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セイテイノア  作者: みか
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29/32

セイテイノア29 目覚め

「あなた、ご飯できたわよ。」

「お、今日はとんかつか~うまそーだ。」

「小雪も食べちゃいなさい。」

席に着こうとする夫を余所に娘に声をかけると、私の声に合わせてリビングのソファから「は~い。」と声だけ聞こえてくる。

そうしてしばらくすると彼女はだらだらとテーブルに歩いてくる。

我が家の食事はいつもこんな感じだ。

「そういえば今日隆司がさ~。」

いつものように娘の彼氏への愚痴が始まる。

隆司君はうちによく遊びに来ることもあり、親とも仲が良いのだ。

「あのねえ、小雪。隆司君も悪気があったわけじゃないんだから、そんなに気にしちゃだめよ?」

「でも、ありえなくない!?気づかないんだよ!?この変化で!!」

小雪は彼氏のために切った髪が気づかれなくてご立腹なようだった。

「まあまあ、男はそんなもんだよ。」

「お父さんだってそうですもんね。」

「え!?そうなの!?」

「ええ!!昔私がデートの時に「あぁー!!その話はやめてくれー!!」

「聞きたい!!聞きたい!!」

家族団らんで食卓を囲い、会話を弾ませる。

なんと幸せな空間だろうか。

こんな時間がずっと続けばいいのにと私は誇張無しに思う。

「小雪、ほっぺに食べかすついてるわよ。」

指摘しても気づいていないようで「ん?」ととぼけている小雪に対し、私はわざわざ布巾で口を周りを拭いてあげる。

つい小雪が小さいのときの癖が出てしまい、あっと思うのだが、彼女はそのまま受け入れてくれた。

いつもなら子ども扱いしないで!!と怒られるところなのだが、と不思議に思っていると小雪は満面の笑みを浮かべて口を開く。

「ありがとう!!」

その瞬間、小雪の顔が吾妻の顔に豹変した。

私はそれを見て悲鳴を上げながら椅子から転げ落ちるとともに夢から覚めるのだった。



最悪な目覚めだ。

今までの人生でこれほど悪い目覚めはなかったと自負できる。

いったい何が起きたというのだと原因を考えてすぐに私は一つの答えに帰着する。

・・・恐らくあのとき吾妻を助けたせいだ。

ぐちゃぐちゃ。

あのときの吾妻の顔と言葉が頭から離れないせいで・・・。

どうして彼女はあんなことをしたのだろう。

私はあんなに最低な行為をしたというのに。

彼女が優しいから?

それとも当てつけだろうか。

彼女が愚人だとわかっていてもその優しさに甘えて、こちらから歩み寄ろうとしてしまう。

もう来ないでほしいのに。

関係を築いても意味なんてないんだから。

ぶちっ。

・・・。

・・・さっきから何、この音は。

なにかをちぎっているかのような汚く不快な音がさっきからずっと辺りに響いている。

私は思考を妨げるその目障り音の源を探すため顔を上げ辺りを見回すと、私から見て右手、ベットで横たわっていた女性の横に「くらやみ」があった。

まるで星一つ出ていない夜空のように一点の曇りもないそれに、下手糞な赤色が不器用にもべたべたと塗られている。

まるでベテラン絵師の絵に初心者が色塗りしたかのようなあまりにも不釣り合いなその色合いに違和感を覚えていると、私は気づいた。

これは血だと。

この黒いなにかがベットで動けない女性を格好の獲物にしているのだ。

それに気づいた瞬間、私はつい出そうになった悲鳴を両手で塞ぐことによりなんとかおさえつけることに成功する。

それとともに激しい腐乱臭が鼻を駆け抜ける。

なんなんだこいつは。

なんなんだこいつは!?

