魔物の死骸の上に尻もちをつく。
「辺境に、強い魔物なんて配置しない」
「なるほど、たしかに」
鳥人族の言わんとすることが分かり、尾鬼人族も折れた剣を捨て隣に腰を下ろす。
「強い兵は中央に集める」
「そうやって地方の戦力を削ぎ、謀反を未然に防ぐ。そんなとこかしら。魔王も聖皇も国王も、考えることは同じね」
「おかげでここは雑魚しかおらず、俺たちは何とか生き延びられたというわけだ」
「いやいや二人が強いからだよ」
「「!?」」
気配を全く感知できず慌てて振り返る亜人族二人の首の付け根に魔女の手が触れる。体温が急低下した二人はそのまま意識を失った。
グツグツグツ……
「「……?」」
グウェイとハーバーが再び目を覚ました時、二人はピルニツ諸島の主島ガマエにいた。
「おはよ」
民家の中、二人は部屋の隅に敷かれた羽毛布団に寝かされていた。
「あんたは?」
「メフィストフェレス」
「「!」」
「なんてね。あんなの作り話だよん」
横たわる二人の近くにあぐらをかいて座っている黒髪ハーフアップの魔女はニコニコしながらそう言うと立ち上がり、部屋中央の囲炉裏に移動する。囲炉裏には大きな鍋がかけられていて、中の具材が煮立っている。
「お腹すいたでしょ?一緒に食べよ」
グウェイとハーバーは互いの顔を見る。やがて意を決し、床から出て魔女の近くに移動する。腰を下ろす。
「傷の治癒もできるのか」
体に巻かれた包帯をさすりながらグウェイが尋ねる。
「そりゃあ、一応魔法使いだからね」
「飛んだり、凍らせたり、ほんとに万能ね」
首をコキコキならして自分の肩を揉むハーバー。
「まあね。それよりこれ、何鍋かわかる?」
「見ただけでは難しい」
「じゃあ味見していいよん」
魔女はお玉をとり、鍋の具をどんぶりに目いっぱい盛って二人に渡す。二人は受け取った椀を静かに見つめる。
「大丈夫。毒なんて入ってないから」
「そんなものなくてもいつだって私たちを殺せるものね」
「その皮肉たっぷりの物言い、やっぱり嫌いじゃないな~」
スプーンも受け取った二人は観念して魔女の椀に口をつける。一口すすって二人とも言葉を失い、あとは黙々と椀の中を平らげる。
「「………」」
「どう?」
「おいしいわ。馬鹿みたいに」
「こんなに旨いとは正直予想していなかった」
「よかった。で、何鍋か分かった?」
「ウミガメを最後に食べたのは、十年以上も前ね」
「ウミガメは久しく食べた記憶がない。戦場で働くようになってからはなおのことだ」
「二人とも正解。これはウミガメの鍋。さあさ、ジャンジャン食べて」
しばらく水以外のものを口にしていなかった亜人族二人は少しずつ胃袋に食べ物を送り込んでいく。非常時に対応していた体はここでようやく解れる。内臓から全身へと、弛緩が広がる。こわばりが溶けていく。
「へい。お待ち」
「あらやだ何これ?」
「まあ食べてみなはれ」
「もぐもぐ……牛の肉?しかし魚の味もするが」
「へへ。何の肉でしょう」
「どこかで食べたことあるんだけど、思い出せないわ」
「答えはね、トド。トドのお肉を半分凍らせた刺身で、ルイベっていうんだ」
「これがトド肉というものか」
田舎に久しぶりに帰省した息子たちに手料理をふるまう母のように、魔女は亜人族二人を優しくもてなす。
「そういえば敵の大将を潰したあの石臼、なんだったのよ?」
「ああ、あれね。トマトジュースを作るのにあの若作り厚化粧悪魔が使ってたみたいだね」
「そういうことを聞いているのではなく、どこからあんなものを……」
「別の部屋に置いてあったから持ってきて、そっと天井に吊るしといたんだよね。で、タイミング見計らって落としただけ。加速させてね」
