第48話: 縁組の日付
六十四日目。教会の紙は、まだ来ない。
ふた月、とレオは言った。まだ五十日ある。ミラは待つと決めた。決めたのに、手が動いた。
「待つあいだに、数えられるものはないでしょうか」ミラは言った。
「あなたは、待つのが下手ですね」レオが言った。
「数える者ですから」ミラは言った。「待つのは、いちばん向いていません」
卓に出したのは、奥向きの綴りだった。ミラは自分の頁を、開いた。
十一年前の冬。ミラ・エルフェルト。氏の登録。教区への届け出。
産の記載は、無い。謝礼も祝いの品も、無い。
「これは」レオが訊いた。
「わたしの頁です」ミラは言った。「この家に入った年の、わたしの行です」
「産が、ありませんね」
「この家で生まれた子には、氏の届けは要りません」ミラは言った。「産で足ります。氏の届けが立つのは、外から来た子です。わたしは、外から来た子でした」
「外から迎えた、という届けですね」レオが言った。
「迎え入れの縁組です」ミラは言った。「外へ出す縁組ではありません。外の子を、この家が入れた形。わたしの縁組の日付は、この一行です」
「十一年、そう読んできたのですね」
「読むほどのことも、ありませんでした」ミラは言った。「自分の頁です。ここは自分のことだと決めて、目を止めませんでした」
いちばん近くにあって、いちばん読まなかった一枚だ。
「日付を、言えますか」レオが訊いた。
「十一年前の冬です」ミラは言った。
レオが、外の紙を引き寄せた。この前持ち帰った、後見の綴りだ。
「後見が立ったのは」レオは言った。「十一年前。先代さまの、亡くなった年です」
ミラは、二枚を並べた。自分の氏の頁と、後見の綴り。
「同じ年です」ミラは言った。「先代さまが亡くなって、その冬にわたしの氏が立っています」
「近いですね」レオは言った。「どちらも、その年の冬です」
「近い、では済みません」ミラは言った。声が、少し硬くなった。
「歳を、数えます」ミラは言った。
「どうぞ」
「教育費の、わたしの字でいちばん古いのは六歳です」ミラは言った。「十年前の行でした。ならば、その一つ前の冬――氏の立った十一年前の冬、わたしは五つです」
「五つ」
「後見の子も、五つでした」ミラは言った。「あなたが、そう読みました」
レオは、後見の綴りの歳の欄を指した。五つ、とある。
「歳が、合います」レオは言った。「日付も、合います。そこまでは、紙が言えます」
同じ年。同じ歳。ミラは、その二つを口の中でもう一度置いた。動かなかった。
「外の紙で、五つの子が消えました」ミラは言った。「同じ年の冬、家の紙に五つの子が現れています」
「消えた子と、現れた子」
「別の子だと、誰かが決めたのではありません」ミラは言った。「名が違うから、別の紙だと思ってきただけです」
「名は」レオが訊いた。
「片方には、ありません」ミラは言った。「後見の子は、はじめから無名でした。もう片方の名は、後からついています。ミラ・エルフェルト、と」
同じ冬に、一方が消えて一方が立った。
五、という字をミラは毎日書く。棒を四本、横に一本。今日はその字が、自分の背丈に見えた。
「わたしかもしれません」ミラは言った。
言ってしまうと、部屋の音が遠くなった。
レオは、すぐには答えなかった。
「日付は、そう並んでいます」レオは言った。「歳も、合います。それは、言えます」
「その先は」
「その先は、名です」レオは言った。「二つの子が同じ名か、別の名か。それは、教会の紙にあります」
ミラは、後見の綴りに目を戻した。
「あなたが三日、探した紙かもしれません」ミラは言った。「後見の子の、そのあとの一枚。役所のどこにも無いと、あなたは言いました」
「無い、と読みました」レオは言った。
「無いのではなく」ミラは、自分の頁に指を置いた。「産を消して、外から来た子として立てれば、続きには見えません。あなたが探した一枚が、ここに化けているのかもしれない」
もしそうなら、と思った。レオが三日外を探した一枚を、ミラは十一年、自分の手のなかで毎日めくっていた。読まなかったのは、自分の頁だったからだ。
「あと五十日、ですね」
「あと五十日です」レオは言った。「わたしは、名までは今日、出せません。出せるふりも、しません」
出せるふりをしない人だ、とミラは思った。この人がそうだから、日付と歳だけは信じられる。
もう一つ、思い出した頁がある。
十六年前の産だ。宛のない産。絹の産着。この家の子として立って、誰の子かだけが書かれていなかった、一件きりの頁。
「十六年前の、産があります」ミラは言った。「この家の子です。けれど、誰の子かが書かれていません」
「その子は、いま幾つですか」
ミラは、数えた。
「十六年前に生まれた子は」ミラは言った。「十一年前に、五つです」
レオは、何も言わなかった。ミラも、しばらく言わなかった。
産の子。消えた五つの子。現れた拾い子。三つの頁の日付と歳が、一本の線に乗った。
「わたしは、拾われたのではないのかもしれません」ミラは言った。
「そう読める、と」
「この家で生まれて、一度名を消され、拾い子として戻された」ミラは言った。「三つの頁を一つの子の話にすると、そう読めます」
自分の頁は、産の無いところから始まっていた。その始まりを誰かが消して、途中から書き直した紙だ。
「なぜ、生まれた子が消されたのか」ミラは言った。「なぜ、拾い子として戻されたのか。それは、まだどの紙にもありません」
「名が来れば」レオは言った。「そこも、動きますか」
「動きます」ミラは言った。「名が分かれば、消された始まりに、誰の子だったかが入ります」
ミラは、自分の頁の上に指を置いた。
十一年、ここに自分の始まりが書いてあった。氏の登録と、教区への届け出。そのすぐ隣に、産の無い空きがある。
空きに何が入るのかは、名の紙が来るまで分からない。分からないまま、そこが空いていることだけをミラははっきりと見た。
「待ちます」ミラは言った。「あと五十日を、数えます」
「今朝は、こわそうでした」レオが言った。
「今は、ちがいます」ミラは言った。「数えるものが、自分の名だからです」
それに、待つあいだにも数えておけるものがある。名が来るまでの五十日で、この十一年をもう一度はじめから読む。今度は費えではなく、扱われ方を。
こわいのと待ち遠しいのは、日数が同じでも別のものだった。ミラは、待ち遠しいほうを選んだ。