いや、頭ではわかっていた。

こんな生物が現実にいるわけがない。

ここが例え私たちの良く知る星じゃなかったとしても。

これが、悪魔なのだ。

人間を養分とし、精々人間のことなんてエサとしか思っていない。

そして私は理解する。

次は私の番だと。

この人が食べつくされた後は私がこうなるのだ。

それに気づくと私は身体の奥から湧き上がってくるなにかがあった。

今にもそれは喉元までせり上がってきているのだが、それを出してしまうと標的が私に移ってしまうことを恐れ何とかぐっとこらえる。

漂う血生臭さと恐怖感を堪えながら私はじりじりと悪魔が彼女に夢中になっているうちに命からがらその病室を後にする。

どれぐらい走ったかわからない。

気づくと私はまた違う病室にいて、体操座りでうずくまる。

そしてそのままでいると自然と涙があふれてきて、どうしようもなくなるのだ。

この涙が恐怖からなのか、情けない自分に対してなのかわからない。

こんな姿を他の人が見たらなんと情けない大人だとあざ笑うことだろう。

だがしかし仕方ないのだ。

これが桜木綾香で、これが私だ。

泣き虫で優柔不断で情けない。

わが身可愛さに家族でさえ見捨てて逃げた女だ。

もしかすると私があそこに入ったことで狙われたのかもしれないと考えるとあの病室の患者には申し訳が立たない。

どうして寝ていた私ではなく彼女が襲われたのかわからないが、せめて一思いにやられて苦しくなかったことを祈るばかりだ。

そもそもどうして病院内に悪魔がいるのだ。

真木さんの部隊が勝ったのではなかったのか。

あるかどうかもわからない罪の意識に苛まれ、ついに挙句の果てには責任転嫁までし始めたとき、目の前の扉が開いた。

私はああ、ここで終わりなんだと自分の運命を呪った。

しかしそこから出てきたのは全身黒に覆われた犬のような悪魔などではなく、一人の男性だった。

その姿を見て、私は引っ込めていた涙が再び溢れ出す。

「綾香。無事でよかった。」

そう告げる男性は私がもう二度と会えないと諦めた人で、ずっと会いたいと思っていた夫であった。

「無事だったの!?どうやってここに!?」

聞きたいことは山ほどあった。

言いたいことも。

しかし彼は一言二言の再会の喜びの言葉を述べた後、私の質問を一蹴して告げる。

「神代妙子という女性がここに入院しているはずなのだが、知らないか?」

神代妙子・・?

聞いたことがないが、それがどうかしたのだろうか。

「それが、どうかしたの?」

「彼女を連れてきてほしいんだ。できれば今すぐに。」

「今すぐ・・・。」

それほど切羽詰まっているのだろうか。

「君にしか、頼めない。」

そう言って私を覗く目は虚ろのようでそれを見てからは私は記憶が飛んでいる。



気が付くと私は全身赤く染まっていて、腕に一人の女性を抱えていた。

あれ・・?

私はなにをしているんだっけ・・・。

あ、そうか。

確か大地さんにこの人が今すぐに必要って頼まれて、それで・・・。

「ありがとう。さすが綾香だ。」

私が彼女を受け渡すと律儀に礼まで言ってくれる。

そんなことしなくても夫婦なんだからわかるというのに。

そういうことをわざわざ口にしてくれる人だから好きになったのだけど。

・・・それにしても彼が無事でよかった。

後は娘を探さないといけないのだけど、正直彼が見つかったのならば娘を探すことなんて朝飯前に思えた。

見つかったという前例があれば希望が持てる。

一人でなければ心強いし、なんせ大地さんは頼りになる。

今までの暗い景色に光が照らされたようだった。

何も希望を持てなかった将来の展望に希望が持てる。

前にもこんな思いをしたことがあったなと私は思い出してふふふっと笑う。

確か前は大地さんが私を連れ出してくれた時だったか。

・・・懐かしい。

今でも鮮明に当時のことを思い出せる。

きっと失った時間もこれから二人で取り戻せる、そんなことを考えていた時、ふと右側から強い殺気を感じた。

「何をしているの?」

子ども、だろうか。

見た目は少年ぐらいで、ところどころを怪我している様子である彼はその見た目からは想像もできないほど冷たい声で私たちに告げる。

「何って、再会の喜びを分かち合っているところというか・・。」

第三者に見られているとなると中々に恥ずかしいものあるなと思いつつ、私はこの子のことを思い出していた。

先ほど話しかけてくれた少年だ。

傍から見るとただいちゃついているカップルみたいなものだし、迷惑なのかもしれない。

しかし、許してほしい。

なんせ4年ぶりなのだ。しかももう二度と会えないと思っていたというのに。

この喜びをおさえることはかなり難しい。

私は未だにぽろぽろと流れる涙をぬぐいながらに答える。

「もちろん今が緊急事態だということはわかっているつもりなんだけど、彼とは死別したと思っていてまさか生きていたとは思っていなくて・・「違う!!そんなことを聞いているんじゃない!!」