「こわ」
「さすがは大魔法使いメフィストフェレス。ところでこれはどうやって食べるのだ?」
「あら意外、キビヤックをあなた知らないの?」
「こうやってウミツバメを指でモニュモニュして骨も内臓もグッチャグチャにして、そしたらツバメのお尻の穴に口をつけて、一気に中身を吸うの」
「なんと」
「烏人族のオス的にはとても興奮するし、味もあたし好みで最高の発酵食よ」
「ふむ。こうか。……ズズッ!?ゲホッ!ゴホッ!!エホッ!!」
「うわこのシッポゴリラきったね!エンガチョ!」
「最初は誰だってそうなるわよ。どれどれ、ンチュウウウ……アザラシの脂とウンコとチーズとクサヤを混ぜたような発酵臭が口いっぱいに広がるこれ、やっぱりたまらないわ」
圧倒的な戦力差を見せつけられ戦うことを放棄した亜人族二人も無邪気な子供のように魔女のもてなしを受けた。
「おいしかったわ。ご馳走様」
「馳走になった。かたじけない」
「もういいの?足りた?」
「十分すぎるわ。これ以上食べたら股を裂かれたときに余計なものをぶちまけちゃう」
「ああ。死ぬ前にこれほど食えるとは思わなかった」
「なになに、二人ともまた処刑場に戻りたいの?」
二人の亜人族は声を立てずに笑う。
「仮に戻らなくても、ここで死ぬんでしょう?」
「なんでさ?」
「生殺与奪の権をもっているのはお前だ。目的は我々を嬲り殺すことだろう?」
「違うよ。スカウトしに来ただけ」
「へえ。それは奴隷剣士として?」
「ちゃうちゃう。部下として働いてほしい。お給料は毎月支払うよ。仕事がいやだったらやめてもらっても構わない。お金がたまってやりたいことがあるならどこへとも好きな所にいって構わないよ。もちろん私としては最後まで働いてほしいんだけどね」
「最後?」
「そう。最後まで」
「死に果てるまでという意味ではないのだな?」
「ちゃうちゃう。目的を果たすまでっていう意味」
グウェイとハーバーは互いの顔を見る。そして黛をまっすぐ見る。
「「目的とは?」」
「ある奴を殺す。それだけ」
黛は二人の方を見ず、ただ火を眺めながら答えた。
「それは、あなたより強いの?」
「確実に。そしてこの世界でおそらくは一番危険な存在」
「一体何者なのだ?」
「それは召喚者に紛れている」
「召喚者って、南のアントピウスにいる何とか聖皇が異世界から呼び寄せる勇者候補たちのこと?」
「勇者かどうかは知らないけれど、まあそうだね」
「その中にお前の言う危険な存在というのがいるのか?」
「そういうこと」
「「………」」
「王国兵士から魔女の部下にジョブチェンジするのは勇気がいるよね。どう?やる?」
亜人族二人はしばし黙す。
「いきなりさらし台の足元をツルツルにされて、逆首吊りをかまされる」
烏人族が皿の上のキビヤックをおもむろに取り上げ、モミモミし始める。
「勝手に人の心を暴いて夢とともに朽ち果てさせようとする」
ゆっくりとモミモミを終えた尾鬼人族がキビヤックの肛門に口をつけて吸い始める。
「しまいには敵地に放り投げて錆びた武器一本つかませて、「生き延びろ」なんて抜かす」
「石臼を投げ、空を飛び、水を操るそんな恐るべき魔法使いが、力及ばぬから助けてほしいと言う」
黒いドロドロの発酵液体で口を汚した亜人族二人が黛を見る。
「やるに決まってるでしょ」
「手伝わぬ理由がない」
黛がニヤリとする。
「良かった。断られたらもう一回魔物の城に捨ててこようかと思ってたけど、ありがとさん」
「どうせ他にすることもない。国を生きて出ることがもしあればアーサーベル王国の鉱山で働こうとも考えたが、魔物や人を前にして剣を振るくらいしか取り柄のない俺では精神的に長続きしないだろう」
