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昏き空。白き騎士の叙情

 赤い月の光を鎧で反射しながら空を駆けていた。俺達は海を抜けて陸地の上を滑空し、始まりの地へと戻ろうとしている。目的はただ一つ……スピカの救出だ。あの町の真ん中に、彼女の居る世界への扉がある。不滅に背中を押され、厭世に道を指し示された。ならば、その道を突き進むしかないだろう。俺はスピカを連れ出すと宣言したのだ。ならば最後まで、その言葉に責任を持つべきだろう。


「とはいえなぁ……」


『どうやって町中に入り込むか、だよね』


 町の警備は異常なほど厳重だ。真正面から突破しようとすれば尋常ではない被害を被る。とはいえ裏道などあるわけではなく、変装などをして進もうにも門番に鑑定の一つでもされればアウトだ。八方塞がり……。


「メラルテンバルー、なんか良い方法無いか?」


『町の被害を最小限にして目的地にたどり着かなきゃいけないんだよね?尚且つ誰にも迷惑を掛けなくて、君にとって安全なもの……難易度が高くないかい?』


「だよなぁ。正攻法は正面突破なんだろうけどさ……」


 この世界のNPCは死んだあとに蘇るかどうか分からない。なのでなるべく門番を殺してしまうことは避けたいのだが……手加減が出来るほどレベル差があるわけでもなく、俺に技量があるわけでもない。二人してうーん、うーん……と唸っていると、どんどん周りの景色は後退していき、町にどんどん近づいていく。

 町に着く前に色々と決めないとな。町の上をメラルテンバルが旋回してたら間違いなく対空攻撃が散々に撃ち込まれるだろう。


 さらに今の時刻は月紅の真っ最中。狙われない道理はない。なるべく成功率の高い作戦で、目立たないもの……。


 …………あ。


「い、いや……流石に……」


『ん?何か思いついたかい?』


「いや、思いついたといったら思い付いたんだが……これを作戦と言っても良いのかわからん」


 戦略家が俺の考えを聞いたら呆れるだろう。もっと使えるものを使って、持てるものを持って作戦を……と諭されるのは道理だ。だが、俺にはこれぐらいしか思い付かない。こんな、気の狂った作戦ぐらいしか。

 内心顔を青くしつつ、メラルテンバルに作戦の概要を伝えてみた。


「……――、――」  


『はぁ!?正気かい?そんな……そんなの死にに行くみたいなものじゃないか!』


「――」


『出来るけど……君はそれで大丈夫なのかい?』


 大丈夫な訳がない。出来ればこんな作戦とりたくもないし、何か思い付けば間違いなくそっちを選ぶ。だが、今の俺に出来る最高の作戦はこれしかないのだ。


『間違いなく正気じゃないよ……見ず知らずの女の子の為に、君はそこまでするのか』


「……それが、俺のやりたいことだからな」


 これはゲームだ。そうだ、ゲームなんだ。現実じゃ出来ないことが出来る楽園で、自由な世界なのだ。ならば、尚更自由に楽しんで生きるのがベストだろう。俺にとっての楽しさが自由で、その自由が誰かを救えるならば、それは願ってもないことだ。


『気紛れで命を賭けるなんて……長生きできないよ?』


「生憎、死なないことには定評があってな。『破滅』相手にだって逃げ切れるぐらいだ、どんな場所からも生きて帰ってみせるよ」


『その先で、知らない女の子を助けてから……でしょ?はは、相変わらず君は馬鹿だね。馬鹿で意味不明で、無謀で……格好良いよ。君を見ていると、絵本の英雄を思い出す』


 メラルテンバルの言葉に少し恥ずかしくなった。絵本の英雄だなんて、言われるだけで恥ずかしくて嬉しくて……それはもう、舞い上がってしまいそうになる。恥ずかしさに視線を少し外すと、遠くに町が見えていた。四つに区切られた町には今も砂金のような灯りが光っており、草原の灯りも盛んに揺れていた。


「あの町の真ん中か……」


『十字に区切られたど真ん中だね?』


「……ああ、頼むよ」


『本当に、ゲートはあるんだろうね?無かった場合君は確実に死ぬよ?』


「厭世の言葉に嘘はない筈だ」


 少なくとも、気だるげに情報を教える彼の目に迷いや悪意は無かった。それに、ワールドボスがイベントクエストに逆らえば、間違いなく世界がその行動を制限するだろう。彼も言っていたしな……どうせ語らざるを得ないと。