私がしどろもどろになりながら弁解していると途中で少年が遮り激高する。

私はその剣幕に圧倒される。

なんだろう。なにか彼の逆鱗に触れることをしただろうか。

確かに今は一刻も早く悪魔退治に向かうべきなのかもしれないが、私はどうせ戦闘では役に立てないし、そんな怒らなくても・・。

「その人を返せ。」

その人・・?

「駄目。大地さんは渡せない。」

「違う!!その女性のことだ。」

女性・・。あ、大地さんが今すぐに必要と言っていた人のことか。

そういえばこの人、なんで必要なんだろう。

今は彼の手にある女性の顔を初めてまともに見る。

若すぎることもなく、歳のわりに奇麗な人で私は数秒目を奪われる。

・・・浮気では、ないよね。

私は大地さんの顔と彼女の顔を交互に見る。

「早く!!」

そうしている間に少年は見る見る顔に怒りを浮かべていき、終いには懐からナイフを取り出した。

私はびっくりして彼をなだめにかかるのだが、ならその人を引き渡せの一点張り。

「大地さん、どうする・・?彼、だいぶ危険そうに見えるけど。」

「あんな危なそうな子に渡すわけにはいかないよ。僕が安全なところまでこの人を非難させておくから、君は彼を頼む。」

頼むって言われても・・男の子は育てた覚えがないから勝手がわかるかどうか・・。

「あんた自分が何をしているのかわかっているのか・・?」

少年が叫ぶ。

「この人を逃がすんじゃないの?ここが危険だからって。」

「周りをよく見てみろ。」

周りって・・・。

彼はいったい何を言っているのだろうと私は不思議に思いながらも、一応言われた通り見てみる。

ここは病院の一室で床や壁は珍しく白のみではなく、赤色でも塗られている。

白と赤を基調としたカラーリングの病院か。

確かに言われるまで気づかなかったが、そういう配色のところもあるのかと無駄に賢くなった気がして感心していたところになにかが足にこつんと当たった。

こんなところにものがあっては危ないだろうとそれを手に取って私はぎょっとする。

それは紛れもない人の生首だったからだ。

私は声にもならない悲鳴を上げてそれを投げ捨て、その拍子にバランスを崩して地面に転げてしまう。

「えっ・・。」

そして私は気づいた。

私が立っていたのは赤と白を基調とした病院のタイルの上などではなく、真っ白な病院の廊下に飛び散った血の上だったのだと。

え、なにこれ・・・。

頭の処理が追い付かない。

よく見ると自分の腕や身体にもべっとりと血がこびりついている。

完全に乾燥しきっており、どう見ても今こけてついたものではないことは明らかだった。

助けを求めるようにして私は大地さんの方に目を向けるのだが、すでにそこに彼の姿はなく、最初からなにもなかったかのようにただだだっ広い空間が広がっているだけだった。



「あんた自分がなにしたかわかってんの?」

僕は今にも達してしまいそうな怒りを最大限まで堪えながらいかにも冷静を装ってこの目の前の女に質問する。

「・・・。」

ちゃんと抑えられたかわからなかったが、死んだように呆然としている彼女の反応を見る限り恐らくそれはどちらでも意味をなさなかったであろう。

この頭のおかしい女は見張りの二人を殺害し、その護衛対象を悪魔にむざむざと手渡した

そしてその後正気に戻ったと思った途端にこれだ。

別にこの仕事をしていると精神に異常をきたす人も珍しい話ではない。

あまりの恐怖に放心状態に陥る人、奇声を上げ続ける人、何かに怯えるようになってしまった人など様々な人を見てきた。

何もない空間にひたすら話しかけるようになった人だって当然見てきた。

「悪魔に魂を売ったってわけではなさそうだが・・・。」

はぁ、とため息をついて廊下の壁に大きくあいた風穴を眺める。

それはまるで巨人がえぐり取ったかのような崩壊の仕方で人間ができる芸当には到底思えない。

しかしこれをこいつがやったのだ。

その事実だけで僕は今は抜け殻のようになってしまったとはいえ、こいつを警戒せざるを得ない。

