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GGTR;私の死体の中に、他人の明日が息づいている  作者: 阿川佳代志
奇妙な出来事の始まり、偉大な科学者の始まり
2/12

1;1... - !実験251!

地下室は薄闇に沈んでいた。


記憶は朝のうちに厚手の布のカーテンを引いてしまっていて、今や光源は、青と緑のあらゆる濃度で明滅する三枚のモニターと、天井の梁に無造作にガムテープで貼りつけられた鈍い電球のイルミネーションだけだった。研究室というよりは、天才と狂気の境目がわからなくなり、それを不具合ではなく仕様だと開き直った、ひとりの錬金術師の隠れ家に近い。


「よし」記憶は両手をこすりあわせ、洋子に顎をしゃくった。「書いてくれ。実験番号……なんだ、今いくつだ? 二百四十七?」


「二百五十一だよ」洋子は膝の上の手帳を構えたまま訂正した。「鳩の件と、電子レンジの件を含めればね。あのときは三日間、焦げ臭さが取れなかったし」


「鳩は無事だった」記憶は手をひらひらと振る。「ほぼ」


静羽は腕を組んだまま、いちばん奥の壁にもたれていた。スマホには何も打ち込まない。ただ、じっと見つめている。灰色がかった銀色の瞳は、いつも半分閉じかけて疲れているのに、今はほんの少し、いつもより見開かれていた。沈黙の後ろに隠した好奇心が、ほんのわずか滲み出している。


装置は机の上にあった。


靴箱ほどの大きさで、黒のつや消し塗装。記憶が自分で四種類の塗料を調合し、理想的な無反射を実現した代物だ。表面にはボタンひとつない。インジケーターも、端子もない。ただのモノリス。


内部には、もし誰かが分解を試みるなら、「主観場の共振器」と記憶が名づけた代物が収まっている。スクラップ同然の旧式脳波ヘルメット、規格の三倍の周波数で磁気痕跡を読めるテープヘッド、そして三カ月前に電子レンジから取り出した、ある素子。その素子がいったい何をするのか、記憶自身にも完全にはわかっていなかった。だが、組み込んでからというもの、装置は生命の兆候を見せ始めた。かすかで、おぼつかない。だが、たしかな兆候だった。


「実験目的」色とりどりの配線の束で装置とつながった、くたびれた脳波ヘルメットを頭にかぶりながら、記憶は口を開いた。「短期記憶の電磁的パターンを取得し、再生すること。もっと簡単に言うと、俺が昨日見た何かを考える。装置がそれを読み取って、どこかに映し出す。たぶんな」彼はあいまいに片手をくるりと回す。「モニターのどれかか、あるいは空中に直接か。共振器のご機嫌次第だ」


「今、それ、生き物みたいに言ったよ」洋子が指摘する。


「ほとんど生き物だからな。もう少しだ。もしあれが女だったら、結婚してた」


静羽は音もなくスマホに打ち込み、画面を掲げた。


『電子レンジと結婚するの?』


「電子レンジはこいつの祖母だ」記憶は至って真面目に答えた。「ご先祖さまは敬え」


洋子が拳の陰で噴き出す。静羽はかすかな微笑みを浮かべた。あまりに一瞬で、誰かが気づくより先に消えてしまうほどに。


「スイッチを入れる」記憶が宣言し、装置背面のたったひとつの静電式タッチパネルに触れる。彼はわざとそこにスイッチを配置していた。起動が聖別の儀式めいて見えるように。


「ヨシ、タイム。静羽、もし何かが光ったり燃え始めたりしたら、消火器をつかめ。俺が燃え始めたら、俺をつかめ。計画通りに進んだら……」彼は一拍おいた。「その時点で俺たちに計画はない。なぜなら、ついさっき完遂したからだ」


彼は目を閉じた。


装置は沈黙を守っている。


唸り声も振動もない。遠くの換気扇の音と、上の路地を行く誰かの靴音の軋み以外、何も聞こえない。


記憶は集中した。ひとつ、特定の記憶を呼び起こす。昨夜、バー『そこ』。黒神綾音がジョッキを二つ、ギター、彼が顔をしかめるようにわざと外したあの不協和音。


十秒。二十秒。三十秒。


何も起こらない。


彼は目を開けた。


「わかった」声は平静だったが、奥歯が普段より強く噛みしめられている。「おそらく、もう少し時間が必要なんだろう。おそらく俺が……」


そのとき、それが起きた。


目の前ではない。モニターでもない。もっと深い場所、後頭部の奥、頭蓋骨の底のあたり、視覚が記憶に変わり、記憶が感覚に変わるあの一点で。突然、記憶は匂いを感じた。塩素だ。古い板。魚の風味が残るスープ。あの、児童養護施設の食堂のもの。そして、冷たさ。六歳のとき、雷雨から隠れて背中を押しつけていた、鉄製ベッドの背板の冷たさ。


