セイテイノア9
「なかなか見つからないですね。」
「そうだね・・・。」
住宅地を二人で歩きながらそう答える彼女。
大ジャンプから数時間、さすがに俺も回復して自分で歩けるようになったのだが、未だに朝風を見つけることはできていないことはおろか手がかりすら見つかっていない。
それに対してのあさんは何か思うところあるのか、先ほどから顎に手を当て考え込んでいる風なのだ。
「ふーむ。今日の夜ごはんは何にしようか。」
「何も考えていない!?」
「何も考えていないとは失礼な。毎日の献立を考えるのも大変なんだよ。」
「そんな主婦みたいなこと言わないでくださいよ。」
主婦じゃないのに。
・・・主婦じゃないよね?
「早く帰らないと旦那がうるさいから・・・。女性が1人で遅くまで心配だの、子どもがどうだの・・・。」
え?本当に既婚者なの?
この適当さで?
確かに見た目は良いけれども。
「ちなみに今日の献立は?」
「・・・ラーメン。」
「はい嘘松。」
結婚生活で献立悩むときにそのメニューが出るわけがないんよ。
普通に家で作る人も少ないだろうそれは。
夫婦で余程のラーメン好きでも自宅で作る人はほとんどいないんじゃないか?
だいたい食べに行くだろう。
偏見かもしれないが、ラーメン好きはおいしいラーメン店をめぐっているイメージがある。
なぜばれたしみたいな顔をしているのあさんに少し安心するが・・・こんな冗談を言うんだなこの人。
あまりそのようなこと言う人には思えなかったけど。
「私だって冗談くらいいうさ。言う人がいなかっただけで。」
「あ・・・。」
「・・・。」
・・・気まず。
最悪なタイミングで沈黙が訪れてしまった。
まだそれに良い返しができるほど関係が出来上がっていないし、俺の実力も足りていないのですが。
遠慮なく言っていいのなら言うけども、まだ見極めが難しいよ?それ。
無礼講とかいってほんとに無礼なこと言ったら後に響くやつじゃん。
言っていいんですか?陰キャは大変ですねとか。
立場が上の人の自虐は難しいです。
え~とえ~とっと何かこの空気を打開する良い言葉、話題がないか探していると、ふと前を歩いていた彼女の足が止まった。
「・・・え。」
何も言わなかったことがむしろ良くなかったのかと思い、顔色を伺うが、別にそこからは何も読み取れなかった。
いつもの変わらない真顔。
「先に進まないんですか?」
俺はいつまでも進もうとしない彼女を追い越して口を開く。
「進まないというか、進めないというか。行っても意味がないというか。」
「・・・?」
何を言っているのだろう。
ここは住宅街。
目の前には道は続いているし、行き止まりでもなんでもない。
「行っても意味ないというか、君に言っても意味がないというか、ね。」
・・・どういうこと?
変に空気を変えようとして意味の分からないことを口走ってる?
どうしたら君に理解してもらえるか・・・と今度は別の意味で顎に手を当てて考え出す彼女。
いったい何を理解していないというのだ?
もしかして俺の気づかない間に何か仕掛けてた?
わかりにくいネタというかネットスラング的ななにかとか。
「いや、そういうわけではないんだけど。もうこっちの方向はこれ以上探す必要がないんだよね。」
「それは、こっちには朝風がいないという証拠が掴めたとかそういうことですか?」
彼女がなにか見つけたようには見えなかったけど、実はあの会話の途中になにか見つけていたのだろうか。
「証拠、というか・・・うん。」
なんか煮え切らない態度だな。
どう伝えたものかと考えている態度。
言葉を選んでいるというか・・・そんなに言いづらいことがあるかな?
まあ見てもらうのが一番早いかと彼女は意を消した風に俺を追い越していく。
「君はここで待ってて。」
そう言って彼女は歩き始める。
そしてしばらくいくとUターンして帰ってきた。
「どうだった?」
「・・・・?」
なぜか感想を聞いてくるのあさん。
どうって言われても・・・綺麗なウォーキングでしたってか?
ただ舗装された道を歩いて帰ってきただけである。
感想を言えっていうのも酷な話だと思うが、これはあれか?パリコレの練習か?
確かにその歩き方と佇まいは完全にその世界にいてもおかしくないほど整ってはいたけども、なぜここで
急に?の疑問のほうが大きいですよ?
