第45話 守人の試練
日誌をさらに読み進めていくと、結月は記録庫の最奥に、もう一つ扉があることに気づいた。
扉には、これまで見てきたどの紋様よりも複雑な結界が張り巡らされている。日誌の最後のページには、その扉について、短い記述があった。
『わたしの力の集大成を、この奥に残す。もし後に続く者が現れたら、この試練を越えて、受け取ってほしい。ただし、覚悟のない者には、決して開かない扉だ』
「試練……ですか」
結月がその文字をなぞりながら呟くと、ノアが緊張した面持ちで頷いた。
「セレイアが、自分の力の全てを注いで作った最後の守りだ。単なる知識ではなく、力そのものが込められているはずだ」
「危険なんですか」
「わからない。だが、生半可な覚悟では、はねつけられるかもしれない」
結月はレインと視線を交わした。レインは何も言わず、ただ静かに頷いた。行けという合図だった。
結月は扉に近づき、両手をかざした。これまでの錠前とは、明らかに感触が違う。単純な境目のずれではなく、もっと深く、もっと複雑な、幾重にも重なった結び目のような構造をしている。
「これは……」
結月は目を閉じ、意識を集中させた。祖母の教え、ノアの指導、そして、これまでの戦いで培ってきた全ての感覚を、この一点に注ぎ込む。
境目を一つ解くごとに、扉の紋様が、淡く光を放ちながら形を変えていく。だが、解いた端から、また新たな結び目が現れる。まるで、扉自身が、結月の覚悟を試すように、次々と課題を突きつけてくるようだった。
「くっ……」
額に汗が滲む。これまでの修行で得た力の全てを注いでも、扉はなかなか完全には開かない。結月は歯を食いしばりながら、さらに深く意識を沈めた。
その瞬間、結月の脳裏に、これまでの旅の記憶が、次々と蘇った。サレイユ村でのミアの笑顔。ガレスで救った子供たちの安堵の表情。カルダンで礼を告げてくれた女性の涙。レインの手の温もり。フィオナの真剣な眼差し。
――わたしは、なぜこの力を使うのか。
自問した瞬間、結月の中で、何かが噛み合う感覚があった。力を使うのは、誰かを守るためだ。自分の存在を証明するためでも、力の大きさを誇示するためでもない。ただ、目の前の誰かの痛みを、見過ごせないからだ。
その想いが、指先を通して、扉に流れ込んでいく。最後の結び目が、ふわりと解けた。
石の扉が、重い音を立てて開いた。中から、これまでとは違う、温かな淡い光が溢れ出す。
「開いた……」
結月は震える声で呟き、光の中へと足を踏み入れた。小さな部屋の中央には、透明な結晶のようなものが、宙に浮かんでいた。近づくと、その中に、微かな人影のようなものが見える気がした。
結月がその結晶に手を伸ばすと、頭の中に、直接、声が響いた。若い女性の、静かで、それでいて確かな芯のある声だった。
『ようこそ。あなたが、ここまで辿り着いたのなら――わたしの力の一部を、託します』
「セレイア、さん……?」
『詳しいことは、話せません。わたしはもう、意思を持った存在ではないから。これは、わたしが最後に残した、力の記憶にすぎない』
結晶の光が、結月の体を優しく包み込んだ。温かい感覚が、指先から全身へと広がっていく。
『大きな境界を、無理なく編むための技術。これを、あなたに』
結月の頭の中に、これまでにない知識と感覚が、一気に流れ込んできた。広範囲の結界を、体力を無駄にせず構築する方法。複数の境界を同時に扱う制御術。まるで、長年の修行の成果を、一瞬で受け取ったかのような感覚だった。
『どうか、わたしのようにならないで。あなたには、あなたの道がある』
その言葉を最後に、結晶の光は静かに収まっていった。結月はしばらく、その場に立ち尽くしていた。胸の奥に、温かいものと、切ないものが、同時に満ちていた。
「大丈夫か」
レインが駆け寄り、結月の肩を支えた。結月は静かに頷き、自分の手のひらを見つめた。新しい力の感覚が、確かにそこに息づいている。
「セレイアさんの想い、ちゃんと受け取りました」
結月の声には、これまでにない確かな強さが宿っていた。記録庫を出た三人は、朝日の差し込む遺跡の広間で、しばし無言のまま、立ち尽くしていた。
第45話 了




