第59話 強制起動
「これ以上、時間を稼がれるのは、こちらとしても不本意でな」
カイエンがそう言うと、祭壇の水晶が、これまでにない激しさで明滅を始めた。結月は、その変化に、背筋が凍りつくような予感を覚えた。
「まさか、儀式を強制的に……!」
「その通りだ。本来なら、蓄積が完了してから執り行う予定だったが、お前たちのおかげで、少々予定を早めることになった」
カイエンの言葉と同時に、床に横たえられた子供たちから伸びる光の糸が、一斉に、これまでの何倍もの速さで、祭壇へと吸い込まれ始めた。
「くっ……子供たちが!」
結月は悲鳴に近い声を上げ、駆け出そうとした。だが、カイエンが放った触手が、その行く手を阻む。
「お前の相手は、私だ」
「どいて!」
結月は両手を構え、触手を薙ぎ払いながら、必死に祭壇へと近づこうとした。だが、カイエンの猛攻は、これまでにない激しさを増していく。
「レイン、ゼルギウス、子供たちを!」
結月が叫ぶと、二人はすぐさま動いた。レインが、光の糸の一本を斬り払おうと剣を振るう。だが、その糸は、これまでの触媒の術式とは違い、物理的な刃では容易に断ち切れなかった。
「効かない、のか」
「境界の力でなければ、無理かもしれん!」
ゼルギウスが叫び返す。結月は歯を食いしばった。全ての糸を、自分一人で処理するには、あまりにも数が多い。
「ノア、力を貸して!」
「もちろんだ!」
ノアが結月の周囲に、淡い光の粒子を纏わせた。二人分の力を重ね合わせるようにして、結月は意識を極限まで拡張した。祭儀の間全体を覆うほどの、大規模な境界操作。セレイアから受け継いだ技術が、初めて、これほどの規模で試される。
「――止まれ」
結月は全身の力を振り絞り、光の糸の全体に、一斉に干渉した。無数の糸が、一瞬、脈動を弱める。だが、カイエンがそれに気づき、即座に対応してきた。
「小癪な真似を」
カイエンの纏う赤黒い光が、これまでにない強さで放たれた。結月は、その圧力に押し流されるように、後方へと吹き飛ばされる。
「結月!」
レインが叫び、駆け寄ろうとした。だが、カイエンの触手がそれを阻む。
「お前の相手も、まだ済んでいない」
結月は床に手をつき、荒い息を吐きながら、祭壇の様子を見つめた。光の糸の吸収は、一時的に弱まったものの、完全には止まっていない。子供たちの体力が、じわじわと削られ続けているのが、肌で感じられた。
「まだ……止められる」
結月は震える足で立ち上がった。全身に、これまでにない疲労が広がっている。だが、諦めるという選択肢は、頭の片隅にすら浮かばなかった。
「ゼルギウス、あの水晶――祭壇の中心を狙えますか」
結月の声に、ゼルギウスが振り返った。
「可能だが、猊下の守りが厚い」
「わたしが、隙を作ります」
結月は覚悟を決め、両手に残る全ての力を集中させた。カイエン本人ではなく、その周囲に張り巡らされた触手の群れ――その全体を覆う「境界の網」に、意識を伸ばす。
「一度に、全部……!」
結月の手のひらから、これまでで最も強い光が放たれた。触手の群れが、次々と輪郭を失い、崩れ落ちていく。カイエンが、驚いたように目を見開いた。
「なに……!」
「今です!」
結月の叫びに、ゼルギウスが地を蹴った。剣先が、祭壇の水晶へと、まっすぐに迫っていく。祭儀の間に、これまでで最も激しい緊迫が満ちていた。
結月は、崩れ落ちそうになる体を、辛うじて支えた。ゼルギウスの剣が届くまでの、ほんの数秒が、途方もなく長く感じられた。祭壇の水晶が、悲鳴のように激しく明滅している。
第59話 了




