63.強引
奏の母にリビングに連れていかれた俺は、彼女に促されるままソファに腰を下ろした。
「うふふ。ちょっと待っててね」
奏の母はそう言って、リビングを後にした。
数分後、彼女は一枚のプリント用紙を持って姿を現した。
「はい。どうぞ」
奏の母はテーブルの上に持ってきた用紙を置いた。
……奏の容体のことを教えてくれるのではなかったのか?
そんな疑問を抱きつつ、俺は奏の母がテーブルに置いた用紙を見た。
用紙に書かれていた内容は……奏の検診表のようだ。
「ごめんね」
奏の母は俺に謝罪をしてきた。
「この前……奏が熱を出してお見舞いに来てくれた時、あたしが意味深な言い方をしてしまったせいで、あなたを不安にさせてしまったじゃない?」
「……ああ」
そういえば、そんなこともあったな。
「だから、まずはその件の謝罪をさせてもらいました。あなたを不安がらせて、ずっとしこりのようなものを残していたら申し訳ないから」
「……はい」
「で、その用紙の内容はわかった?」
「すみません。……難しくて、あんまり」
「うふふ。そうよね」
奏の母は穏やかに微笑んだ。
「安心して。今の奏は、健康そのものだから」
穏やかな奏の母の言葉に……俺は酷く安心してしまった。
「そうですか……」
「えぇ。この前の一件の不安を早く取り除いてあげたかった。だから、わざわざ時間を作ってもらって、検診表も見てもらったわけ」
「……ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「でもこれ……奏に黙って俺に見せて大丈夫なんですか?」
「うふふふふふふ」
奏の母は、さっきの穏やかな笑みとは違い、どこか邪悪さを秘めた笑みを見せていた。
「大丈夫。安心して」
「……まあ、おばさんがそういうなら」
「バレなきゃいいのよ」
……安心して損した。
一応、奏に後でちゃんと謝っておこう。
「さて、それじゃああっくんの不安も解消出来たところで、そろそろ本題に入りましょうか」
奏に対して罪悪感を抱く俺を他所に、奏の母は楽しそうにそんなことを言い出した。
今現在、俺が奏の母と対面をしている理由は、奏の容体を聞くため。
つまり、これ以上奏の母と話をする理由は俺にはない上……そもそも、本題が奏の容体のことではないとはどういうことだろう?
「うふふ。あっくん、まんまとおばさんの策略に嵌ってしまったわね」
「……な、何をさせる気です?」
……まあ、奏の無事を教えてくれた恩もあるし、多少のことは素直に話は聞くけれど、あんまり変なことを言うようなら、奏の部屋での勉強に戻ろうと考えていた。
「あっくん。この本って知ってる?」
そんな奏の母の振り切り方を考える俺を他所に、奏の母はどこからか一冊の本を取り出し、奏の検診表の上にそれを置いた。
……奏の母がテーブルに置いた本は。
「……知ってる。知ってます」
俺も見覚えのある本だった。
「最近、ベストセラー本だって紹介されているのをテレビで見ました」
奏の母がテーブルに置いた本は、最近巷で話題のノンフィクション小説。
……余命宣告をされた娘の半生を母親目線から描いた泣ける小説だそうだ。
「……ん?」
待てよ?
このノンフィクション小説のストーリー、なんだか最近、間近で見ているような……。
「……まさか」
まさか……っ!
「うふふ。そう。この本はあたしが出しました」
俺は思わず、面食らってしまった。
「勿論……余命宣告をされたことがある奏のことを書いています」
……そ、そうだったのか。
「今のあたしの収入源は、講演会。そして、この本の印税ってわけ」
「は、はあ……」
「で……実はこの本、続編を出さないかって出版社から打診されているのよ」
「ぞ、続編ですか」
「えぇ。ほら、こういう余命宣告された人の半生を描くノンフィクション本って、最終的には……その、言い方が悪いけれど、主役の方はお亡くなりになってしまうじゃない? ただ、ウチの場合は元気に暮らすことが出来ている。それならば続編も書けるでしょう? ってわけ」
「確かにそうですね……」
……少しだけ釈然としない気持ちだった。
以前、奏の講演会を開いていると聞いた時も……奏の半生をエンターテインメントと消費していてあまり気分が良くなかった。
しかし、奏の半生を通じて、かつての奏や、奏の両親と似たような人が元気になれるなら……それもまたありなのかもしれないと思ったものの。
今回の件は、最早不特定多数の人に奏の半生を見せびらかす行為。
これじゃあ奏は、動物園の檻の中にいるのと変わらないのではないだろうか。
「……うふふ。大丈夫、奏が望んだことだから」
どうやら奏の母は、複雑そうな顔をしている俺を見て、察したらしい。
「……本当ですか?」
「勿論。あの子がたくさんの人に見てもらいたいと思ったのよ」
「……」
「あの子の生き様を」
「…………」
「そして、死にかけたあの子を支えたあなたのことを」
「…………ん?」
え?
「お、おばさん。その本にはもしかして……俺のことも書かれているんですか?」
「えぇ、勿論」
「おおう?」
「むしろ、そこが本作一番の感動ポイント」
「おおおおう?」
「死にかけの女の子を介抱して命を救ったあなたのようになりたい、という感想が大半」
「おおおおおおう?」
「うふふ。というわけで、今回も協力してくれるわよね。あっくん」
奏の母は、薄く笑っていた。




