番外編:二人の『不滅』
初めてレビューを頂きました。
本当にありがとうございます。
白い砂漠の果て。黒い巨城の小さな主は、紫の炎が逆巻く玉座で大きく唸った。
「アイツが邪魔をしたせいでライチに逃げられちゃったわ……アイツは本当に、いつもアタシの邪魔ばかりして……!」
ああ、本当に不快だわ!『破滅』のレグル・レトリックは一人きりの玉座にふんぞり返ってため息を吐く。結局彼女は滅するべき姉を無傷のまま返してしまっただけでなく、久々の獲物であったライチ達ですら逃がしてしまった。
目の前に極上の餌を見せつけるだけ見せつけられ、没収された獅子の気分だ。結局何一つ満足感を得られなかったレグルは不機嫌そのもので、彼女から発せられる怒気に玉座を這い回る黒い蛆がびくりと震えた。
普段ならその様子は彼女の望む物だったが、今のレグルは機嫌がすこぶる悪い。舌打ち一つに蛆の一匹に手のひらを向けて、ぎゅっと握りしめた。その瞬間蛆の体が痙攣し、大きく弾けた。
他の蛆虫がこれ幸いとばかりに飛び散った血肉へと体を伸ばす。もしかしたら自分の血縁かもしれない者の肉を嬉々として貪る蛆虫たちの様子に、レグルは溜飲を下げて鼻を鳴らした。
それと同時に、先程までの「遊び」の様子を思い出す。ズタボロになるライチたち、笑う自分。
自分の行動は何一つ間違っていない。レグルは自分の心の中の言葉に頷いた。それと同時に、もうひとつの思いが顔を出す。けれど、もう少し振り切って動くべきだった、と。レグルは世界を憎んでいる。不滅の姉を憎んでいる。けれども、その恨みの中核に位置するのは、この世界の人々を『救いたい』という優しさだった。
本人は断じて認めないだろうが、レグル・レトリックは優しすぎるのだ。世界を背負い、脅かし、人々と世界の絶望を体現するにはあまりにも優しい。ライチ達が傷つけば傷つくほど、自分の中の憎悪と自己満足は確かに満たされる。自分は彼らを救済しているのだ、と。
けれども同時に、可哀想だとも思うのだ。彼らの傷ついた体を見て、レグルは確かに悲しんだ。必死に生きようと足掻く姿に心が傷んだ。そして――もうやめよう、と心の中で思うことも何度かあった。
だからこそ、彼女は自分の権能を彼らに使っていない。使っていれば、間違いなく彼らと出会ったその瞬間に彼らを『無』という天国へと導けた筈だ。
彼女が持つのは『不滅』の権能。全ての存在のHPやステータス……果てには事象までもを『固定』する能力。彼女の前では誰一人傷つくことはない。そして何人たりとも回復することなどあり得ないし、バフやデバフがつくこともない。果てには、死亡した状態から復活することさえ出来ない。テラロッサの持つ権能が『無限』や『円環』を象徴するならば、レグルの権能は『不朽』と『直線』だ。
何度砕けようと舞い戻る『不滅』。
永遠にその姿を変えることの無い『不滅』。
形は違えど、結局根幹は同じなのだ。それを理解すれば理解するほど、レグルの機嫌は悪くなる。はぁ、と深いため息を吐いてレグルは謁見の間を見下ろした。見えるのは紫の炎と醜い蛆虫どものみだ。真っ黒な城内は煤で汚れており、立派であった絨毯もボロボロだ。けれども、彼女が存在する限りそれらが朽ち果てることはあり得ない。
――たとえ、それが既に壊れた残骸であったとしても。
彼女が一人で過ごすには広すぎる城内。けれども、彼女が寂しさや虚しさを感じることは無かった。世界の始まりから数千年……もはや正確な年月を知ることも諦めてしまうほどの時間を、レグルは一人で過ごしてきた。暗い城の中に、気が狂うほどの静寂と共に押し込められていたのだ。