「別にそういう感想を求めたわけではなかったけど、まあそうだよね。君にはそう見えるよね。」
「・・・そう見える?」
「うん。・・・私としては、まっすぐ進んだつもりだったんだけどね。」
「・・・?」
余裕でUターンしてましたけど。
綺麗なターンかましてましたよ?
「それが君の脳が補完した私の動きということだ。この世界は結構狭いから。」
狭い・・・?
「ここから先に見える景色はすべて幻覚で実際には存在しない。私たちが今いる世界っていうのは、半径約100㎞ほどしかない鳥籠の中にいるんだよ。」
「まあこんなことを言っても信じられないだろうけどね。
みんなそうだったし、君がそうだとしてもそれは怒られることじゃない。
もし信じられないなら他のオリジンの人たちに聞いてみたらいい。みんなこぞって私と同じことを言うから。別に私がそう言えといったわけじゃなくね。オリジンに目覚めた者たちはこの呪いから解放されて、フィルターが消えるらしい。
君が行ったらどうなるのかって?
私からするとただそこで立っているだけだね。
その境界線を越えるとただ立ち尽くして、立っていて、経っている。
君がその先で経験したことや、起こったと思っていることはすべて補完させた記憶で、そういう経験をしたことにされているんだよね。
私はその経験がないから、これが人によって違うのかはわからないけど、例えば君がその境界線を越えて、海外旅行に行ったとしよう。
その場合、君はただそこで数日間突っ立っていて、またこの範囲に戻ってきたときに動き出す。
どうやらその間の栄養等も補完されるらしく、なんかすごい悪用できそうなんだけど、このシステムに気づいてからはどうも適用されないらしいんだよね。
バグを利用させないという運営の頑な意志を感じる。
運営というかこの世界の創造主のね。
だから君がもし、外の世界に出て、何かを成し遂げたとしてもそれは君の頭の中だけの話で、それが外に出ることはない。
妄想と一緒さ。
君には見えないだろうけど、私には見えるよ。
今もそこに並ぶ人の群れが。
それが境界線をはっきり私に教えてくれる。
この世界の歪みを教えてくれる。
これが見えないということは君がオリジンではないことの証明なんだけど、そうなったときにまた別の不思議な点が上がってくるよね。
そう、君の不死性。
君のその力はいったいどこからきているのか。どのような力なのか。
いったん隅々まで調べつくしたいところだが、はて、私のこの話を聞いた君がもし、今外に出て、このシステムを悪用しようとしたらどうなるのか。
非常に気になるところだね。
例えば、今君が外に出て、ここじゃない別の境界線から戻ってきた場合、その位置にここにある身体がテレポートする仕組みになっているわけだけれども、わかっててそれを利用はできるのかな?
この仕様を知っているオリジンはエラーとして除外され、それができないけれども。
知っていると理解しているは違うとは言うけれども、これも同じなのかな?
呪いから解放されていない君はまだそれが可能なんだろうか。
どちらかというも私の方が呪いにかかってるみたいなものなんだけどね。
見たくないものを見せつけられてる。
恐らくほとんどの人にとっては気づかないほうが幸せだろう。
あ、テレポートと言ってもあれだよ?
あくまで予想だけど、実際に君が外の世界に出てその別の境界線に辿り着くまでの時間はこっちの身体は動いてないからね?
瞬間移動だけど瞬間移動じゃない。
時間はおそらく経過している、というのが私の仮説だ。
何回か確かめてみたから恐らく間違いないと思うのだけれど。
だから君も私の話を聞いて勘違いしないように。
もし君が外の世界で死んだとしたらこちらの世界にある身体が死ぬ。
いかに妄想といえどもだ。
これも想像だけどね。
もしかしたら今そこにある死体はただ単に栄養失調になっただけかもしれない。
病気になっただけかもしれない。
それは死んだ本人にしかわからない。
でも、向こうでの死因はなんとなくわかる。
ここにある死体の形も、変わるからね。
ああ、心配してくれてありがとう。でも、もう見慣れたよ。
だからオリジンも境界線には来ようとしないのさ。
まともなオリジンはね。
なんでもすぐに信じる純粋さは君の良いところでもあり、悪いところでもあるな。
そんな君に忠告をしておくが、忘れないでほしいのは今の話を聞いて、妄想だからといって命を軽んじないこと。
まあ、不死身の君には必要のない心配かもしれないけども、それともう一つ。
こちらで動いていない身体が死んでも、当然その主は死ぬ。
これは君たちのような一般人はまず見えないし、栄養等は妄想の分が勝手に補給されるから問題ない。
もし殺そうと思ってもまず殺せない。
でも、オリジンなら?