「あたしもそうね。生き延びたらソイグル王国の場末の酒場あたりで働こうくらいにしか考えていなかったけど、よくよく思えば客商売なんてあたしには無理無理。キレてすぐに客の首を刎ねちゃう自信しかないわ」
二人はそう言うと、絞り出した後のキビヤックの残りの皮も口の中に放り込む。口を拭う。
「お眼鏡にかなって光栄よ。メフィストフェレス」
「だからさ、メフィストフェレスっていうのは私が作ったただの作り話。そんで私の名前は明日香。黛明日香っていうの。召喚者としてこの世界に来たのさ」
「召喚者。お前もそうだったのか」
「そう。で、私と一緒に来た奴の中に、さっき言った〝ヤバいの〟が混じってる」
「あなた以上にヤバいっていうのが全然想像つかないんだけど」
「まあそのうち説明するよ。それより二人の自己紹介をしてよ」
「いいわよ。あたしはハーバー・ドメーヌ。この目元の涙のタトゥーで何人もの男を射止めてきたわ」
「あっそ。次」
「俺はグウェイ・ロマネ。剣術が得意だが実は毛糸を使った編み物の方が得意だ」
「「マジで言ってんの!?」」
こうして氷結の魔女の軍門に二人の亜人族が加わることになった。
時を同じくして、アーキア大陸中央南。魔王領バルティア帝国第六地区。
「噴火が近づいている?」
第六地区主都エドムのクネーデル城。
「地質観測官たちがそのように申しております。ここよりさらに山脈に近い地では地震が頻発しているという情報もあるそうです」
玉座に座る魔物プールソンは部下の報告を聞き、鼻を鳴らす。
「あのロンシャーンが噴火するなんて、何年ぶりだろうか?」
「私の記憶ではここ百四十年は確実になかったかと思います」
「二百五十年ほど前に、そういえばあったかと存じ上げます」
別の老官がプールソンに告げる。プールソンは「そうか」とつぶやき、思案する。
第六地区。
そこはバルティア帝国西端にしてロンシャーン大山脈帯に西接する。
(つくづく貧乏くじを引かされたものだ)
第六地区担当に任命されたプールソンは己の不遇を思い、ため息をつく。
(中央からの資金援助はあるまい。となれば自費で何とかせねば、か。俺に野心がないことに感謝することだ。魔王ウェスパシアと太鼓持ちども)
玉座のひじ掛けを爪でリズムよくカタカタ叩きながら、プールソンは思考を切り替える。
「あの間抜けどもはどうしている?」
「間抜け?」
「世迷言を抜かし、南山麓のスノードロップを捨てて逃げ帰って来た連中だ」
「夜が怖いと未だにおびえておりますが、こればかりは時が解決するとしか……」
「ふん。本来なら敵前逃亡は死刑だ。時が解決するなどと生温いことを言っている場合ではない」
「では、どうなさいますか?……まさか全員処刑するおつもりですか?いくらプールソン様がお強いとはいえ……」
「お前はアホか?逃亡兵は何万匹いると思う?そんなことをするわけがなかろう。……とはいえ、このまま腰抜けどもをただ放っておいても何にも変わるまい」
「では一体何をお考えなのでしょう?」
「不安は行動で解消させる。すなわち仕事に没頭させる。さすれば心もいずれ癒されよう」
「仕事?」
「昼夜を問わず、死なぬ程度にこき使い、城の西に堀を穿たせよ。つまりロンシャーン山脈の東麓近くにおいて、溶岩流をせき止めるための長大な堀を幾重にも南北に築け。詳細な下知はその方らに任せる。怪鳥がどうだのと戯れ言を抜かし続けるようなら見せしめに何匹かくびり殺して野ざらしにし、野鳥にでも食わせよ。早々に取り掛かれ」
「かしこまりました」
vertigo
conservus