これもすべて『世界』の仕業だ、と心に暗い憎悪の炎を燃やしてその年月を堪え忍んだレグルに、寂しさを感じるような甘さはもう残っていないのだ。
残っていない――筈だったのだ。
『決めるのはお前だし、考えるのもお前なんだから……自分の気持ちくらい、好きに欲張ってけよ』
レグルの脳内に、暗い世界に声が聞こえた。それは鎧の中から響く、何者とも知れない男の声。自分を前に殆ど臆することなく話をしてくれた……久しぶりの存在。彼が人間では無いことくらい、レグルにはお見通しだ。けれど、それでも……彼の心の奥底の部分はきっと、人間と殆ど変わらないと確信できる。
ある意味で人間より人間らしい魔物だ。最初はただの魔物の変異体だと思いきや、とんだ誤算だった。
語る言葉の芯に触れる度、眠そうな声が言葉を紡ぐ度、レグルは揺れた。その根底にある優しさがとても心地好くて、破滅の化身である自分に柔らかく笑う態度が好ましかった。
全てのものがあまりにも新鮮で、興味深くて……レグルは、久々に呼吸をしたような感覚を覚えたのだ。久々に憎悪に駆られない、自然な自分が出てきた気がした。
けれども、自分は世界の敵。彼とは真っ向から向かい合う立場なのだ。彼のことも……『救って』あげなければならない。
なのに、心とは裏腹に体は言うことを聞いてくれなかった。まるで彼を殺してしまうことを拒むかのように、心に語りかけてくる。
『こんなヤツは後にも先にもきっとコイツだけよ。殺してしまうには惜しいわ』
『いえ、殺すべきよ。殺してあげることが、アタシに出来る慈悲なの』
向かい合う二つの声は、いがみ合い取っ組み合い……結局彼を殺すことは出来なかった。それどころか……それどころか、自分はとんでもないことを言おうとしていたのだ。
『……確かにアタシは世界を破滅させるって言ったわ。本気でそう決意もしたし、その言葉に嘘は無いの。……けれど、けれどねライチ。アタシ……本当、は――』
――誰も、殺したくないの。
「本当に……信じられないわ」
情けない、下らない。一時の気の迷いで、錯乱で、馬鹿げたことだ。破滅が……全てを壊す者が、誰も傷つけたくないと思っているなんて。本当は、誰一人死んでほしくないと思っているなんて。そんなことはあり得ない。許されない。
自分が自分を許せない。レグルは、確かに世界を恨んでいる。ならばきっと、世界に生きる全てをも憎悪するのが道理なのだ。そうすれば、きっと自分は真の破壊者になれる。
……そうわかっていたとしても、レグル・レトリックは踏み出せない。『彼』の望むシナリオには沿わない。
だから、レグル・レトリックは今日も考え続ける。
世界の是非を、己の存在理由を。彼女は今日も、考え続ける。
―――――――
終わりの無い宴のど真ん中で、あいも変わらず退屈そうな顔をする主催者は、己のクエストが完了したことを第六感で察知していた。その瞬間だけ彼女の無表情は緩み、噛み締めるような笑顔になる。と、同時に心の奥底で彼女の根底……『世界』の欠片が何かに共鳴するようにうずいた。
その感覚は彼女にとって非常に不愉快で、思わず微笑が苦く歪む。しかし、この表情は欠片の共鳴による不快感のみならず、先を案ずる彼女の思考にも起因していた。
「世界が一つ『回った』わ……不味いわね。彼らはあまりにも弱すぎる。このままじゃ……ええ、殺戮が起きるわ」
一人でぼそりと呟いた彼女の周りには、もちろん誰も居ない。
世界には五つのワールドボスが存在する。
『不滅』『破滅』『堕落』『厭世』『郷愁』。
