第33話 民の声
カルダンでの一件から数日、街には奇妙な均衡が保たれていた。
教会は表向き、水晶の件について沈黙を守っている。だが、市場では、あの日南門で結月が語った言葉が、尾ひれをつけながら広まり続けていた。
「聞いたか、境界の乙女が、教会の陰謀を暴いたんだと」
「街を守るために、自分の証拠を晒してまで訴えたそうだ」
「教会も教会だ、都合が悪くなったら黙り込みやがって」
結月は宿の窓辺で、そうした噂話を聞くともなしに聞いていた。複雑な気持ちだった。人々の信頼を得ることは、確かに心強い。だが、それだけ教会からの敵意も、より鮮明なものになっていく。
「フィオナ様から、返信が来た」
ノアが、結月の懐で光り始めた通信具を示した。結月は急いでそれを握りしめ、意識を集中させる。
しばらくして、フィオナからの言葉が、頭の中に直接響いてきた。
『水晶、確かに受け取ったわ。専門家に検分させたら、要石との共鳴が明確に証明された。これで、評議会に再度、証拠を突きつけられる』
「よかった……」
結月は安堵の息を漏らした。だが、続く言葉に、表情が引き締まる。
『ただ、教会も黙ってはいないでしょう。あなたたちへの警戒は、これまで以上に強まるはず。しばらくは慎重に行動して』
通信が切れると、結月は懐にそれをしまい、レインに向き直った。
「フィオナ様が言うには、証拠は確かに認められたそうです。でも、これから、もっと警戒されるだろうって」
「予想の範囲内だ。だが、確実に前進はしている」
レインの言葉に、結月は頷いた。地道な一歩だが、着実に真実へと近づいている。
「レインさん、今日は少し街を歩いてみませんか」
「――ただの散歩か?」
「はい。せっかく守った街ですし、少しくらい」
結月の提案に、レインは珍しく素直に頷いた。二人は目立たないよう変装しつつ、賑わいを取り戻したカルダンの市場を歩いた。
露店の一角で、結月は焼き菓子の甘い匂いに足を止めた。
「これ、美味しそうですね」
「食べたいのか」
「あ、いや、そんなつもりじゃ」
結月が慌てて手を振ると、レインは何も言わずに、露店の主人に銀貨を差し出した。二つ分の焼き菓子を受け取り、片方を結月に手渡す。
「たまには、いいだろう」
「……ありがとうございます」
結月は焼き菓子を頬張りながら、隣を歩くレインの横顔を見つめた。出会った頃の無愛想さは、今も変わらない。だが、こうした小さな気遣いの端々に、確かな変化があるように感じられた。
「ミヅキさん!」
不意に、聞き覚えのない声で呼びかけられた。結月が振り返ると、市場で店を出していたらしい若い女性が、興奮した様子で駆け寄ってくる。
「もしかして、あなたが噂の……」
結月は一瞬身構えたが、女性の目には、敵意の代わりに、純粋な感謝の色が浮かんでいた。
「わたしの弟が、あなたに助けられた子供たちの一人なんです。ガレスで」
結月は息を呑んだ。あの夜、地下施設から連れ出した子供たちの誰かの家族が、こんな形で目の前に現れるとは思っていなかった。
「弟さん、お元気ですか」
「はい、おかげさまで。まだ怖い夢を見ることもあるみたいですけど……本当に、ありがとうございました」
女性は深く頭を下げた。結月は言葉に詰まりながら、それでも精一杯の思いを込めて答えた。
「全員を助けられたわけじゃありません。まだ、たくさんの子供たちが……だから、これからも頑張ります」
女性は涙ぐみながら、何度も頭を下げて去っていった。結月はその後ろ姿を見送りながら、胸の奥に、これまでとは違う確かな熱が灯るのを感じた。
「懸賞金だけじゃない。こういう声も、確かにある」
レインが静かに言った。結月は頷き、残りの焼き菓子を口に運んだ。甘さが、じんわりと胸に染み渡っていく。
教会との戦いは、まだ終わらない。だが、守るべきものの輪郭が、この街で、より一層はっきりと見えた気がした。
第33話 了




