80.誤解なんてなかった
「うふふ。あっくんはあたしの全てを知りたいんだね」
しばらくして、奏は大層嬉しそうに話しだした。
「あたしの全てを知りたいんだ。あたしの全てを知りたいんだ」
「あはは。うん。知りたいんだ」
俺は同調して微笑むが……正直、奏がどうしてここまで浮かれているのか皆目見当もつかなかった。
「それじゃあ、あっくん。あっくんのリクエスト通り、お腹、見せてるね」
「うん」
先程まで、奏はお腹を見せることをこれでもかと躊躇っていたのだが、説得の甲斐あってか。今ではすっかりお腹を見せることにノリノリになっていた。
……俺の交渉能力の高さが光った、かな。
「うふふ。あっくんのドヤ顔、可愛いっ」
奏が俺の顔つきを褒めてくれた。
自分では自分の顔を憎たらしい顔をしているなと思っても可愛いとは思わないのだが……他でもない奏に言ってもらえると、素直に嬉しい。
「それじゃあ、あっくん。お腹、見せるね」
「うん」
奏は笑顔のまま、Tシャツの裾を掴み、一思いに捲ろうとして……手を止めた。
「奏?」
突然、微動だにしなくなった奏が心配になった俺は、彼女に呼びかけた。
奏は……さっきのような深刻そうな顔つきをしてはいなかった。
「……」
「……」
「…………むふふ」
むしろ、なんというか……意地悪な顔をしていた。
「あっくん。あっくん」
「何?」
「あっくんが捲ってよ。Tシャツ」
「……えぇ?」
奏のいきなりの提案に、俺は動揺を隠せなかった。
「出来ないの?」
「……出来ないというか」
「あたしの全てを知りたいって言ったのに、Tシャツの裾を捲れないの?」
「……捲れないというか」
「……嘘だったんだ。あたしの全てを知りたいって、嘘だったんだ」
奏の瞳には光が灯っていなかった。
「……嘘じゃない」
俺は首を横に振った。
「……ただ、異性である俺が君のTシャツを捲るのって、冷静に考えたら犯罪じゃあないのかなって?」
「犯罪じゃあないよ」
「でも、同意のない交渉は犯罪じゃないか」
「同意はあるよ?」
「……でも、事後にやっぱり同意がなかったと言い出すことも可能な世情じゃないか」
「わかった。じゃあ、あっくん。スマホで動画を撮ってよ」
「なんの?」
「これからあたし、スマホに向かって言うから。あっくんにTシャツの裾を捲ってもらうことに同意しますって」
「……それが?」
「そうすれば、法廷で争いになってもあっくんに有利に働くでしょう?」
「……奏」
奏は怪しく微笑んでいた。
「君は天才か?」
そんな奏に向けて、俺は思わず唸ってしまった。
くそっ。俺の親友、賢すぎ……っ!
「……でも、奏、ごめん。その動画は撮らない」
「……どうして?」
「……だって」
俺は俯いた。
「人様のTシャツの裾を捲るって行為をした癖に、責任の一つも取らずにいるだなんて。他でもない君相手にしたくないもの」
「あっくぅん」
奏はトロンとした声を出した。
「もう。もうっ。あっくん、あたしのこと、大好きすぎだよぅ!」
奏の口角は緩みっぱなしだった。
「……それじゃあ、それじゃあっ! あっくん、あたしのTシャツの裾を捲る責任、取ってよね!」
「勿論さ」
「あたしのお腹の傷を見るんだから、責任を取ってよね!」
「勿論さ」
「一生! 責任を取ってよね!」
「……奏」
俺は彼女の肩を掴んだ。
「……ご、ごめん。ちょっと調子に乗り過ぎ……」
「当たり前だろっ! そんなことっ!」
「きゃーっ! あっくぅん!」
まったく。
奏は一体全体、どうしてそんな当たり前のことを聞いてくるのか。
俺だって……異性の衣服を捲るのだから、それ相応の責任を取る覚悟くらいしているさ。
「……それじゃあ、そろそろお腹、見せてもらえる?」
「うん。いくらでも見てよ……と言いたいとこだけど、一回だけ深呼吸、してもいい?」
「え?」
「……駄目?」
さっきまで浮かれ切っていた奏だったが、唐突に不安の色を見せ始めた。
……まあ、おかしなことではない。
奏がお腹の手術痕を他人に見せたくないと思ったのは、ここ数日の間に始まったことではなさそうだし。