こいつから目を離すわけにはいかない。

本当はすぐにでも彼女をさらった悪魔を追いかけなくてはいけないのだが、こいつを放置するのはもっと危険なことのように思えるのだ。

取りこぼした悪魔を追って戻ったらこんなことになっているとは、真木さんになんて言われるか・・・。

僕は頭を抱えながらも、とりあえずついてこいとその女に命令するのだが返事がない。

仕方がないので僕はそいつを担いで移動しようとする。

すぐにでも真木さんにこいつを見せたいところだが、今あの人は恐らく戦闘の最前線だ。

おいそれと近づけるわけがない、ましてやこいつを連れてなんて。

といって放置するわけにもなあ・・・。

どこか安全そうな場所(そんな場所があるのかどうか疑わしいが)に隠して自分もさっさと戦線に復帰しないとまずいのだがとそこまで考えたところで俺はいったんそいつを肩から降ろす。

周りに悪魔の気配を感じたからだ。

もうこんなところまで・・・。

他のやつらはいったい何をやっているのか。

苛立ちを隠そうともせず盛大に舌打ちをし、一向に姿を見せないそいつらに向き直る。

そして僕が武器が構えた途端にそいつらは物陰から勢いよく姿を現した。

初めに姿を現したのは全身がブラックホールのように真っ黒で距離感の測りづらい犬のような悪魔だ。

馬鹿みたいに突っ込んでくるそいつの噛みつきをいなし、その際に喉元にナイフを突き刺し一ひねりすると簡単に白目をむいて倒れた。

次に来たのは大きい蜘蛛のようだが身体と同じ大きさの口を持っているエイリアンのような容姿の悪魔。

そいつは数匹で僕を囲み次々順番に襲い掛かってくる。

こいつは体液が人の皮膚を解かす成分でできているので、殺す際に自分にかからないように慎重になる必要がある。

単体では決して強くないがその殺す際の手間で僕が躊躇し、悪態をついていると何を勘違いしたのか蜘蛛の悪魔が調子に乗り攻撃の手を強めてくる。

ほんとにうざったい限りだ。

ナイフとこいつらでは相性が悪いというだけなのに自分たちが強くなった気でいてやがる。

僕は飛び掛かって来た一匹を躱すとそのまま床に伸びていた先ほど殺した犬の死体の足を掴み、引き上げると同時に遠心力に任せてそいつをぶん殴る。

キッと奇妙な悲鳴をあげたそれは勢いよく壁まで飛んでいき、ちょうど柱が出っ張ったとこの角に当たり身体が裂けて絶命する。

ん、これはいいな。

僕はその新たな武器に好感触を覚え、仲間がやられたことに狼狽えている他の蜘蛛どもを見てにやりと笑う。

蜘蛛はその見え透いた挑発に激高し、一斉に飛び掛かってくるのだが僕はそれを待っていましたとばかりにまとめて薙ぎ払う。

まとめて吹き飛ばされた後そいつらは自分の上で伸びている邪魔な仲間をずたずたに引き裂いたり、仲間の死体を食したりと僕がいることを忘れてしまったかのようで、僕はため息が漏れる。

これが悪魔。

低俗で頭が悪い。

こんな生物に人類は滅ぼされかけているのだから胸糞悪いものだ。

逃げようとしたやつもまとめて一匹ずつ丁寧に潰していく。

そして全部の蜘蛛が退治し終わった後、見るも無残なずたぼろになった犬の死体をポイっと捨てる。

とりあえずは片付いたかと安堵したのもつかの間、またしても辺りに悪魔のにおいを感じる。

先ほどよりも強い腐乱臭のような鼻を抜ける嫌なにおいが周囲に満ち、倍以上の数がいることが直感でわかる。

まだあの女は意識を取り戻してはいない。

いったい守る必要があるのかという疑問は残るが、これ以上誰かが悪魔に殺されるのは見ていられない。

理由なんてこれで十分だろうと、僕はため息とともに自分の武器を構える。

「来いよ。猿以下のカスども。」

きっと真木さんだってそうするはずだ。



ふと気が付くと、目の前に血に塗れた一人の人間の背中が見えた。

娘よりは少し大きいだろうか。

その子は異形な姿の化け物相手に一歩も引くことなく勇敢に戦っている。

私を守っているのか・・・?