 遠くにある町がだんだんと近づいてくる。鼓動がゆっくりとそのストロークを早め、心なしかメラルテンバルの体も強ばっているように感じる。俺たちの居る場所の正確な高度は分からないが、雲よりは下だし、きっと飛行機よりは低い高度だろう。それでも上空に吹く風は強烈で、地面は遥かに遠い。


「やれるか?」


『……僕を舐めないでくれよ。これでも翼と尻尾の扱いにはかなり自信があるんだ』  


「はは、心強い」


 町に近付くにつれて、町の灯りが慌ただしく揺れ始めた。メラルテンバルに気が付いたのだろう。大急ぎで防壁の上にバリスタやら大砲やらの対空兵器が置かれる。今更ながら大砲とかの火器はあったのか、と思ったがこのゲームは職業が豊富だ。素材さえあれば、職人が空想をリアルにしてしまう。

 NPCとてそれは例外ではないだろう。


 ……さて。


「頼むぞ!メラルテンバルっ!」


『任せなよっ!』


 メラルテンバルが力強く銀翼をはためかせ、町の上空に飛び出す。猛烈な風圧に身体を引き剥がされないようにしがみつきながら、眼前に広がる町の真ん中を睨んだ。あそこだ、あそこに入り口がある。

 町は完全に恐慌状態だった。逃げ惑う住民や、唖然とするプレイヤーらしき人影が見えた。赤い月を背負って、メラルテンバルがうず高い防壁に接近する。


 灰色の石材で出来た防壁には、緑を基調とした制服と鎧を纏った兵士がいた。彼らも強大過ぎるメラルテンバルの強襲に驚いている。メラルテンバルの体が防壁に激突すると思われた瞬間、銀の巨体が急激に上昇し――それと共に俺はメラルテンバルにしがみついていた手を離した。


 その瞬間から、この世界の全ての物がスローになる。空を駆けるメラルテンバルの背中も、慌てて武器を構えようとする兵士の動きも、今では月に掛かる叢雲のようなスピードだ。離れていくメラルテンバルの背中、ゆっくりと襲い来る浮遊感。


 普段なら大声で叫んでしまうような事柄を一切捨てて……目を開く。


 さあ、どこだ?……あそこか。町の中央には噴水がある。ひまわりに似た花の、白い石膏から水が溢れているのが微かに見えるのだ。どうして自分の目がこんなに良いのか分からないが、恐らくスキル『心眼』の効果ではないだろうか?まあ、そんなことはどうだっていいのだ。


 しっかりと目標を捕捉して……俺は、盾を構えてそれから目を逸らした。そして、ゆっくりと進む世界で町に背中を向ける。身体を捻れば捻るほど、視界がぐるりと回って言い知れぬ恐怖を感じる。それを気合いで押し込めて、町へ完全に背中を向けて盾を構えた。


 ――グゥァン……


 何とも言えない音が背後から聞こえる。だが無視だ。彼を……メラルテンバルを信じろ。


「『ディフェンススタンス』『硬化』『シールドバトラー』『ダークフォロー』……」


 バフの光が俺を包む。それと共に、視界に白く長いものが映り込んだ。それは加速した世界でも普通と思わせる程の速度を持った――メラルテンバルの尻尾だ。


『行ってこいッ!』


「あぁ!!……っごぉぉっ!」


 二人して最後の挨拶を果たした時、世界がもう一度速度を取り戻す。バギャン!と形容しづらい音を立てて俺の盾は強く尻尾に撃ち抜かれ、ビリヤードの玉のように勢いよく鎧の俺が空を舞う。

 踏ん張りが利かない故に大きくなる衝撃に、思わず情けない声が出た。メラルテンバルの一撃が俺の体力の4割を奪う。


 よしっ!即死してない!空でド派手な一撃を受けた俺の体は恐るべき速度で市街地の空をぶっ飛び、全身にとてつもない浮遊感が訪れる。堪らなく恐ろしいそれに顔を渋くしながら、何とか身体を反転させて前を見る。それと同時に背後から耳を塞ぎたくなるような咆哮が聞こえた。


 ――グルルゥォオアア!!!


