35.両重い(両想い)
学校を出た後、俺は駅を目指した。
テストはてんで駄目だった。こんなこと、今まで一度もなかったのに。
……脳裏に残る嫌な思い出が、何度も蘇ってしまったのだ。
『……久しぶり、奏』
小学校の時、奏は人気者だった。
彼女は綺麗で陽気で、優しくて……他人に妬みの感情も抱かせないくらい完璧な女の子だった。
しかし、ある日を境に、教室では奏がいないもの扱いをされることになった。
それは彼女が虐められたからではない。
彼女が……余命宣告をされる程の大病を患ったためだった。
母に連れられて向かった病室。
数か月ぶりに再会した奏の姿は……。
今日、奏は学校を休んだ。
テスト当日、前日まではあれ程、元気いっぱいに俺とのテスト勝負に向けて勉強を頑張っていたのに。
……そんな、彼女の努力が報われなかったことに関して、思うところはある。
彼女ばかり不幸な目に遭わせる神様など、やっぱりいるはずもないんだと思う気持ちもある。
でも、色んな感情が渦巻く内心で、一番……今、俺が考えていること。
「……死なないよね、奏」
かつて彼女は死にかけたことがある。
国内では直すことが出来ない大病に、彼女は一度、美貌も陽気な性格も、命さえも……失いかけたことがある。
幸い、彼女は現在も無事に命を紡いでいる。
しかし……再会以降、初めての病欠。
……一度は遠ざかった彼女との別れが、脳裏を過らないわけがなかった。
おかげでテストはまったく手につかなかった。
そして、いてもたってもいられなくなった。
だから俺は……電車に揺られて、彼女の家を目指していた。
フランス帰りの彼女の自宅は、以前とは別の場所にある。
住所は以前、奏本人から聞いていた。
『いつか遊びに来てね』
彼女は住所を教えてくれる時、そういって微笑みかけてくれた。
ただ……昨日まで、俺達は俺の家で遊ぶばかりで、一度も彼女の家には立ち寄ることはなかった。
だから……今になって、少し後悔している。
「こんな形で彼女の新居に初めてお邪魔することになるだなんて……」
本当は、もう少し平穏に、その時を迎えたかった。そう思って、少し胸の奥が痛かった。
自宅最寄り駅から二本手前の駅で、俺は電車を降りた。
名前しか知らない駅の改札を出て、見たこともない駅前を歩いて……向かった先は、閑静な住宅街。
「ここか」
奏の新居は、タワーマンションだった。
立派なエントランスを委縮しながら通って、オートロックの扉の前で彼女の部屋番号を打ち込んだ。
数度のコールの後……。
『はい』
女性の声が聞かいから聞こえてきた。
「あの……」
奏の声ではなく、俺はおずおずとしながら声を発した。
『もしかしてあっくん?』
「え? あ、はい」
『あらー、おっきくなったわね。あたしよあたし。奏ママ』
「あ、おばさんでしたか」
機械越しだと、全然わからなかった。
『もしかして、奏のお見舞いに来てくれた?』
お見舞い。
その言葉は……嫌いだった。
「……はい」
『そう。ありがとう。……ごめんね』
「え?」
心がざわついた。
『あ、違う違う。本当はあたしもゆっくりあなたとお話したいんだけど、生憎、これから仕事なの。だからすぐに出なくちゃいけなくて』
「ああ、そういう」
『うん。だから、今度ゆっくりと久しぶりの再会をお祝いしましょう。ウチの子ったら、全然、ウチにあなたを寄せ付けないんだもの』
「……はは」
『多分、昔自分が住んだ家がなくなっているから。まだ残っていて、かつてよく遊んでいたあなたの家が恋しいのね』
……そうか。そんな理由で奏はウチに通っていたのか。
『あ、ごめん。湿っぽい話しちゃったわね。扉、開けるわね』
「あ、お願いします」
オートロックの自動ドアが開くと、俺はエレベーターに乗り込んだ。
そうして、三階で降りると……奏が教えてくれた部屋番号の部屋の前に到着し、チャイムを鳴らした。
「はあい」
扉が開くと、おばさんが笑顔で立っていた。
「お久しぶり。あっくん」
「お久しぶりです……おばさん」
「うん。ごめんね。本当にもう、あたし出ないといけなくて」