この景色が見えているものなら?
並んで突っ立って動かない人の群れ。
一瞬で大量殺人犯だ。
そういうニュースがあったときは警戒するといい。
そういうオリジンが出たんだって。
もし君に大切な人がいて、それを守りたいのならば・・・・。」
この壁の外には行かせない方がいい。
結局その日は鏑木(例の彼の名前)を真木さんのところに連れて行って預けた後一日中飛び回っていたのだが、朝風壮馬を見つけ出すことはできなかった。
のあにしては珍しい。
今まではせいぜい数回飛んだぐらいでターゲットを見つけることができていたというのに。
今日は数十回飛んだにも関わらず見つけることはおろか、手がかりすら見つけることができなかった。
そのおかげで俺はただ運ばれていただけだというのにへとへとになり、その日は家まで送ってもらった。
何もかもしてもらって申し訳ないのだが、そのときはそんなことに構っている余裕はなかった。
飛んでいるときのGがすごいのだ。
あれは普通の人間には一日に数回で限界だ。
しかし、のあはもう少し探してみるつもりのようで、彼女の身体能力の異常さを再確認させられる。
無尽蔵に体力あるなこの人は。
いつ寝ているというのか。
家に帰ると、いつも通り俺を心配する母さんを余所に自分の部屋まで直行しそのまま死んだように眠り込んだ。
次の日の朝、家を出るとすでにのあが待機していた。
俺はいつものように覚悟を決めて担ぎやすいように近づくが、のあはそんな俺を無視して歩き始める。
「あれ?今日は飛ばないんですか?」
「うん。」
そうなのか。
正直助かった。
あれは何度やられても慣れないのだ。
戦闘機のパイロットのすごさを実感させられる。
のあの大ジャンプにどれほどのGがかかるのかはわからないが、いつか俺もあれに慣れるのだろうか。
昨日の後半はほとんど意識失っていたからな。
「じゃあ、朝風相馬の捜索はどうするんですか?」
大ジャンプを使わないということは機動力が格段に落ちるということであり、捜索作業の効率はぐっと下がるだろう。
それなのに、それをしないということは何か別の考えがあるのか?
「彼がここまで見つからないのはおかしい。」
のあが歩く速度は緩めないまま口を開く。
まあ確かに。今まではのあがこんなに飛び回って見つけられないターゲットはいなかった。
彼女の身体能力ももちろんだが、彼女は目もすごいのだ。
はるか上空をものすごいスピードで飛んでいる中、地上を歩く人物を見分けることができる。
初めてそれをやってのけたときは驚いたものだ。
「街のどこかに結界を敷きそこで隠れているとしか思えない。しかし、彼にはとてもそんな芸当ができるようには見えなかった・・。」
結界ってやっぱり高度な技なんだとそれを簡単にやってのけるのあに素直に感心していたところに、
つまりと彼女は続ける。
「彼には協力者がいるんだ。それもそれなりの力を持った協力者が。」
あいつが絡んでいるとしたら面倒だがとぼそっと漏らす。
あいつ・・。
それは恐らく今俺が考えている人物と同じだろう。
俺が知っている結界を張れるような人物はのあ以外にはあの男しか知らない。
できればあまり会いたくはない。
彼が朝風に協力する理由はなんだ?
そもそも俺を襲った理由も不明だが。
「そう、その君を襲った理由についてなんだけど。おそらく彼は君が特別な力を持っていることをすでに知っていたんだ。」
なにか心当たりとかない?と俺に振ってくる。
心当たりと言われてもな。
あの時初めて死んで気づいたのに、その前から知られていたとなるともうそういう能力としか。
亜人化した人の持つ能力には個人差があるというが、それでなにか人の能力が分かる的なものを手に入れたんじゃないか?
「彼はそういうことは苦手としていたから能力ではないことは確定している。だから何か知るきっかけがあったはずなんだけど。」
そうなのか。
じゃあ、あの人形のようなものを作り操作する能力だろうか。
そもそも能力は一人に付き一個なのだろうか。
能力について思考をめぐらせているとき彼女から補足が入る。
「そもそも使えるようになる能力というのはそんなに便利なものじゃない。
元々亜人の時に使えていた力の一部しか使えないし、基本的にはみんな最初はその力を持ってることすら知らないんだ。
亜人のときの記憶がないからね。
彼らが言うには大気中のマナのようなものが体感できるようになるらしいんだけど。
彼らは魔力と呼んでいたかな。
・・・まあ、私も体験したわけではないからどうやって急に力を使えるようになっているのかはわからないや。」
本人たちに聞いてみたら、と最後は急に投げやりになる。
あんまりそこら辺のメカニズムには興味がないようだ。
体験したわけではないのか。
それではどうやってこの人はその人間離れした身体能力を手に入れたんだ?