 メラルテンバルが町中の視線を奪うために全力の咆哮を放ったのだ。頼もしいそれに背中を押されながら、何とか前を向く。


 さすがはメラルテンバル。殆どズレ無しに俺の身体を撃ち抜いてくれた。だがしかし、彼をもってしても本当に完璧というのはまずあり得ない。防壁から中央まではそこそこ距離がある。それ故に些細な誤差は致命的とも言えるミスとなる。


 目の前に迫ってきているのはひまわりの噴水。周りに長椅子が設置されており、赤系統のレンガが敷き詰められた広場が高速で迫ってくる。普段は市民の憩いの場となる筈のそこにいた野良猫は、メラルテンバルの咆哮に度肝を抜かれている。


 左右のズレは殆ど無い……しかし、距離が足りない!このまま直線で進めば、レンガの敷き詰められた地面と熱烈なディープキスを披露した挙げ句に犬神家の一族の仲間入りだ。間違いなく死は避けられない。ならばどうするか――距離を足すしか無いだろう。


「――『ダークアロー』!」


 自分の体にダークアローを撃ち込む。勿論その一撃は下から盾を穿つようにして放たれたものだ。盾の表面で黒い鏃が弾けて、ほんの少しだけ体が持ち上がる。ダメだ、これでは足りない。もっと、もっと距離を……!


「『ダークアロー』!」 


 もっと距離を……!


「『ダークアロー』、『ダークアロー』!」


 もう少し、もう少しだ……!


「『ダークアロー』、『ダークアロー』……『ダークアロー』ッ!」


 いくつもの鏃が盾の上で弾けて、体が大きく持ち上がった。下からの自傷射撃は、確かに俺の飛行距離を伸ばしたのだ。盾から黒い煙を吐きながら、俺の体が噴水に吸い込まれていく。

 城壁の上でメラルテンバルから身体を離してバフを掛け、その場でサマーソルトをかましたメラルテンバルの尻尾を盾で受けて一気に噴水へ。足りない距離と狙いの誤差はダークアローで調整する。


 そんな訳のわからない作戦は、気の狂った策略は、まばゆい光と共に成功した。


【スピカ・レトリックとの関係性を確認】


【イベントクエストの受注を確認】


【クエスト進行ルートを確認中……】


【すべての条件を満たしているため、特殊フィールドへのゲートを限定的に解放します】


【おめでとうございます】


【そしてようこそ】


【『縺溘▲縺滉ク?莠コ縺ョ轤コ縺ョ逶」迯』へ】


 とてつもない文字化けが白い世界に浮かんだ瞬間、世界の全てが固まって……()()()


 世界が音も立てずに崩壊し、白いヴェールを取るように特殊なエリア……スピカが囚われている世界が、堂々と広がった。


「眩し……い……?……なんだ、ここは」 


 一言で表せば、バケツに色水を全色集めてぶちまけた部屋みたいな……。空を見上げれば吐き気のしそうな極彩。床も、遠くに見えるこの世界の『壁』らしきものも、サイケデリックな柄になっている。全てをごちゃ混ぜにした、催眠映像のような世界がひたすらに広がっていた。慌てて自分の身体を確認してみると、至って普通の墓守の鎧だ。足元の地面は緑と赤の刺々しいスプライト模様になっている。


「何処に立てば良いのか良く分からないな……」


 この世界には殆ど『黒』という概念が無い。故に地面に影は無く、俺の足元にあるだけだ。この世界は……あえて形容するなら、新米プログラマーがゲームを作ろうとして、試しに作ったテストワールド、という印象を受けた。

 見るもの全てが手抜きで、雲も無ければ太陽もない。ひたすらにサイケデリックな平地に、時たま丘のようなものが見える。


 取り敢えず周りを見渡そうとして後ろを振り向くと――そこには何も無かった。


「おいおい……フィールドの切れ目くらいもうちょっとこだわってくれよ……そういうフィールドなのかもしれないけどさ」


 真後ろに広がるのは一面の黒。地面は直角に切り取られており、そこから下も黒い闇だ。あの闇の向こうに俺たちの世界があるのか?