「あ、はい」
よく見たらおばさんはスーツを着ていた。
「それじゃあ、ウチの子のこと、頼んだわね」
おばさんは俺を部屋に通した途端、隣を横切って、玄関へ。
「ごゆっくり~」
「はい」
バタン、と音を立てて、扉が閉まった。
……広く静かな室内で、俺は奏の部屋を探すことにした。
脱衣所。
トイレ。
キッチン。
リビング。
……リビングの端にある本棚に、数枚の家族写真を見つけた。
国内でのキャンプで、家族三人で仲睦まじく笑う写真。
フランスでの……頭にニット帽を被った奏と家族の旅の写真。
……そして、幼少期の俺と奏のツーショット写真。
この写真は確か、近所の盆祭りの写真だ。
俺が食べていた焼きそばを奏が横から奪うところの写真。
この後、俺は彼女に焼きそばを食べられたことがショックで大泣きをかますのだが……。
『ごめんねあっくん。お詫びにあたし、あっくんとずっと一緒にいるから』
奏の笑顔を見て、俺はすぐに泣き止んだのだ。
……あの時はまだ、その後に奏があんなことになるなんて、思いもしなかったな。
感傷に浸っている場合ではなかった。
俺は奏の部屋を探した。
次に開けた部屋は……奏の両親の寝室。
そしてついに……。
「……いた」
奏の寝室。
彼女はベッドの上で、穏やかに寝息を立てていた。
「……生きてる」
彼女の寝息を一度、二度……三度。何度も聞いて、俺は彼女の命が今日も紡がれていることを確認した。
……ずっと張りつめていた気持ちが、ガクッと緩んだ気がした。
その場でうずくまって……安堵の涙でもこぼしたい気持ちだったが、そうはいかない。
「……おかゆでも作って、待ってるか」
俺はキッチンを拝借することにした。
拙い手付きで料理を作りつつ……彼女の起床を気長に待つことにしたのだ。
四苦八苦しながら、料理を作って……一体、どれくらいの時間が経っただろうか。
唐突に、奏の寝室の扉が開いた。
「……あっくん?」
「おはよう、奏」
頭に冷却ジェルシートを貼った奏が現れた。
彼女は……自分の家に俺がいることが余程意外だったのか、驚いたように目を丸くしていた。
「熱は下がった?」
「……え? ああ、ううん。まだ、だるい」
「そっか」
俺はエプロンを外して、奏の傍に近寄った。
「……え?」
奏の瞳が不安に揺られていた。
新鮮な奏の態度に、少しだけ加虐心がくすぐられただが、グッと堪えた。
「もう少し寝てなよ」
奏をおぶって、俺は彼女の寝室へと向かった。
「……あっくんの背中、あったかい」
「そう?」
「……うん」
体を預ける奏をベッドに下ろして、首筋を触った。確かにまだ熱っぽい。
「……じゃあ、おかゆ作ってくるから、もう少し寝てなよ?」
「もう眠くないよ」
「そう? じゃあ……すぐに戻って来るよ」
「……あっくん」
「何?」
「早くね?」
「わかった」
俺はキッチンに戻って、急いでおかゆを作った。
「出来たよ」
「ありがと」
ベッドに上半身だけ起こした弱った姿の奏は……儚げな微笑みも相まって、かつての嫌な記憶をまた蘇らせた。
「あっくん?」
「あ、ごめん」
思わず、扉の前で立ち竦んでしまったが、取り繕うように俺は歩き出した。
「はい」
お盆を手渡すが……。
「ぷいっ」
奏はそっぽを向いた。
「あっくん」
「はい」
「食べさせて」
致し方なし。
「口、開けられる?」
「あーん」
「ふー。ふー」
俺は奏の口におかゆを運んだ。
スプーンでおかゆを掬って、少し冷まして、彼女の口に運んで……。
数十回、その行為を繰り返して……彼女はおかゆを食べきれた。
「美味しかった」
「レトルトだよ」
「でも、美味しかった」
「そっか」
俺は立ち上がった。
「おばさんは何時ぐらいに帰ってくるの?」
「夕方じゃないかな」
「そっか。……じゃあ、そこまではいるよ」
「……あれ?」
奏は小首を傾げた。
「このおかゆって夕飯じゃなかったの?」
「……」
「そういえば、今って何時?」
「……」
「あっくん、テストは?」
……奏はおかしな表情を見せていた。
どうして君は、そんな悲しそうな顔をしているの……?
