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境界の乙女  作者: みぎみみ


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第34話 大司教の間


 王都の大聖堂、その最奥にある一室では、ステンドグラスを通した光が、床に色とりどりの模様を描いていた。


 その部屋の主――大司教カイエンは、報告書を静かに読み終えると、それを机の上に置いた。年齢を感じさせない滑らかな所作と、感情の読み取れない穏やかな表情が、かえって底知れない印象を与える人物だった。


「カルダンの一件、随分と派手にやってくれたものだな」


 カイエンの前に跪いていたのは、ガレスで結月たちを取り逃がした、あの上級術士だった。


「申し訳ございません、猊下。異物どもの動きが、予測を上回っておりました」


「責めているわけではない」


 カイエンは静かに立ち上がり、窓の外を見やった。王都の街並みが、遠くまで見渡せる。


「むしろ、興味深い。あの娘、育ち方によっては、こちらの計画に大いに役立ったものを」


「では、いかがなさいますか」


「予定を早めよう。ガレスでの事は延期せざるを得なかったが、その分、次の準備は、より確実なものにする」


 カイエンは机に広げられた地図に視線を落とした。王国各地に印がつけられ、それぞれに小さな数字が記されている。


「触媒の蓄積は、順調に進んでいるのだろうな」


「はい。各地から、予定通りの数を確保しております」


「よろしい。あの娘――継ぎ手の乙女の血を引く力を持つ者が、民衆の支持を集めているというのも、悪い話ではない」


 術士は怪訝な顔を上げた。


「悪い話ではない、と申しますと」


「英雄は、いずれ祭壇に上がるものだ。民衆に慕われる者ほど、その転落は劇的な意味を持つ」


 カイエンの口元に、薄い笑みが浮かんだ。


「あの娘が、いずれ我々の計画の礎になるとしても、それはそれで一興だとは思わないか」


 術士は答えに窮したように、ただ深く頭を下げた。カイエンは窓の外に視線を戻し、独り言のように呟いた。


「ゼルギウス卿には、しばらく自由にさせている。あの男の心の揺らぎも、いずれ役に立つ」


「ゼルギウス様の……揺らぎ、でございますか」


「彼の血には、興味深いものが流れているのでな」


 カイエンは、窓の外に視線を戻したまま、独り言のように続けた。


「オルクレインの家系は、代々、忠実な駒であり続けてきた。だが、忠実であることと、疑いを持たないことは、必ずしも同じではない」


「猊下は、ゼルギウス様が、いずれ牙を剥くと?」


「可能性の話だ。だが、もしそうなったとしても、それはそれで、使い道がある」


 カイエンはそれ以上語らず、窓辺で静かに目を閉じた。部屋には、しばらくの沈黙が満ちる。


「下がれ。次の指示は、追って伝える」


 術士が部屋を辞すると、カイエンは机の引き出しから、古びた一冊の書物を取り出した。表紙には、「継ぎ手の乙女セレイア・記録」と、色褪せた文字で書かれている。


「三百年、教会はこの記録を、後生大事に守り続けてきた。ようやく、それを活かす時が来た」


 カイエンは静かにページをめくった。そこには、セレイアという名の少女が、世界の綻びを縫い続けた記録が、詳細に綴られていた。


「今度こそ、境界そのものを、我らの手に」


 その呟きには、狂気に近い執着が滲んでいた。ステンドグラスの光が、カイエンの横顔に、複雑な陰影を落としていた。


     *


 同じ頃、カルダンの宿では、結月がフィオナからの追加の情報を受け取っていた。


「教会の動きが、急に静かになったって、フィオナ様が言ってます」


「静かすぎる、というのは、逆に不気味だな」


 レインの言葉に、結月は頷いた。何か、大きな決断が、教会の内部で下されようとしている。そんな予感が、拭いきれずに胸の奥に残っていた。


第34話 了


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