以前から気になってはいたがそこら辺ほんとに謎だよなこの人。
「そもそも彼はなにが目的でこんなことをしてるんですか?」
「さあ、わからない。けど、ある時期を境にある魔将の手下に成り下がった。」
魔将・・?
「ああ、魔将は先日倒した悪魔達の中でも力の強い個体のことだよ。名前がないからとりあえずそう呼んでいるだけだけど。」
ちなみに昨日のはただの低級悪魔、と彼女は付け加える。
あれで低級ってまじ?
手も足も出なかったんですけど。
あいつらにもちゃんとボス的なやつがいるんだな。
妖怪とかみたいに各々独立した存在かと思っていた。
「もちろん独立したやつもいるんだろうけど、ほとんどは魔将とやらの手下みたい。たまにこの世界の歪を見つけては入り込んでくる。どうやってきているのかは謎だね。」
謎って・・それこそ昨日の男に聞けばわかるのでは?と思ったが、どうやら向こうからアクションがあるまではこちらからできることがないようで、一方的な状態にあるらしい。
防戦一方ってわけだ。
「悪魔側が窓を開けるまでこちらからできることはなにもないし、こちらから乗り込むこともできない。」
「・・・窓?」
「窓はこちらの世界とあちらの世界をつなぐための門のこと。だいたい窓ぐらいのサイズで、その一枚を通して異なる世界同士が繋がることからそう言われる。だから窓が開きそうになったらそれをいち早く察知して、できれば窓を開くことを防ぐ、それができなければ窓を閉じて悪魔を元の世界に押し返すことが私たちの仕事ってわけ。」
昨日は周りに人もいないし、レベルも引くそうだったから良い経験としてわざと窓を開かせたけど本来はそれを未然に防ぐのが一番いいんだと。
まあ確かにその通り良い経験にはなったが、何も知らされていなかった点については思うところがないでもない。
この人はいつも後からなのだ。
こんな調子ではいつか絶対に痛い目を見るぞと言ってやりたいのだが、正直のあが痛い目を見るところが想像できない。
戦闘面では魔将とやらがどれほど強いのかわからないが、それですら余裕だろうと思えてしまうし、精神面でもこの説明不足で人間関係に亀裂が走ったとしても特に気にしなさそうだ。
まさに無敵の人である。
「今日はいったん彼を探すのは諦めて、別件を片付けるよ。」
歩きながらやっとのあが今日の指針を告げてくれる。
「え、諦めるんですか?」
俺は意外な回答に思わず聞き返す。
「うん。結界内に入られると基本一回そこから出てきてくれないと見つけられないしね。」
窓と同じ、と。
そんなに万能なのか、結界とやらは。
てっきりのあならあれを打ち破る方法を知っていそうな気もしたが。
「それで、別件ってなんですか?」
どこかに向かっているようだったが、行先にまったく見当もつかない俺はのあに尋ねる。
「人助けだよ。」
なんとまあ俺の好きそうな謳い文句で。
俺とのあは今駅に来ている。
いわゆる地下鉄ってやつだ。
俺はあまりどこかに遊びに行くたちではないし、でかけるにしても自転車でいける範囲が多いため、これに乗るのは数回目と言ったところだった。
対するのあはというと・・。
俺は振り返り、改札付近で駅員と問答しているのあを見る。
どうやら公共交通機関という物を初めて利用するらしい。
まあそりゃああんな身体能力があるなら利用はしないだろうが、それにしてもこの歳まで一回も乗らないこととかあるんだと素直に驚いた。
数十分待ってやっと行きたい場所の切符が買えたのかやっと改札を抜け、こちらに歩いてくる。
まさかこんなにあなたが機械音痴だとは思いませんでしたよと日ごろの恨みもかねて若干ニヤニヤしながら話しかけるのだが、不機嫌になっているかと思っていたが意外にも機嫌はそんなに悪くはなさそうで、むしろ少しうれしそうに見えた。
よく見ると目的のホームまで歩きながらも駅内を興味深そうに眺めて、時折不意に立ち止まっている。
そんな子供のような彼女の新たな一面が面白く感じ、立ち止まっている彼女に話しかける。
「どうですか?初めての地下鉄は。」
「地下がこんな華やかだとは思っていなかったよ。」
「ここは結構都会ですからね~地方だとこうはいかないでしょうけど。というかよくそんなに機械音痴で携帯とか使えますね。それは別なんですか?」
「ああ、この携帯は真木に持たせられたんだ。連絡手段として便利だからって。」
科学というのは本当にすごいねとまるでタイムスリップしてきた人のような純粋な反応を示しながらそれを指先で危なげにぶらぶらとさせる。
いったいどんな環境で育ってきたのだろうこの人は。
