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第23話: ある年から

 手紙は朝のうちに出た。


 レオが封をして、宿場町へ下りる荷馬車に託した。王都の監査院まで四日。向こうで押収した巻を出させて、こちらへ四日。


 「八日です」レオは言った。「今日を、一日目に数えます」


 ミラは卓の上に奥向きの綴りを戻した。八日のあいだ、手元にあるのはこれだけだ。


 「六年ぶんと書きました」レオは言った。「十七年前から、十二年前まで」


 「そのあとの二年は」


 「あなたが見ています」


 「覚えは、証しになりません」


 「きのう、そう言ったのはあなたです」レオは言った。「紙を出させる理由にも、なりません。十七年から十二年なら、洗礼から氏までのあいだ、と書けます」


 子のことが立つ科目は四つある。縁組と産は繰った。残りは寄進と、婚礼や葬送の支度だ。




 寄進の巻には、一度手をかけている。


 立件のあと、監査院で押収の束を繰った日だ。あのときミラは、寄進にも冠婚葬祭にも用がないと思った。


 いま開いているのは、額を集めた巻ではない。寄進の巻に残るのは、年ごとの額と、出した先の教区の名だけだ。この綴りには、その一行に家の誰の名を連ねたかまで書いてある。


 この家は年に一度、収穫のあとに教区へ寄進を出す。什一とは別の、家からの志だ。志を出す折はほかにもあるが、収穫あとのこの一行だけは、二十年欠けていない。


 額の動いた年なら、もう知っている。十一年前。先代が亡くなって義父が当主になった年に、二十四リーヴルが十二へ落ちた。屋根も手当も同じ年に止まっている。


 説明のついた数だ。


 教育費の巻なら、監査院で繰った。年に二十四リーヴル。十一年、動いていない。あのとき、そう読み上げた。


 落ちた幅は十二で、立っている額は二十四だ。振り替えたのなら、釣り合わない。それに教育費は、受け取った人が毎年名前で立っている。


 釣り合わないのに、落ちる前の額とだけ、きっちり揃っている。


 ミラはその一行を、あとで書きつける側へ回した。


 行には、家の者の名が連ねてある。教区は名で祈る。名がなければ差し上げようがない、と司祭はきのう言った。


 ミラは紙を一枚おろして、二十年ぶんの連名を書き出した。




 先代がいる。奥さまがいる。先代の弟の名もある。十一年前に先代の名が消えて、奥さまと弟の名が残る。


 使用人は載らない。家の者だけだ。


 二十年、抜けた年がない。名の切れる年はある。誰かが死んだ年だ。


 十六年前に生まれた家の子は、入っていない。


 ミラは指を止めて、その年をもう一度見た。産着と乳持ちと礼が立った年だ。連名は、前の年と同じ顔ぶれのままだった。


 「その年ですね」レオが言った。「指が、止まりました」


 「その年に生まれた子が、その年の連名にいません」


 「いません」


 「翌年は」


 「いません」ミラは言った。「絹の産着を仕立てて、乳持ちを一年つけて、教会へ五リーヴル。名だけは出していません」


 「出さなかったのか、出せなかったのか」


 「この行には、どちらとも書いてありません」




 セリーヌの名を探した。


 この綴りは二度繰っている。近い年で見ても、何も起こらない。二十年を一枚へ移して、はじめて無い年のほうが立つ。


 十七年前。ない。十六年前、十五年前、十四年前。ない。


 十三年前。十二年前。十一年前。十年前。


 ない。


 九年前の連名に、セリーヌ・エルフェルトが入っている。


 頁は別だ。三月に氏が立って、その年の秋の頁から、名が連なっている。届けの半年あとになる。


 九年前の秋の頁に、自分の字がある。


 この家がこの子を娘として教区へ差し出した最初の一行を、紙に置いたのはミラの手だった。


 そこから去年まで、毎年ある。抜けた年はない。今年の分は、まだ秋が来ていない。


 十七年前から十年前まで、八年。この家は年に一度、教区へ名を連ねて金を出している。その八年、この子の名を一度も書いていない。


 「額が動いた年は、二十年で一度きりです」ミラは言った。「十一年前。十年前も九年前も、十二リーヴルのままです」


 「落ちた年には、理由がある」


 「代が替わりました」


 二年ある。額が動いたのは十一年前で、名が動いたのは九年前だ。あいだの二年、この家では何も落ちていない。


 義父が当主になった年でもない。それなら、十一年前から入る。


 その年の寄進の巻には、教区の名と、十二という数しか残らない。総額を見る目には、九年前は何も起きていない年になる。




 「収穫のあとに出すのでしたね」レオが訊いた。「その年の秋より、あとに生まれた子なら」


 「翌年の秋に入ります」ミラは言った。「十六年前の子は、翌年にもいません」


 「お嬢さまは」


