第61話 限界の力
結月は立ち上がり、祭壇を見据えた。子供たちから伸びる光の糸は、再びその輝きを増し、ほとんど臨界点に達しようとしていた。
「ノア、あの糸全部を、今度こそ完全に断ち切りたい」
「わかっている。だが、それには、これまで以上の力が必要になる」
ノアの声には、隠しきれない懸念が滲んでいた。結月は、自分の掌を見つめた。あの日、透け始めた指先の感触が、鮮明に蘇る。
「やるしかありません」
「結月、待て」
レインが、まだ完全には力の戻らない体で、結月の腕を掴もうとした。だが、結月は、静かに首を振った。
「大丈夫です。生と死の境界には、触れません。ただ、糸の全体を、まとめて断ち切るだけです」
結月は深く息を吸い、意識を、これまでにないほど広く、大きく広げた。セレイアから受け継いだ、複数の境界を同時に扱う技術。それを、祭儀の間全体――子供たち一人一人の触媒術式に対して、一斉に発動させる。
全身から、これまでにない量の力が流れ出していく感覚があった。視界の端が、白く霞み始める。
「これは……あの子は、本当に……」
カイエンが、初めて明確な驚愕を見せた。祭壇の光の糸が、次々と、根元から断ち切られていく。子供たちの体に、少しずつ、生気が戻り始めた。
「くっ……」
結月の膝が、がくりと折れた。全身から、急速に力が抜けていく。指先だけでなく、腕全体が、薄く透け始めているのがわかった。
「結月!」
レインが叫び、駆け寄ろうとした。だが、その前に、カイエンが動いた。
「これ以上、邪魔はさせん」
カイエンが放った衝撃波が、レインとゼルギウスを、同時に弾き飛ばした。二人は壁際に叩きつけられ、苦悶の声を漏らす。
「さて」
カイエンは、ゆっくりと結月に近づいた。結月は、力の使いすぎで、立ち上がることすらできなかった。
「これほどまでの力を持ちながら、まだ自分の限界を、理解していないのか」
カイエンの声には、憐れみにも似た響きがあった。結月は、霞む視界の中、必死に意識を保とうとした。だが、体の輪郭が、確実に薄れていくのが、自分でもわかった。
「結月、俺の声が、聞こえるか!」
レインの声が、遠くから響いた。結月は、その声を頼りに、意識を繋ぎ止めようとした。だが、あまりにも多くの力を使いすぎたせいで、感覚が、うまく定まらない。
「――名前を、呼べ」
自分自身に言い聞かせるように、結月は、心の中で繰り返した。レインの温もり、ノアの優しさ、フィオナの信頼、ミアの笑顔、助け出した子供たちの安堵。一つ一つの記憶を、必死に手繰り寄せる。
「まだ……消えない」
結月は、震える声で、そう呟いた。透けかけていた腕が、わずかに、輪郭を取り戻し始める。だが、完全な回復には、程遠かった。
「面白い。それでも、自我を保っているとはな」
カイエンが、結月の前に立ち、腕を振り上げた。
「だが、ここで終わりだ」
その一撃が振り下ろされる寸前、横合いから、鋭い剣閃が割り込んだ。
「結月には、触れさせない」
ゼルギウスだった。傷を負いながらも、なお立ち上がり、カイエンの攻撃を、剣一本で受け止めていた。
「ゼルギウス……」
結月は、霞む意識の中で、その背中を見つめた。かつての敵が、今、自分を守るために、体を張っている。その事実が、胸の奥に、確かな熱を灯していく。
「まだ、終わらせない」
結月は、震える手で床を押し、ゆっくりと立ち上がった。祭儀の間には、まだ、多くの子供たちが残されている。ここで倒れるわけには、いかなかった。
ノアが、結月の隣に駆け寄り、震える体を支えた。
「無理をするな、と言いたいところだけど……君の意志は、もう止められないんだろうね」
「ごめんなさい、ノア」
「謝る必要はない。ただ、僕にできる限りの力を、貸させてほしい」
ノアの声に、結月は、力強く頷いた。
第61話 了