見た目は20台なのだが中身はおばあちゃんじゃないか。
聞いてみると、あのタイピングの速さもただの身体能力のごり押しで結構打ち間違えたりしているらしい。
「こっちですよ。目的のホームは。」
初めて地下鉄に乗る人はほぼ必ず通る道、お決まりの迷子も経験させたところでようやく目的のホームに着く。
「それにしても人多いね。いつもこんななの?」
地図を見ながら無言でついてきていた彼女がようやく口を開く。
「まあ通勤ラッシュの時間帯ですからね・・・。」
時計は短い針が8の数字を差しており、周りにはスーツ姿の大人や学生服を着た人であふれ、電車待ちの長蛇の列ができている。
この街は通勤ラッシュと言っても都心ではないのでそこまでひどくはないと思っていたのだが、案外人が多いものなんだなと予想より多い人の数に圧倒される。
俺の高校には電車で通学している人もいるので、できれば鉢合わせしたくないのだが。
せめてもの抵抗としてマスクはしているが、知っている人なら余裕で貫通しうるだろう。
俺はばれないように顔を下に向けつつその列に並んでいると、彼女が人が多くて動きづらいなあと漏らす。
それを聞いて俺はここにきてからずっと抱いていた疑問をぶつけてみる。
「それならばなんでわざわざ電車を利用して移動するんですか?」
まさかただ乗って見たかったとかそういう子どもみたいな理由じゃないだろうなと先ほどまでの行動を見て思う。
しかし、やはりそのような子どものような理由ではなかったようで、「まあ、見てなよ」と彼女は意味ありげににやりとする。
彼女の悪い癖だ・・。
それを見て俺はやれやれとため息を吐いた瞬間、目的の電車がもうすぐ訪れることを知らせる汽笛が辺りに鳴り響き、俺の意識はそちらに向けられた。
そのまま何が起こるのかわからないままに背中を押され、規則正しく動く列の動きに身を任せながら俺は列車に足を踏み入れた。
電車の中は思ったよりもぎゅうぎゅう詰めのすし詰め状態、というわけではなかった。
かといって混んでいないというわけでもないが、どうにかこうにか人と人が触れ合わないようにはできるといった感じだ。
これはこれで電車が揺れるたびに人にぶつからないように踏ん張らないといけないので疲れるのだが、贅沢は言ってられまい。
女性にでも当たったもんならこのご時世どのような報復がくるかわかったもんじゃないからな。
即悲鳴を上げられ、弁解の余地もなく連れていかれることだろう。
俺は今自分の人生をかけた境地にいるのだ。
なんとしても疑われることはないようにしないと、と両手でがっちりとつり革を掴み、事件がまだ起こっていないというのに無実アピールをする。
そもそもこのような発想が田舎者なのだろうか。
周りの乗客は特に気にする素振りもなく、それぞれが音楽を聴いたり、本を読んでいたりと好きなことをしている。
電車に全然乗っていないことがこのようなところで出るとは。
電車での痴漢の発生率がどれくらいなのかは知らないが、案外発生率は低いのか?
女性でもなければ電車にも乗らない俺は、そのようなニュースを見るたびに頻繁に起こっているものだと思ってしまっていたが。
最近流行りのメディアリテラシーとやらが欠如しているのだろうか。
いかんな。
この高度に文明化した社会に適応して生きていかねばと横でつり革にぶら下がることもなく仁王立ちする女を横目にして思う。
いや、男らしすぎるだろ。
もうこれは男超えて漢だよ。
確かに彼女の身体能力なら慣性や電車の揺れなどささいなものなのかもしれないが、如何せんこんなに人がいるところでそれを一人がやると目立ちすぎる。
しかも妙に様になっているのがこれまた注目度を加速させ、なんとなく彼女の周りには空間ができていた。
しかし、当の本人は大して気にしてないのか、恥ずかしがる様子もない。
痴漢云々で悩んでいたのが馬鹿らしくなってきていたところで電車が止まり、新たに多くの学生がなだれ込んでくる。
まだ多くの人が入ってくるなーとぼーっと入ってくる人の群れを眺めていると、その中に俺は見知った顔を見つけてしまい、おもわず顔を下げる。
俺はそんなに交友関係が広い方ではないので、その交友関係が学外にまで行くことは基本的にはない。それこそ、つい最近関わりがあったみかの彼女?の如月ぐらいのものだ。
そのため、俺の通う学校はもう過ぎた時点でもう大丈夫と油断していた。
学校をサボる奴らがいるということを完全に失念していたのだ。
というかそもそも、サボるとしてもこんなに早朝から電車に乗るか?