映像は滑らかではなく、断続的にやってきた。


施設の廊下に立っている。夜。薄闇。壁に映るは枝の影。そして隅っこに、小さな人影。洋子だ。五歳くらい。泣いている。この瞬間を彼は覚えている。彼女の新しい両親になるかもしれない人たちが約束の面会に現れず、彼は十歳で、世界のすべてに苛立ちながら彼女に歩み寄り、隣に座ったはずだ。


けれど、今、記憶は別のものを見せていた。


彼は隣に座らなかった。


彼は通り過ぎた。


彼女のほうを向きさえしなかった。


記憶は感電したかのように身を捩った。ヘルメットが頭から外れ、机の上に鈍く落ちる。配線が突っ張り、一本が短い破裂音とともに端子から抜けた。


「記憶くん!」洋子が立ち上がる。「なに、何が見えたの?」


彼は答えない。緑色の瞳は、かつてないほど大きく見開かれている。自分の両手を、まるで初めて見るもののように凝視していた。


「おかしい」彼はささやいた。「こんなこと、なかったはずだ」


言葉が止まる。


なぜなら、記憶はもはや確信を持てなかったからだ。


本物の記憶と、装置が見せたもの。ふたつが意識の中で隣り合って横たわり、どちらも等しく本物のように感じられた。誰かがファイルを複製し、そのひとつの細部だけを微妙に書き換え、オリジナルを消去したかのように。そして今や、どちらが本物のバージョンか、見分けがつかなくなっていた。


「記憶くん?」洋子の声がより小さくなる。「怖いよ」


彼はゆっくりと彼女に向き直った。十七歳になった彼女を見つめる。ターコイズブルーのメッシュと、目の下の泣きぼくろ。そして、何年ぶりかで、彼女がそばにいてくれることへの感謝とは別の感情を覚えた。


恐怖だ。


脳の奥底で、血の凍るような考えが浮かんだからだ。もし、あの別の記憶が真実だとしたら? もし、彼が通り過ぎたのだとしたら? その後に二人のあいだに築かれたすべてが、記憶の誤りの上に建てられたものだとしたら?


「俺は……」彼は言いかけたが、終わらなかった。


実験室の反対側の隅で、かすかな、ほとんど聞こえない音がした。


ひび割れる音。


静羽は立ち尽くしていた。スマートフォンが画面を下にして床に落ちている。それを握っていた手が震えている。もう片方の手で、胸の長いチェーンにつるした懐中時計のペンダントを、ぎゅっと握りしめていた。


時計の文字盤のガラスに、ひびが入っていた。


小さい。髪の毛のように細い。しかし、一分前にはなかったものだ。静羽には絶対の確信があった。幼い頃から毎朝、毎晩、その時計を見つめてきたのだから。それは、彼女が一度も会ったことのない、けれど書類上の名前を継いだ相手が、ただひとつ残してくれたものだった。


罅は中心から縁に向かって走り、ローマ数字の「IV」をまっすぐに貫いている。


静羽は目を記憶に向けた。いつもは半分伏せられ、疲れきっている銀色の瞳が、今は涙でいっぱいだった。悲しみじゃない。痛みじゃない。言葉を必要としない、純粋で原初的な恐怖。


彼女は口を開きかけた。何かを言いたげに。出会ってからこのかた、ただの一度も声を発したことのない彼女が。


でも、できなかった。


代わりに、彼女はくるりと向きを変え、ハンガーから長い黒のコートをもぎ取ると、ドアへと駆け出した。肩が枠にぶつかる。ヒールの踵がよろめく。それでも、立ち止まらない。ドアが重苦しいコンクリートの反響を残して彼女の後ろで閉まった。


「静羽!」洋子が後を追って飛び出す。「待って! どうしたの!?」


地下室に静寂が訪れた。あまりに深く、記憶は自分の脈拍まで聞こえるほどだった。


彼は装置を見つめる。黒いつや消しの筐体。ボタンはひとつもない。起動していることを示すものは、何もない。しかし、それは起動していた。そして、あるはずのないものを見せた。


記憶はゆっくりと手を伸ばし、端子から抜けた配線をつかんで、そっと差し込み直した。モニターの一つが瞬く。


画面に、たった一行が表示された。装置が自ら出力したものだ。記憶がプログラムした覚えは欠片もない。


メモリーエラー:輪郭不整合。外部干渉の可能性:0.00%


外部干渉、ゼロ。ならば、異常は内部のものだ。


記憶は椅子の背にもたれかかり、長いあいだ天井を見つめていた。くすんだ電球のイルミネーションを、肋骨のような梁の影を。


記憶と洋子は、どちらも動けずに立ち尽くしていた。

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