「にしたって暗闇の中に飛ぶのは勘弁したいな……それはさておき、スピカは何処だ?」


 気を取り直して極彩色の世界に向き合う。取り敢えずまっすぐ進んでみるか。


 時間を気にしながら主張のうるさい世界を渡り歩く。暫く歩いていると、近くに何やら虹色のシャボン玉のようなものが浮いているのに気がついた。本来ならもっと早く気がついても良いはずなのだが、この場所があまりにも目に悪すぎて発見が遅れた。本来ならずっと遠くでも気がつく筈なのに、ここでは虹色が保護色になっているのだ。


「確かアドニスが言ってたな……『浮いてる泡は極力割らないことをお勧めする』だったか?」


 腰の高さ辺りで浮いている不思議な泡から少しだけ距離を取りつつ周りを注意深く見渡してみると、意外にも見落としているだけで、結構な数のシャボン玉が宙に浮いていた。それらは不規則に揺れて動いており、見たところ特筆して脅威を感じる点はない。

 それらの大きさはまちまちだが、大体バレーのボール程度だ。空高くに浮いているものもあれば、足元を低空飛行しているシャボン玉もある。


 とにかくそれらに触れないことを意識しつつ、シャボン玉の密度が濃い方に進んでみる。探索の基本は危険を避けつつ危険を観察することだ。


「うわっ……危ない、踏むところだった」


 周りを見渡しながら歩いていると、一際低空飛行をしていたシャボン玉を踏みそうになった。ひやひやしながらそれを見つめていると、シャボン玉の表面に何かが映り始めた。


「え?……これは、海沿いの海岸?」


 映像が映されている間だけ、シャボン玉は動きを止め、うるさい色を抑えて外の世界を見せてくれる。落ち着いた夜の海の景色に心を落ち着かせた。どうやらシャボン玉は、この世界とは別の……俺たちがいた世界を映し出しているようだ。試しに通りかかりに別のシャボン玉を覗いてみると、人の行き交う商店街が見えた。誰もが空の月を気にしつつも、特に変わらない日常を送っている。


「もしかして、スピカが俺を見てたのもこのシャボン玉か?」


 シャボン玉が役割を終えてまたふらふらと動き出す。それに触れないように離れて、少し考えた。


 実は、先程メラルテンバルから身体を離した時に、いつもの『見られている感覚』がしていた。が、集中しなければ失敗は必至だったために思考から取り除いていたのだ。その視線は俺がこの世界へやって来るのと同時にぱったりと途切れてしまったのだ。

 もしもスピカがシャボン玉で俺を見ていたならば、きっと沢山の映像が見れるようにここの奥深くに居る筈だ。


 改めて行動方針を固めて一歩を踏み出した――その時だった。


 パリン!


「は?え?っぁ!」


 ガラスを踏み砕く音と共に、とてつもないダメージが俺を襲った。慌ててその場から飛び退いて音の原因を確認すると、割れた虹色の欠片のようなものが地面に落ちており、その中心に金色の液体が――恐らく酸性のものが水溜まりを成しており、盛んに泡を立てていた。


「マジかよ……割ったら強酸か……ダメージは……はぁ!?」


 たった一瞬、飛び退くまでの2秒ほどで、体力が三割持っていかれていた。直ぐに再生して元に戻ったが、とんでもない威力――


 パリン!


「あっ、やべ――」


 飛び退いた身体をゆっくりと起こした瞬間に、背中でシャボン玉を割ってしまったようだ。大慌てで振り替えると、そこには金色の水を周囲にぶちまけるシャボン玉と、その液体に触れて更に割れるシャボン玉――連鎖反応で周囲のシャボン玉が一斉に弾けて、強酸がぶちまけられる。  


 パリン!パリン!パリン!パリン!パパパパ――


「――っ!?『ランパート』!」


 咄嗟に前方へランパートを作って耐えようとしたが、強酸がランパートに触れた瞬間に、ランパートのHPは目にも止まらぬ速さでゼロになり、大きく弾けた。

 信じられない。ランパートがこんなに速く砕けるのは見たことが無いぞ?連鎖反応で砕けた強酸を何とか鎧を捻ることで回避するが、それでも避けきれなかったほんの数滴の強酸でHPが1割持っていかれる。