そんな馬鹿な・・・。私は家族を見捨てた母で、育児放棄をした親で、人殺しをした人間だ。

どこに守る価値がある。

彼は三つの頭を持つ鳥の化け物のついばむ攻撃をよけ、逆にその首に巻きつくことで喉元を掻っ捌き頭の一つをつぶすことに成功する。

しかし、ワニのような姿の悪魔が地面を滑り、私に迫っていたことに気づくとすぐさま鳥の悪魔を放置し、こちらに飛び込んでくる。

なんとかぎりぎりでそれは間に合い、ナイフを腹に突き立て、暴れる悪魔相手にそれを捻じり大人しくさせる。

それだけだと飽き足らず、念入りに数回刺す姿は子どものそれとはかけ離れていて私は何とも言えない気持ちになった。

完全に動かなくなったことを確認して、返り血で赤く染まった彼が私に背を向けて叫ぶ。

「おい、あんたもう意識あるんだろ!手伝え。」

「手伝えって・・・。」

このままだと共倒れだぞ。

そう言った瞬間彼は目の前から姿を消した。

どこに行ってしまったのかと彼の姿を探すと、少し遠くで地面を引きずられる彼の姿があった。

足には触手のようなものが巻き付いており、彼は必死にそれを切ろうとするのだが他の悪魔が引きずられている彼を自分のものにしようと爪は牙を引っかけていき、生傷が一つ、また一つと増えていく。

やっとのことで足枷を切り捨てて顔を上げるのだが、目の前には時すでに遅く、多くの悪魔に囲われていた。

このままだと彼が、死んでしまう。

何かしなければ・・。

そう思ったとき身体の奥から力が湧いてくる不思議な感覚があった。

悪魔に追いかけられている吾妻を見た時と同じような感覚。

その感覚に身をゆだねて私は勢いよく彼の元に走る。

身体が軽い。

まるで浮いているみたいだ。

私は悪魔の攻撃が彼に当たる前になんとか彼の首根っこを掴み、悪魔の包囲網から抜け出すことに成功する。

眼下の地面が埋まるほどの悪魔の群れ。

彼らは悔しそうに各々の悲鳴を上げ、こちらに唾を飛ばしてきているがもうそれは届かない。

遠くには天使のような姿のものがくるくると巡回しているのが見え、街中は火の海だ。

目の前のこいつらの奥からも次から次へと虫のように悪魔が湧いて出てきており、戦う判断をしなかったことにひどく安心する。

これだけの数の悪魔、いったいどうやって対処するつもりだったのか。

見るからにこちらの軍は押されていて、勇敢に戦っていた戦士も一人、また一人と犠牲になってしまっていた。

もう守るはずだった病院にもとっくに悪魔の軍勢が我を先にとなだれ込んでおり、あまりの惨状に私は目を背ける。

・・・ごめんなさい。

でも、もうどうしようもない。

これだけ押されてしまっていては私では、どうしようも・・・。

嫌な記憶が蘇る。

彼らの負け、ということなのだろうか。

こんな様子では真木さんも生きてはいないだろうなとどこに逃げるべきか考えていたところで、右手に違和感を感じた。

そこに目を向けると、彼が苦しそうに呻いており、私はそこで初めて彼のことを気に掛ける。

こっちも必死で構う余裕がなかった。

私は彼の首根っこから手を離し、まるで抱き枕を抱えるようにして胴体を抱え上げる。

彼は最初は何か文句がありそうだったが、次第に眼下の景色に肝を冷やしたのか、素直に胸に収まり大人しくなった。

「あんた、空、飛べるのか・・・。」

「私も、初めて飛んだ。」

「土壇場でこんなことしたのか。」

「不思議とできない気は、しなかったけど・・。」

私のその言葉に彼はそうかと言い、下界の様子に目を向ける。

「あんた、覚醒者なのか・・・?」

「覚醒者・・?」

「基本的にオリジンは人ならざる力を手にするけど、それをうまく使える者はそう多くない。できても原始的なものに由来する身体能力とかがほとんどなんだ。空を飛べるほどのオリジンなんて、聞いたことがない。」

