第53話 決別
大司教の間に呼び出されたゼルギウスを、カイエンは穏やかな笑みで迎えた。
「よく来た、ゼルギウス卿」
「お呼びと伺いました」
ゼルギウスは形式通りに一礼した。カイエンはゆっくりと歩み寄り、まるで旧知の友に接するような口調で続けた。
「典礼まで、あと二週間。警備の要となる卿に、直接、伝えておきたいことがあってな」
「何なりと」
「触媒の最終確認を、卿自身の目で行ってもらいたい。大聖堂地下、第三層だ」
ゼルギウスの表情が、わずかに強張った。だが、それを表に出すことなく、静かに頷く。
「承知しました」
カイエンに案内され、ゼルギウスは大聖堂の地下深くへと足を運んだ。幾重もの扉を抜けた先、そこには、これまで報告書の文字でしか知らなかった光景が、現実として広がっていた。
薄暗い空間に、無数の小さな檻が並んでいる。中には、生気を失った子供たちが、ぐったりと座り込んでいた。腕や首には、複雑な紋様の腕輪。ガレスの地下施設と、同じ光景だった。だが、規模は、比較にならないほど大きい。
「これが……」
ゼルギウスの声が、わずかに震えた。カイエンは、まるで美術品を鑑賞するかのような穏やかさで、檻の間を歩いていく。
「良い触媒が揃った。これだけの数があれば、恒久的な門を開くのに、十分な力が確保できるだろう」
「猊下。この子供たちは、その後、どうなるのですか」
ゼルギウスの問いに、カイエンは振り返り、あっさりと答えた。
「儀式の過程で、全て消費される。生命の力そのものが、門を開く鍵となるのでな」
その言葉に、ゼルギウスは言葉を失った。想像はしていた。だが、当の本人の口から、これほど簡単に語られると、その残酷さが、より鮮明に突き刺さってくる。
「猊下は、それを、何とも思わないのですか」
「何を思う必要がある? 世界の支配権を得るための、必要な代償だ」
カイエンの声には、一片の迷いもなかった。ゼルギウスは、その姿に、初めてはっきりとした恐怖を覚えた。この男には、人としての一線が、最初から存在していないのだ。
「卿の家系――オルクレインが、かつてセレイアに仕えた騎士の末裔だということは、知っているな」
カイエンが、唐突に話題を変えた。ゼルギウスは、驚きを隠せずに顔を上げた。
「……ご存じでしたか」
「もちろんだ。だからこそ、卿を重用してきた。セレイアに誓いを立てたオルクレインの血筋は、儀式において、特別な役割を果たす」
「役割、とは」
「卿自身が、次の触媒の一つになる。それも、極めて質の良い触媒に」
カイエンの言葉に、ゼルギウスは、全身が凍りつくような感覚を覚えた。長年、忠実に仕えてきた組織が、最初から自分を、駒としてしか見ていなかったという事実。
「猊下、それは……」
「不服そうな顔だな。だが、それが卿の役目だ。誉れある死に方だと思わないか」
カイエンは薄く笑い、踵を返して立ち去っていった。ゼルギウスは、その場に立ち尽くしたまま、檻の中の子供たちを見つめ続けた。
一人の少女が、虚ろな目で、ゼルギウスを見上げていた。その目の奥に、微かな怯えと、それでも消えない生きようとする光が見えた。
「――すまない」
ゼルギウスは、静かに呟いた。長年の迷いが、この瞬間、はっきりと吹っ切れるのを感じた。オルクレインの誓い。セレイアを守るという、本来の使命。それを、今こそ取り戻す時だった。
「必ず、お前たちを、ここから出す」
ゼルギウスは剣の柄を強く握りしめ、地下施設を後にした。その足取りには、これまでの迷いを断ち切った者だけが持つ、確かな決意が宿っていた。
少女の虚ろな目に、微かな光が宿っていたことを、ゼルギウスは、決して忘れないだろうと思った。長年、教会という組織の正しさを、疑わずに生きてきた自分自身への訣別でもあった。
第53話 了




