第46話 縫われた最後の綻び
記録庫を出た後、結月たちは遺跡の最上階――かつて尖塔と呼ばれていた場所へと足を運んだ。
崩れかけた階段を上りきると、そこには、遺跡全体を見渡せる小さな展望台のような空間が広がっていた。眼下には、荒野に走る無数の亀裂が、まるで大地の傷跡のように見渡せる。
「ここが、セレイアが最後に立った場所だ」
ノアが静かに告げた。結月は展望台の中央、風化した石畳の一角に、何かが刻まれていることに気づいた。近づいてよく見ると、それは、複雑に絡み合った巨大な結び目の紋様だった。
「これは……最後の綻びを縫った跡、ですか」
「そうだ。当時、この場所の真下に、これまでで最大の裂け目が開いていた。そこから、魔界エレボスの軍勢が、際限なく溢れ出していた」
ノアの声が、これまでになく重く沈んだ。
「セレイアは、この場所に立ち、世界中の全ての境界と、自分自身の存在とを繋ぎ合わせるようにして、その裂け目を縫い上げた」
「自分自身の存在を、繋ぎ合わせる……」
「彼女は、自分の輪郭を、境界そのものに溶け込ませた。消滅させたのではなく、境界の一部として、留まり続けることを選んだんだ」
結月は、刻まれた紋様に、そっと手を触れた。冷たい石の感触の奥に、微かな温もりのようなものが、今も残っている気がした。
「セレイアさんは、それを望んでいたんでしょうか」
結月の問いに、ノアはしばらく黙り込んだ。荒野を吹き渡る風が、静かに髪を揺らす。
「望んでいたか、と聞かれれば、正直、わからない。ただ、彼女には、他に選べる道がなかった」
「他に、道が……」
「境界を縫うには、それに見合うだけの何かを、対価として差し出さなければならない。セレイアは、自分自身の存在を、その対価にした。誰にも、それを肩代わりできなかったから」
結月は、自分の両手を見つめた。あの日、レインを救おうとして、指先が透け始めたときの感覚が、生々しく蘇る。あの延長線上に、セレイアが選んだ道がある。
「でも、わたしには」
結月は顔を上げ、レインとノアを見つめた。
「わたしには、力を分かち合ってくれる人たちがいます。セレイアさんが持てなかったものを、わたしは持っています」
「その通りだ」
レインが結月の隣に立ち、静かに頷いた。
「セレイアの記録には、こうも書かれていた。『わたしは一人だ』と。でも、お前は違う。お前が力を使うとき、俺やノア、フィオナ様、それに、これまで出会ってきた人たちの想いが、お前の輪郭を、繋ぎ止める錨になる」
結月はその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。あの夜、レインの腕の中で、自分の輪郭を取り戻した感覚が、確かな確信となって蘇る。
「わたしは、独りにならないように、これからも人と向き合っていきます」
結月の宣言に、ノアは静かに目を細めた。その表情には、これまでにない、穏やかな安堵の色が浮かんでいた。
「セレイアも、きっと喜んでいると思う。同じ力を持つ者が、同じ結末を辿らずに済む道を、見つけようとしていることを」
結月は展望台から、荒野の向こうに広がる地平線を見つめた。三百年前、この場所で終わった戦いと、始まった一人の少女の孤独な物語。その続きを、今、自分が生きている。
「レインさん、ノア。これから、教会の陰謀を止めに戻りましょう」
「ああ」
「もちろんだ」
三人は、しっかりと頷き合った。刻まれた紋様に、最後にもう一度、そっと手を触れる。セレイアの想いを、確かに受け継いだという実感を胸に、結月は静かに、しかし力強く、遺跡を後にする決意を固めた。
ノアは、二人のやり取りを見つめながら、静かに目を細めた。
「三百年前、僕は、セレイアにも、同じことを伝えたかった。でも、あの頃の僕には、それを実現するだけの力が、足りなかった」
「ノアのせいじゃありません」
「わかっている。それでも、今度こそ、同じ後悔はしたくないんだ」
ノアの声に滲む切実さに、結月は、深く頷いた。荒野に沈んでいく夕日が、遺跡の尖塔を、燃えるような橙色に染め上げていた。
第46話 了