覚醒者・・・。

なるほど。私は珍しいのか。

でも、そんな私がいたところで恐らく先ほどの戦闘はどうしようもなかっただろうと思う。

そんな強そうな言葉の響きも空虚に聞こえるほど、それほど悪魔と人間の間の戦力差は絶望的で、私は何とも言えないくらい気持ちに支配される。

あの偽物の大地さんは私の妄想だったのか、それとも悪魔が擬態でもしていたのか。

妄想であってくれればいいけど、もし悪魔だったのならばさらに人間側は追い込まれることになるだろう。

心が弱いものは悪魔に付け込まれると言う。

私がそうで、現に今もそうなように今回のことが世間に知れ渡れば私のような人はたくさん現れるだろう。

いったいそのときに何が起こってしまうのか。

それが恐ろしくてたまらない。

私はこの世界の残りの寿命が蠟燭に灯された火のように見え、消えないように消えないようにと身体で風を防ぎ延命してはいるが、もうどうしようもない段階にまで来ているように感じた。

しっかりと蝋が溶けきってくれるまで耐えて心中するしかないのではと絶望的な景色を見て思っていると、身体が勢いよく揺さぶられた。

なんだ?

これには彼も驚いたようで落ちたりしないよな?としきりに心配そうに私の顔を見てくる。

突風が吹いたようで、それを機にだんだん風が強くなり、木々がざわざわと揺れ出す。

それに共鳴するかのように大気も振動を始め、まるで鼓動のようにドクンドクンと空気全体が脈打ち始めた。

「悪魔の様子が・・・。」

地上を見ていた彼がぽつりと漏らす。

それにつられて私も地上の悪魔の様子を見ると、今にも襲い掛かろうとしていたものも含めて全員が動きを止め、小刻みに痙攣しているのがわかった。

「何が起こっているんだ・・・。」

そう彼がつぶやくと再び強風に煽られる。

次第に勢いを増す風と昼間にも関わらずだんだん暗くなる空に私はたまらず着地する。

なぜか悪魔たちは微動だにしないのでどこに降りても変わらないのかもしれないが、一応周りに悪魔の居ない場所を選んだ。

まさか私たちを空から引きずり落とすための罠・・じゃないよな?と言う考えが一旦脳裏をよぎるが、こいつらにそこまでの知恵が回るとは思えないし、ここまで統率の取れた行動が取れるとは思えない。

人間ですら同じ方向を向いて歩くことは叶わないというのに。

まるで空全体が一つの生き物になったようで、私は世界の終わりが来たのかと誤認してしまうほどそれは私たちに恐怖を思わせるには十分だった。

何が起こっているのかはわからないが、なにか大変なことが起こっているということだけはわかる。

すぐさまここから逃げろと危険信号が頭の中で鳴り響いている。

しかし私はその場から動けずにいた。

まるで一つの天災のような超常現象から目を逸らせずに、最後まで見届けたいと思ってしまう。

大雨の日にわざわざ川の様子を見に行く人の気持ちがやっと理解できたような気がする。

彼も目を奪われているようで、その様子を深刻そうな表情で眺め、逃げる様子はまるでない。

吹き飛ばされないように踏ん張り、このまま永遠に続くかと思われたそれはしかし唐突に終わりを告げた。

一瞬の静寂が辺りを包み、終わったのかと安心しかけた次の瞬間、痙攣していた悪魔たちの目が光ったと思った瞬間彼らの身体が粉々に弾け飛んだ。

跡形も残らず、一匹も残さず。

少し遠くにいた小柄の悪魔だけではない。

病院に攻め込もうとしていたあの群れも一切の姿を消していた。

私は空に浮遊しながらどういうことか彼に尋ねるが、彼もこの状況を説明する適した回答は持っていなかったようで「窓が、閉じられたのかも・・。」とよくわからないことを言っていた。