「攻撃力がっ……高過ぎだ、ろっ!あぶねっ」


 連鎖反応の音が聞こえなくなるまで何とか出来るだけの回避を終えると、周囲からシャボン玉は一切無くなっていた。鎧を見てみると、強酸に触れた部分の装飾が削れている。とてつもない硬度を誇る墓守の鎧が……いとも容易く削られるとは。

 しかも、事態は収束した訳ではない。


「うわぁ……強酸の池かよ」


 弾けたシャボン玉の中身が地面に飛び散り、小規模の池のようになっていた。俺を囲むように作られたそれにため息を吐きつつ、ランパートのリキャストを待ってから池の上に使用して即席の橋にする。


『浮いている泡はなるべく割らないこと』……本当だよ。これが泡の密度が薄いここで起きたからまだ平気だったが、もしも幾つもの泡が(たむろ)する深部だったら……想像もしたくない。


「一つ割っただけで死にかけられる上に、場所によっては確定即死連鎖反応か……ヤバすぎるぞ」


 もし俺みたいにランパートを産み出せなかったらもうさっきので終わりだ。その事実にゾッとしつつ、目指す道の先を見つめた。目を凝らせば直ぐにシャボン玉は見つかり、それらは不規則に動いてたまにぶつかって割れたりなんてしている。

 エグい場所だ……触れたらダメ、触れなくてもダメなイライラシャボン玉ゲーかよ。


 だが、先に進まなければいけない事実は変わらない。深呼吸を幾つかして、前に歩みを進めた。



 ――――――



 上下左右、足元から真上まで全てがシャボン玉。それぞれに映像が映し出されており、その中には見覚えのある白い砂漠や樹海が映っていた……。


「どうしてこうなった」


 呟いた言葉は鎧の中を反射してシャボン玉を揺らす。それにひやっとしながら、慎重に視点をずらしてみる。シャボン玉の隙間から、絶望的な景色が見える。俺の体に張り付いていたシャボン玉が、飽きたー、とでも言うように離れていく。ほっと胸を撫で下ろしたいところだが、それはまだ早い。


 開いた視界に映るのは夥しい数のシャボン玉。大きいものはバランスボールサイズから、小さいものはビー玉程度までまちまちだ。それが我が物顔で空と地面を覆い尽くしている。


「ふざけんな、絶対無理じゃないかこんなの」


 ここまでかなりヒヤッとする場面や実際に砕いて死にかけた場面は何回もあった。それでも最後が近いと思い込んでなんとか前に進んでいたのに……探索の疲れも合間って思わず真顔になる。苦笑を浮かべるほどの余裕はない。


「いつになったら出てきてくれるんだ……」


 最初のシャボン玉騒動から小一時間が経過しているが、俺が手に入れているのは鎧の傷だけだ。歩くだけで気を使う砂漠の逆みたいな地形のせいでさっきから集中しっぱなしでそろそろきつい。奥へいくほど難易度が高くなって集中し、集中力が切れて難易度が上がるという負のループだ。その癖一度でもミスったら殆ど死ぬしかない。


 それでも、それでも行くしかないか。ここまで来てしまったのだ。帰ろうにももう帰れない。そういえば……いや、帰り道のことはあとで考えよう。とにかく、俺は進むしかないのだ。だって、俺が決めたことだから。

 そして――


「そこに、星があるから、なんてね……っ!セーフか……」


 スピカはきっと一人でこんな場所に閉じこめられている。きっと寂しくて、辛くて、耐え難い孤独と退屈に苛まれたことだろう。きっと俺がその手を掴んで連れ出す時まで、その感情はぬぐえない。


「できれば、速く助けてやりたい……けどなぁ」


 目の前に広がるのは地獄のような光景。ついに人間大のシャボン玉まで出てきやがったか。上空に目を疑う大きさのシャボン玉が見える。感覚的に大きなシャボン玉は上にある印象だが、あんなのが地上を動いていたら死ぬしかない。まあ、大きなシャボン玉はそれ相応に割れにくいから、多少の衝撃じゃ動じないんだがな。


 目の前のシャボン玉の群れの中を、人波を掻き分けるように進んでいく。勿論自分から触れたら即終了だ。当たりそうな時は止まって、それ以外は慎重に前にすすむ。そうしていけばいずれ奥へたどり着ける筈だ。前に進んでさえいれば――


 ――パリン!