そしてそれに俺が乗ってるなんてことがあるのか?
どんな偶然だ。
しかも偶然というのは悪い方に重なるもので、その出会った同級生は加藤綾乃と言い、所謂不良と言われる奴らで、俺と過去に人悶着あった仲の奴らだった。
いじめや恐喝、痴漢冤罪などはお手の物の不良グループでそこそこ地位が高いらしく、璃莉が精神的に参っていたときそこに属していたこともあり脱退させるのに苦戦したものだ。
なんとかバレなければいいがと思ったのも束の間、あれ?乃庵じゃ~んと声を掛けられる。
「どう?最近りりっちとはうまくやってんの?」
電車の中、さらに満員だというのにお構いなしに大声でもうヤった?とある行為を想像させるジェスチャーを指で見せつけてくる。
せまっ苦しい電車の中で逃げ場などあるはずもなく、新たに入ってくる人に押しやられ、目と鼻の距離のまで詰め寄られる。
めんどくさいことになったな。
このままではこれからの仕事に支障が出るため、隣にいるのあに助け舟を出してもらおうとのあの方を見るが。
あれ・・?
そこにのあの姿はなかった。
乗客に押しやられてどこかに行ってしまったか?
確かにさっきまでそこで仁王立ちしていたのあの姿はそこにはなく、スーツ姿の女性が立っているのみだった。
俺は心の中で舌打ちをする。
どうしてこうも都合の悪いことが重なり合うのか。
どうしたってこいつらとの会話は避けられないと諦めた俺はようやくその重たい口を開く。
「璃莉とはそんな関係じゃない。」
「じゃあなんでうちらから取ったの?」
三人のうちの一人の女がチョー困るんですけどと詰め寄ってくる。
「璃莉がお前らに愛想が尽きたって話だろ。」
「それはないよ。うちらズットモだったもん。」
彼女がねーと言うのに合わせて、左右の二人もねーと顔を合わせる。
「りりっちもうちらといたかったはずなのに、あんたが引き離したんでしょ。」
「あれは璃莉本人が望んだことで、俺はその手伝いをしただけだ。」
売り言葉に買い言葉でどんどんヒートアップしていく。
「はぁ?りりっちがそんなこと思うわけないじゃん。あんたがりりっちの何を知ってるの?」
何をって言われてもな。
正直に言うとあまり知らない。
辛そうな表情をしていたから手を差し出した、それが最初だ。
だが、何も知らないからこそ本音を聞きだせたということもあるはずだ。
赤の他人だったからこそ、悩みを打ち明けやすかった。
ならば俺は知らなくて良かったと思っている。
「何も知らないくせに勝手なことしてんじゃねーよ!どうせりりっちの連絡先持ってんだろ?それ教えろよ。」
「持ってない。」
「は?なに、振られたの?じゃあストーカーじゃん。きもっ。」
なにがじゃあなのかわからないが、正義のヒーロー気取りかよ、あんたみたいのがりりっちに付きまとってるとりりっちが可哀想なんですけどと左右の女も話に入ってきて、彼女に加勢する。
恥ずかしくないの?ともはやただの悪口を口々に俺に浴びせ、俺が口を挟もうとしても聞く耳を持たない。
すでにそれは口論なんてものではなくなっており、完全にライン超えた暴言が飛び交っていた。
しかしその多くは俺にとってどうでもよい取るに足らないことで、どうやってこの場を穏便に済ませるかをずっと考えていたのだが、そんなときに耳を疑う言葉を聞こえてしまった。
初めそれが同じ人間の口から出たものとはとても思えなかった。
片親なのも母親がビッチだから男に逃げられたんだろ。
それを聞いた時、こいつらはいったいどこまで道を踏み外せば気が済むんだと、心から思った。
以前璃莉に頼まれたこともあったが、助けようにも本人に助かろうとする意志がない限りどうしようもない。
必死に手を伸ばしても彼女たちが手を差し出してくれなければその手を取ることはできない。