遠くの空に浮かぶ天使型の化け物はまだ生きているようで、私は目の前で起こった不可解な現象に思考を巡らせていたところで、彼から悲鳴が上がる。

まさか生き残りがいたのかとすぐにその場所に視線を移すが、特にそれらしい悪魔は見つからない。

ただはじけ飛んだ悪魔の多種多様な体液が飛び散っているだけだ。

「今、こいつらが動いたような・・・。」

こいつらとはなんのことだろう。

まさか私に幻覚を見せたと思われる悪魔が近くにいるのかと思い、警戒心を上げて話を聞くために彼の元に降りる。

「何が動いたって・・?」

私は周囲を索敵しながら彼に問うのだが、彼が指し示したのは意外なもので私はより警戒心を強くする。

彼がこれと指さしたそれは、紛れもない先ほどの光で飛び散った見るも無残な悪魔の死骸で、私は目を疑う。

悪魔はこんな姿になってもまだ生きているのか?

いや、そんなわけはない。

少なくとも先ほど彼が倒していた悪魔たちは首や腹を刺されたりしていただけで絶命していたはずだ。

だとするとこの悪魔がおかしいのか?と思って私は首を捻る。

そもそもこれらのことは味方がやったのだろうか。

だとすると誰が・・・と考えるが、私はこういう時の心辺りは一人しか思いつかない。

真木さんか?得体の知れない彼女のことだから不可能とは言わないが、それだとするとなぜここまで温存しておいたのかがわからない。

悪魔を引きつけたかったのか?

いやそれよりは、まださっきの幻覚が解けていないという方がありえそうな気もしてくる。

空を飛ぶなんて意味が分からないし、悪魔が一気に消滅するのも理解できない。

さっき解けたと思っていた幻覚が実はまだ解けていなくて、私は未だ病室の一角に飛び篭っていて、いや、すでに悪魔によって殺された後の夢という可能性も・・・。

だとすると、夢の中でも悪魔に囚われている事実に飽き飽きしそうだと頭を抱えていると、私の目に異常な光景が映った。

残骸のようになっている悪魔のなれ果てが動いたのだ。

やはりこれは幻覚なのかと自分の頬をつねってみるが、ただ右頬が赤く腫れただけで全く効果はなかった。

隣で同じようにその様子から目を離せなくなっている彼とともにそれの一部始終を見ると、そのなれ果ての下が黒く変化し、まるで地面に食べられているかのように徐々に地面に埋もれていった。

時間も忘れ、気が付くと最初から何事もなかったかのようにきれいさっぱり消えてしまっていた。

悪魔の死体も、血も、破片すらもない。

全て地面に飲み込まれた。

突如現れた黒い痣によって。

何が起こっているのかわからない。

わからないが、しかしそれはさらに加速する。

ふと辺りが夜のように暗くなったと思って空を見上げると、大きな黒い雫のようなものが暗雲の立ち込めている中心地に浮かんでいた。

かなりでかい。

この距離であの大きさは、直径は病院や学校ぐらいはあるように思える。

もう何が来ても驚く自信はなにと身構えてた次の瞬間、それが落ちた。

まるでぷつんと糸が切れたかのように唐突に。

辺りは悪魔が消えたことにより静まり返っていたが、それでも何も聞こえない程にそれは静かに落下し、建物の影に消えていった。

大きな音を覚悟していた私にとってそれは予想外で、いったいなんだったのだろうと耳に当てていた手を外した瞬間、それは遅れてやってきた。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

それは私たちに恐怖を与えるには十分すぎる咆哮だった。

大気がびりびりと震え、身体の芯にまで響き渡ったそれに本能的に恐怖を植え付けられる。

足が進まない私に行こうと彼は呼び掛けてきた。

いったい何が彼をそこまで駆り立てるのか。

絶対に行かない方がいい。

どうせひどい目に合うに決まっている。

そうはわかっているのだが、強く誘われると断れない。

私の悪いところだ。

そのときの私に知的好奇心がなかったと言えば噓になるが、結局私は彼に押し切られるような形であの咆哮が鳴り響いた場所に向かうことになる。

今にして思えば私はこれをなにがなんでも断るべきだった。

知らぬが仏という言葉あるように人間知らない方が幸せなこともあるもので。

この世界に展望を開けそうもないということを嫌というほど思い知るのであった。



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