長きに渡り、コンプレックスに近い感情を抱いていたものを他人に見せるのは、相応の勇気が必要なはずだ。
「すぅー……。はぁー……」
奏は大きく深呼吸をした。
そして、数秒、息を止めた。
「……あっくん」
そして奏は……。
「捲って……いいよ?」
俺に微笑みかけた。
「……じゃあ、捲るね」
「うん」
俺は奏の着ているTシャツの裾に手をかけた。
奏はもう……先程のように抵抗はしなかった。
目を閉じて……彼女のお腹を見ようとしている俺の反応を聞いているようだ。
……あまり勿体ぶるのも可哀想だ。
「……っ」
俺は思い切り、奏のTシャツを捲った。
……思い切り捲り過ぎて、一瞬、胸元のピンク色の下着が見えた気がして心臓が跳ねた。
しかし、すぐに心臓は落ち着いた。
心臓が落ち着くくらい……目の前に飛び込んだ光景は。
「……奏」
「……ごめん」
「……」
「……グ、グロテスクだったよね」
奏の声は……今にも泣き出しそうなくらい、震えていた。
俺は……奏を慰めることも。奏を励ますことも、出来なかった。
「……奏、その」
「……」
「……すごく、えっちだ」
「え?」
「……えっちだ」
Tシャツを捲った先に見えた、肉付きのよい健康的な柔肌。おへそは、未成年の俺には刺激が強く、彼女を慰める余裕など、今の俺にはなかったのだ。
「……え、えっちなのは一旦放っておいてよ。……傷、どう?」
「……そ、それだけどさ」
「ひんっ」
俺が奏のお腹を予告なしに触ると、奏が変な声を漏らした。
「……傷、一体どこ?」
「い、いきなり触らないでよぉ……」
「ごめん……」
「傷は……今、あっくんが触ってくれているらへんにあるでしょ?」
「あるけども……」
俺が触った場所にある傷は、傷だと認識して見ないとわからないくらい小さいものだった。
正直、想定していた傷より相当小さく、言い方が悪いが、少し拍子抜けした気分だった。
「うん。……全然、気にならないよ」
「本当?」
「本当」
「本当に本当?」
「本当に本当」
……多分だけど、奏は自らが人とは違い、生死をさまよい、開腹したという意識が先行してしまっていたのだろう。
だから、自らのお腹にある手術痕をバイアスがかかった視点で見てしまい、深刻なものとして捉えて、コンプレックスとして抱えてしまった。
……でも、この程度の傷なら、注視でもされない限り、他人であれば気付く余地もないだろう。
「……そっか。そうだったんだ」
「うん。全然、気にする必要はないよ」
……そして、奏の手術痕が小さかったからこそ、俺は考え始めてしまっていた。
「……ごめん」
一体、俺は何をやっているんだろう、と。
冷静になれ。
冷静になれ、萩原敦。
今、俺は一体、奏に何をしている?
合意の上とはいえ、奏のTシャツを捲って、彼女のお腹を見て……えっちすぎて目も合わせられなくて。
もし。
……もし、この光景を親にでも見られでもしたら。
「ただいまー……え。あんた達、いつの間にそんな関係に」
……そんなことを思っていたら、母が家に帰宅してきてしまった。
「えぇ。えぇ……。仕事で疲れたあたしに、お赤飯を買ってこいって言うの?」
「言ってない!」
その後、俺は懇切丁寧に母に俺達がしていた行為について説明をしたのだが……母はニヤニヤしながら話を聞くばかりで、正直、誤解を解けた気は微塵もしなかった。
くそう。
どうして母の誤解が解けなかったんだろう?
あまりに誤解が解けなさすぎて、そもそも誤解なんてなかったのではないかと俺も思い始めてしまう始末だ。
「あっくん、水曜日の海水浴、楽しみだねっ」
……ただ、まあ。
奏が海に行く気になったし、この場は一旦、収めることにするか。
13章終了です
今までで一番カオスは章になった気がする
ここまで互いに覚悟ガンギマリな癖に、どうしてこの二人はまだ交際を始めていないんだろう
そんな疑問を抱きつつ、どこかに放り投げる作者なのであった
ここまで読んで頂きありがとうございます
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なんとか本作も書籍化させたい……そんな切な願いを抱えています




