第14話「氷雪の君主と唯一の光」
辺境の短い春が訪れようとしていた。
屋敷を覆っていた雪が少しずつ溶け出し、庭園の木々がかすかに緑色を取り戻し始めている。
ユリアンの魔力が安定し、彼の感情の起伏が周囲の気候に悪影響を及ぼすことがなくなったため、辺境の領地は数十年ぶりに穏やかな季節の移ろいを取り戻しつつあった。
レティシアは、新しく設えられた温室の中で、咲き始めたばかりの青い薔薇の手入れをしていた。
ユリアンの瞳と同じ色をした、冷たくも美しい花。
「レティシア」
背後から呼ばれ、振り返ると、執務の合間を縫ってやってきたユリアンが立っていた。
彼の表情は以前のような険しさを失い、どこか穏やかな光を宿している。
「休憩ですか?」
「お前の顔が見たくなった」
ユリアンはレティシアに歩み寄ると、自然な動作で彼女の腰を抱き寄せ、その髪に唇を落とした。
王都での戦いから数ヶ月。
二人の関係は、もはや誰の目にも明らかなほど深まっていた。
使用人たちは、主人がレティシアに向ける底知れぬ愛情を理解し、彼女を辺境の真の支配者として心から敬い、仕えている。
「ユリアン様、見てください。この薔薇、こんなに綺麗に咲きましたわ」
レティシアが青い薔薇を指差すと、ユリアンは花には一瞥もくれず、ただレティシアの横顔を見つめた。
「花などどうでもいい。私の目には、お前しか映っていない」
相変わらずの過保護で独占欲に満ちた言葉に、レティシアは思わず苦笑を漏らした。
「ユリアン様は、本当に私に甘すぎますわ。これでは、私がわがままな奥方になってしまいます」
「それで構わない。お前が望むものなら、世界中の富も権力も、すべてお前の足元に這いつくばらせてやる」
ユリアンはレティシアの手を取り、その指先にそっと口付けた。
「だが、お前が私の側から離れることだけは、絶対に許さない。お前がどこへ逃げようと、地獄の底まで追いかけて、必ず連れ戻す」
冗談ではない、本気の凄みがその声にはあった。
レティシアは彼の青い瞳を真っ直ぐに見つめ返し、微笑んだ。
「逃げるはずがありません。私の居場所は、あなたの腕の中だけですから」
その答えに満足したように、ユリアンはレティシアを強く抱きしめた。
彼の冷たい体温と、レティシアの温かな体温が混ざり合い、二人の間にだけ完璧な温度の空間が作られる。
「レティシア」
ユリアンが、彼女の耳元で低く囁いた。
「結婚式は、領民たちも呼んで盛大にやろう。お前が誰のものか、この世界のすべての者に知らしめるために」
「まあ。ユリアン様が、そのような目立つことを望まれるなんて」
「お前の美しさを隠しておきたいという本音はあるが……それ以上に、お前という存在を、誰にも手出しできない絶対的なものとして刻み込んでおきたい」
彼の執着は、どこまでも深く、そして純粋だった。
悪役令嬢として断罪されるはずだった運命。
孤独な氷の公爵として破滅するはずだった運命。
二つの悲劇の筋書きは、レティシアの無自覚で真っ直ぐな愛情と、ユリアンの狂おしいほどの独占欲によってことごとく書き換えられた。
あの少女が活躍するはずだった王都の舞台は遠く離れ、今、二人は辺境の雪の中で、誰にも邪魔されない最高の結末を迎えている。
「楽しみにしていますわ、旦那様」
レティシアが彼を見上げて微笑むと、ユリアンは堪えきれないというように、彼女の唇を深く塞いだ。
温室のガラス越しに、春の柔らかな日差しが二人を包み込む。
氷雪の君主と、彼を溶かした唯一の光。
二人の愛の物語は、この雪に閉ざされた辺境の地で、永遠に語り継がれていくことだろう。




