第58話: 数字は覚えている
日取りの通知が来るまで、待った。
宿場の部屋で、レオは書類の順を確かめていた。ミラは窓の外を見ていた。このあと、経緯の紙を読んだ人に会う。門を閉めた人に。
審理の朝は晴れていた。石畳の通りをレオと並んで歩いた。
監査院庁舎の二階に通された。前とは違う部屋だった。
天井が高い。窓は壁の上のほうにある。正面に長い机が置かれ、三人の官吏が座っていた。真ん中にコランがいる。
壁ぎわに椅子が並んでいた。同位の貴族が五人座っている。
ミラとレオは左手の席に着いた。右手に椅子が一つ、空いていた。
扉が開いた。
ベルナールが入ってきた。仕立てのよい上着を着ている。印章指輪が窓の光を受けている。
足音は揃っていた。門を閉めた日と同じ歩幅だった。
椅子に座った。背筋を伸ばし、膝の上に手を置いた。ミラのほうを見ない。
帳場で会ったときと同じ上着だった。あの日は経緯の紙を立ったまま読み、門を閉めた人だ。いまは向かい合って座っている。
「エルフェルト伯爵の件を開きます」コランは言った。
封蝋の押された五つの紙が、机の上に並んでいた。
「ヴァンス監査官」コランは言った。「告発の内容を述べてください」
「先代エルフェルト伯爵の毒殺」レオは言った。「現伯爵による爵位の簒奪。十一年にわたる横領。先代の子の血統偽装。以上四件です」
壁ぎわの椅子から息を呑む音がした。
ベルナールは動かなかった。指輪が一度、回った。
「証拠の説明をお願いします」コランは言った。
レオはミラを見た。
「数字のところを」レオは言った。
ミラは立った。帳場で帳面を読み上げるときと同じ声で話した。
「四つの写しがあります」ミラは言った。「四つの件に見えますが、根は一つです」
「先代さまが亡くなった年から、横領が始まっています」ミラは言った。「年額のおよそ二割。十一年途切れていません」
「同じ年に、先代さまの子の氏が消されています」ミラは言った。「家の控えが教区の届けより四日早い記録です」
「翌年の三月三日から、白き花への支出が始まっています」ミラは言った。「二ソル。十年同じ日に同じ額です。先代さまの命日です」
「同じ年から、亡くなったはずの子への教育費が続いています」ミラは言った。「年二十四リーヴル。十一年です。亡くなったはずの子を生き延びさせるための費えです」
「四つとも、先代さまの死から始まっています」ミラは言った。「先代さまが盛られて亡くなり、家が奪われた。四つの綻びは一つの根から出ています」
ミラは座った。封蝋の紙が並んでいる。帳場の机で書いた紙だ。
コランはベルナールを見た。
「被告に弁明の機会を与えます」コランは言った。
ベルナールは立った。印章指輪が親指の腹の上で回った。
「家は回っておりました」ベルナールは言った。声は柔らかかった。「修繕は遅れておりません。使用人は辞めておりません。給金は相場の上に据え置いてまいりました」
「十一年です」ベルナールは言った。「十一年、家を回してまいりました」
「二割と申しますが」ベルナールは言った。「相場の上がった年の差額をお含みいただきたい。実質はその半分にもなりません」
ベルナールは列席の貴族たちに目を向けた。
「この子は家を出された養女です」ベルナールは言った。「帳場の養女が恨みを持って戻った。それだけのことです」
レオが立った。
「訴えているのはこの方ではありません」レオは言った。「訴えているのは帳面です。帳面は恨みを持ちません」
ベルナールの指輪が回った。二度、回った。
「先代は病で亡くなったと届けが出ております」ベルナールは言った。「医者の所見も揃っております。毒殺は証拠ではありません。この子の読みです」
ベルナールはミラを見た。十一年、帳場で数字を書かせていた子を見た。
「たかが帳簿だ」ベルナールは言った。「数字が、死人を生き返らせるとでも」
ミラは立った。
「数字は、死人を生き返らせはしません」ミラは言った。
部屋が静かだった。
「でも、誰が殺したかは、覚えています」ミラは言った。
壁ぎわの椅子が動かなかった。誰も息を吐かなかった。
「先代さまの死の数日前に、眠りの薬ひと壺が家の使いで買われています」ミラは言った。「一服の三十ぶんを超える量です。家の帳面のどの科目にも計上されていません」
「薬種商の記録に残っています」レオは言った。「家の使いが購入しています」
「病で亡くなった方に、あるはずの行がありません」ミラは言った。「床の費えも、医者の費えも、看病の費えも」
「帳面に載らなかった行は一つです」ミラは言った。「先代さまの命です」
ベルナールの指輪が止まっていた。
「弁明を続けますか」コランは言った。
ベルナールは答えなかった。
列席の貴族たちも黙っていた。
指輪は止まったままだった。




