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断罪予定の悪役令嬢なのに、最推しの氷の公爵が「お前のすべてを独占する」と異常な過保護で迫ってくる  作者: 黒崎 隼人


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2/16

第2話「凍てつく公爵の熱を帯びる瞳」

 辺境の朝は、王都とは比べ物にならないほど早く、そして冷え込む。

 分厚い羽毛布団の中で目を覚ましたレティシアは、見慣れない天蓋を見つめて数秒まばたきをした。


(そうだ。私、間違いなくユリアン様の屋敷にいるんだわ)


 事実を再認識した途端、布団を跳ね除けて立ち上がっていた。

 窓の隙間から入り込む冷気すら、今の彼女にとっては心地よい刺激だった。

 用意されていた簡素だが上質なドレスに袖を通し、鏡の前で身だしなみを整える。

 契約婚約の申し出から一夜。

 ユリアンは客間を一つ与え、「好きにしろ」と言い残して自室に籠もってしまった。

 使用人たちの態度は、決して失礼ではないものの、遠巻きにして様子を窺っているのがありありとわかる。

 王都からやって来た、いわくつきの令嬢。

 しかも、誰もが恐れる化け物のような公爵に自ら嫁ごうとする変わり者。

 そう思われて当然だ。

 部屋を出て、廊下を歩く。

 屋敷の中は静まり返っており、人の気配が希薄だった。

 ユリアンの魔力の影響か、壁の燭台や窓枠には、かすかに白い霜が降りている。


(これだけ広くて冷たい屋敷で、ずっと一人で……)