彼女を安心させたくて、俺は微笑んだ。
「具合が悪くてね。受けなかった」
実際……奏が体調不良だと聞いた瞬間、激しい目眩を覚えたのだ。
「……テストよりも君のことが心配だったんだ」
「ごめん……」
「君がまたいなくなったりしないか。そんなことを考えたら、テストどころじゃなかったんだ」
「ごめん。あっくん……」
奏は、泣いていた。
「あたしのせいで……あっくんの夢が絶たれちゃった」
悲痛そうな涙を見せる奏を見て……俺はもう一度微笑んだ。
「それはフランス留学のことを言っている?」
奏は黙って頷いた。
「だとしたら……君の願った結果になったじゃないか。悲しむ必要があるの?」
「……こんな」
奏の声は震えていた。
「こんな形でっ。あたしは願いを叶えたかったわけじゃないっ!」
……それは多分、彼女が一度、病気に苦しんだからこそなんだろう。
病気は辛く、苦しく……命さえ、容易く奪うような絶望的なものだと知っているからこそ、彼女はそれを他人の運命を握る選択肢として用いたくなかったのだろう。
「……奏、勘違いしないでよ」
「……」
「俺の夢。……いいや、目標は、別にまだ絶たれたわけじゃない」
「……あっくん」
「たかだか一度のテストで一位を逃したくらいで、俺の全てが失われるわけじゃない」
「でもあっくん。学力テストで一位を逃したら死ぬくらいの勢いだったじゃない」
「死ぬ気ではあるさ。それくらいの覚悟を持って挑まないでどうする」
それくらい、俺は本気なんだ。
「俺は……あの日の無力感をもう二度と味わいたくないんだ。そのためなら、命を賭けることだって容易いさ」
「……ならやっぱり」
「でも、勝負とは時の運。最悪の結果が待ち受けていることだって当然ある。だから、俺は一度の失敗くらいじゃへこたれないよ」
「……」
「失敗しても。何も出来なくても……。チャンスは再び訪れる」
「……」
「それを俺に実感させてくれたのは、他でもない君だよ。奏」
高校入学から数か月。
あの日、教室で再び奏と再会出来た時……。
あの日、あの時見た光景の全てを忘れることは、きっとない。
「だから、安心しなよ」
「……あっくん」
「君は俺の夢を奪ったわけじゃない」
「……うぅ」
「むしろ君は……俺の原動力。だから、いつも通りでいてくれよ」
「……あっくぅん」
奏は半べそを掻いていた。
「それに、まだテストは受けれるかもしれないからね」
そんな奏に、俺は笑ってみせた。
「……へ?」
「ウチの学校、テスト当日の病欠者に対しては再試験の特例処置があるんだよ」
「……」
「君は間違いなくそれが適用される。俺は……まあ、日頃の行いが良いし、頼み込めばなんとか。かな」
「……そっかぁぁ」
奏はグデーっとベッドに仰向けに倒れた。
「良かったぁぁ……」
「あはは。安心した?」
「した。……どうしようもないくらいに、安心しました」
「それなら良かった」
「……安心したら、眠くなってきました」
「なら、寝なよ」
「あっくん。あっくん」
「何?」
「あたしが寝るまで、頭を撫でてくれる?」
なんで?
「頭を撫でてくれる?」
「いや、なんで?」
「頭を撫でてくれる?」
「……うん」
「えへへ。あっくんの手、あったかい……」
……そ、それなら良かった。
「うふふ。うふふふふ」
熱に浮かされている割に、奏は元気そうだった。
「それにしてもあっくんが、死ぬ気で望んでいたテストよりもあたしを優先してくれるだなんてね」
「……まあ、特例処置のことを知っていたからね」
何でこの処置のことを知ったかと言えば……テスト勉強がもし間に合わなかった時、何かしらの勉強時間の延長方法がないかを調べたためだ。
この処置は正直、未だに存続されているのが不思議なくらい、悪用し放題なものである。
一刻も早く廃止するべきだと思う。
……ま。それはそれとして、帰ったらたくさん勉強するけども。
「テストよりあたしを優先してくれたんだー。テストよりあたしを優先してくれたんだー」
「……話聞いてる?」
「聞いてません」
聞いてないんじゃ……仕方がないのか?
「うふふ。本当。まったくもう……」
奏は上機嫌に微笑んだ。
「あっくん、あたしのこと好きすぎだよっ」
お前が言うな
七章完結です
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