36.訪問
「敦ー、そろそろ行くわよー」
テストが明けた翌週の土曜日。
自室で相変わらず勉強に励んでいた俺は、一階リビングにいる母から大きな声で呼ばれた。
「わかった」
俺は参考書を閉じて、ため息を吐いた。
本当はもう少し勉強をしたいところだったが、時間であれば仕方がない。
「遅い」
「ごめんごめん」
一階に降りると、準備を終えていた母から怒られた。
謝罪をしつつ、俺達は家を出て、父が待つ車の方へと向かった。
車は既にエンジンがかけられていて、父はスマホをポチポチと弄っていた。
「じゃあ、あなた。よろしくね」
「うん。わかった」
「いつも遅くまで仕事をしてくれているのに、ごめんね」
「気にすることはないさ。何故なら俺は君の父だからね」
にこやかに微笑む父に心の中でもう一度お礼を言いつつ、発進した車の後部座席に座る俺は、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
「いやあ、それにしても久しぶりだね」
父は車を運転しながら、どこか楽しそうに言った。
「一ノ瀬さん家へのお呼ばれだなんてさ。敦が小さい頃は結構あったんだけどね」
「そうね。あの時はご近所だったしねー」
今日、俺達萩原一家が向かっている場所は、先日俺がお邪魔した一ノ瀬家。
先日、俺は風邪を引いた奏の看病を一日したのだが……奏の母の帰宅後、看病のお礼に、今度家族で家に遊びに来てよ、と言われて、この場は成立した。
ただ、家に帰って両親に一件を説明すると……両親はすぐには奏の母の誘いに同意しなかった。
『あんた、学校サボって奏ちゃんの看病してたの……?』
真っ先に両親に示された反応は、困惑。
その後、俺は事の成り行きを説明し、全てはテスト勉強期間の延長のためだと説明した。
『それは、ちょっと姑息すぎない……?』
結果、俺は両親から余計に困惑されることとなった。
一体、何故……?
まあそんなわけで、俺はテスト当日の行動をひとしきり両親に困惑された後、両親に一ノ瀬家への訪問をどうするかと再度尋ねることにした。
『勿論、行くわよ』
最初からそう言え、とその時ばかりは心から思った。
「……君達が小さい頃は、毎週のようにやっていたんだよ?」
父が言った。
「そうなんだ」
正直、あまり記憶にはない。
「君達が小さい頃から、俺達も彼らも仕事が忙しくてね。近所だったことも幸いして、互いに互いの子の面倒を見ていたり、見てもらってり。……今の時代だったら、虐待だー、とか騒ぐ人もいるかもしれない」
父は苦笑していた。
「持ちつ持たれつって言うのかな。……あの時は、今よりも大変だったけど、似た境遇の人が近くにいて、協力していたからなんとかなった部分もあったと思う」
「……そうなんだ」
「うん。……だからまさか、あんな形でその関係も途絶えることになるとは思っていなかった」
車内が静かになり……エンジン音だけが響いた。
「敦は覚えているかい?」
「何を?」
「……奏ちゃんが入院後、初めて面会に行った後の車内での会話だよ」
……やせ細り、綺麗な黒髪が抜け落ちた奏と対面したあの日の帰り道での会話。
「……そういえば、今と同じ構図だった。無遠慮にも俺達は、後部座席に座る君にも聞こえるような声で、奏ちゃんの状態を哀れんだんだ」
……忘れるはずもない。
「可哀想。そう言った母さんに、君は怒っていたね」
「ごめん……」
あれは、今思い出しても……俺の八つ当たりに過ぎない。
「違う違う。怒っているわけじゃないんだ。……ただ、あの時から君は」
何かを言いかけて、父は笑った。
「ごめん。湿っぽい話をしてしまったね」
「本当よ。これから久しぶりに一ノ瀬さんと会うってのに」
母は怒っていた。
「そういえば敦、奏ちゃん家にあんたが看病に行ってから、奏ちゃんが一度も家に来なくなったけど、何かあったの?」
両親の会話を笑っていたら、振り返った母に唐突に質問された。
母の言う通り、実はここ数日、奏は我が家に立ち寄っていない。
「その前まではほぼ毎日来てたのに。……もしかして、あんた達喧嘩でもしたの?」
「喧嘩? あんなに仲良くやっていたのに?」
「勘弁してよ? これから訪問する家の子と喧嘩中なんて。そうなったら余計変な空気になるじゃない」
「……失礼な」
俺と奏が喧嘩?
馬鹿なことを聞いてくるもんだ。
「喧嘩なんてしてないよ。これっぽっちも」
俺は鼻で笑ってみせた。
「なら、なんで奏ちゃんはウチに来なくなったの?」
「……ふっ。簡単なことさ」
俺は不敵に笑った。
「実は俺達、期末テストで勝負してたんだ」
「そうなの?」
「うん」
俺は頷き……。
「そこで奏を、完膚なきまでに叩き潰したんだ」
ニタァ、と笑った。
病欠者の特例処置で翌日テストを受けた俺達は、クラスメイトから一週間遅れて採点結果を職員室で担任から受け取った。
……その時の奏の半泣きの顔ときたら、中々、ゾクゾクするものがあった。
「……はぁ。それが喧嘩だって言ってるの」
母は頭を抱えていた。