 ゲームの知識として知っていた彼の設定が、現実の冷気となって肌に触れる。

 胸の奥がチクリと痛むのを覚えながら、レティシアは迷わず彼の執務室へと向かった。

 分厚いオーク材の扉をノックする。


「……入れ」


 低い声に促され、扉を開けた。

 執務室の中は、廊下以上に冷え切っていた。

 吐く息が白く染まるほどの低温の中、ユリアンは書類の山に埋もれるようにしてペンを走らせていた。

 銀色の髪が額にかかり、青い瞳は紙面から動かない。


「おはようございます、ユリアン様」


「……何用だ。客間でおとなしくしていろと言ったはずだが」


 顔を上げることもなく、彼は冷たく言い放つ。


「婚約者として、少しでもあなたのお役に立ちたいと思いまして。領地の書類整理でしたら、私にも手伝えます」


 ユリアンはピタリとペンの動きを止め、ようやくレティシアの方を見た。

 その視線には、明らかな警戒と疑念が混じっている。


「私の仕事に口出しする気か。王家のスパイとしての役目を果たそうとでも?」


「違います。純粋に、あなたを支えたいだけです」


「……無駄な真似を。私に関われば、お前も凍りつくぞ」


 ユリアンは苛立たしげに吐き捨て、再び書類に視線を落とした。

 その瞬間、彼の指先から青白い冷気が漏れ出し、机上のインク瓶を瞬時に凍結させた。

 ピキリ、とガラスが軋む音。

 日常的に魔力の制御が乱れている証拠だった。

 普通の人間なら、ここで悲鳴を上げて逃げ出すだろう。

 だが、レティシアは静かに近づき、凍りついたインク瓶を両手で包み込んだ。


「何をしている」


「溶かしています。これでは、仕事が続けられませんから」


 レティシアの体温で、ガラスの表面の霜がゆっくりと溶け、水滴となって彼女の手を濡らす。

 ユリアンは、信じられないものを見るような目で彼女の手元を見つめていた。


「私の魔力に触れれば凍傷を引き起こす。離れろ」


「平気です。ユリアン様の魔力は、ただ冷たいだけで、人を傷つけようとする悪意はありませんから」


 レティシアは微笑みながら、溶けたインク瓶を机に戻した。

 嘘ではなかった。

 彼の魔力は強大ゆえに制御が難しいだけで、彼自身は誰よりも傷つけることを恐れている。

 ゲームのシナリオでも、彼は決して無抵抗な者を自ら攻撃することはなかった。

 ユリアンの青い瞳が、揺れた。

 これまで、彼の魔力を見て逃げ出さなかった者はいなかった。

 恐怖に歪む顔ばかりを見てきた彼にとって、微笑みながらその冷たさを受け入れるレティシアの存在は、全く理解の範疇を超えていた。


「……狂人め」


 吐き捨てるように言った彼の声は、しかし先ほどよりもかすかにかすれていた。

 それから数日、レティシアはユリアンの側に張り付いた。

 執務室での書類仕事の補佐、食事の際の話しかけ、散歩への誘い。

 ユリアンは鬱陶しそうにしながらも、ことごとく彼女を拒絶することはしなかった。

 ある日の午後。

 レティシアは、ユリアンを探して屋敷の裏手にある広大な庭園を歩いていた。

 本来なら美しい花が咲き誇るはずの庭園だが、ユリアンの魔力の影響で、植物の多くは成長を止め、霜に覆われている。

 その奥の温室に、彼がいるという話をメイドから聞いたのだ。

 ガラス張りの温室に近づくと、異様な冷気が肌を刺した。

 周囲の木々がパキパキと音を立てて凍りついていく。

 魔力の暴走だ。

 レティシアは足早に温室の扉を開けた。

 中は、まるで吹雪の只中のような惨状だった。

 白く渦巻く冷気の中央で、ユリアンが膝をつき、肩で荒い息をしていた。

 彼の周囲の地面から、鋭い氷の棘が次々と生え出ている。


「ユリアン様!」


 レティシアの叫び声に、彼が弾かれたように顔を上げた。


「来るな……! 近づけば、殺すぞ!」


 苦痛に歪んだ顔。

 自分自身の中に渦巻く強大な力に耐えきれず、それが周囲を破壊してしまうことへの恐怖が、彼の瞳ににじんでいた。

 逃げろ、と全身が警告している。

 だが、レティシアの足は真っ直ぐに彼へと向かっていた。

 氷の棘がスカートの裾を引き裂き、肌を掠めて細い血の筋を作る。

 冷気が肺を焼き、呼吸が苦しい。

 それでも彼女は止まらなかった。


「来ないでくれ……頼むから……」


 懇願するような、ひどく脆い声。

 レティシアは彼にたどり着き、その凍てつく身体を力強く抱きしめた。


「大丈夫です、ユリアン様。私がここにいます」


「離れろ……お前まで、壊れてしまう」


「壊れません。あなたの力は、私を傷つけない」


 衣服越しに伝わる彼の体温は、恐ろしいほどに冷たかった。

 だが、レティシアは自分の体温をすべて分け与えるように、さらに腕に力を込める。

 耳元に落ちる彼の荒い吐息が、かすかに震えているのがわかった。


「……なぜ」


 かすれた声が、空間に溶ける。


「なぜ、私を恐れない。なぜ、逃げないんだ」


「あなたのことが、好きだからです」


 無意識の、だが確信に満ちた言葉だった。

 推しキャラクターへの愛着という枠をとうに超え、目の前で震える一人の青年を、心から救いたいと願っていた。

 その言葉が落ちた瞬間。

 吹き荒れていた冷気が、嘘のようにピタリと止んだ。

 氷の棘が音を立てて崩れ落ち、温室の中に静寂が戻る。

 ユリアンの腕が、ゆっくりとレティシアの背中に回された。

 逃げ道を塞ぐように、強く、きつく引き寄せられる。


「……好き、だと?」


 耳元で囁かれる声は、先ほどまでの怯えを失い、どこか底知れぬ熱を帯びていた。


「ええ、とても」


 レティシアが見上げると、そこには凍てつく湖面ではなく、暗い炎が揺らめくような青い瞳があった。


「その言葉の重さを、お前はわかっていない」


 ユリアンの指先が、レティシアの頬に触れた。

 冷たかったはずの指が、ひどく熱く感じられる。


「私を恐れないと言ったな。私を拒まないと、そう言ったな」


「はい」


「ならば、二度と私の側から離れることは許さない。お前が自ら望んだのだ。私という化け物の、鎖になることを」


 それは、宣告だった。

 これまで誰にも向けられなかった彼の内奥の飢えが、レティシアという唯一の光を見つけ、強烈な執着へと変貌した瞬間。

 レティシアは小さくうなずいた。

 彼が編み上げた甘く逃げ場のない檻が、音を立てずに閉ざされていく。

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