62.相変わらず
「いえ、時間はないです」
「えぇっ!?」
奏の母の質問に真摯に答えた結果、俺は奏の母に驚かれることとなった。
今日は奏と三時間の勉強会を行う予定で、奏こそ眠ってしまったが、勉強会はまだ一時間半くらいしか行っていない。
奏の母と構っている時間など、あるはずもなかった。
「……うふふ。なるほど。奏では中々陥落させられないわけね」
一人何かを呟く奏の母の瞳には、光が灯っていなかった。
「あっくん。どうしても今は時間はない?」
「そうですね。今は勉強中なので、それが終わった後なら少しくらいは時間は取れると思います」
「うふふ。あたしにそんな態度を取って、本当にいいの?」
「え?」
「あたしの機嫌を損ねたら、もう二度とこの部屋の敷居を跨げないかもしれないわよ?」
「……まあ、仕方がないですよね」
「うふふ。それくらいなら動じないか」
相変わらず、奏の母の瞳には光は灯っていない。
「それなら……そんなに頑なだと、奏ともう二度と会わせない」
「えっ……」
「もしあたしがそう言ったら、態度を翻してくれるかしら?」
奏の母のお願いより勉強を優先したら、奏と会えなくなる……?
それはなんというか……中々の横暴だ。
抗議をしたくなったが、奏同様、瞳に光が灯っていない人相手だとどうしてか、文句の言葉は喉につっかえて外に出てこなくなる。
……代わりに、その迫力に気圧されて、俺は少し考えることにした。
奏の母の要求を呑むか。
勉強を優先するか。
……答えはすぐに出た。
「それでも、俺は勉強を優先します」
「へえ……」
「だって……今の俺だと、遅かれ早かれ、奏と離れ離れになる日は近いじゃあないですか」
「……ん?」
「今の俺は無力です。そんな人間的な魅力のない俺が、魅力たっぷりの奏の隣に立つには取捨選択が必要なんです」
「えぇ……」
「現時点での俺は彼女の隣に立つためにも勉強が必須なんです。だから、あなたの要求は吞めません。ごめんなさい」
奏の母は呆気に取られた様子だった。
「それに……おばさんに一度、奏との絶縁を促されたって、最終的にはそれを撤回させればいいんです」
「……えっ」
「必ず俺は……今度こそ、彼女を救えるような男になるつもりです。そうなれば、きっとあなたも俺を認めざるを得なくなる」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「うふふ。うふふふふ。あっくん。あたし、あなたのこともっと好きになっちゃった」
奏の母はうっとりとした表情で俺を見た。
「うふふ。なら仕方がないわね。今日のところは勉強を優先して頂戴」
「すみません」
「勿論。奏との絶縁も、この家への訪問禁止もないから安心して」
「すみま……えっ」
じゃあなんでそんな話を俺にしてきたんだ?
「うふふ。まあ、今日のところは諦めてあげる」
奏の母はテーブルの上にお菓子を並べた。
「本当は、奏の容体のことについて色々と話したいことがあったんだけどね……。それはまたの機会……っ」
「ち、ちょっと待ってください! おばさん!!!」
俺はテーブルを思い切り叩いて、身を乗り出した。
さっきまであんな殊勝なことを言っておいておかしな話だが……奏の容体、と聞いたら、頭に血が一気に昇った。
「そ、その話……出来れば今、教えてほしいです」
「あらぁ? あっくんは奏と並ぶ存在になるため、お勉強をするんじゃなかったかしら?」
「……そのつもりでした」
「なら、お勉強をしないと」
「……勉強なんか、どうでもいい」
「んー? 何ー?」
「勉強なんかどうでもいい。奏の身に何かあるんですかっ!」
言葉通り、俺の頭の中にはもう……勉強のことも。自らの無力さのことも。
全てがどうでも良くなっていた。
「うふふ。うふふふふ」
奏の母は、怪しく笑っていた。
「あっくん。あなた、ウチの娘のこと、好きすぎだよっ」
「……おばさん。冗談は良いので、教えてください」
「……」
「……」
「……ごめん」
奏の母は少し気まずそうに苦笑した。
「それじゃあ、ここで話すのも眠っている奏に悪いし、リビングでお話しましょうか」
「はい」
「じっくり。二人きりで。奏のこと……お話しましょうか」
「はい」
俺は立ち上がった。
「早く行きましょう、おばさん」
「うふふ。満点よ、あっくん」
奏の母は満足げに微笑んでいた。