そういえば、前誰かが言っていたな。
人は一人で勝手に助かるだけと。
もう誰の言葉だったか忘れてしまったけれど。
俺では彼女らを元のレールに引き戻してやることはできない。
人には人の役割がある。
それは人生にとってもだ。
俺にとってののあのように、もっとふさわしい誰かが現れないことには彼女らは・・・。
「母親も母親なら子も子ってことね。」
「あのさあ、お前いい加減に・・。」
あまりの暴言に耐えられなくなり、機関銃のように止まらない彼女らの口を閉じてやろうと一歩距離を詰めた瞬間。
目の前の加藤がひどい悲鳴を上げた。
そして次の瞬間には「痴漢です!!助けてください!!」と、そう大声で言って加藤は俺を指さしたのだ。
手で顔を覆いうずくまるその一瞬、にやりと不敵に笑いこちらを見る彼女の顔が見えた。
完全にしてやられた。
彼女の悲鳴から周りの目線は俺と彼女に向けられ、俺を見る視線はまるで敵を見るような冷たいものとなっている。
やりなれているなと、そう感じた。
恐らく電車の中では大多数が女性の味方だからとこうも強気に来ていたのだろう。
それで俺が耐えきれなくなって近づいてきたら痴漢冤罪を被せる。
俺がどう弁解したものかと、うずくまる加藤を慰めている演技をしている彼女たちを一蹴回って感心しながら眺めて必死に考えていると、奥からちょっと通してくださいと人の群れをかき分けてガタイの良い男が出てきた。
あわよくば俺の無実の証明でもしてくれないかと思ったが案の定そんなことはなく、その男はいきなり俺の胸ぐらを掴み謝れと凄んでくる。
その男は俺より一回りも身長が高く、本能的に恐怖心が湧いてくる。
もうそのまま謝ってしまいたくもなるが、そうすれば俺は罪を認めたことになる。
だが、謝らなければあの大きい拳でぶん殴られそうだ。
どうする?
説明して信じてもらえるだろうか。
俺が何を言っても言い訳のようにしかならないだろうし、俺の周りにいて一連の流れ聞いていた人が説明してくれれば早いのだが、みんな怯えているのか少し遠巻きに俺らをただ眺めているだけだった。
もしかして本当に誰も見てないのか?
おいおい嘘だろ?こんなに人がいて?
もしかしてこいつもグルかと思いどうにかそこから突破方法を考えたが、駄目だ。
証明する方法がない。
この大男の後ろでにやにやと笑う彼女らが見える。
何とか言えよとなされるがままで身体を揺さぶられ続け、ついに何も話そうとしない俺に対し堪忍袋の緒が切れたのか男はその大きな拳を振り上げる。
俺は恐怖心から振り下ろされる様を見てられず顔を反らすが、なんとかそれの痛みは減らそうと両手で申し訳程度のガードをする。
こう両手の手のひらをパーのように開いて重ね、そこでグーを包み込むように受けることでどうにかこの大男のパンチの衝撃を殺そうとする。
俺は振り下ろされる拳を見てもいないのにうまく決まるわけがないと思っていた。
だがそれは奇跡的にうまくいき、男の拳の勢いを殺しとりあえず一発は凌ぐことに成功する。
しかし俺はそこで違和感を感じた。
両手で包み込むようにして受け止められたにしてもいささか拳が軽すぎないだろうか、と。
まったく痛みを感じないどころか衝撃すら感じなかった。
どこかでこの感覚を味わったことがあるなと思ったら、あれだ。重いと言われてそれを意識しながら力を入れて荷物を受け取ったら予想に反して軽かったときのあれだ。
あの時の拍子抜け間に近い。
そんなことがあるか?こんな大男に殴られて。
そこで俺の中にもしかしてこいつそんなに強くないのかと疑問が膨らみ始める。
そのため二発目はしっかりとその拳の挙動を見ることができた。
動きが、遅い・・?