 「洗礼は四月です」ミラは言った。「きのう、あの頁で日付を見ています。収穫より前です。八年は、動きません」


 「幼い子は載せない、ということは」レオが言った。


 「あとで、同じ紙で潰します」


 「では、書き落とし」


 「八年つづく書き落としは、ありません」ミラは頁を戻した。「それに、落とした年と入れた年は、同じ手です」


 「同じ手」


 「十年前の秋も、九年前の秋も、わたしが書いています」


 同じ手が同じ書式で、片方だけ書かなかった。


 「では、十六年前の子は」レオが言った。「あの子には、教会への礼が立っています。それでも連名にいない」


 「宛がありません」ミラは指で行をたどった。「誰の子かを書かずに払っています。教区に何が届いたかは、あの丁を見るまで分かりません」


 「気まぐれで抜けた」


 「二十年、ほかに一度もありません」


 レオが何か言いかけて、やめた。


 「幼いからではありません」ミラは言った。「連名に載るのは、家の者として届けの出ている者です。氏が立ってから入る。順として、正しいのです」


 「では、当たり前ですね」


 「当たり前です」


 レオは筆の尻で卓を一度叩いた。


 「当たり前のことが、八年つづいたわけですね」


 「はい」ミラは言った。「この家は八年のあいだ、この子を家の者として届けていません。隠したのとは違います。届けていないのです」


 「教区の原簿と、同じことを言っている」


 「どちらも、この家が出した紙です。裏づけにはなりません」ミラは頁の端をそろえた。「ただ、届けそこねた、では八年つづきません」




 「使用人は、載らないのですね」レオが訊いた。


 「載りません。この家の名を名乗る者だけです」


 「あなたは」


 ミラは、書き出した紙をもう一度見た。


 自分の名は、十一年前から入っている。氏の届けは、来た年の雪の残るころに出ている。名が連なるのは、その年の秋からだ。


 字も書けない子の名が、その秋から連なっている。


 「入っています」


 わたしの届けには、もとがある。この家へ来たからだ。


 お嬢さまの届けに、そのもとがない。


 レオは、それきり何も言わなかった。


 十一年前の一枚。


 ミラの名がある。セリーヌの名はない。


 ミラはその紙を裏返して、伏せた。連名の数は数え終えている。




 「十六年前を、片づけておきます」レオが言った。


 宛だけがない。この家の子が生まれた年の書き方が、そのままそろっている。


 「あれがお嬢さまなら、どうなりますか」


 「なりません」ミラは言った。「洗礼は十七年前です。十六年前に生まれた子が、その前の年に洗礼を受けることはありません」


 きのう、二人でその頁を見ている。司祭がめくって、上から三つ目にセリーヌとあった。


 「では、十六年前の子は」


 「別の子です」




 別の子だ。


 この家で生まれて、一件だけ立って、そこで途切れている。連名にも入らない。


 ミラは綴りを閉じた。


 その子の話を、誰かがしているのを聞いたことがない。厨房でも、洗い場でも、井戸端でも聞かない。


 この家では、死んだ者の話を誰もしたがらない。それは知っている。


 けれど、生まれた話もしない。絹の産着を仕立てて、乳持ちが一年通った子だ。十一年いて、その子がいたという話を、一度も聞いていない。


 午後、蔵へ下りた。


 石の壁のあいだは外より寒い。白い眉の老人が、棚のあいだで手を動かしている。


 樽の口を布で拭き、指で縁をなぞり、また拭く。


 ミラは、しばらく黙って見ていた。訊き方を決めていなかった。


 先に年を出せば、老人は年に合わせて思い出す。こちらの言ったことが、そのまま返ってくるだけだ。


 「この蔵から、仕立てた絹が出たことはありますか」


 布が止まった。




 「ございますよ」老人は言った。「反物ではのうて、仕立てたものが一枚。産着でしたな」


 「いつごろですか」


 「十六年ばかり前でしたか」老人は布を畳んだ。「お屋敷に赤子がおりましたので」


 「どなたの」


 「そこは、聞いとりません。奥さまのお部屋のほうにおられました」


 「乳持ちの女は、村の者ですか」


 「村ではございません。よそから来て、はじめは通いで、じきに泊まりになりました」


 「名は」


 「女中頭が呼んでおりましたが、わしは聞いとりません」


 「その方は」


 「もう、おられません」




 「その子は」


 「一年ほどで、お出しになりました」


 「出した」


 「乳持ちの女が、連れて帰りましたので。田舎の水のほうがよいと、奥さまが」老人は白い眉の下でまばたきをした。「そのあとで、亡くなったと聞いとります」


 「いつですか」


 「さあ。冬だったか、春だったか」


 「どなたから」


 老人は樽の縁に手を置いたまま、少し考えた。


 「誰からということも、覚えとりません」


