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境界の乙女  作者: みぎみみ


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第40話 薄れる輪郭

 フィオナの屋敷を出た夜、その帰路で、結月たちは待ち伏せに遭った。


「フィオナ王女に近づく不審者、ここで始末させてもらう」


 闇の中から現れたのは、教会の紋章を隠した、私兵らしき一団だった。統制の取れた動きから、ただの賞金稼ぎではないとすぐにわかる。


「フィオナ様の屋敷を見張っていたのか」


 レインが剣を抜きながら舌打ちした。結月も身構えたが、相手の数は五人。これまでの敵よりも、明らかに練度が高い。


「結月、下がってろ」


「でも」


「今回は、俺に任せろ」


 レインが前に出て、先頭の男と斬り結んだ。だが、二合、三合と剣を交えるうちに、レインの動きに、明らかな苦戦の色が滲み始める。相手は一人ではなく、複数人が連携して、レインを追い詰めていた。


「くっ……!」


 レインの脇腹に、鋭い刃が入った。血が飛び散り、レインが片膝をつく。


「レインさん!」


 結月は反射的に駆け寄ろうとしたが、別の男がその進路を塞いだ。


「お前の相手は、こっちだ」


 結月は咄嗟に防御の膜を張り、男の攻撃を凌いだ。だが、視界の端で、レインが倒れ込む様子が見えてしまう。


「――っ、レインさん!」


 結月は男を強引に押し返し、レインの元へと駆け寄った。傷は深い。脇腹から流れる血が、驚くほどの速さで地面を染めていく。


「大丈夫だ、これくらい……」


 レインの声は、明らかに力を失っていた。結月は震える手を、傷口にかざした。傷と治癒の境界を、これまでと同じようにずらそうとする。だが、傷が深すぎる。通常の力では、到底間に合わない。


 ――このままじゃ、死んでしまう。


 その一瞬の恐怖が、結月の中の何かを突き動かした。ノアが叫ぶ声が、遠くから聞こえた気がした。


「結月、待って、それは……!」


 だが、結月はもう、耳を貸す余裕がなかった。傷と治癒の境界の、さらに奥――「生きている」ことと「死んでいる」ことの境界に、直接、手を伸ばす。


 誰にも教えられていない領域だった。それでも、本能が、その境目の在り処を知っていた。あの地下施設で指先がわずかに透けたときとは、感触そのものが違う。あのときは力の使いすぎによる、いわば擦り傷のようなものだった。だが今、触れているのは、傷の奥にある骨そのものだった。


 結月の手のひらから、これまでにない強さの光が溢れ出した。レインの傷口が、急速に塞がっていく。だが、それと同時に、結月自身の指先――手のひら全体が、みるみるうちに透け始めた。これまでとは、比較にならない速さだった。


「な……」


 結月は自分の手を見つめ、言葉を失った。輪郭が薄れ、向こう側の景色が透けて見える。まるで、自分という存在そのものが、少しずつ、境界の向こうへ溶けていくような感覚だった。


「結月、力を止めろ!」


 ノアの悲鳴のような声が、意識の奥に響いた。結月は必死に、力の流れを止めようとした。だが、一度開いた境界は、簡単には閉じてくれない。


「結月……!」


 傷の塞がったレインが、震える手で結月の体を抱きしめた。その温もりが、透けかけていた結月の輪郭に、わずかに実感を取り戻させる。


「ここにいろ。俺の声を、聞け」


 レインの声が、耳元で強く響いた。結月は必死にその声にしがみついた。自分がここにいるという感覚――レインの腕の温もり、心臓の鼓動、それら全てを、意識の錨とするように。


 少しずつ、結月の手が、元の輪郭を取り戻していく。数十秒――結月にとっては、途方もなく長い時間の後、ようやく体は、いつも通りの姿に戻った。


「はぁ……っ、はぁ……」


 結月は大きく息を吐き、その場に崩れ落ちた。周囲を見ると、残っていた男たちも、突然の異様な現象に恐れをなしたのか、姿を消していた。


「大丈夫か」


 レインが結月を抱きかかえながら、震える声で尋ねた。結月は自分の手を、恐る恐る見つめた。もう、透けてはいない。それでも、あの一瞬の感覚――自分という存在が消えかけた感覚は、生々しく体に刻まれていた。


「わたし……セレイアさんと、同じことに」


「結月、それは絶対にするな。二度と」


 レインの声には、これまでにない切実な響きがあった。結月は震える体で、小さく頷いた。だが、その脳裏には、消えなかった疑問が、はっきりと残っていた。


 この力の本当の限界は、どこにあるのか。そして、それを乗り越える方法は、あるのだろうか。


第40話 了


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