「あ、死んだわこれ」


 視界ギリギリで、鎧の肩口がシャボン玉を切り裂いて破裂させてしまった。その瞬間、走馬灯の様なものが流れそうになる……が、そんなものに集中していたら本当に死ぬ。

 割れたシャボン玉から液体が飛び散るのをスローで眺めながら、その場から猛然と駆け出す。その瞬間に周りのシャボン玉が一気に弾けて甲高い破裂音が響き始めた。それは幾つも重なった死神の鎌のようなもの。どうせ連鎖反応で回避は不能だ。ならば、もはやここを駆け抜けるしかない。


「ヤバイヤバイヤバイぃぃぃ!!!」


 パバパリリリパリンパリンパパパ――


 後ろを振り向くな。振り向いたら減速して死ぬ。連鎖の条件がシャボン玉の液体が飛び散って触れることだから、連鎖の速度自体は俺の足と大差ない。が、いかんせん規模が規模だ。もう後ろは想像もしたくないような事態になっているだろう。とにかく走るしかない。走る途中でシャボン玉を割ろうとしょうがない。減った体力をMPから補填して、どうにか走る。頼む、最深部が近くあってくれ。


「なぁぁぁぁっ!!こんなところで死ねるかぁぁ!」


 まるで最初にロードと出会った時のモンスタートレインだ。俺史上最速を更新しながら全力で駆け抜ける。気分だけで言えばハリウッドのアクション映画だが、スピードが遅いので多分ださい。その事については考えないようにしながら、頭を空っぽにして走る。


「はぁ、はぁ、はぁ……くっそ、まだかよ!」


 走れども走れども後ろの破裂音は止まらない。それでも足を止めればその瞬間に全身を溶かされて死ぬ。重なる破裂音とサイケデリックな地面を焼く強酸の音。大中小、様々なシャボン玉を押し退けて前へ進んでいく。長い全力疾走に息を切らしかけ、破裂音が近づいてくる。苦い顔を更に歪めて、大声で悪態をつこうとした――その時だった。


「はぁ、はぁ――はぁ!?と、扉……?」


 一際大きなシャボン玉を押し退けて前へ進もうとしたとき、シャボン玉の向こう側に黒い扉のようなものが見えた。考えている時間は無い。躊躇無く扉にタックルをかまし、相変わらず低クオリティのドアノブを乱暴に回して中に転がり込んだ。

 扉が開いたことを喜ぶ前に、大急ぎで体勢を立て直してドアを閉める。身体を押し付けるようにして扉を閉めると、もう破裂音は聞こえなくなった。


「はぁ……はぁ、酷い目にあった――」


 癖で額の汗を拭おうとしたとき、背中側から何かに抱き付かれた。敵かと一瞬思って身構えて、背中から続く声にもう一度驚かせた。


「来てくれたっ!本当に来てくれたよ!スピカの王子様っ!」


「え?王子……あ」


 そういえば俺、王子になる試練のためにここにいたんだった、と思い出すと同時に、声の主の予想がついて目を見開いた。抱きついている腕を優しくほどきつつ後ろに振り替えると、そこには一人の少女がいた。嬉しそうな、泣きそうな顔をして、少女がもう一度抱き付いてくる。


「ありがとう、王子様!スピカの為にここまで来てくれて、本当にありがとう……!」


「あ、あぁ。どういたしまして……でいいかな?」


 感極まった様子の少女が俺に抱きついたまま頭を上下に振る。どうしたもんか分からず、取り敢えず少女を落ち着かせる為に背中を優しくさする。

 少女は白いワンピースを纏っており、同じく白い髪はツインテールに結われている。この姿は……あぁ、あぁ……間違いない。間違えるはずもない。


 確信に満ちた俺の思考を更に確かなものにするように、少女が自分の名前を名乗る。


「私はスピカ。『郷愁』のスピカ・レトリックだよ!」


「俺はライチ。王子様っていうかまあ……呪術騎士をやってるよ」


 取り敢えず名乗りを返すと、スピカは顔を上げて俺の名前を何度か復唱していた。そして、自分が名前を覚えられたことを確信すると、俺の目を見てニカッと笑った。

 システムがここでもしっかりと言葉を挟む。


【貴方はワールドボス『郷愁』のスピカ・レトリックにエンカウントしました】

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