よくわからないが、まるでその拳の動きがひどくゆっくりで、蚊が止まりそうに見えた。
最初はふざけているのかと思ったが、どうやらそうでもないようで、これなら俺でもどうにかできそうだと右手で振り下ろされる拳を手のひらで掴む。
予想通りその拳は簡単に止めることができ、男は受け止められたことが意外だったのか、一瞬驚いたようだったがすぐにつかんでいる手を離させようと振り払う動作をする。
しかし、俺の腕はびくともしない。
まだ反抗してきそうだったので如月やみかにやられたときのようにその手を捻り男を跪かせる。
ここでそのときの経験が生きるとは思わなかったが、土壇場でうまくいくもんだ。
男は腕を抑えながらも、目はキッとこちらを見据えて離せと凄んでくる。
心までは屈しないその精神は見習うべきところがあるが、それにしてもこいつ力ないな。
動きも遅いし、俺程度のひょろがりの力でも文字通りねじ伏せることができるなんて。
見た目は俺より筋肉もありそうだし、体格もでかいのに。
独活の大木とはまさにこのことか?
今まで喧嘩すらしたことがなく、自分より体格のでかい男に少しびびっていた俺が馬鹿らしく感じる。
俺が大男をねじ伏せたのが周りの観客も衝撃的だったらしく、当の元凶の女は嘘・・と声を上げていた。
いやまあ、俺も驚いたが。
どういうことなのだろう。
彼が弱すぎたのか、俺が強すぎたのか。
少なくとも少し前まではこのようなことはなかった。
俺が死ぬまでは。
じゃあこれは俺が死んでからこのような力が付いたというのか?低級悪魔と戦ったときは特に何も変化を感じなかった気がするが、それは実力差が離れすぎていただけで着実に力は付いていたのか?
自分の身体なのにわからないことだらけだ。
俺は邪魔者も消え、怯えている様子の彼女につかつかと近づいていく。
目の前まで来たときには、もうすでに左右の二人を巻き込んでごめんなさいと連呼するだけの機械と化してしまっていた。
それを見て俺はなんだかどうしようもなく空しい気持ちになって、すでにどうしてやろうかこの女どもはなどといった考えはどこかに行ってしまっていた。
周りの乗客も本気で泣きくずれている彼女らを見て、どこか俺の方が悪いことをしているような気になっていることだろう。
もしかしたら恐怖、のようなものも混ざっているかもしれない。
俺はこのいたたまれなくなった車両の雰囲気をとりあえずどうにかしようと乗客に向けてなにか謝辞でも言おうかと思って振り向いた瞬間、電車にものすごい振動が走った。
なんだ?
車内で悲鳴が上がり、複数名が衝撃に耐えきれず倒れる。
事故かと思い一瞬死を覚悟したが、その後すぐに衝撃は収まり、電車はなんの問題もなく進行していた。
車内アナウンスすらない。
大した事なかったのか?いやそれにしてはものすごい揺れだったが。
本気で死んだかと思ったぞ。
地震とかか?とも思いネットで検索をかけようとするが、回線が混雑しているのかつながらない。
トンネルに入ったわけもないし、これは本格的になにかあったのか?と乗客がそれぞれに不安感を募らせながらざわざわしていたところにようやく社内アナウンスがピンポンパンポーンとかかり始めた。
やっと事情が知れると思い、みんな固唾をのんで耳を傾けている中、聞こえてきた声は明らかに駅員の声ではなかった。
機械の故障かと思ったが、どうやらそのようでもなく、何語かわからなかったが、明らかに日本語でない言葉が続く。
なんていったのかまったく聞き取れなかった。
というかこの声、どこかで聞いたことがあるような。
そのままアナウンスが終わり、どこだったっけと記憶をさかのぼっていると、突然乗客が一斉に列車の後方へ移動を始めた。
老若男女、正義感の強い男性も、迷惑なあいつら女子3人組でさえ、示し合わせたかのように。
何が起こっているんだ。
俺は一人乗客の行動の意味が分からず取り残されていると、前の列車のつなぎ目のドアが音を立てて開たのでそちらに目を向け、俺は自分の目を疑った。
初めそこは別世界かなにかだと思った。
だってそこは辺り一面真っ赤で、花畑のようだったから。
場違いにも奇麗だと思ってしまった。
しかし、違った。
よく見ていくとそこはちゃんと電車の中で、しっかり座席や窓、つり革などが見えた。
しかし違うのはそれらが真っ赤に染まっていたこと。
窓、床、座席、天井にすらびっしりと絵の具のように飛び散っている。
それがなにか判別しようとしたところで、その中からゆっくりと何かが出てくる。
それを見て俺はすっかり記憶の隅に追いやってしまっていた恐怖を思い出した。
「おやおや、こんなところで会うとは、なんと奇遇なことよ。」




