52.不調
奏とのひと悶着の後、二度寝をする気にもなれなくなった俺はリビングに降りた。
「あ、あっくん。もう少し寝ててもいいんだよ?」
「ううん。大丈夫」
「うふふ。そっか」
「……何か手伝うことある?」
キッチンに立ち、俺の朝ごはんを作ってくれている奏に向けて、俺は尋ねた。
そういえば先日、彼女の負担を減らすためにと、家事の分担を提案していたことを思い出した。
「ううん。大丈夫。……あ、ごめん。やっぱりやってほしいことがあるかも」
「何?」
「うふふ。奏、いつもありがとうって言って」
「奏、いつもありがとう」
「えへへ。えへへへへ」
日頃のお礼を伝えると、奏はわかりやすく浮かれていた。
ふふっ。誰かにお礼を言われると、嬉しい気持ちになるよね。
これからも誰かに何か得になることをしてもらったら、キチンとお礼を言うようにしよう。
それから俺は、リビングで待っていてと奏に言われたためにソファに座ってテレビをぼんやりと眺めることにした。
数分後、香ばしい匂いと共に奏が朝ごはんを持ってやってきた。
「はい。あっくん」
「奏、いつもありがとう」
「えへへ。えへへへへ」
やっぱりお礼を言うと、こっちまで気持ちが良くなるな。
「それじゃあ頂きます」
「召し上がれ」
「うん。美味しい」
「本当、嬉しい」
「奏、いつもありがとう」
「えへへ。えへへへへ」
奏は俺の隣に座りながら、体をクネクネと捻っていた。
「そういえばあっくん」
浮かれた様子の奏は、浮かれた声で俺に話しかけてきた。
「あっくん。今日、なんだか具合悪い?」
笑顔のまま言う奏に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「え、そう見える?」
「うん」
奏は笑顔を崩さない。
「どうして……?」
「だって、声のトーンがいつもより低いし。歩く速度がいつもより遅いし。笑顔のキレがいつもより悪いし」
笑顔のキレとは……?
「何より、さっき寝ている時、うなされてたよ?」
……そうだったのか。
「……何があったのかな? あたし、なんでも相談に乗るよ?」
「……そう?」
「うん。あたし達、特別、でしょう?」
「そうだね」
……そうだ。
俺が奏のことを特別だと思っているように、彼女も少なからず俺のことを特別だと思ってくれているはず。
そして何より、俺の数少ない交友関係で……奏は最も信頼出来る人でもある。
「……実は、高垣さんのことを考えていたんだ」
「ふーーーーーーーーーーん」
「昨日の……そう。飛行機の写真を撮っている時から、ずっと彼女のことが気になっていたんだ……」
「へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーえ」
「……奏、君にだからこんなことを聞くんだけどさ」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「何? あっくん」
謎の圧力を発する奏に向けて、俺は生唾を飲み込んだ。
「高垣さんの弟さんのこと、君は何か聞いている?」
……途端、奏の発する圧が減少していき、最終的に彼女は目を丸くして。
「……えっ。あっくんってそういう趣味が……?」
奏は目を潤ませながら、頬を染めて、口をワナワナさせていた。
「嘘。そういうこと? だから全然靡かなかったってこと……?」
「奏」
「……ふぇぇ」
「奏?」
「……ひ、ひゃいっ」
奏は何故か狼狽えていた。
「……その、俺、昨日からずっと考えてしまって」
「……そ、そうなの?」
「うん……。もしかしたら高垣さんの弟って」
「……ゴクリ」
「……病気を患っているんじゃないかなって」
困惑気味だった奏の様子が、また変わった気がした。
「どうしてそう思ったの?」
奏は優しい声色で尋ねてきた。
「……昨日、高垣さんが呟いたんだ。早く元気になってほしいって」
「うんうん」
「タイミング的にも、それって彼女の弟に関することだと思えたんだ」
「なるほど」
「……よくよく考えれば、おかしいと思わない? ラッピング飛行機に彼女の弟が興味を持ったのなら、高垣さんだけでなく、彼女の弟だって昨日、空港に来るはずじゃあないか」
「確かに、その方が実物も見れて、より思い出になるね」
「……そうだろう? それで、思ってしまったんだ」
「綾香ちゃんの弟が、ラッピング飛行機に興味を持っても、どうしても現地に来ることが出来ない事情があったんじゃないかって?」
俺は頷いた。
「その事情が何かと考えた時……彼女の憂いを帯びた呟きを聞いて」
俺は奏に目配せをした。
「あたしを思い出しちゃったんだ」
……奏は微笑んでいた。
「……うん」
……そうだ。
高垣さんの弟の容体を連想して、そうして俺は君を……。
奏を……思い出してしまったんだ。
だからさっき、あんな悪夢を見てしまったんだ。
「……なるほど。あっくんの言いたいことは理解しました」
奏はうんうん、と頷いた。
「あっくん。じゃあ、あたしの所感を述べるね?」
「うん」
「多分だけど、君の考えは合っていると思う。綾香ちゃんの弟は、多分、入院とか……とにかく健康な状態ではないと思うよ」
「……うん」
「でも……」
奏は俺の手を優しく握った。
「多分だけど、君が思うような悲惨な状態ではない」
奏の手は……温かかった。
「あたしみたいに、生死の境をさまよっているわけではないと思う」
……一瞬、彼女の手の温もりに気を取られた俺は、首を横に振った。
「どうしてそう思ったの?」
「……うーん。まあ、経験則かな」
「経験則?」
奏は、俺の手を握る力を少しだけ強めた。
「……親族の危篤。それも子供がそういう状態に陥るとね。人は冗談なんて言えなくなるの」
……奏は苦笑した。
「終業式前後の綾香ちゃんの様子は、そこまで悲壮的なものじゃなかった。昨日だってそう。親族。……それも弟の死が間近に迫っている人の姿じゃないよ。あれは」
「……そっか」
「うん。だから……多分、入院はしているけど死の危険まではない。もしかしたら怪我とかかもしれないね」
……他でもない奏が言ってくれたからか、少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。




