第42話 北東の荒野
ここから先の旅路は、これまでの道中とは、まるで違う様相を呈していた。
街道はとうに途絶え、代わりに広がるのは、灰色の岩肌が剥き出しになった荒野だった。草木はまばらにしか生えておらず、空気そのものが、どこか歪んでいるような重さを帯びている。
「この辺りから、境界がかなり不安定になる」
ノアが緊張した声で告げた。結月は周囲を見渡し、思わず息を呑んだ。地面のあちこちに、細い亀裂のようなものが走り、その奥から、淡い光が漏れ出している。
「あの亀裂、まさか」
「小さな境界の綻びだ。三百年前の戦争の傷跡が、今も完全には塞がっていない」
結月はその光景に、胸が締め付けられる思いがした。三百年という長い年月を経てもなお、癒えない傷が、この土地には刻まれている。
「セレイアさんは、これだけの規模の綻びを、いくつも縫って回ったんですね」
「世界中に、これよりもっと大きな綻びが無数にあった。彼女は、その全てに向き合った」
ノアの声には、深い敬意と、それ以上の痛みが滲んでいた。結月は改めて、これから対峙しようとしている力の重みを実感した。
「気をつけろ、境獣の反応がある」
レインの警告に、結月は意識を切り替えた。荒野の各所から、小型の境獣が姿を現し始めている。だが、これまで戦ってきた個体よりも、動きが緩慢だった。
「弱ってる、ような」
「この土地の境界が不安定すぎて、境獣自身も、うまく形を保てないんだろう」
結月は哀れみを覚えながらも、行く手を阻む境獣たちを、レインと共に着実に退けていった。数を減らすためではなく、あくまで道を切り開くための最低限の対処に努める。
三日目の夕暮れ、ようやく目的地が視界に入った。
荒野の中心に、崩れかけた城塞のような遺跡が、静かに佇んでいた。かつては壮麗であったろう建造物も、今は蔦に覆われ、風化が進んでいる。だが、その中心部――ひときわ高い尖塔だけは、不思議なほど原形を留めていた。
「あれが……」
「セレイアが、最後の戦いを繰り広げた場所だ」
ノアの声が、これまでになく静かなものになった。結月は遺跡を見上げながら、胸の奥に、期待と、それ以上の畏怖が入り混じるのを感じた。
「今夜はここで野営する。中に入るのは、明日、日が高くなってからにしよう」
レインの提案に、結月は頷いた。夜の遺跡に足を踏み入れるのは、あまりにも危険が大きい。
焚き火を囲みながら、結月は遺跡の輪郭を、暗闇の中にじっと見つめ続けた。あの場所に、自分の力の全てを解き明かす鍵と、そして、乗り越えなければならない過去の悲劇の記憶が眠っている。
「怖い、か」
レインが静かに尋ねた。結月は少し考えてから、正直に頷いた。
「セレイアさんの結末を知ってしまった今だと、なおさらですか」
結月は、自嘲するように、小さく笑った。
「正直、そうです。あの記録を読む前は、この力のことを、もっと単純に、誰かを助けるための力だとしか思っていませんでした」
「今は、違うのか」
「力には、必ず代償がある。それを、はっきり突きつけられた気がします」
レインは、しばらく黙って、結月の横顔を見つめていた。
「はい。でも、知らないままでいる方が、もっと怖いです」
「そうか」
レインはそれ以上何も言わず、ただ結月の隣に座り続けた。夜風が、荒野を吹き渡っていく。星空の下、二つの月が、遺跡の尖塔を淡く照らし出していた。明日、そこで待つものが何であれ、結月は、しっかりと自分の足で、その扉をくぐるつもりだった。
第42話 了