 「聞いた覚えは」


 「聞いた覚えはございます」老人は言った。「そういうことに、なっとりましたので」




 ミラは、そのまま書き取った。


 誰から聞いたのでもなく、いつのことでもない。ただ、家じゅうがそう知っていた。


 訊いてはいけないことは、誰も禁じない。訊く用のないことになっているだけだ。


 葬いは、と訊いた。


 「この家では、出しておりません。一つにならん子の葬いに、支度は要りませんで」


 老人は奥の棚のほうを見た。


 「産着だけ、こちらへ戻ってまいりました。絹でしたから、しまっておけと言われまして」


 「まだありますか」


 「十五年からこっち、置いてありましたで」老人は言った。「虫がついて、去年、始末しました」


 梁の高いところに、去年の埃が動かずに残っている。


 老人はまた布を持ち上げて、次の樽へ移った。


 この人はフェリエの荷車の、右の車輪の軋みまで覚えている。覚えていないと言ったのは、ロシュの顔とこれで二度目だ。


 ミラは礼を言って、階段を上がった。




 帳場に戻って、綴りを開き直した。


 十六年前の乳持ちの手当は、一年ぶんで止まっている。使用人の子につく乳持ちは三月ぶんだから、一年は長い。


 一年で屋敷を出た子には、それより先の払いが立たない。老人の言ったことと、そこは合う。


 合わないのは、老人の理由のほうだ。


 一年ほどで出した、と言った人が、一つにならん子の葬い、と言った。


 屋敷を出たのは、その一年のあとだ。




 ミラはそれを書きつけた。


 それから、婚礼や葬送の支度の科目を繰った。


 冬だったか春だったか、と老人は言った。屋敷を出たのが一年のあとで、そのすぐあとの冬か春なら、十五年前か十四年前になる。


 ミラは十六年前から十四年前まで、三年ぶんを見た。


 葬送の支度はない。喪の布も、棺もない。品を買っていないのなら、この科目には立ちようがない。


 礼は品ではない。洗い場の女は里で産んで、産着も乳持ちも空で、それでも教会への礼だけは家が出している。名を届けるのは家の役目だからだ。


 立つとすれば寄進のほうだ。十一年前の葬送では、支度に鐘の代が立ち、寄進に教区への礼が立っている。その三年の寄進の頁にあるのは、秋の一行きりだった。


 十六年前の子には、洗礼の礼が五リーヴル、産に立っている。


 死んだことを届けた行は、一つもない。


 「生まれたときは、十倍払ったのですね」レオが言った。


 「使用人の子の十倍です」


 「その家が」


 「死んだことを届けた行が、この綴りにはありません」ミラは言った。




 婚礼まで、ふた月を切って、もう四日がたっている。


 「里で亡くなったのなら」レオが言った。「届けるのは、里の教区でしょう」


 「そうです」ミラは言った。「ここには立ちません」


 里がどこかを知るには、連れて帰った女の名が要る。


 「九年前に、この家で何がありましたか」レオが訊いた。


 ミラは頁を繰った。先代が亡くなったのは十一年前。義父が当主になったのも同じ年だ。


 九年前は、そのどちらでもない。二年あとの、ただの年だ。


 「何もありません」


 「何も」


 「戦もありません。凶作でもありません。この家の誰も死んでいません」ミラは言った。「その年に、家はお嬢さまの名を、教区へ出す紙に書きはじめました」




 日が落ちて、帳場に灯を入れた。


 ミラは今日の分を書きつけた。連名の八年。動かなかった十二リーヴル。一年で切れた乳持ち。噛み合わない理由と日取り。戻ってきて、去年始末された産着。


 使い道のわからないものも書いた。教育費の二十四も、奥さまの部屋も。捨てると、あとで探すことになる。


 十一年前の冬の頁も、今日、二度通っている。書きつけには入れなかった。


 王都へ頼んだのは六年ぶんだ。十七年前から十二年前まで、家政の巻。


 そのあいだに、十六年前が入っている。


 ミラは筆を置いた。


 「乳持ちの女に払った金は、家政に立ちません」


 「人件ですね」


 「頼んでいません」ミラは言った。「家政に立つのは、何を買ったかです。誰に払ったかは、人件のほうです」


 レオが窓のほうを見た。宿場町へ下りる荷馬車は、朝のうちに出ている。


 「明日の便に、もう一通」レオは言った。「往って戻って、また八日」


 「九日目です」ミラは言った。


 「九日目です」




 「あと七日、何をしますか」レオが訊いた。


 「連名を、もう一度はじめから書き出します」


 「二十年ぶん、書き終えています」


 「二度目は、名を数えません」ミラは言った。「額の出た先を追います。九年前から、この家が誰の名で、どこへ出してきたか」


 出した先は、こちらを見ている人たちだ。

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