これらすべては世界から分岐した……いわば枝葉のようなものだ。『彼』によって創造された、中身の無い操り人形。それぞれが世界を脅かす程の力を持ちながらも、自分の行動ひとつ自分では決められない。
「アイゲウスが目覚めるわね……スピカも。アドニスはまだ当分先かしら……いえ、もしかしたらもう――」
プレイヤーは世界を拓いていく。世界という名前の『絶望の箱』を躊躇せず、何も知らずに。その中に入っているのは……ああ、そうだ。空だ。そこにはきっと何もない。
ワールドボスは、全員世界の秘密を知っている。あるものは自分で、あるものは世界から直接聞かされているのだ。
勿論テラロッサも、世界の秘密を知っている。おぞましい感情を知っている。
「結局、無意味ね……全部」
テラロッサは、まるで彼女の妹のようなことを呟いた。どれだけ足掻こうと、もがこうと、自分達には何も残っていない。あるのは単純な使命だけ。……それすらも果たせないテラロッサやレグルを、『彼』は出来損ないと言った。
特に彼はテラロッサのことを毛嫌いしており、『最大の失敗作』と呼ぶ。
お前は生まれるべきではなかったと、お前の存在は間違いだと、テラロッサは何度も言われた。けれども、彼女は折れなかった。彼女の中にある『不滅』と、愛する人々が、彼女の心を支えていた。
しかし大切な人間を奪われ、双子の妹すら己に刃を向けてくる。
彼女には、もう何も残っていなかった。彼女には『不滅』であることしか残らなかった。妹はそれを捨てて、世界に憎悪を向けている。自分も世界を滅ぼしてしまおうか、とテラロッサは時々考える。
考えて……まだよ、と否定するのだ。世界はまだ終わるべきじゃない。
「また明日も太陽は昇るし、星明かりは夜を歌うわ。世界は終わらない……あたしが終わらせない」
テラロッサ・レトリックはリエゾンと同じく空っぽだ。本当に何も残っていない。手元にあるのは壊れた残骸だけだ。ならなぜ、彼女は頑なに世界を回すのか。ただの生命維持装置に成り下がってまで、空っぽのまま世界を守るのか。
理由だけならば、いくつかある。けれど、本当にテラロッサを奮い立たせるのは、真に彼女を不滅にするのは――
「レグル。あなたよ。あなたをあたしは見捨てられないわ。……このまま世界が終わるなんてこと、あたしが絶対に許さない」
悲しみに身をうちひしがれ、憎しみに心を焼かれる妹を、このままにしておくなんてことは出来ないのだ。
レグルは常にテラロッサと共に居た。常にテラロッサにニコニコと笑って、話し掛けてくれていた。
『お姉ちゃん、今日もいい天気だね』
『お姉ちゃん、今日は何する?』
『お姉ちゃんすごい!どうやってるの?それ』
いつも自分の後をついてきて、いつも自分を支えてくれる……大切な妹。
「レグル……あたしは、あなたに何も出来なかったわ。あなたの心に寄り添うことも出来なかったし、あなたが一番辛かった時に側に居てあげられなかった。……だから」
テラロッサ・レトリックは瞳を閉じた。真っ暗な世界に佇むのは、今とは真逆の容姿のレグル。艶のある黒髪を揺らしてニコニコと自分に笑いかけている。
あなたはあたしの大切な妹なの。このままにしておくなんて出来ないの。たとえ、あなたに恨まれて蔑まれても……あたしは世界を終わらせないわ。
「あたしはあなたを救ってみせる。あと何回でも、世界を回して、何千年でもあなたに寄り添うわ。あなたがもう一度笑ってくれる……その日まで」
テラロッサ・レトリックは諦めない。彼女は『不滅』だから。大切な一人を、世界に取り残してしまったから。
だから世界は終わらない。終わらない。
テラロッサ・レトリックが、全てを諦める時までは。




